雪解け前の成果と川の向こう
「……あれ? 最近、雪、降ってなくないか?」
朝、小屋の外に出た誠は、地面の雪を見下ろして首を傾げた。
深く積もったままではあるが、新しく降り積もった形跡がない。
空も、どことなく冬の張りつめた色を失い始めている。
「……冬のピーク、過ぎたか?」
吐く息はまだ白いが、凍えるほどではなくなってきた。
春が、少しずつ近づいている――そんな気がした。
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このところの誠の毎日は、ほぼ固定化していた。
工作。
罠の改良。
鹿、ときどき猪。
魚罠の回収と再設置。
ひたすら、それの繰り返しだ。
「……完全に“罠職人”だな俺」
『罠の成功率は、初期比で約1.8倍です』
「それ、褒めてるのか?」
『事実です』
誠は苦笑しながら、昨日仕掛けた罠の点検に向かう。
鹿一頭。予想通り。
魚籠も、今日も安定して成果あり。
「……ありがたいな、ほんと」
狩りではなく、“回収”という感覚。
それがもう当たり前になっていた。
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川に関しては、ひとつ気になることがあった。
「なあアイ、前に言ってた“上流の確認”ってさ……何があるんだ?」
『現時点では不明です。ただし、水量・地形・流速に明らかな違和感があります』
「違和感って……なんだよそれ」
『雪解け後でなければ、安全な調査は不可能です』
「まあ……どの道、今は無理か」
川はまだ冷たく、雪解け水も本格化していない。
上流に何があるとしても、春にならなければ動けない。
「……嫌なものじゃなきゃいいけどな」
誠は、流れる水をぼんやりと見つめた。
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その一方で、村の中では着実に“成果”が形になっていた。
まず、革製品。
鹿皮と猪皮から作られた、防寒具。
厚手の上着。
手袋。
そして、革靴。
「誠! 見てくれ、これ!」
ミィナが誇らしげに履いて見せてくる。
「……おお、普通に“靴”だな」
「普通って言うな。村で初めてだよ」
革袋も完成し、小物入れや食料袋として各家に配られ始めている。
「冬の冷え込み、去年よりずっと楽だぞ」
「雪でも足が濡れないって、こんなに違うんだな……」
村人たちの顔に、はっきりと“余裕”が生まれていた。
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次に、骨製品の進化。
針。
釣り針。
鍬の補強具。
簡易ナイフの刃。
「これ、魚の掛かり方が全然違うぞ」
「金属みたいとはいかないが、十分だ」
骨は軽く、加工もしやすい。
村の男たちが工夫を重ね、用途は次々に広がっていった。
「……なんか、俺より村人の方が進化早くないか?」
『学習速度が非常に高い集団です』
「だよな……」
誠は少し複雑な気持ちで、それを眺めていた。
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「そういや誠、あんたが教えた“皮の加工”、他にも色々出来てるよ」
ミィナがそう言って見せてきたのは、革で作られた背負い袋。
さらに、骨で補強された持ち手付きの農具。
「……すげぇな」
「“どう作るか”を教えただけで、こんなに広がるとは思わなかったでしょ?」
「正直、思ってない」
誠は素直に認めた。
『技術は、一度流通すると連鎖的に発展します』
「……文明の怖いところだな、それ」
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夜。
小屋の中で、誠は暖炉の火を見つめながら、静かに呟いた。
「春が来たら……色々一気に動きそうだな」
新しい水田。
農機具の本格運用。
水車の拡張。
そして――川の上流。
『はい。現在は、変革前の“静かな準備期間”です』
「……嵐の前の静けさ、みたいな言い方するなよ」
『否定はできません』
「……やめてくれ」
冗談めかしながらも、誠の胸の奥には、言い知れぬ予感があった。
雪は、もうすぐ溶ける。
川は、再びその姿を現す。
そして――この村の世界は、またひとつ先へ進む。
誠は、燃え続ける暖炉の火を見つめながら、静かに春を待った。




