第95話 家族
停電し真っ暗な脱衣所で、俺はムッチリと柔らかく官能的な香りに包まれている。母親と呼ぶには若く色っぽい女性に。
「そ、壮太君! 壮太君なの?」
上に乗っている莉羅さんが声を上げた。
シャワー中だったのか、水滴が俺の顔にポタポタと落ちる。
「莉羅さん、落ち着いてください。停電しただけですから」
「ご、ごめんなさいね。ビックリして……私」
暗くてよく分からないが、莉羅さんの緊張が解けた気がする。さっきまでの震えが収まったから。
「落雷で一時的に停電したんだと思います。すぐ回復するはずだけど」
「そうね。暗くて危ないから動かないようにしましょ」
そう言って莉羅さんは俺の首に腕を回した。
「あ、あの、離れた方が……?」
「動くと危ないわよ」
そうだけど! そうなんだけど! 俺も男なんだよ! こんな若い義母に抱きつかれて冷静でいられないんだけど!
年頃の男の性欲など知ってか知らずか、莉羅さんは熱い吐息を俺の耳に吹きかけてくる。
「んっ♡ やっぱり壮太君も男の子ね。安心するわ」
「俺は落ち着かないんですけど」
「リラちゃんね、壮太君にハグして欲しいな♡」
「えっ、嫌です」
ガァアアアアアアーン!
「およよぉ……」
莉羅さんがヘコんだ。
「もうっ、壮太君ったらイジワルね♡」
「だって莉羅さん『さきっちょだけ』とか言ってたから」
「そんなの冗談に決まってるでしょ♡」
お茶目な感じに莉羅さんが言った。
「冗談なのかよ! 純情な青少年をたぶらかさないでくれ」
「で、でも……壮太君がどうしても我慢できないのなら……やぶさかでもないけど♡」
「我慢します! 俺、超我慢しますから!」
ギュッ!
俺を抱きしめる莉羅さんの腕に力が入った。少し強いくらいのハグだ。
「ほら、こうすると安心するでしょ。良いのよ。私を本当のママだと思ってくれても」
「だからそれは……」
「壮太君……幸せってのはね、案外何気ないものなのよ」
「えっ?」
莉羅さんは何を言っているのだろう?
「地位とかお金とか、幸せの基準は色々あるけど、実はこうしてギュッて抱きしめてもらうだけで幸せを感じるものなのよ」
嫌だと言おうとして言葉に詰まる。本当に心地よいから。
どうしてだろう? 本当に安心する。この感覚。この温かさ。この香り。
遠い昔に感じたような気がする。
パチッ!
脱衣所の電灯が点いた。どうやら停電から回復したようだ。
「莉羅さん、もう離れて大丈夫ですよ……って服を着ろぉ!」
明るくなって気付いたが、莉羅さんは裸だった。
一時は母親のような想いを感じたのに、恥ずかしそうに体を隠す莉羅さんを見ると別の感情が湧き上がってしまう。
「きゃ♡ だ、ダメよ♡ 見ちゃダメっ♡ あんっ♡」
「み、見ませんから! 早く服を着てください」
やっぱり母娘だな。普段は積極的なのに、いざという時は恥ずかしがり屋だ。
「ご、ごめんなさいね。オバサンの裸なんて嫌よね?」
「いえ、莉羅さんは若いし魅力的ですよ」
「もうっ♡ 壮太君って、やっぱりリラちゃんを堕とそうとしてるでしょ?」
何故か俺のシャツを羽織った莉羅さんが、体をくねらせ科をつくる。それは何のアピールだ?
「俺は行きますよ。雨や風も弱まってきたみたいだし、もう大丈夫でしょう」
「ええ、迷惑かけちゃったわね。ありがとう、壮太君」
「迷惑だなんて。莉羅さんには色々とお世話になってますから」
俺は裸ワイシャツの莉羅さんを極力見ないようにして脱衣所を出た。
母親のような、お姉さんのような、色っぽい人妻のような、不思議な感覚の人を背にして。
ギシギシギシ――
階段を上がりながら思い出してしまう。莉羅さんの柔らかな体を。
「くっ、忘れろ。あの人は義母。あの人は人妻」
まったく、困った人だな。恥ずかしがり屋なのに抱きついたり誘惑してきたり。
でも、もしかしたら寂しがり屋なだけとか?
それかハグは挨拶なのか? 北欧ハーフだから。
カチャ!
俺が自室のドアノブに手をかけた時だ。隣と斜め前のドアが開き、パニックになった金髪美少女が飛び出してきた。二人同時に。
「壮太! 壮太! 壮太ぁああ!」
「そそそ、そうちゃぁ~ん!」
「うぎゃああああ! 苦しっ! 抱きつくなぁあ!」
落雷と停電が原因だろうか。俺が来たタイミングで飛び出してくるとは。さっきも同じことがあった気がするが。二人の母親から。
「そ、壮太! 雷が! 雷が!」
「もう鳴ってないだろ。雷雲は行っちゃったよ」
そう俺が説明するが、シエルは涙目になって俺の胸に顔を埋める。
そしてノエル姉は、今日もノエル姉だった。
「そうちゃん! お姉ちゃんを一人にしちゃダメだよ! メッだよ!」
「そう言われても」
ノエル姉はいつも俺の隣を確保している気がするけど。いつも一緒に居たがるだろ。
そこでシエルが何かに気付いた。
「くんくんくん……あれっ?」
「どうしたのシエルちゃん? あっ……」
ノエル姉も気付いたようだ。
二人が俺を睨む。
「壮太……お母さんの香水の匂いがする」
「そうちゃん、お母さんと何してたのかな?」
そうなりますよね。やっぱり。
「何をしたと聞かれても、今の二人と同じなんだけどな」
「そうちゃん、今夜は添い寝決定ね♡」
ノエル姉の一言で添い寝が決定した。
「壮太! エッチ、スケベ、ヘンタイ!」
「発言と行動が一致してないよね!? シエルさん」
抱きつきながらエッチとか言われましても。
今日の二人は何だか積極的だな。もしかして台風のせいなのか?
