第08話 感染拡大
禊なる儀式の最中、【万病素】を飲んだ男性の裏方さんが大量に吐血、苦しみだした。
それを目の当たりにしたオールバックの巨漢、トキサダが、チッ、と舌を打つ。
「即死剤を引いたか!? おい、例のアレを!」
誰へともなく命令すると、集団の中から一人の女性が駆けつけてきた。彼女の手には灰色のアンプルが握られている。
そのアンプルのラベルには【全細胞完全停止錠】とあった。
トキサダは受け取ったアンプルから一錠のカプセルを取り出すと、それを四つん這いになって苦しむ裏方さんの口へ、なかば無理やり放り込んだ。
「飲み込め!」
口を押さえられた裏方さんの喉が、ゴクリと上下する。
直後、うずくまった格好のまま、裏方さんはピタリと停止した。その止まりっぷりたるや、まるで動画の停止ボタンを押したかのようだった。
トキサダが、ふぅ、と小さく息を吐く。
「なんとか即死はまぬがれたか……」
四つん這いのまま微動だにしない裏方のさんの周囲に文字列が浮かび上がってくる。
【完全停止中】【こうなると水も食事も必要ない】【再始動剤を飲むまで、この状態が続く】
「つまり……コールドスリープさせたってことか……」
独りごちる。と、トキサダは威張ったように、フンッ、と鼻を鳴らした。
「どうだ。これが即死剤の攻略法だ」
「攻略法? これが? ただ死を先延ばしにしただけだろ」
「それでもヤツは死んじゃいない」
唾を飛ばして吠えるトキサダを、おれはキッと睨みつけた。
これが攻略法と言えるのか?
いや、言えない。こんなのは攻略でも何でもない。単なる一時しのぎだ。
攻略というからには彼を治さねばならない。彼が飲んだのは、万病素……字から察するに、すべての病気の素で間違いない。ゆえに彼を治すには、すべての病気に対する治療薬が必要だ。
でも、そんな絵にかいたような薬……本当にあるのか。
万病に効く薬……か。
束の間の静寂を、シュイという扉の開く音が破る。
「敵襲!」
叫びながら男性の裏方さんが部屋に飛び込んできた。
少し間があって――
二足歩行のオオカミがどかどかと闖入してくる。
「ウェンディゴ!」
それも一体や二体じゃない。
大群だ!
いち早く反応したのは、銀髪の探索者、蝶番ナギだった。
彼女は予備動作なく、フゥウ! と一息で氷の壁を造ってモンスターの進路を阻む。
【息吹の氷壁】【透明度の高い氷の壁】【見た目とは裏腹に、かなりの硬度を誇る】【そんじょそこらの攻撃ではビクともしない】
間一髪、先頭にいたウェンディゴが氷の壁に鼻っ柱をぶつけた。
が、ダメージはなさそうだ。その証拠に、鼻をぶつけたウェンディゴは、勢いそのままガリガリと氷の壁を引っ掻きはじめた。まるで砂浜をはしゃいで掘る犬を見ているかのようだ。ものすごい速度で壁がえぐられていく。
その氷を掘る群れの真正面に、トキサダは立った。
彼は暴れ狂うモンスターに臆することなく、静かに狙いを定めると、持っていたアイスピック状の宝物、万枚通しでその分厚い氷ごと正確にウェンディゴの胸を、貫く。
心臓を穿たれた先頭の一体が、ドタリとその場にくずおれた。
が、所詮は群れのうちの一体。すぐ後ろにいた四体のウェンディゴが倒れた同族そっちのけで氷の壁を亡きものにしようと引っ掻きはじめる。
狂ったようにヨダレを垂らしながら――
がしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃがしゃ――
ぼごっ、とウェンディゴの腕が氷の壁を突破した――
すかさず蝶番は、ハァ! と強めに息を吐いた。
駅前の路地でおれにも見せた技、一息の氷室だった。それにより前列にいたすべてのウェンディゴが、無数の氷の棘で串刺しになり、立ったまま断末魔を上げた。ややあって――
バキンッ! と氷の棘が砕け散ると、束縛から解放されたモンスターたちは噴水のように黒い体液をまき散らしながらドタドタと倒れ、そのすべてが絶命した。
残るウェンディゴは三体。
が、最悪なことに、その三体のうち二体の身体に布切れが付着していた。
それぞれ肩と胸に、どう見ても衣服の一部とみられる布が。
「くそっ、獣化徘徊病患者か」
「トキサダ! ひとまずモンスターのほうを!」
「御意!」
トキサダは万枚通しで人の痕跡のない最後のウェンディゴを氷の壁ごと、一突き。
正確に心臓を貫かれたモンスターは短くいまわの声を上げると、ドサッと倒れた。
残るウェンディゴはあと二体。ただし、どちらも元は人間だ。
