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第02話 最重要クエスト『万病に効く薬を見つけだし、利得せよ』

「お久しぶりです……蝶番(ちょうつがい)理事長。契約のとき以来ですね――」


 理事室は思ったよりこじんまりとしていた。両サイドに本棚があり、一番奥に大きな机があってそこに姿勢のいい女性が鎮座していた。


 ジャケットに身を包んだその女性は、四十代半ばらしいが、二十代といっても通用しそうなほど若く見えた。

 彼女がこの学園の理事長であり蝶番家の当主だった。


 ちなみにおれと同じクラスに彼女の娘がいた。もちろん、ヒエラルキーが違い過ぎて話したことはないが。


「挨拶はいりません。さっそくですが、こちらをご覧になってください」


 単刀直入に言うと、理事長は机の上にあったリモコンのスイッチを押した。


 と、彼女の背後にあった巨大なモニターに映像が映し出される。


 アナウンサーと思しき壮年の男性がマイクを持ち、喋りながら街を歩いていた。


『ご覧のように梅田からはすっかり人が消えています。外出自粛の要請が出ているので当然なのですが――ネットなどの情報によると、この交差点周辺で獣化徘徊病じゅうかはいかいびょうの患者と思しき方の目撃情報が後を絶たないということで、今日はこうして――』


 どうやら朝のニュース番組のようだ。


 場所は……見覚えがある。大阪駅の交差点か。


 にしては様子がおかしい。


 普段は人でごった返している場所なのに、映像の交差点には人っ子一人いない。森閑としていた。ありえない光景に目が釘付けになる


 と、カメラが交差点の向こうに人を見つけた。


『あっ、人です! 向こうに人がいます! 外出自粛の要請が出ているのですが――』


 交差点の反対側、信号機の下に人々が集まり、こんもりとした山を形成していた。


『近づいてみます』

『気をつけて』


 アナウンサーが信号機に近寄っていくと、その人だかりは何かに覆いかぶさっていることがわかった。誰かを介抱でもしているのだろうか。


 さらに近づくと、人だかりの隙間から、血だらけの脚が見えた。


 怪我人? と思いきや、彼らは寄ってたかって一人のサラリーマンにかぶりついていた。


 その中の一人、スーツの女性がこちらに気づき、ぐるりと振り返った。


 その顔は、まだらに毛が生え、なかばオオカミと化していた。


 半獣人と化した女性が口を開けて喉を鳴らす。ノコギリのような鋭い歯にはベッタリと血がついていた。


『まずいっ! 感染者だ!』

『ヤバッ! 逃げ――』


 カメラマンがダッシュしたせいか映像が乱れる。

 ややあって、画面いっぱいにアスファルトが映しだされた。


 直後、画面は美しい湖とボートの画に切り替わる。

 少々お待ちください、というテロップも。


 そこで理事長はモニターのスイッチを切った。真っ黒な画面に、顔面蒼白となったおれが映り込んでいた。


 パニック映画の導入を観ているような気分だ。現実感がない。見知った街で起こっている現実なのか……これが……?

 ごくり、と生唾を飲み込む。


「いまご覧いただいたのは、男女山の外、下界で起こっている獣化徘徊病じゅうかはいかいびょうパンデミックの様子です」

「……マジ、っすか」

「まごうことなき現実です」

 

