第71話 天使の威光
翌日の放課後、俺は再びサッカー部の部室へと向かっていた。
今度はノエル姉を連れて。
「そうちゃん、私で良いの? 寧々ちゃんと一緒の方が……?」
不安な顔になるノエル姉に、俺は目を見て訴える。
「ノエル姉が良いんだよ。むしろノエル姉じゃないとダメなの」
「そ、そうなんだ♡」
「俺にはノエル姉が必要なんだ」
きゅ~ん♡
「ひ、ひっ、必要? そ、そうなんだぁ♡」
ん? 急にノエル姉の様子がおかしくなったような?
これからサッカー部を説得するのにノエル姉が必要なんだけど。そう、聚楽第行幸作戦にな。
戦国時代の武将、豊臣秀吉。
天下統一したこの男は、武力だけでなく巧妙な心理戦を得意とする武将だ。金や言葉を巧みに操り人を動かすところから、人たらしと呼ばれている。
特に、織田信長亡き後の清洲会議において、まだ幼い三法師を擁立しライバルの柴田勝家を退けたという話は有名だ。
次期後継者の三法師を抱いた秀吉が、会議に参加した勝家らに平伏を求めたとか。
そして関白となった秀吉は、聚楽第に正親町上皇や後陽成天皇を招き、その威光を利用して権力を盤石にしたそうな。
つまり、男子生徒に絶大な人気を誇るノエル姉を連れて行けば、きっとサッカー部員も激高したり反論しないはず!
これならコミュ障の俺でも有利な交渉が可能だぜ! ちょっとセコい気もするが。
「ぐへへぇ♡ そうちゃんが私を必要ってぇ♡」
って、ノエル姉がグヘッてるのだが!?
「あの、ノエル姉……大丈夫?」
「うんっ♡ お姉ちゃんね、そうちゃんのためなら頑張っちゃうよ♡」
「待て待て待て! くっつくな! 学校では禁止だろ」
「そうちゃあ~ん♡ 膝枕が良い? それともお風呂で背中を洗おうかな?」
「どっちもダメぇええ!」
しゅん――――
ノエル姉がしょげた。
マズい。これから重要な役目があるのに。
「そ、そうだ、今度ノエル姉にマッサージしてもらおうかな?」
キュピーン!
俺が頼み事をしたらノエル姉が復活した。
目がキラキラ輝いてるぞ!
「うふふっ♡ お姉ちゃん頑張っちゃうね♡ 家に帰ったらモミモミし合おうね♡」
「言い方ぁ!」
くっ、このお姉は……。人が一線を越えないよう我慢しているのに。次から次へと俺のハートを高鳴らせやがって。
もう思い切り抱きしめて滅茶苦茶にキスしたい!
サッカー部の部室前に到着した俺は、手順を確認する。
仮の補修用ネットは借用OK! バスケ部の根回しは三条先輩に任せてOK! 超可愛いノエル姉は……ちょっとグヘッてるけどOK!
ガチャ!
部室のドアを開けると、前回と同じようにサッカー部主要メンバーが勢揃いしていた。
「ど、どうも、生徒会の方から来ました」
俺は消防署の方(方角という意味)から来た詐欺業者っぽい感じに入室する。
「おう、先日の後輩じゃねーか。良い返事を聞かせてもらえるのか!」
いきなり強めの声がかかる。
だから声がデカい体育会系は苦手なんだって。
「こっちは大会も近いのに迷惑してるんだ! 早く何とかしてもらわねえとな!」
大きな声で捲し立てるサッカー部の部長だが、次の瞬間に態度が一変する。
「こんにちはぁ~」
俺の後からノエル姉が現れたからである。
まさに掃き溜めに鶴! 掃き溜めとか失礼か。まあ、むさくるしい場所に紅一点だから良いだろ。
ザワザワザワザワザワザワ――
「お、おい、あれ、憧れの姫川さん」
「うおっ、超綺麗だな」
「天使……天使だ……」
「何で姫川さんが俺らの部室に?」
「そう言えば生徒会長と仲良かったような?」
一斉にどよめきが起こり、皆が口々に噂をする。
誰もがノエル姉の美しさに見惚れるように。
ううっ、いつものズボラ姉に慣れて忘れてたけど、やっぱりノエル姉は大人気だな。
よし、ここで言うしかない。
「ええ、サッカー場と野球場の仕切りネットの件ですが、危険なので早急に対処することになりました」
俺が説明している間も、部員たちはノエル姉をチラチラ見ている。
くっそ! 俺のノエル姉を見るんじゃない! 特に、重力に逆らうように突き出た美乳Gカップをな!