太古の昔から連綿と続く人類の繁栄。きっと台風や雷など自然現象は、恐れや性欲を掻き立て子孫繁栄に繋がったのだろうか……。
そんなどうでも良いことを考えながら、俺は二人に引っ張られ自室に入るのだった。
今夜もネットリ添い寝や催眠をされる運命か。
◆ ◇ ◆
『ううっ……ちくしょう……大人なんか嫌いだ』
俺は泣きながら近所の道を歩いている。いつもの公園に向かうように。
これは夢だ――――
俺は夢を見ている。
何だか久しぶりな気がする。
泣いているのは昔の俺だ。
『何で……何で俺のことを分かってくれないんだよ……』
そうだ、俺は家に居場所がなくて。だから頻繁に公園に行っていたんだ。
俺にとって家は落ち着ける場所じゃなかった。父親は仕事が忙しく不在で、母親はちょっとしたことで癇癪を起こし怒鳴り散らす。
だから俺は断罪天使に憧れた。
日曜朝の魔法少女アニメ。愛と勇気で敵を倒す、断罪天使マジカルメアリー。
そこでは皆が仲良く愛に溢れているから。正義は必ず勝つから。
『ちくしょう、何で母さんは俺を怒ってばかりなんだよ』
あの時の癇癪は何だったかな? 俺のテストの結果が100点じゃないから? 俺がテレビを観ていたから? 俺の顔が気に入らなかったから? たまたま虫の居所が悪かったから?
そんな勝手な理由で怒鳴られる方の身にもなってくれよ。
『壮太君?』
悲しみに暮れている俺を呼び留める声がした。おっとりした優しい声で。
『あっ、オバサン……』
顔を上げると、そこには太陽の光で輝く金髪の女性が立っていた。まるで太陽そのもののような。
『こぉら、オバサンじゃないでしょ。お姉さんでしょ。〇〇ちゃんって呼んでくれても良いのよ』
『うん、〇〇オバサン』
『こらぁ』
その人は優しく笑ってくれた。
おっとりした特徴的な声、ムッチリと柔らかそうな体、優しそうな笑顔。
そうだ、いつも遊んでいる姉妹の母親だ。
『どうしたの壮太君?』
その人は俺の前にしゃがみ視線を合わせる。真剣な顔になって。
『か、母さんが……怒って、物を壊して……』
何でだろう? 俺はその人に相談してしまった。その人なら分かってくれると感じたからだろうか。
『大変だったわね。もう大丈夫よ。私は壮太君の味方だからね』
『〇〇オバサン』
『こらっ、お姉さんでしょ』
その人は、ふざけながらもハンカチで俺の涙を拭いてくれた。
『いつでも私を頼って良いのよ』
『う、うん』
『それと、いつも私の娘と遊んでくれてありがとうね。壮太君』
『当然だぜ。俺は断罪天使だからな』
だから、アニメの話をするな俺!
『うちも同じなのよね。あの人がお酒を飲んで……。だから娘たちも家に帰りたがらず……』
そう言って〇〇さんは顔を伏せる。
後で聞いた話だけど、〇〇さんの家も夫婦仲が悪かったようだ。
でも、その時の俺は、優しい〇〇さんが悲しむのは許せなかった。怒りで本音を口走ってしまうくらい。
『何で……何で喧嘩ばかりなんだ。何でいがみ合ってばかりなんだよ』
『壮太君?』
『俺だったら、好きな人は大切にするのに。悲しませたりなんかしないのに』
恥ずかしい。近所のオバサンに、こんな話をして。でも、昔の俺は本気でそう思ってたんだ。
そんな俺を、その人は優しい笑顔で受け入れてくれる。
『壮太君は真っ直ぐで良い子なのね。私は好きよ。壮太君みたいな男の子』
〇〇さんに褒められ、何だかくすぐったい。
『ふふっ、壮太君。もし壮太君に何かあったら、私が家族になってあげるわ』
『家族?』
『ええ、だから安心して』
ぎゅっ!
その人は俺を優しく抱きしめてくれた。まるで全ての悲しみや憎しみが消えてゆくように。
まあ俺は、恥ずかしくて離れようとするのだが。
『うわっ、はなせ~』
『ほら、こうすると安心するでしょ。人は抱きしめられると幸せを感じるものなのよ』
その人の言うことは本当だった。
安心する。
そうか、そういうことだったのか。
何かを思い出した気がするのに、俺は再び深い眠りの世界に落ちていった。