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第六話 月は、欠けゆく

 それから一、二年ほど後だったか。夏が過ぎ、ようやく涼しくなった午後のこと。

 私は、実家から送られてきた荷物を居間の隅で黙々と整理していた。

 この屋敷――トリストシェルン家は、王国でも有数の名門だ。膨大な敷地に幾つもの館が建てられ、それぞれの目的に応じて使い分けられている。

 すべての建物が精緻な装飾と高価な素材で彩られ、最高位の貴族たる威信をこれでもかと主張していた。

 私の実家の本邸など、ここでは使用人の詰所かと勘違いされそうだ。


 婚約者候補として選ばれた私たち三人は、この広大な敷地の一角にそれぞれ小さな住居を与えられている。五、六歳のころよりこちらに呼び寄せられ、住み込みで教育を受けているのだ。

 なぜなら私たち三家はいずれもトリストシェルン家の寄子であり、将来、公爵閣下の側近として仕えることとなるからだ。

 ここで貴族らしい振る舞い、知識、礼儀作法を身につけ、王立学園へと進む。

 厚遇だ。見返りが期待されているとはいえ、一般の下級貴族などでは到底受けられない教育を施して頂けるのだ。本当にありがたい。

 

 

 与えられた住まいはあくまで未成年向けの簡素な造りだ。狭い寝室とそれよりは少し広い居間。そして水回り。

 だが、その内外装はやはり豪奢で、初めて足を踏み入れたときには気後れしたものだ。

 だが、どう思ったにせよ、ここで暮らさなければならなかったし、時間が経つにつれて自然と慣れてしまった。こんなものだろう。

 

 その日も変わらず、使用人から荷物を受け取り、開封していた。

 中には数着の上下衣類と書籍が一冊。そして手紙が添えられていた。手紙はいつもの元気でやっているかこちらも元気だ無礼のないようにという定型文のようなものだった。

 

 問題は書籍だ。何かの間違いではないだろうか。就学前の子供が読むような児童書だ。もしかすると実家に暮らす弟の者が紛れ込んだのかも。

 ぱらぱらと流し読む。悪い魔女に姫が攫われ、騎士が助けに行く、ごくごくありふれた内容のようだ。

「……なんだこれ」

 本を処分するよう使用人に頼み、存在を頭から消し去る。

 そして数日後、まさかの光景を目にする。

 

 屋敷の庭園にある四阿で、お嬢様が優雅にティーカップを傾けていたのだ。その手に、あの童話の本を携えて。

 遠目からでも装丁で解る。原色の強い独特の色使いだ。

 思わず後ろを振り返り、控えている使用人に尋ねる。処分しようとしたところで偶然お嬢様に見つかり、所望されたのでお渡ししたのだと言う。

 ならばそう言ってくれ……と心の中で呟きながら私は四阿へと歩を進めた。あんな幼稚な本を渡したと知られたら公爵閣下にお叱りを受けてしまうではないか。

「お嬢様」

 四阿の入り口で膝をつく。

「……どうしたの?」

 表情のない目でこちらを見る。出会ったころの柔らかな笑みはほとんど見られなくなっていた。

 同じ婚約者候補である同僚たちに尋ねてみたが、貴族としての自覚がでてきたのだろうとの答えだった。

 確かに、お父上であらせられる公爵閣下は家庭にあっても表情が豊かな方ではない。大人の世界とは、そういうものなのだろうか。

 だが、それでもお嬢様はまだ子供だ。大人の仲間入りはまだ早いように思うのだが……。

 

 とは言え、この本が相応しいほどに幼い訳ではない。

「……僭越ながら、その本はお嬢様には相応しくないかと」

「そう? 案外楽しかったわ。オードゥンはこの本、読んだのかしら?」

「少しですが」

「そう……私ね、ほっとしたことがあるの」

「と、仰いますと?」

「お姫様を攫った魔女が、懲らしめられるのだけれど、殺されなかったところ」

 内容はあまり覚えていなかったが、もしそうだったとしたら、珍しい結末だろう。だいたい、お姫様を攫う悪い魔女は最後に殺される。

「魔女は、追放されるだけ。こういうことも、あるものなのね……」

 本の表紙を指でなぞりながら、噛みしめるように、言う。もの悲しい笑みだった。こちらまで心が寒くなるほどに。

「物語ですから……発想は自由かと」

 創作は自由だ。好きなものを書けばよい。それが受けるかどうかは読者次第。受け入れられれば、その結末は流行るだろうし、そうでなければうたかたと消えるのみ。

 

「そうよね。物語だから、よね……」

 呟くように言って、お嬢様は席を立った。午後の休憩は、もう終わりだ。

「ねえ、オードゥン」

 私に背を向けたままで、お嬢様はこの本をやはり欲しいと仰った。主に望まれれば、差し出すほかはない。

 しかし、あの本のどこがそんなにお気に召したのやら。そして、笑顔ではなく、あの寄る辺のなさそうな笑顔。

 ――私では、全てが幼すぎたのだろう。



 それから、年月を経るごとに、お嬢様の輝きはまるで月が欠けるように、少しずつ失われていった。

 澄み切った湖は徐々に濁ってゆき、あれほど眩しかった笑顔は全く見られなくなった。

 私以外の婚約者候補は学園へと入学し、私一人がお嬢様の側に残された。

 お嬢様は黙々と勉学に励み、舞踏に、剣術にと定められたスケジュールに忙殺される毎日を過ごされる。

 今にして思うと、それは学園が求める勉強量に匹敵するほどだ。少女に課せられるレベルではない。忙しすぎて荒れたとしてもおかしくはないだろう。


 それだけではない。ご家庭の問題もある。

 継母君は、お嬢様の実の母君が病で亡くなったため、公爵家に嫁いでこられたが、その時よりお嬢様とは距離を遠く、他人のよう。

 公爵閣下は弟君がお健やかに育たれるにつれ、徐々にお嬢様から離れていった。

 弟君はお生まれになってすぐは一緒になる機会もあったが、いつしか引き離された。

 公爵家は三人家族だと陰で囁く者もいる。

 ある意味、間違ってはいない。 公爵家の食事において、席を同じくするのはお三方なのだから。

 お嬢様はいつもお一人で食事を摂っていた。

 

 ……残念だがそれは、よくある家庭の事情だ。

 やがて、家督は弟君の手に移るだろう。そうなれば私や同僚も配置転換だ。

 お嬢様はあれだけ励んでたのに、報われない。

 周りには誰も、何も残らない。

 私より遙かに聡いお嬢様はすでにこの未来を予測しているだろう。

 それでも、その日まで。直接告げられるまでは、学び続けるのだ。

 それはなんて、悲しい作業なのだろう。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

折り返しをすぎました。残り、エピローグを含めて五話です。

もう少し、お付き合いくださいませ。


少しでも続きが気になると思っていただけた方は、ブックマークや下の⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎評価など、どうぞよろしくお願いいたします。


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