 理事長は患者に病名を宣告する医師のように淡々と続ける。


「獣化徘徊病に感染すると、ものの数分で意思疎通がとれなくなり、一時間もしないうちに人を襲い始めます。それも見境なく――」

「一時間!? マジすか……」

「本当です。感染から二時間後、全身が体毛で覆われ、もうそこに人の姿はありません」


 人の姿がない……。


「それって、やっぱりダンジョンの――」

「この病がダンジョンから漏れたものかどうかは、今後、調査が必要でしょう」


 と、理事長はおれの言葉を遮って、


「――が、その前に、かの病に対し治療法を持たない人類(われわれ)は、早晩、絶滅するでしょう」


 絶滅、なんとも浮世離れした単語だ。いまいちピンとこない。


「治療法がないって、マジですか」


 理事長はゆっくりと首肯した。


「ですので、男女山の探索者はみなダンジョンに越境し、お上より下賜(かし)されし最重要クエスト、万病に効く薬を見つけだし利得せよ、に邁進しているのです」


 万病に効く薬。現代医学に携わる人間が聞いたら噴飯ものだ。


 でも、この街に住む探索者は皆、本気で、血眼になってそれを探しているのだ。

 あるかどうかもわからない薬を……命を懸けて……。


 ほんと、ご苦労なことだ。


「誰かさんをのぞいて――」


 理事長の氷のような言葉がおれの胸をつんざいた。

 うっ、そういう角度で詰められるのか。まずいな、なんとか受け流さないと、死地に送られてしまうぞ。


「り、理事長の娘さん率いる蝶番班がもうすぐ見つけるんじゃないかって、クラスでは噂になってるみたいですけど――」

「たしかにナギはS級の宝物を利得しました。ですので以前より探索範囲がぐっと広がったのは事実です」

「すごいっすね。じゃあ、見つかるのも時間の問題だ。よかったー。じゃあ、失礼しますね」

 

 踵を返す。扉まであと二歩というところで、

 

「ところで石川君――」

「はい」


 当然、呼び止められる。じわり尻汗が出てきた。


「九回目の追試はいかがでしたか?」

「まずまずでした」


「あなたの感想など訊いてません。合格したかどうかを訊いています」


 理事長は机の上で腕を組み、ただただおれをジッと見つめていた。

 その胆力に抗えるはずもなく、


「……落ちました」


 彼女はおれの不合格宣言に眉一つ動かさずに口を開く。


「またですか」

「またですね」

「よもや、わざと不合格になっている、なんてことはありませんよね?」


「んなわけないじゃないですか! おれはいつだって本気ですよ!」


 マジな顔で力説するおれに向かって理事長は、同情するような、見透かすような、そんな冷たい目を向ける。


 途端、ウォシュレットに失敗したかと思うほど尻汗が出てきた。


 やがて理事長は諦めたように一つ、ため息をつく。


「たしかに下界に降りてあなたをスカウトしたのは我々です。ですのでこのような事態も素直に甘受しなければならないのは重々承知の上――ですが、あなたに費やしている時間も経費も少なくないのもまた事実。そろそろ本気を出していただけませんか?」


 淀みなく吐きだされる言葉の端々から、怒気(ブチギレ)のようなものを感じた。


「善処します!」


 とびきりの返事を残し、おれは理事室を後にした。

 

 もはや尻が汗でびしょびしょだった。


 もしかして慧眼の未申請部分がバレてるのか? いや、男女山のことだ、もしバレていたら無事で済むわけがない。きっといろんな拷問をされて、今頃尻の毛まで毟られていることだろう。


 でも今のところおれは無事だ。尻の毛もちゃんと生えてる。


 大丈夫、バレてない。まだいける。



「できた」

「えっ、早っ」


 筆記テストは秒で終わった。


 放課後、おれは教室に一人残って長門先生の補講を受けていた。まあ、補講といってもダンジョンに関する筆記テストを受けるだけなのだが。


 長門先生は読みはじめたばかりの文庫にしおりを挟んで机に置くと、さっそく採点作業に取りかかる。

 が、結果は見るまでもない。【転んだ先の慧眼】にかかればこんなテスト、テストですらない。日本語の筆記練習だ。


「……満点、だね……」


 いつものことだが、長門先生はおれの満点に眼鏡の奥の目を丸くしていた。


「実技もこうなら言うことないのに……」

「ままならないもんすね」

他人事(ひとごと)だなぁ」

「じゃ、お先、失礼します!」

「あっ、石川君」


 教室から出ようとしていたおれを長門先生は呼び止める。


「はい?」


「帰り道、くれぐれも気を付けてね」


「はい……?」


「なるべく真っすぐ帰るようにしてください」


「わかりました……?」


 なんだったんだ、今の忠告は。



 学校の帰り道。

 駅の裏の人通りのないさびしい通りで、女子高生が二足歩行のオオカミに襲われていた。


「おいおい、マジかよ。あれって……!?」


 間違いない、同じクラスの女子だ。

 同じクラスの女子生徒が毛むくじゃらのオオカミに追い詰められ、今にも食われんとしていた。


「……長門先生が言ってたのはコレか」


 ってか、なんでモンスターが外界に?


 ふと、理事量の言った、ダンジョンから漏れたものかどうか……という言葉がフラッシュバックする。


 まさか――


 ええい、今は考えるより行動が先だ!


 気づいた時には、おれは女子生徒の前に立っていた。


「ちょっ、あなたは!?」

「通りすがりのバカです。笑ってやってください」


 ほんと、なにやってんだろ、おれ……こんなのまったく合理的じゃないのに!


