第05話 ダンジョン最下層
リビングにあった門をくぐると、そこはコンビニだった。
四方を冷蔵ケースに囲まれ、ジーッという駆動音も鳴っている。
ただ、街中にあるコンビニと大きく違う点は、全体的にブルーな光に包まれていることと、部屋の真ん中に洋式の便器がぽつねんと置かれていること。
あとはほとんどコンビニといっても差し支えないほどに、コンビニだった。
「うお、ほんとにあるんだ……コンビニ部屋……」
「それ、みんな言うわね。そんなにコンビニに似てるの? ここ」
同伴者から衝撃の発言が飛び出したのでおれは慌てて振り返る。
「えっ!? もしかしてコンビニ行ったことない人?」
「……前は通ったことある」
黒の装備に身を包んだ銀髪の探索者、蝶番ナギはボソッとそんなことを言った。
「中は?」
「ない」
「……マジかよ。コンビニ行ったことないとか、絶滅危惧種だろ、もはや」
「買い物は基本、侍従の人たちがやってくれるから」
「かー、言ってみたいわー、そんなセリフ」
10階層より下は模擬ダンで嫌というほど探索していたので、慣れてはいたが、やはりというか、備品や装飾品が見たことないものばかりで新鮮だった。
壁一面にある冷蔵ケースの中には、見たことのない薬品アンプルのような瓶がズラリ陳列されていた。赤いものや緑のもの、濃紺のものがあり賑やかだ。
「すげぇ。これ全部薬か?」
「もう、あなたも立派な探索者だから惜しみなく情報を開示するけど、そうよ。最下層から58階層までは薬品陳列層といって、こういった薬品のあるフロアが延々と続く」
「58!? おいおい、もしかして、その中から当たりを見つけろって?」
蝶番はゆっくりとうなずいた。
「残念ながら、その通りよ。ちなみに、ダンジョンにある薬は全てが未知の物質でできているから、外界に持ち出して解析するにしても、スパコンの性能にもよるけど、最低でも二年はかかるわ」
「二年……待ってる間に人類絶滅するな……」
「でも、一瞬でわかる方法もある」
蝶番は銀髪の下、大きな瞳でおれをジッと見つめてきた。訊かなくてもわかるが、一応訊いてみる。
「……それマジで言ってる?」
「マジよ。蝶番家ゆかりの者はこれぞと思う薬は片っ端から試すようにしてる。疑わしきは完飲の精神で」
「ギャ、ギャンブラーっすね」
「仕方ないわ……理事長の命でもあるし」蝶番はとんでもないことをサラッと言った。「おかげで動ける親戚も、だいぶ減ってきたわ」
「あの理事長……身内にも容赦ないんだな」
「あの人は、お上の命には絶対な人だから……」
銀髪を耳にかける蝶番の横顔は、どことなく寂しそうだった。
「お上ねぇ」おれは冷蔵ケースの中の瓶を物色しながら、「てか、ずっと不思議だったんだけど、蝶番はなんで探索を? 本来ならダンジョンなんて入らなくてもいい身分のはずだろ」
「……身内がダンジョンにいるから……それ以上は言いたくない」
うっ、とおれは言葉に詰まった。これは地雷を踏んでしまったか!?
