第01話 勝ち確の男
地図には載っていない、日本のどこか山奥で――
「うわあああああああああ! もうだめだああああああああああ! 死ぬううううううううう! ごめんなさあああああああい!」
心にもないことを叫びながら、おれはダンジョンの狭い通路内を疾駆する。我ながらヘタレな悲鳴が板についてきた。
走りながらチラッと背後を振り返る。
二足歩行のオオカミが夢遊病者のように両腕を前に出し、ものすごい速度でおれを追いかけてきていた。夢に出てきそうなおぞましい光景だ。
と、そのバケモノの周囲に次々と文字が浮かび上がってくる。
【モンスター名:ウェンディゴ】【爪や牙に毒を持つ】【膂力強し、持久力も〇】【捕まると四肢断裂は免れない】【遠距離からの攻撃が有効】【素手での戦闘は推奨しない】
「おーけー、毒があんのなら接近戦はナシだな」
視界に映る情報に感謝しつつも、おれは必死の形相を取り繕い、走り続けた。
視界に映る文字列――物心ついた時から、おれの視界には、ご先祖たちが見たものが文字情報となって浮かび上がってくるというヘンテコな性質があった。
が、まさかこれが、おれの遠い先祖がダンジョンなる不思議な場所で手に入れた宝物によるものだとは夢にも思わなかった。
結果、男女山学園というあやしい高校に推薦で入学するハメになってしまったわけだが。
上下に揺れる視界に、再び文字列が現れる。
【現在地:ダンジョン2階層】【主たる生息モンスター:ウェンディゴ】【当該フロア踏破者:初代利得者、三代目継承者、五代目、七代目、九代目、十一代目、十五代目、十七代目継承者】
【当該ダンジョン踏破者:初代利得者】
しかも、この眼を手に入れた最初の祖父ちゃん、そのままダンジョンを踏破してしまったというから驚きだ。
そして当然、この眼を通じて、その攻略情報が丸ごとおれへと受け継がれていた。
が、しかし!
おれは、そんなことはおくびにも出さない。クリア情報を持ってるなんて男女山の連中にバレたら、こき使われるのが目に見えているからな。能ある鷹は何とやら。おれはこのままヘタレを演じ、三年間を安泰に過ごすのだ!
フハハハハハッ!
というわけでヘタレを演じて、はや数十分。いいかげん疲れてきた。
けれど、まあ、これだけヘタレっぷりを見せつけると学園側も減点せざるをえまい。そろそろ頃合いか。
一番近くにあった部屋に入る。
その部屋はがらんとした無人のコンビニのような部屋だった。薬品と思しき瓶がびっしり入った冷蔵ケースにぐるり囲まれている。本当にこんな部屋がダンジョンにあるのか? と疑いたくもなるが、こうしてあるのだから、あるのだろう。
ガラス扉には黒髪ボサボサの少年が映っていた。まごうことなき、おれだった。
と、視界に【トラップ注意】の文字。
見ると、部屋の中央、床の一部が四角く光って強調表示された。なるほどトラップはあそこってわけね。
ふむ、こいつは使えるな。
振り返ると、おれに追いついたウェンディゴがヨダレを垂らして立っていた。
グルルと喉を鳴らし、ひた……ひた……と近づいてくる。
「お、おれを食べても美味しくないよ!? ガチで!!」
ヘタレを演じつつ、ゆっくりと後退する。もちろんトラップは確実にまたぎながら――
いいぞ、そのまま、まっすぐ……まっすぐ……そこだ!
――カチッ
ウェンディゴがトラップの床を踏んだ。
と、両サイドにあった冷蔵ケースが独りでにパカッと開いたかと思うと、シュッと二つの瓶が射出された。
瓶はトラップの発動元であるウェンディゴにぶつかるとパリンッと割れた。
中身の液体を浴び、苦しそうに藻掻きはじめるモンスター。
シュウウウウウ! という何かが蒸発するような音とともにウェンディゴの身体が解けていく。
グギャアアアア! と断末魔をあげる。
やがてモンスターの中身である機械までグズグズに解けてしまった。恐ろしい威力だ。
でも、おかげで倒せたかな。
「ほんと、じいちゃん様様だ」
直後、ビーーーッというブザーが鳴り響く。
続いて、女性の音声で――
『現時刻を持ちまして男女山学園一年三組、石川サンエモン君の模擬ダンジョン追試選考を終了いたします。お疲れさまでした』
とアナウンス。
シュイ、と左側にあった冷蔵ケースが上に開くと、外から明るい光が差し込んできた。
開いた壁から外に出ると、そこは男女山学園の多目的室だった。正面には黒板と教卓があり、そのすぐ横には眼鏡をかけた女性教師が疲れた様子で立ち尽くしている。
そう、おれがさっきまでいた場所は、本物のダンジョンを模してつくられた模擬ダンジョンという人工的な施設だった。倒したモンスターも、本物を忠実に再現した機械人形だ。
そして、そこで行われていた追試が今まさに終了したというわけだった。
おれは這う這うの体を装いつつ教室の前まで行くと、ポケットから、入手目標として設定されていた薬のアンプルを取り出し、教卓の上にコトリと置いた。
「ふぅ……死ぬかと思った……けど、はい、これ、課題の薬……」
「たしかに。お疲れ様でした」
と、女性教師はため息まじりにおれをねぎらった。
★
「では、ただ今の模擬ダン追試選考の結果を、試験官かつ担任であるわたし、長門シズリが発表します」
いつも通りの前口上を淡々と口にする黒髪の女性教師、長門シズリ。二十七歳、独身。眼鏡が似合うダウナー系美人。