おっと、今はそれどころじゃないぜ。
「下半期に大規模なネットの張り替え工事を行いますが、それまで一時的に補修することに決まりました」
部長が俺の話に頷いている。いや、ノエル姉の手前、下手に怒ったりできないのだろう。
「そういう訳でして、体育館から補修用ネットを運び、すぐ穴を塞ぎましょう」
交渉は上手くいった。部長は条件をあっさり認めたのだ。
ノエル姉はニコニコしていただけだ。何も発言していない。
まあ、最初からサッカー部は穴を塞いでほしいだけなのだろう。交渉がこじれたのは、進藤会長に対する反発と三条先輩の物言いだったのかもしれないが。
「おーし、前ら! もっと上だ!」
「はーい!」
サッカー部員がネットで仕切りを補修している。
すぐに体育館の用具倉庫からネットを運び出したのだ。
しかも根回しは完璧だ。女子バスケット部もネット運びを手伝ったので、サッカー部員もご機嫌になるというオマケつき。
そう、これは俺がアニメから借用した技。男子は女子に手伝ってもらうと嬉しくなる作戦なのだ。
サッカー部とバスケ部の確執も解決し一石二鳥だろう。
こうして部活動予算問題は一件落着した。
◆ ◇ ◆
「ハハッ! やはり貴様は有能な漢だな! 期待していた通りだ!」
ベシベシベシ!
生徒会室、大喜びの進藤会長が俺の肩をベシベシと叩く。ちょっと痛い。
「どうだ、このまま我の側近にならんか? 生徒会書記の座を約束しよう」
「お断りします!」
俺は即座に断った。面倒な仕事を押し付けられてたまるか。
「連れないやつだな。安曇は我も気に入っておるのだが……。生徒会に入ったらお菓子をやるぞ」
「お菓子って、子供じゃないですから」
「なら刀に刺した餅はどうだ?」
「それは謀反の元です」
オイヤメロ! さっきから三条先輩の目が見開いているのだが!
進藤会長が俺と仲良くすると、三条先輩の威圧感が激増するのだがぁああ!
「ふうっ、わたくしも安曇さんを見直しましたわ」
その三条先輩だが、俺が進藤会長に肩を抱かれているのを見て、やっと口を開いた。ため息混じりに。
「実のところ、最初は安曇さんを頼りなさそうと思っていました。ですが、わたくしでは気付かなかった男子生徒の心理を突いた作戦。ネット補修と部同士の和解まで考えた根回し。感服いたしましたわ」
そう言った三条先輩は、俺の腕を引っ張った。進藤会長から取り返すように。
「安曇さん、会長との件、忘れておりませんよね?」
目を見開いたままの三条先輩が俺に囁く。
「わ、分かってますって。それはおいおいに」
「約束ですわよ」
「はい」
省エネモードのはずが、進藤会長と三条先輩の色恋問題に関わることになってしまった。どうしたものか。
「おい、三条も安曇を気に入ったのか? やはりライバルが多いな。ハハッ!」
何を誤解したのか、進藤会長が変な勘ぐりをしてきた。
やめろ、それは俺へのデスペナルティ―だ!
「ききき、気に入っておりません! わたくしは会長一筋ですわ! はっ、きゃぁ!」
「良いではないか! ライバルが多い方が燃えるものよ」
「だから違いますわ!」
口を滑らせた三条先輩と、何も聞いていない進藤会長。これは先が思いやられるぞ。
中間テストが近いというのに、俺は百合展開の手助けと、シエルの個人レッスンと、ノエル姉とのモミモミし合いという、濃厚な課題を抱えてしまった。