第09話 隠し部屋
ガリガリガリガリガリガリ――
部屋の中央にある半球状のかまくらの中から、爪で引っ掻く音が断続的に聴こえてくる。
かまくらに閉じ込められた二人の獣化徘徊病患者が、脱獄するべく内側から氷を削っている音だ。
そして、その音から察するに、破壊されるのは時間の問題に思えた。
「時間がない。手分けして扉を探そう」
そう提案すると、銀髪のS級利得者、蝶番ナギはうんと頷いて、さっそく部屋を調べにかかる。おれは時計と反対周りに冷蔵ケースをくまなく走査していく。
と、ほどなくそれは見つかった。
「あった!」
大量の瓶の奥に、なかば壁と同化した金庫の扉のようなものがあった。
おれは手前にあったアンプルを割らないように取り出すと、それらを床に置いていく。
と、いつの間にか後ろに来ていた蝶番が、アンプルを床に置く係を買って出てくれた。アンプルを取り出すと、彼女がそれを床に置いていく。一応、当たりの瓶があるかもしれないので割らないように慎重に。要冷蔵かもしれないが、今回ばかりは仕方がない、大目に見てもらおう。
とにかく品出しをスピーティに。
せっせとアンプルを床に置く蝶番の向こう、半球状の白い監獄はすさまじい冷気を放ち、二人の獣化徘徊病患者を完膚なきまでに沈黙させていた。
「にしてもすごいんだな、S級の宝物って。正直、舐めてたよ」
「壁とか檻とかいったデカブツは、一日三発撃てるかどうかの大技だけどね」
「てことは、やっぱり無尽蔵に使い続けるってことはできないんだな」
「一日に氷にできる息の量は限られてる。今日はもう、路地裏でもかなりの息を吹いたし、あとツララ一本が限界ね」
「限界を越えたら?」
「気絶するわ。面白いくらいバッタリと。次に目を覚ますのは、そうね、二日後とか」
「なるほど。じゃあ急いだほうがいいな」
その時、バキッ、とかまくらにひびが入った。
続いて、ボゴッと壁の突破される音。見ると、白いドームからにょきと生えた獣の腕がうねうねと虚空を物色していた。
「ひいっ」
おれはすみやかに最後の一本を床に置いた。
すっきりとした冷蔵ケースの棚を外すと、やはり金属の扉がそこにはあった。
そのすぐ隣には九つのボタンもある。どうやらこいつを規定回数押して開錠する仕組みのようだ。ほんとうに金庫みたいな扉だな。
「……ダンジョン文字」
頬に汗を流す蝶番ナギは絶望したようにそうつぶやく。
彼女の言った通り、九つのボタンは全てがダンジョン文字で構成されていた。
つまり、すべてはおれの慧眼にかかっているというわけだ。
頼む……じいちゃんたち、ここを開けててくれ。おれは祈るような気持ちで、九つのボタンを凝視した。
すると――
【今から示す十の文字を押せ】【最初の文字は鳥に似た――】
キタ!
じいちゃんたち、開けてた! ここを!
「いける」
「えっ!?」
小さく驚嘆する同級生を尻目に、おれはかがんで冷蔵ケースに入っていく。
さすがに寒い。駅前の路地で蝶番とやりあった時のことを思い出す。
さっそく視界に映るダンジョン文字を打ち込もうとした、その時だった――
ドスドスドス、と背後で何かの崩れる音。
慌てて振り返ると、雪まみれになった二足歩行のオオカミが二人、ギロリとこちらを睨みつけていた。
氷の監獄が破られたのだ。
ブルブルッ、と患者は身震いして雪を払うと、短く咆哮をあげた。
即座に反応したのは、またしても蝶番だった。
彼女は苦しそうに息を吐くと、患者の足元、床がパキンッと凍りつく。
直後、二人の患者がステンと派手にすっ転んだ。
が――
「ダメ……今ので打ち切り……もう、私の肺は使えない……」
すぐ隣でぜいぜいとイヤな音を鳴らす蝶番ナギ。
「わかった。あいつらはおれが引きつける」
言うと、蝶番は正気を疑うような顔でおれを見てきた。
「……大丈夫なの?」
「当たらなければ問題ない。それより扉だ。暗証番号を言っていくから、その通りに入力してくれ」
「わ、わかったわ」
のそり、と立ち上がったオオカミが、首をぐるりと回転させると、脚にグッと力を込めた。
そして――
バキッ、と氷の床を蹴って急襲する。
本来なら死を覚悟する場面なのだろうが、不思議とおれは落ち着いていた。というのも、おれの視界には獣化徘徊病患者の攻撃の軌道が前もって表示されていたからだ。こういう時、歴戦のじいちゃんたちはほんとうに頼りになる。
その軌道予測に従って初撃の大振りを、背をそらしスウェーで避ける。
目と鼻の先を獣の爪がスーッと通過していく。遅れてケモノ臭がおれの鼻孔をつんざいた。
攻撃を避けるのと同時に、視界に浮かんでくる暗証番号をダンジョン文字だが後ろの蝶番に伝える。
「一番最初は鳩みたいなヤツ!」
「カラスじゃなくて?」
「いや、どう見ても鳩だろ!」
「これね、押した!」
続いて患者二人の爪による掴み攻撃をそれぞれダッキングでかいくぐりつつ、
「次は蛇!」
「ロープじゃなくて?」
「おまっ、これはどう見ても蛇です! 蛇以外ない!」
「押した!」
「その蛇をあと7回」
「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく、なな。押した!」
徘徊病患者の度重なるタックルを跳び箱の要領でぴょんぴょん躱しつつ、
「最後は尻!」
「ハート!」
「尻!」
「わかったもう尻でいいわよ! はい押した!」
ガチャン!