「奨学金待遇、一年三組、石川サンエモン君の点数は………………」
ゴクリ。と、生唾なんか飲んじゃったりして。
「65点――」
「くそっ! またか! あと5点が遠い!」
「……」
食い気味に反応する。苦虫を噛み潰したような顔を添えて。
だけど、もちろん狙った通りの点数だった。この点数を取るために模擬ダンジョン――通称、模擬ダンでヘタレを演じていたのだ。
「規定点数に5点足らなかったので追試です。追試の日程はおってお知らせします。あと、放課後に補講があるのでそれも受けてください」
男女山学園のルールとして、本番のダンジョンに越境するためには、模擬ダン選考で70点を取らなければならなかった。
が、それは裏を返せば、70点さえ越えなければずっと安全な場所にいられる、ということでもあった。
そんなの利用しない手はない。
しかも、おれには奨学金が出ているので授業料は無料。さらに入学時にちょっとゴネたので生活費も無料。おまけに新築の寮はピッカピカときてる。
そんな天国、手放すわけがない。
それに、なんといっても本物のダンジョンは常に死の危険がつきまとう。
クラスのみんなは日本政府からの密命を受けてS級の宝物とやらを探しに意気揚々とダンジョンに越境しているようだが、その神経がわからない。危ないだろ、ふつーに考えて。本物のモンスターが居るんだぞ。
というわけで、このままギリギリ届かない残念な子を演じ、ぬるい環境で生きていくと心に決めたのだった。
「……くそっ……本チャンのダンジョンに越境できる日は来るのか……」
心にもないことを悔しそうにつぶやきつつ、チラっと担任を見る。
長門先生は眼鏡の奥、ジットリとした目でおれを訝しんでいた。
「……それ毎回言ってるけど、本気で思ってる?」
「失礼な! おれはいつだって本気ですよ!」
「……なんかウソくさいんだよなぁ、石川君の場合」
「何をおっしゃいます……というか先生も知ってるでしょ? おれが生まれながらに継承した宝物のことを。なにせ入学する際、頭のてっぺんからケツの穴までじっくりこってり調べられましたからね」
実際、身体中をこれでもかと検査されたし、“おれの眼がどういった性質を持っているのか”を書いた申告書もきちんと提出していた。
「生体癒着型の宝物【転んだ先の慧眼】……たしか眼球そのものがそうなんだっけ」
「です」
「効能は……えっと――」長門先生は手元の資料に目を落とす。「一度見たものを記録することができる」
「です」
「レア度は……最低ランクのD」
「んなもんがダンジョン攻略に役に立つわけないでしょう!」
おれの魂の叫びが多目的室に反響した。
ただ一つ、提出した申告書に、“代々にわたって”を書き忘れたのは我ながらグッジョブ――もとい、痛恨のミスだった。
その記入漏れのせいで学園がおれの宝物に下したレア度は最低ランクのD。そりゃそうだ。一度見たものを覚えるというのはマッピングには重宝するが、初見のダンジョンではあまり意味をなさない。要するに経験がものをいう宝物というわけだ。
だが実際は、利得者――宝物を持つ者――が見たものが代々継承されてゆくのだ! 子々孫々にわたって!
そして、おれの先祖にはダンジョンを全クリした猛者がいる!
つまり、おれの眼球は正確無比な人生カンニングペーパーなのだった!
フハハハハハッ!
「にしては、フロアを変えてもモンスターを変えても、なんだかんだ毎回ノーダメでクリアするんだよなぁ」
鋭いな、この独身女教師。これは次回から少々のダメージは覚悟しないとダメか。イヤなんだよなぁ、痛いのは。
「運はいいほうです!」
「運で済む話かなぁ」
まずいな。おれの宝物の過少申告に対し、長門先生の猜疑心がムクムクと膨らんでいる。ここらで止めねば天国が散逸しかねない。
「ともかく、おれは探索者には向いてないです! が! なんとか三年のあいだに追試に合格し、みんなの裏方のようなものにおれはなります!」
「う、うん……そんなドヤって裏方宣言されても……」
「裏方も立派な探索者です!」
「そうだけども……石川君は奨学金制度で入ってきた特待生なんだから、どっちかっていうと裏方より、ごりごり門を前に進める探索者になって欲しいかな」
「善処します!」
とびきりの返事が多目的室に反響した。
「……いつも返事だけは最高なんだよなぁ」
「あざす! じゃあ先に教室戻ってますね!」
チョロすぎて草。
いや、草原を越えてもはや森だな。
ルンルン気分で多目的室の扉に手をかけたところで、長門先生から声がかかる。
「あっ、そうだ石川君、帰りに理事室に寄ってね」
「えっ、理事室に? おれが?」
「ええ。理事長がお話があるって」
「えっ、校長じゃなくて?」
「校長じゃなくて」
「理事長?」
「そう、理事長。理事の長」
「コウチョージャナーク・リジノオサ?」
「魔法みたいに言うな」
学園のトップがおれに話?
イヤな予感しかしなかった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
転んだ先の慧眼 レア度:D
先祖の見てきたモノが文字情報として視界に浮かびあがってくる。時折、過去の利得者の感想などが現れることも。男女山が設定したレア度はD。(目にしたものを記録できる、という効能しか申請していない為、このレア度となった)