その身内は、まだ人間ですか? そんな問いかけが頭に浮かんだ。
もちろん口には出さないが。
この件はあまり深入りしないほうがよさそうだ。
冷蔵ケースの中のアンプルには、それぞれラベルが貼られてあった。
ラベルには文字のようなものが記載されていたが、もちろんこんな文字見たことも聞いたこともない。
と、そう思っていたのだが、突然、視界がそれを翻訳しはじめた。
どうやら先祖の一人が解読に成功していたようだ。
ラッキー。
目の前の茶色のアンプルには【頭部限定・毛母細胞活性剤】とあった。
【飲むと毛が生える薬】【猛烈なスピードで毛が生える】【副作用ナシ】
「おいおい、巨万の富の源泉があるじゃねーか、ここに。奨学金とかメじゃねーぜ?」
冷蔵ケースの扉を開けると、ひんやりとした冷気がおれを包み込んだ。
毛母細胞活性剤を取り出すとアンプルの頭をキュポっと引っこ抜く。
そしてそれをグビッと一気に飲み干す。
フワッと甘い香りが鼻から抜けていき――
「あんっ」
すごい勢いで鼻毛が飛び出し、その反動で、グギッ、と首が鳴った。
「ちょっ、何してんの?」
「いや、育毛剤があったから飲んだんだけど、頭部って書いてあんのに鼻毛が伸びたんだが?」
不本意な症状を訴えると、蝶番は不思議そうな顔で、
「…………鼻も頭部でしょ?」
「いや、じゃあ鼻って書けや!!!!!!!!!!!!」
おれの魂の叫びがダンジョン最下層にこだました。
「ねえ、ちょっと待って、いま書いてあったって言った? なに、あなた、ダンジョン文字が読めるの?」
「このQRコードみたいなやつか。それなら、ああ、読める」
事実を伝えると、蝶番はただでさえ大きな目をさらに大きく見開いた。
「うそでしょ!? なんで読めるの? ダンジョン文字は比較的最近解読されたばかりなのに。ダンジョンに入ったことないあなたが読めるはずない」
「でも、まあ、読めちゃったんだから仕方ない」
蝶番はジットリとした目でおれを怪しんでいる。
「いいかげん、その眼について開示すれば? 私もフロアの情報を開示したんだし」
逡巡する。まあ、全クリ情報を持っていることがバレなければいいか。
「言ってもいいけど誰にも――」
「言わない」
食い気味に約束され、おれは仕方なく宝物の情報を開示する。
「おれのこの眼は――見たものを記録するってのはその通りなんだけど、その記録されたものが代々受け継がれるんだ。親から子に。つまり、じいちゃん達が見たものが文字となって視界に現れる」
「記憶の継承ってこと?」
「の、ようなものだな。で、おれのじいちゃん、何人かダンジョンに越境してるんだけど、そのうちの一人がこの文字の解読に成功してる」
「てことは、私の攻撃を躱せたのも、あなたのご先祖様が極低温の肺腑による攻撃を見たことがあったからってこと?」
「そういうこと」
「なるほど……それでか……」と、蝶番は納得したように、「というか、よくそんな大事な部分を秘そうと思ったわね。ヘタしたら沈黙罪で拷問よ?」
「みんな少なからずやってんじゃないのか?」
「少なくとも門を守る一族はそんな卑怯なことはしない」
「さいですか」
なら、おれの唯一の友人は門を守る一族失格だな、とか思いつつも冷蔵ケースに目をやる。
と、おれの意志とは関係なく、ラベルが次々と翻訳されていく。
が、特にめぼしいものはなさそうだった。
「でも、この文字が解読されたってことは、ここの薬はもう調べ終わったんだな」
「ラベルを貼ってあるものは、ね」
「げ。マジか……」
蝶番の衝撃発言に、おれは冷蔵ケースを引きで見てみる。
と、たしかにラベル無しの瓶がちょこちょこ散見された。
「うわっ、ほんとだ、貼ってないのもある……」
「それが薬探しの厄介なところよ」
もう一度、冷蔵ケースをざっと走査する。と――
「うお、すげー、これ身長延伸剤だって」