何かが開いた音。
「開いた! サンエモン! 早く!」
暴れ狂う二人の患者をその場に残し、ダッシュで冷蔵ケースの中に突入。
そのまま二人して隠し部屋に滑り込んだ。
急いで扉を閉める。
すると、すぐにガギガギと向こうから引っ掻き音が聴こえてくる。
が、氷のそれとは違い、金属の扉はビクともしなかった。
「ふう。なんとか窮地は脱したかな……」
そこは外界でよく見るコンテナの中のような薄暗い通路だった。
隣で息を切らせる蝶番が、ぐるりを見渡して感嘆の声を漏らす。
「……すごい……冷蔵ケースの裏にこんな通路があったなんて」
「さっそく探索漏れが見つかったな」
「……申し開きもないわ。完全に、私たちの落ち度ね」
申し訳なさそうな口調とは裏腹に、銀髪の探索者、蝶番ナギは恋する乙女のようなキラキラとした瞳で通路の先を見つめていた。
★
薄暗いコンテナ通路を抜けると、またもやコンビニのような部屋に出た。青白い光に、四方を取り囲む冷蔵ケース。
「またこれか……とにかく防具を探そう。この部屋のどこかにあるはずなんだ」
「パッと見、そんなのないみたいだけど……」
その蝶番の言葉に、おれの視界が反応する。
【兵装化シリーズは利得前、防具の形を成していない】【利得してはじめて防具と化す】【最初は小さきモノ】
「ああ、なんか防具だけど防具防具してないっぽい。とりあえずあやしいモノがあったら教えてくれ」
「了解」
さっそくおれたちは二手に分かれて防具を探しはじめた。
が、蝶番も言ったように、ぱっと見それらしいものは見当たらなかった。色とりどりの薬品瓶が所狭しと陳列されているだけだ。ほんとうにあるのか?
「にしても、サンエモン……みみっちく奨学金にこだわる割には勇気があるのね」
いつの間にか下の名前呼びになっている。まあ、いいけど。
「勇気? おれが?」
「……ええ、勇気があると思うわ。あの場に残るという選択は、常人はしない。したくてもできない」
「うーん。勇気ってより、血だろうな。たぶん」
「血? お父さんの?」蝶番がこちらを見る。
「いや、どっちかっていうとじいちゃんだな。好奇心の権化みたいな人だったらしいから」
「おじいちゃん子だったのね?」
「いや、ぜんぜん。どっちかっていうとおばあちゃん子だな」
「は?」と、キレ気味の蝶番。
「どんなじいちゃんだったか全然知らないんだ。物心つく頃には死んでたし」
「だったら、なぜお祖父さまに似てると――」
「おれの家には代々、名前を付ける時に暗黙のルールがあるんだ――」
「は? 何の話?」またもやピキる彼女。
「おれの家の話だ。べつに興味がないならやめるけど」
「いいえ、興味があるわ。聞かせて」
おれは冷蔵ケースの中の色とりどりの瓶に目をやりながら、自分の家について語りはじめる。
「うちは子供が生まれるとその子が男だった場合、オヤジの名前に数字を一つ足した名を授けるっていう暗黙のルールがあるんだ。イチエモンの子はニエモン、ニエモンの子はサンエモンって感じで順番に、で、ジュウエモンまでいくと次はイチエモンにリセットされる」
「じゃあ、あなたのお父様はニエモンさん?」
「そ」おれは短く答え、「で、その上で、おれん家にはこういう言い伝えがある。偶数エモンは無関心の、奇数エモンは好奇心の塊。この話は好きでばあちゃんからよく聞いた」
蝶番はもはや捜索そっちのけで興味深そうにこちらをジッと見つめていた。話に集中してくれるのはありがたいが、足が止まっている。防具を探してくれ、防具を。
「おれのオヤジは博打打ちだった。だから当然、家庭は崩壊。おれは母ちゃんに女手一つで育てられた」
蝶番はすこし表情を曇らせた。ショックを受けたのだろう。まあ、たしかに順風満帆な令嬢には縁のない話かもな。
「オヤジをはじめ偶数エモンはとにかく何事にも関心を示さない人が多かったそうだ。自分についても、他人についても。世界についても。だから偶数エモンは破天荒になりがちだった。世捨て人って言うのかな。まあ、転ばぬ先の慧眼でいらん情報まで四六時中頭に入ってくるから、それから逃げたかったってのもあるだろうけど」
「情報の氾濫……」
蝶番ナギは小さくそうつぶやいた。情報の氾濫か、言いえて妙だ。
「そんな破天荒な偶数エモンだけど、意外にも誰一人ダンジョンに越境していない」
明らかに蝶番の頭に ? が浮かんでいた。なので詳しく説明してやる。
「ダンジョンに誘われるのはなぜか、いつだって心の平穏を望む奇数エモンのほうだったんだ。事実、おれの視界に映るダンジョン情報は、すべて奇数エモンのじいちゃん達のものだ」
「へえ……面白いわね」
「てなわけで、おれのこれも勇気とかじゃなくて、ただの好奇心だな」
「奇数エモンの?」
こくり。
「――の割には堅実に安泰を望むのね」
「当たり前だろ。まずは生き残らないことには、好奇心もクソもないからな」
「なるほどね。話してくれてありがと。すこしサンエモンのことがわかったわ」
「てか、いつの間にか下の名前で呼ばれてるんですが? それは――」
「なによ、イヤなの?」
「いや別にイヤじゃないけど……」
むしろ、ちょっと嬉しいけど? んなこと口が裂けても言えないけど?
