第54話 温泉で本音がポロリ
「ここが温泉か」
脱衣所の引き戸を開けると、そこは普通に露天風呂だった。
普通と言っては失礼だが、旅館の外観が不気味なだけに、温泉が普通なだけで驚いてしまう。
「料理も美味しかったし温泉もかけ流し露天風呂だし、実はこの旅館って凄くお得なのでは?」
そんな独り言をつぶやきながら湯船を見つめる。
そう、俺は温泉に入ろうとしていた。
料理を食べ終わた俺たちは、女将に促されるまま温泉へと向かったのだ。
男風呂に入ろうとする俺に、女将は『本日のお客様は、旦那様たちだけでございます。存分にお楽しみください』と笑顔で言った。
親指を立てる変なジェスチャーと共に。
ザバァー!
かけ湯をしてから湯船に浸かった。熱過ぎずぬる過ぎず、ちょうど良い感じだ。
「ふぃ~っ! 良いお湯だぜ。一時はどうなるかと不安だったけど、意外と良い旅館みたいで安心したぜ」
大きく伸びをしてから、全く安心じゃないことに気付く。
「って、のんびりしてる場合じゃねぇええええええ! 今夜は女子四人と一緒に寝るのかよ!? ままま、マズいだろ! どど、どうする? 何か間違いでもあったら……」
自分の体に血流が良くなるのを感じる。
ザバッ!
「ここで一度スッキリさせておくべきか。待て待て! そんなの誰かに見られたら人生終わるぞ!」
ガラガラガラ!
湯煙の向こうで脱衣所の引き戸が開く音がした。
俺は静かに湯船に浸かる。思いとどまった自分に感謝しながら。
ん? おかしいぞ。今日は俺たち以外の客は居ないはずでは?
何で男風呂に入ってくるんだよ。
ヒタヒタヒタ――
俺が困惑しているうちに、その人物がどんどん近付いてくる。
白くしなやかな体。スラっと長く魅惑的な脚。タオルを巻いているのにもかかわず、その芸術的にまで美しい肢体は隠せていない。
輝くようなダークブロンドの髪は、いつもと違いアップになっていて……。
「えっ、ええっ! シエル!?」
その客はシエルだった。
俺と目が合って思考停止したのか固まっている。
「あ、あわっ、あわわっ、そそ、壮太」
「待て! れ、冷静に話そう。騒ぐんじゃない」
「きゃ、きゃああぁ、ええ、エッチ、ヘンタイ、ドスケベ……うぐぅ」
緊急避難だ。俺はシエルの口を塞いだ。
ここでエッチ罪で捕まるわけにはいかない。
「落ち着けシエル。ここは男風呂だ」
「んん~! うんぅ!」
何を言っているのか分からないので塞いだ手を離す。
「エッチ、ヘンタイ!」
「だから落ち着けって」
「あわわ、みみ、見た?」
「見てない。タオルで隠れているから」
そう言いながらもバッチリ目に焼き付けている。シエルの綺麗な体を。もう一生忘れられない。
「そ、壮太、正気? ここ女風呂だよ」
「だから男風呂だって」
「えっ?」
「ん?」
二人で脱衣所の方に視線を移動する。
湯煙に霞むその扉は二つあった。
俺が入ってきた男風呂用と……シエルが入ってきた女風呂用……あれっ?
「シエル、どうやらこの温泉は混浴らしい」
俺は衝撃的事実を告げた。
シエルは目が泳ぎまくっている。ずり落ちそうなタオルを必死に直しながら。
「どど、どうしよ、どうしよ……」
「おお、落ち着け。俺は一旦出るから。後でゆっくり入るよ」
「う、うん」
ザバッ!
脱衣所に戻ろうとして、湯船を取り囲む岩に足を掛けたその時だった。
ガヤガヤガヤガヤ――
「そうちゃんと一緒に入りたいなぁ」
「ノエル先輩、それは攻めすぎだし」
「だ、ダメですよ。先輩は同居しているのに」
えっ、ノエル姉たちの声が……。
ガラガラガラガラ!
ズシャァアアアアアアアアアアアア!
引き戸が開いた瞬間に、俺は速攻で隠れた。湯口がある岩の裏側に。何故かシエルを連れたまま。
「うぐぅ……」
「しっ! シエル、静かに。バレちゃうだろ」
「こくっくっ」
俺とシエルは目で合図する。
あれっ? シエルは隠れる必要無いよな?