おれはケースの扉を開き、緑色の瓶を取り出した。よく冷えている。
「へえ」と、つまらなさそうな音を出した蝶番が、ハッとなって、「待って! それにはラベルが貼られてないみたいだけど……?」
「ほんとだ。ってことは、おれの先祖が飲んだことあるのか、はたまた、飲んだ人を見てたのか。いずれにせよ、一回、見たんだろ」
そんなおれの言葉に視界が反応する。
【飲んだ人を見たことがある】【三寸ほど身長が伸びていた】【我、飲まず】【成長痛、痛そうだった】【膝、激痛】【転げまわることコマの如し】
「あ、やっぱり、飲んだ人を見たことあるって。ってか三寸って何センチだ? とりま、成長が止まったらこいつに頼むか。くくく。身長問題はこれでクリアだ。あとはチン長のほうだが――」
と、今後の人生安泰化計画を練っていた、その時だった。
不意に胸倉をつかまれ、そのまま冷蔵ケースまで押し込まれた。いわゆる壁ドンというやつだ。
いや、ちょっと違うか。
「あんた! それがわかってなんで今まで本ダンに入らなかったの!?」
蝶番ナギの吐息は冷凍庫を開けたときみたいにひんやりとしていた。この距離で攻撃されるとひとたまりもない。
「だからそれは点数が――」
「あの路地での戦闘! 獣化徘徊病患者の攻撃を全部避けてた。あんなことができるなら、あんな簡単な試験どうとでもなる! だけど、あなたはわざと追試を受け続けてた! わざと!」
チッ、バレたか。
「ああ、そうだよ! 本ダンに越境するのが怖かったからな! でも、ダンジョンの中で探索者が何をやってるかはマジで知らなかった! 模擬ダンでも指定された薬を持ってこいとしか言われなかったしな!」
これは本当だ。男女山学園は守秘義務が徹底されているのでクラスのみんながどんな場所をどんなふうに探索しているのか、一切漏れてこなかった。なので今の今まで、クラスのみんながこんなロシアンルーレットならぬダンジョンルーレットにいそしんでいるとはつゆほども知らなかった。
「模擬ダン模擬ダンって……私たちがいったいどれだけ犠牲になったと――」
「それは知らん」
ギロリ。銀髪の下からおれを睨みあげる彼女の目じりには、小さな涙の玉が浮かんでいた。
「知らんついでに言わせてもらうが、あるかどうかもわからない薬に命を投げだしてる、あんたらのほうがどうかしてる」そこまで言っておれは、はたと気づく。「まあ、筆みたいな鼻毛をしてるおれが言うのもなんだけど」
「万病に効く薬はある! お上の持つ【宝物目録】にちゃんと記載されてる!」
おれを締め上げる力がぐっと増した。
「お上って誰だよ!?」
「政府の上にいるやんごとなき方々よ!」
「知らねーよ。見たことねーし。ってか本当にあんのかよ? 万病に効く薬なんて。誰も見たことないんだろ?」
「薬はある! 絶対に! じゃないと――じゃないと……」
最後のほう、蝶番ナギは声を詰まらせていた。
【残念ながら、万病に効く薬は見たことはない】【あるという噂は耳にした】【だがついぞ見つけられなかった】
「おれは自分の目で見るまで信じない。リストに載ってるからって、そんなフワフワした情報で一個しかない命、張れるかよ!」
おれの思いが伝わったのか、壁ドンから解放された。
「痛っつ~」
ひねり上げられた首元がヒリヒリした。
「…………ついカッとなった」
そのあと蝶番ナギは小さい声でぼそっと何か言った。たぶんだけど「ごめん」だと思う。自信はないが。
まあ、彼女もここでいろいろあったのだろう。いちいち詮索はしないが。
おれは、手持無沙汰のまま部屋の真ん中に移動すると、便器の中にあふれんばかりのアンプルを見た。
そのほとんどが空瓶か、あるいは少し中身が残っているものばかりだった。
これ全部、蝶番たちが試しに飲んだのだろうか。だとすれば狂気だな。