「禊も済んだんだし、もう私たちは仲間よ。だから私も下の名前で呼んでくれていいわ。というか、下の名前で呼んだ方が、その、早いし。二文字だから」
なぜか最後のほう蝶番は口ごもっていた。
「いや、おれはいいや」
「……なんでよ」
呼んだことないからだよ!! 女性を下の名前で!! 言わせんな、恥ずかしい。
「とにかく、なんかあやしいのがあれば声をかけてくれ」
「それ、誰に言ったの?」
ナギに。
とでも言うと思ったか!!!
甘いわ!
呼べるか、カスゥ!
ハズいわ、カスゥ!
「いや、これで蝶番以外のやつに声かけてたら、おれ、お脳の病院行くやつだろ」
下の名前で呼ばれなかったことが不愉快だったのだろう、蝶番はあからさまにムスッとした。
が、何かを見つけたのか、すぐに機嫌を直す。
「あっ、ねえ、これは?」
蝶番が指さしたのは冷蔵ケースの中にあった酒瓶だった。真っ黒な一升瓶にピカピカと輝く黄金のラベル。なんというか、めちゃくちゃ高級そうな一品ではある。
「えっ、おたくにはこれが防具に見えるの? だったら眼科に行ったほうが――」
「違うわよ。他とは違ってこれだけ厳重に保管されてる。当たりだったりしない?」
たしかに彼女の言う通り、その酒瓶の近くには薬のアンプルはなく、それだけが目立つように陳列されていた。
おれは不承不承、その金色に輝くラベルに目を凝らす。
と、視界には信じられないような文字列が浮かび上がる。
【絶滅酒】【死んでも飲むな】【飲んだ種が絶滅する】
視界には続けて、先祖の石川キュウエモンがこの絶滅酒を用い、【モンスター:壁抜け幽霊騎士団】を絶滅させた、とあった。そのおかげでダンジョンの難易度が著しく低下したとか。
「……やっぱ蝶番家の人らって選別眼オワッてんね」
「何なの?」
「飲むと、その種が絶滅する酒です」
「種が!?」
「種が」
ゴクリ。
蝶番の生唾を飲み込む音がコンビニ部屋に響いた。無理もない。人類を救おうと躍起になってる蝶番からすると、冗談みたいなアイテムだ。
「てか、これ……人類絶滅を企む奴に渡ったらアウトなヤツだろ……割っとくか?」
「そんなのが無造作に置いてあるなんて……悪趣味すぎない……?」と、蝶番。
「ほんと、誰が造ったんだろな。飲むだけで絶滅する酒といい、人類を絶滅させるほどの毒を持ったモンスターといい」
「創造主なんじゃないの、やっぱり」
「どうだろ」
「鍵家の人たちは、万病に効く薬そっちのけで探してるみたいだけど」
「創造主を? いるのか、ここに」
「さあ。あくまで噂よ」蝶番は肩をすくめた。
その時、視界が反応する。
【以前はここらにあったが】【下を見よ】【↓↓↓】
「ん」
灯台下暗し。足元にそれはあった。
「見っけ」
それは水槽のようなケースに入れられた、手のひらサイズの真っ黒な蜘蛛だった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ダンジョン572階層を中心に、その上下7階層には、壁抜け幽霊騎士団が居座っていた。
当時、一番上の階層を探索していた鍵家の坊ちゃんとともに、石川キュウエモンは幽霊騎士団の騎士団長に絶滅酒を飲ませることに成功。
以後、このダンジョンから、壁を抜けてどこにでも現れる厄介な騎士どもが姿を消した。
――転んだ先の慧眼による情報の一部を開示――