第二話 その距離、永遠に縮まらず
マティアス・クルフトヘイム王子殿下と、アストリッド・トリストシェルン公爵令嬢との婚約が成立したのは、お互いが十六歳を迎える少し前のことだった。
王国の習わしから見ると、遅い部類だ。
王族や高位の貴族は、特別な理由でもない限り早くから婚約者、あるいは候補が決められる。
中には子が生まれる前、妊娠が判明した段階で話がまとまっていた、などという例もあるが、それは極端な例。
普通は、六歳辺りで決まることが多いように思う。
では、どうしてこの高貴な二家の結びつきがこんなに遅いタイミングで成立したのかというと、理由は簡単。割り込みである。
王家とトリストシェルン公爵家、どちらが主導したのか定かではないが、何らかの政治的事情が生じたのだと言われている。
もちろん、当時の殿下や令嬢にはそれぞれ婚約者や候補が存在していたが、すでにあった関係を打ち切ってまで新たな婚約を成立させたのだから、それ相応の理由があったのだろう。
まぁ、貴族社会においてこうした婚約の成立や破棄というのはよくある話だ。
背景にあるのは感情ではなく政治なのだから、当事者たちにとって納得するしないは関係なく、ただ受け入れるしかないのである。
彼らもまた、それまでの例に同じく、お互いに交流を重ねて距離を縮め、やがて深い絆の夫婦として振る舞えるようになるのだろう。
たとえそこに愛情がなくとも、表向きだけでも仲睦まじく。高貴な立場とは、そうした仮面を当然のように身につけていくものだと。
そう、誰もが信じていた。
だが、驚くべきことに現実は違った。殿下と公爵令嬢は会えば必ず火花を散らし、距離など縮まる様子がなかったらしい。
聞いた話によると、最初の顔合わせの時点から大げんかだったという。殿下の物言いに、公爵令嬢が噛みついたのだとか。
私のような男爵令息の耳にすら入るのだから、この話が国中に知れ渡っている可能性は高い。噂というものは、面白おかしく形を変え、色々な貴族の間を泳ぎ回るものだ。
そんなわけで希望を胸に入寮した私は、ひどく焦ったのだ。なんと婚約者と不仲で、すぐに立腹すると噂の殿下と同室になったのだから。
殿下と大げんかをすると言われている公爵令嬢にしてもだ。私は、その名を持つ人物を私は知っていた。この国において、アストリッド・トリストシェルンという名を持つ人物は二人といない。
二人と関わりある私は、学園においてどんな立ち位置となるのか不安しかなかった。
と、思いきや、不安でいっぱいだった私が実際に殿下と接してみて思ったのは、噂はやはり信用ならないということだった。
すらりとした細身で長身の王子は、短い金髪を綺麗に整え、涼やかで透明のガラスのような澄んだ瞳が印象的だった。笑うと、ひとなつっこさで心がほんわかとする。
多少崩れた言動がみられたものの、年齢ゆえと言える範囲であり、噂に聞くような問題があるようには思えなかったのだ。
何より、私を男爵風情と見下さず、きさくに声をかけ、身の回りの世話や使い走りをさせなかった。
これには本当に驚いた。王子と男爵令息が同室に配置されたなら、後者の役割は絶対に侍従だ。私用にこき使い、ストレス発散に口には出せないような事をさせられるケースだって知っているし、少なくはない。
なのに、殿下は私をただのルームメイトとして接した。もちろん身分差からくる態度や言葉の使い方に違いはあるものの、それは至極当然のことであり、問題にはならない。
実際に殿下が心中でどのように考えていたのかは解らない。だが、少なくとも私はひどく扱われていないと感じた。それだけで充分だった。
婚約者の挑発に乗ってすぐに怒り、簡単に言い負かされる王子、という評判など、やはりあてにはならないと思った。
学園生活が始まり、ありがたくも殿下の取り巻きの末席にいることを許された私は、殿下と婚約相手が対峙する場面を何度も目にすることとなる。
制服の第一ボタンのかけ忘れやヘアセットの乱れ、靴の泥はねなど。殿下には常に何かしらの隙があり、そこを婚約者たるアストリッド・トリストシェルン公爵令嬢から指摘されるのだ。
逆に、多くのクラスメイトからはそういった殿下の”だらしのない”ところは、親しみが持てると好意的に受け止められていた。それはひとえにお人柄だと思う。誰にも分け隔てなく、笑顔で、ときには冗談を言い、周囲を和ませる。締めるときは締めるので、まぁ仕方がないよねの一言で済む。
だが、学園全体がそういった人物ばかりではないのだ。上級生や下級生にも、クラスの中だってそうだ。殿下に好意を持たない人物は、多くはないが確かに存在する。
殿下には、兄弟がいらっしゃり……まぁ、そういうことだ。それだけではないかもしれないが、ほとんどはそうだろう。
だからこそ、他者に隙を与えてはならないと公爵令嬢は指摘される。私も、その意見には賛成だったし、他の取り巻きにも同じ意見を持つ方は何人かいた。
なのに、殿下は理性をどこかへ解き放ち、うるさい黙れどこかへ行けと言い続けるばかり。
周囲の方々も公爵令嬢の言い方――確かに、ありえないほどストレートだった――をあげつらい、無礼だ、の一点張り。
言い負かされるから、話し合いを放棄しているのだろうか。
とにかく、嫌いだから話しもしたくないし、顔も見たくない。そういう思いしか見えなかった。
毎回、そうだった。
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