「しまった。すまんシエル」
「ばば、バカなの?」
「声を抑えろ。バレるだろ」
すぐそこに皆がいるのだ。こんなタイミングで出て行ったら大問題だろう。
もう隠れてやり過ごすしかないのだ。
「もうっ、壮太のばぁか」
「まだ怒ってるのかよ?」
「べ、べつに……」
プイッと横を向くシエルの顔を見る。湯気で湿った髪が色っぽい。
まつ毛が長くて……綺麗な瞳の色で。鼻筋が通っていて、くちびるも柔らかそうで。
ダメだ。もう見つめるだけで愛おしさが込み上げてくる。抑えられない。
家族になったんだ。こんな想いを抱いちゃダメなのに。
「壮太……」
潤んだシエルの瞳が揺れ、瑞々しいピンク色のくちびるが動く。
やめてくれ。そんな目で見られると自分を抑えられなくなりそうだ。ただでさえ裸にタオル一枚でくっついているのに。
ていうか、そもそもシエルが催眠なんかするから悪いんだぞ。俺の気持ちも知らないで。
あんな甘々な声で催眠されたら、そりゃ好きになっちゃうって!
自分の中で『好き』という言葉を出してしまい、顔が熱くなるのを感じる。
「壮太が悪い……」
「えっ?」
突然つぶやいたシエルに、俺は聞き返した。
「何が?」
「だって、お姉の方が好きだって言った」
何のことだ? 俺が言ったのはアニメのヒロインの好みだったはず。
「俺はセシリア推しだって言っただけのような?」
「ノエル姉に似てるって言った」
そういえば……言ったな。
「壮太はお姉が好きなんだ……」
シエルの表情が沈む。
「えっ、あれっ? 俺はアニメのヒロインの話をしただけだぞ」
「えっ?」
「だから、ノエル姉は関係なくて……単にアニメヒロインが好きなだけで」
「はあ?」
シエルの目つきが鋭くなる。
だからヤメロ、その氷の女王顔は。
「壮太、紛らわしい」
「すまん……」
「なら、許す」
シエルの顔が緩んだ。ホッとしたように。
「勘違いだったのかよ。俺がシエルを蔑ろにするわけないだろ。た、大切な人なんだからな……」
「そ、そなんだ♡ だ、だよね♡」
シエルの顔が赤い。
俺も更に顔が熱くなる。
何だコレ。温泉でのぼせたのか?
「そ、そうかぁ♡ 壮太は私が大切なんだもんね♡ すっと一緒にいたいんだよね♡」
「おいヤメロ。恥ずかしいだろ」
「んふふぅ♡ そうかそうかぁ、私がいないとダメなんだぁ♡」
くっ、こいつ調子乗ってるな。ったく、相変わらずよく分からん女だぜ。
ガヤガヤガヤガヤ――
その時、岩の向こうからノエル姉たちの声が聞こえてきた。
「おかしいなぁ。先に入ったシエルちゃんが居ないけど」
「忘れ物でも取りにいったのかな」
「もしかして、心霊現象とか?」
「やめてぇ、嬬恋さん……」
「あすぴ、怖がり過ぎだって」
何やら盛り上がっている。
しかしこのままではマズいぞ。何とかして脱出しないと。
「じゃあここで恋バナなんてどうです? ノエル先輩からどうぞ!」
星奈がギャルっぽい話題をぶち込んできたぞ。
俺は気になって岩陰から覗こうとして――――
グイッ!
シエルが俺を引っ張る。
「壮太のエッチ。なに見てるの」
「お、おい、くっつくな」
「お姉の裸を見ようとした? 見たいの?」
「違う、見てないから」
俺とシエルがタオル一枚で押し合いへし合いしている頃、皆の恋バナは急展開を迎えていた。
「ねえねえ、ノエル先輩の好きな人、教えて」
「え、ええっとぉ」
「まっ、聞かなくても分かってるけど」
「ちょっとぉ、星奈ちゃん」
ノエル姉がアタフタしている。
俺も気になるぞ。ノエル姉の好きな人。
「じゃアタシから言っちゃおっかな」
星奈が口火を切ろうとする。
「ちょっと星奈ちゃん。そういうのは恥ずかしいからぁ」
「じゃあさ、皆で一斉に言うってのはどう? それなら恥ずかしくないっしょ」
おいこら、そんなプライベートな話を盗み聞きしちゃマズいだろ。どうすんだよこれ。
しかし聞きたいような、聞いちゃいけないような。