【血中セレン量調査液】【時限付き怒髪天誘導体・阿吽】【テロメア短縮酒・二年モノ】【永続吸収性マグネシウム】【悪性新生物付着発光体】【漸進的心臓恢復薬】【腎臓洗浄液・雲雀】【排便誘発剤・羅刹】【即効性睡眠薬・獏】【表皮真皮再生液・万樹】【ミトコンドリア修復液】【胃細胞再生促進剤】【時限付き快楽上限越境誘導体・涅槃】
と、一つのアンプルに目が留まった。濃紺のそれには――
【2液・対万病素免疫向上剤】と書かれてあった。
「名前、長っ……いけど、なんかそれっぽいな――って、冷たっ!」
アンプルの冷たさに思わず手を引っ込める。
そっとアンプルの首元をつまんで目線の高さまで持ち上げてみると中身が少し残っていた。
試す価値はあるか。
「無駄よ」
振り返ると、蝶番はどんよりと暗い顔をしていた。
「なんでよ。飲まなきゃわかんないんだろ?」
「そこに捨てられてるのはもう全部飲んだわ」
「へえ。で、効能は?」
蝶番はフルっと一度、首を横に振った。
「単なる風邪すら治らなかった」
「ハズレか……それっぽいことズラズラ書いてるんだけどな」
持っていたアンプルをそっと便器の中へ戻す。
「でも、これがダメなら、ここにはもうそれっぽい薬はなさそうだ」
蝶番はただでさえ暗い顔をさらに暗くして、うつむき加減になった。
「じゃ、次の部屋いくか」
言うと、蝶番は顔を上げた。おおかた、おれがもう探索はしないと決めつけていたのだろう。
失礼な。
「万病に効く薬ねぇ……んなふざけた薬がないことを証明するためにも探索を続行する」
おれの言葉が信じられないのか、蝶番は眉をひそめ、おれが正気か問うような顔をした。
「あるかどうかも怪しい薬なんざどうでもいいけど、奨学金プラスアルファは欲しいからな」
「……いいわ。ついていく……後ろは任せて」
「目ぇこわっ」
バッキバキですやん。
「待って」蝶番は部屋を出ようとするおれを呼び止め、「門、忘れてる」
「あ、そっか。その門が貼れる壁がセーブポイントなんだっけか」
蝶番はおれたちが入ってきた門をペリッと剥がすと、手際よく畳んでいく。最終的にポケットに入るくらいの大きさになった。
「へえ、そうやって持ち運ぶんだな」
「ハァ……」あきれたようにため息をつく蝶番。「次の貼れ壁まで死なないでよ」
ゴクリ。
死なないで、か。そういえばここには本物のウェンディゴがうじゃうじゃいるんだよな。
「……そうだ」おれは扉の前で立ち止まり、振り返る。「ここを出る前に一つ、頼みたいことがあるんだけど」
「何?」
あらたまってそう切り出すと、蝶番も緊張した面持ちでおれの次の言葉を待った。
少し恥ずかしいが、ここを逃すともうチャンスはなさそうだったので、意を決しておれは言った。
「蝶番さんの宝物で鼻毛カットできますか?」
この時、おれは視線で人は死ぬんだということを身をもって知った。蝶番ナギは人じゃないモノを見る目をしていた。こっわ。ごめんて。でも鼻から筆はちょっと生きづらい。
蝶番は特大のため息で自身の爪を凍らせると、スパッと一閃、おれの鼻先を薙いだ。
【雪女の凍爪:切れ味抜群の氷の爪】【頸動脈もスパッと斬れる】【なぜ避けない】【死んでた】【鼻毛処理には適さない】【愚行】【死んでた】
ややあって、ハラハラと鼻毛が床に落ちていく。
「なんか……すんません」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
ある日、母ちゃんがおらんようなってよぉ。泡食ってそこらの山ん中探し回ったけどどこにもおらんくって。まあ、三日後にケロッと帰ってきよったんやけど、そん時、不思議な形の瓶持ってて……それ飲んだら、なんと母ちゃん、身ごもってもうてのう……おめでとうって、お前……母ちゃん、七十五やぞ
――民俗学者・柳正治著『山村の神隠し』より抜粋――