上弦の新月が僕らを嘲笑う
上弦の新月が高いところでにやりにやりと浮かんでいる。時折その口元を薄い雲が横切って行くんだけど、そんな時はふふふとほくそ笑む。ビルの窓ガラスに映ったりするとへらへらと揺れ動く。どっちにしても笑っているには違いない。夜空に笑われたら僕は一体どうしたらいいんだろう。
学校の帰り道、ちょっと意地悪な夜空の笑顔を背に、僕はお母ちゃんに頼まれた買物をするため近所のスーパーに寄った。もう暗くなっていて、とても寒い。急いでお店の中へ入ろうとした時、入口の手前に二人の男の子がいるのに気が付いた。両方とも小学校低学年、みすぼらしい感じ、年子の兄弟と思われる。この二人は入口手前に置いてあるガチャガチャ、例の百円玉を入れてハンドルを回すと丸いカプセルに入った色々な玩具が出て来るやつ、あれが五台程、その前に立っていた。そしてそれら一つ一つを順番にながめている。実に真剣な顔をしてながめている。二人とも深い苦悩に満ちた表情を浮かべている。彼らのその姿は、全身で“欲しい!”という気持ちを生々しく表していた。寒空の下、かなり着古されたような服を沢山着込んで丸々と膨らんだ二人が揃って目をじっとガチャガチャに注ぎながら口の端をぎゅっと結び、無言で立ち尽くしていた。
貧乏というものがあるんだ。自分ん家はお金持ちではないけれど貧乏ではない。お父ちゃんはああ見えて実はちゃんとしているらしい。お兄ちゃんが言っていた。大きな会社に入っているし、そこでとても重宝されてるからお給金も結構あるそうだ。第一、若い頃東京から出てきて(これはお兄ちゃんの言い方)五六年のうちに結婚して中古とは言え家も買い、子どもも三人ちゃんと育ててきた(ローンもとうに返済済とのこと)。お母ちゃんだってやっぱりああ見えて実はしっかりしている。これもお兄ちゃんが言っていた。経済に明るいし家のこともちゃんとやってくれる。それに翻訳の仕事でも随分と報酬を貰っているそうだ。だから僕らは何の心配もなく生活していける。でもあの子たちはそうじゃないように見える。色々な心配が、多くの不足が、強いられる我慢があるように見える。しかも毎日だ。逆に安らぎや満足や希望が、とても少ないように見える。これも毎日だ。
僕はさっき夜空に笑われた、自分が笑われたと思った。けれど空は大きいんだ。僕一人だけを笑うなんてことあるだろうか。あの夜空は自分が見下ろしている地上の全てを笑っているんではなかろうか。あの二人も例外じゃない。全て、なんだ。これは残酷なことだ。僕らみたいな人間達が嘲られるんならいい。でもあの二人のような人達を嘲るなんていうことは残酷なことだ。とても良くないことだ。
買物のために彼らの傍らを通って店の奥へと入って行った僕は、何故か涙ぐんでいた。