保存食と“捨てない知恵”
猪の解体が終わったその日の夕方。
村の空気は、これまでにないほど肉の匂いで満ちていた。
「……すごい量だな……」
誠は、ずらりと並べられた肉の塊を見て、素直にそう呟いた。
鹿と猪、二頭分――いや一頭と一匹分。
干し肉、燻製、生肉、脂身、内臓まで分けられ、処理場はまるで戦場の後のようだった。
「誠、こっち来い」
声をかけてきたのは村長だった。
「今日は干し肉と燻製を一気に仕上げる。お前の罠のおかげでな」
「……俺、そこまで考えてたわけじゃ……」
「結果がすべてだ」
村長はそう言って、煙が立ち昇る場所を指差した。
そこには、即席で組まれた燻製小屋があった。
木の枝を組み、地面に掘った穴の底で弱火を焚き、上部に肉を吊るす――原始的だが理にかなった構造だ。
ミィナがその横で、真剣な顔で肉を吊るしている。
「火が強すぎると焦げるし、弱すぎると腐るんだって」
「……難しいな」
「でも誠が言ってた『煙で水分と虫を防ぐ』って考え方、村のやり方と合ってたよ」
誠は、こっそりと袖の影でアイの表示を見る。
『燻製は保存期間を三〜五倍に延ばせます。村の食料安定度は大きく向上します』
「……だな」
干し肉のほうは、さらに単純だった。
細長く切った肉を、塩を擦り込み、風通しの良い場所にずらりと吊るすだけ。
だがその数は――圧巻だった。
「……これ全部、冬越え分?」
「いや、余るな」
「余る……?」
誠の問いに、村長は少しだけ目を細めた。
「余った分は、隣の村と物々交換だ。今まではここまで出せる余剰は無かった」
その言葉に、誠ははっとした。
「……流通、か」
『はい。保存技術は“交易”を発生させます』
「……村が、一段上に行くってことか」
⸻
解体作業は、肉だけでは終わらなかった。
「誠、これどうする?」
そう言って差し出されたのは、分厚い猪の皮だった。
「……革、だよな」
「今まではな、ほとんど捨ててた」
「捨ててた!?」
「加工が面倒でな」
誠は、思わず言葉を失った。
『皮は革製品として極めて高価値です。防寒具、袋、靴底、鎧下地など応用範囲は広大です』
「……これ、宝の山じゃん……」
村人たちは驚いたように誠を見る。
「そんなに使えるのか?」
「ただの臭い皮だと思ってたぞ?」
「なめせば、別物になる。多分……」
誠は正直だった。
なめし革の工程など、細かくは知らない。
だが――
『脳内なめし、植物性なめし、油なめし。環境条件的には“油なめし”が最適です』
「……油と、塩と、乾燥。それでいける」
そう伝えると、村人たちは一斉にざわついた。
「やってみる価値はあるな」
「冬の防寒具が作れるなら助かるぞ」
さらに――
「骨はどうする?」
「スープにする分以外、ほとんど捨てます」
誠は、内心で頭を抱えた。
『骨は道具、針、釣り針、装飾品、粉砕すれば肥料にも転用可能』
「……全部、資源じゃん……」
誠は思わず呟いた。
「なあ村長。これ全部、捨てるのやめません?」
「……全部?」
「皮も、骨も、脂も。全部使える」
しばらく沈黙が流れ――やがて村長は、ゆっくりと頷いた。
「……誠、お前が来てから、この村は“捨て方”を忘れ始めてるな」
「……あ」
「悪い意味じゃない。むしろ逆だ」
誠の胸の奥が、じんわりと温かくなった。
⸻
その夜。
村の各所で、燻製の煙が静かに立ち昇っていた。
肉は吊るされ、脂は溶かされ、皮は塩漬けにされ、骨は洗われて干される。
何も無駄にされない夜。
暖炉の前で、誠は小さく息を吐いた。
「……罠ひとつで、ここまで変わるとはな……」
『技術とは“連鎖”するものです』
「……責任、重いな」
『ですが――村は、前向きに受け止めています』
小屋の外から、ミィナの笑い声が聞こえた。
燻製当番で、夜番なのだろう。
誠は、その声を聞きながら、静かに思った。
「……ちゃんと、生きてるな。俺」