 おれの思いとは裏腹に、視界には、今はあまり欲しくない情報がずらずらと浮かび上がってくる。


【モンスター名:ウェンディゴ】【比較的低階層に生息するモンスター】【牙と爪に注意】【毒を持っている】【距離を取れ】【素手での戦闘は推奨しない】【遠距離武器が有効】


 ウェンディゴは鋭い牙のあいだから粘性の高いヨダレを垂らしていた。呼吸するたびに毛むくじゃらの肩が激しく上下する。全身を覆う体毛も模擬ダンのそれとは違い、ケバケバとしていて硬そうだ。それにケモノ臭が凄い。まるで動物園にいるみたいだ。

 

 そしてなによりこの迫力。

 

 これが本物のモンスター……。


 心臓がドックンドックンと早鐘を打ち出す。


 大丈夫だ、落ち着け。おれの祖父(じい)ちゃんたちはこいつと幾度となく対峙してきた。その大量の情報(データ)が、おれにはある。


【爪による攻撃の場合、必ず腕を上げる】【タックルの場合、すこしかがむ】【盾がない場合、いずれの攻撃も左右に避けろ】


 ウェンディゴの身体が一段と大きくなった。

 

 腕を高らかと掲げたのだ。

 

 大振りだ! 大振りが来る!


【大振り】【左右に避けろ】視界には文字情報に加え、高確率で振り下ろされるであろう腕の軌道が光って強調表示されていた。


 これなら――おれはウェンディゴの大振りを、視界の情報通りに左に避ける。


 避けれた。


 いける!


 模擬ダンの外でも【転んだ先の慧眼】は通用する!


 続くタックルも冷静に見極め、避ける。


「すごい……」


 背後にいる女子生徒がすべての攻撃を紙一重で避けるおれを見て感嘆の声を漏らす。

 

 まずい、慧眼の未申請部分がバレたらどんなお仕置きが待ってるかわかったもんじゃない。テキトー言ってごまかさないと。

 

 おれはウェンディゴの攻撃を紙一重で避けながら、同時に、後ろのクラスメイトに向かって弁明するという高等テクニックを披露する。


「すげぇ……今日は……めっちゃ……ツイてる……帰りに……宝くじ……買っちゃお」 


 とかほざきなら、じょじょにその場から離れていく。


 うまくヘイトが買えたようだ。ウェンディゴは女子高生そっちのけでおれを追いかけてきた。よし、このまま女子生徒から引き離せれば……。


 が、しかし、そんなにうまくいくはずもなく。


 逆に袋小路に追い込まれてしまった。


「おいおい、行き止まりになるってことぐらい前もって教えといてくれよ、慧眼ちゃん」


 振り返ると、二足歩行のウェンディゴがもうすぐそこまで迫っていた――


「くそっ、どうする……」


【パイプを伝って建物を登れ】【早く登れ】【急げ】


 視界のじいちゃん達がしきりにビルをよじ登れとおれを急かす。


 上を見る。三方を囲むビルは10mをゆうに越えていた。


「おいおい……無茶言うなよご先祖さまぁ~」


 目線を元に戻すと、ウェンディゴの爪がもう目と鼻の先に迫っていた。


 ここまでか、と思ったその時だった――


 ピタリ、と止まるモンスターの爪。


 直後――


 パキパキッとウェンディゴの手が白く凍りついていく。


 いつの間にか、おれの吐く息も白くなっていた。ややあって――


 パキンッ! と、ウェンディゴは透明な氷に覆われ、時が止まったかのように動かなくなった。


「助かった……のか?」


 目を凝らすと、おれの吐く白い息の向こうに人影が見えた。


 しゃく……しゃく……と、薄い氷を踏みしめて現れたのは、今しがた助けたばかりの女子高生(クラスメイト)だった。





★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


ウェンディゴ

ダンジョン最下層近傍に生息する二足歩行のモンスター。外観は大型のオオカミに酷似する。牙および爪に強力な毒を有し、その毒に侵された者は一時間も経たずして周囲の人間を襲い始める。

現在のところ、毒に対する治療法は発見されておらず、専用の遅延剤によって発症を遅らせることしかできない。感染者は時間の経過とともに凶暴化し、末期ともなると元のウェンディゴを遥かに上回る狂暴性を発揮する。

そのため男女山は、当該モンスターとその毒の出入管理には細心の注意を払っている。






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