「今だ! 非戦闘員はただちに部屋を出ろ!」
トキサダが叫ぶと、裏方さんたちが氷の壁を盾に部屋から出ていく。
最後の一人が部屋から出るのと同時だった。蝶番が最初に造った氷の壁が派手な音を立てて砕け散った。
壁を突破した二人の獣化徘徊病患者が襲い来る。
フッ! と蝶番が氷の息を吹くと、徘徊病患者の足元にあった床がスケートリンクのように白く凍りついた。
徘徊病患者はツルツル滑る床にすこしバランスを崩すが、脚の爪を氷にガリっと突き刺し、ふんばるようにして持ちこたえた。
そして、そのまま、こちらに向かって飛びかかってきた。
おれはとっさに隣にいた女性の裏方さんをかばいつつ横っ飛び。
あっぶねー。なんとか爪は避けられたか。
が――
「ひぐっ……」
小さな悲鳴がおれの下で鳴った。
恐る恐る見てみると、裏方さんが腕を押さえてうずくまっていた。
ウソだろ……その腕からはボタボタと赤黒い鮮血が滴っていた。
「ヤバい! 裏方さんが引っ掻かれた!」
「くそっ」と、トキサダ。
傷ついた裏方さんを一瞥した蝶番は、胸いっぱいに息を吸い込むと、それを徘徊病者に向かってすべて吐き出した。
すると、パキパキパキッと部屋の真ん中に氷のかまくらができあがった。
【大息の氷監獄】【分厚い氷のかまくら】【閉じ込められると数分で低体温症になる】【時間経過による脱獄はまず不可能】【脱獄する術がない場合、死を覚悟せよ】
蝶番は、半球状の真っ白な監獄に徘徊病患者を閉じ込めたのだった。
が、その代償は大きかったようで、苦しそうに胸のあたりをぎゅっと握りしめていた。
「よし! 今のうちに彼女を外へ」
トキサダの言葉に従い、おれは女性の裏方さんに肩を貸してやると、そのまま通路まで運んだ。
部屋の外に待機していた裏方さんたちに彼女を託す。
「急いで外界へ」
「すまない!」
「感染が拡大した! よってこのフロアを破棄する!」
そう宣言すると、トキサダも部屋から出てきた。
「さ、私たちも逃げるわよ」
さっきの氷の檻でかなり体力を消耗したのだろう蝶番は額に汗を浮かべ、肩で息をしていた。
逃げたほうがいい。それは、その通りだ。わかっている。
わかっているけど――
「いや、おれは残る」
おれの突拍子もない宣言に、その場に居た全員が唖然とした。
そんな中、トキサダだけが心なしか嬉しそうな表情を浮かべ、
「そうか。同志を死地に置いていくのは心苦しいが、意思は尊重せねばな」
そんなニヤつくトキサダとは反対に、蝶番は思いつめたような顔で、
「なら私も残る」
前衛のまさかの発言に、後衛のトキサダがハッとした。
「お嬢、それはなりません! 我々と一緒に逃げてもらわないと!」
「私のことはいいから。行って」
「しかし、理事長に何と言えば――」
「大丈夫。私たちに何かあっても、あなた達の責任はいっさい問わないと約束する」
蝶番は、苦しそうに顔をゆがめながらも、真っすぐトキサダを見つめながら言った。
短い付き合いだが、これだけはわかる。
こうなった蝶番ナギはだれにも止められない。
トキサダはしばらく黙考したのち、振り絞るように、
「で、では……どうか、ご無事で」
そう言い残し、蝶番家の面々とともに通路に消えた。
「――で? 何か考えがあるんでしょ?」
「出入り口の数が2って表示されてるのに、扉はここにしかない」
おれの視界に映っている情報を正確に伝えると、蝶番は不思議そうに眉をひそめた。
「それって……この部屋のどこかに隠し扉があるってこと?」
「わからない。けど、それを調べないで去るっていう選択肢は、おれにはないってだけだ」
じいちゃん達がおれに最高の防具の在り処を教えてくれている。
おれはそれに従うだけだ。
なぜなら……そうすることで勝ちが確定するのを、誰よりもおれが知っているから。
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蝶番家
門を守る一族の中でも最初期に門を下賜された古い一族。当主は男女山学園の理事長もつとめる蝶番サザナミ。同学園に通う蝶番ナギ(S級利得者)は次期当主である。
侍従は戸田家や扉家など多数いるが、侍従長は代々、用心棒家が務めている。
蝶番家はダンジョン探索業だけにとどまらず下界においても多大なる貢献を果たし、多数の企業の創業家としても知られている。
蝶番家が創業した企業としては、蝶番鉄鋼、蝶番創薬、蝶番地所、商船蝶番などがある。
蝶番家家訓――『お上の命は絶対である』ゆえに『疑わしきは完飲せよ』