第40話 ライバル襲来
少女の声がする――――
そうだ、俺は夢を見ている。
これはいつもの夢だ。
『うわぁああああ~ん! やだやだぁ! やだよぉ!』
少女が泣いている。この子は妹の方だな。
『ううっ……ひぐっ……。そうちゃん……私、引っ越すことになっちゃったの……』
その少女は、溢れる涙をポロポロ零しながら、途切れ途切れに話し続ける。
話しを聞いている幼い俺は驚きの表情だ。
『えっ、〇〇〇、遠くに行っちゃうのか?』
『うん……ぐすっ』
少女は涙が溢れる目を擦りながら頷く。
『遠くって言っても、すぐ戻ってこられるだろ? きっとそうだよ』
『ううん、えっとね、すごく遠くなの。もう、そうちゃんと会えないかも……』
ガシッ!
小さな俺は少女の肩を掴んだ。
『そんなこと言うなよ! 俺は絶対〇〇〇を忘れないぞ!』
『そうちゃん』
『離れ離れになっても、俺は絶対に〇〇〇を忘れない!』
それは約束だ。幼いながらも運命のような。
『また絶対会えるから! いつかまた一緒になろう! 約束する。俺はずっと〇〇〇を守ってやるって! だから泣くな! 俺たちはずっと一緒だぞ!』
もう愛の告白みたいだな。
小さい頃の俺、とんでもないぞ。
少女の目が本気になっちゃってるんですけど。
『嬉しい。じゃあ大きくなったら私……そうちゃんのお嫁さんになる』
『えっ、お嫁さんは……ちょっと』
おぉおおい! 子供の俺、そこで躊躇するんじゃねえ!
少女が泣きそうな顔になってるだろ!
『ううっ……やっぱりお姉の方が好きなんだ……』
『ち、違っ! ま、まだ子供だから決められないだけだぞ』
『じゃあ、いつ決めてくれるの?』
『大人になったらな』
『大人っていつ?』
あの女の子、めっちゃ食いついてくるな。
『ねえ、いつ?』
『そ、そうだな高校生くらいとか』
『分かった。じゃあ高校生になったら返事を聞かせて』
『お、おう』
おいおいおい、子供の俺! そんな口約束をしちゃって良いのかよ?
『えへへぇ♡ そうちゃんのお嫁さんだぁ♡』
うわああああぁ! もう女の子がその気になっちゃってるだろ。どうすんだこれ。
『そうちゃん』
『〇〇〇……』
〇〇〇……〇〇〇……。
――――シエル……。
「シエル……」
体が熱い。だるくて動くのも億劫だ。
そういえば……俺は風邪を……。
「ここは……何処だ?」
目を開けると、そこは見知らぬ……ではなく見飽きた天井。紛れもない自分の部屋だった。
「俺は……夢を見ていたのか? 確か、女の子が……あれ? じゃなくて、雨に濡れて家に帰ってから……」
思い出した。
俺はシエルとデートの後、風邪をひいて寝込んだんだった。
今になって思い返せば、前日の夜から喉の調子が悪かった気もする。
「うっ、体が重い。これマジでヤバいのでは……」
上半身を起こそうとするが全く動けない。
視線を下したところで気付いた。俺の胸の上にシエルの頭が乗っていることに。
動かないのではなく、動けないのだと。
「シエル? あれっ、何で?」
シエルは俺のベッドに覆いかぶさるようにして眠っている。
もしかして、看病してくれていたのか?
俺は自分の頭の上に乗っている濡れタオルを取った。
「シエルが看病か。良いとこあるじゃないか。ん? ちょっと待て。今日は登校日だよな?」
そう、今年のゴールデンウィークは途中に平日が挟まっているのだ。
大企業などは11連休などになるだろうが、もちろん学校は登校日なんだよな。
「シエル……学校サボっちゃったのか」
ガチャ!
「あら、壮太君。目が覚めたのね」
部屋のドアが開き、小さな土鍋を持った莉羅が入ってきた。
「あ、莉羅さん」
「あっ、そのままで良いわよ。おかゆ作ったの」
莉羅さんはテーブルに土鍋を置くと、俺の上に乗っているシエルを動かしてくれた。
「はい、起きても大丈夫よ」
「ありがとうございます」
「調子はどう?」
「だいぶ良くなりました」
そう言いながら俺は軽く腕を回した。
「えっと……」
俺がシエルを見つめていると、莉羅さんは俺の疑問に答えるように話し始める。
「この子ったら、壮太君が心配だから学校休むって言い出したのよ。困った子だわ」
「そうだったんですか」
母親の顔になった莉羅さんは、寝ているシエルの頭を撫でる。
「壮太君が風邪をひいたのは自分のせいだって聞かなくてね」
「シエルのせいじゃないのに。前日から喉が調子悪かったんですよ」
「ふふっ、壮太君ってば良い子なんだから」
莉羅さんは俺に優しい笑顔を向けた。
「どうせシエルが迷惑かけちゃったんでしょ。あんなにずぶ濡れで帰ってきて。ごめんなさいね、壮太君」
「そ、そんな。迷惑だなんて」
あれは俺も悪かったしな。
シエルの前で蜷川さんと告白の話をしたり、昔の約束を忘れていたり。
約束?
そういえば、俺は小さい頃にシエルと約束をしたんだよな。
うっ……。
あの時、何か思い出したような気がするのに。
「はい、壮太君、あーん♡」
ふと視線を莉羅さんに戻すと、おかゆをすくったスプーンを俺に向けているではないか。
「自分で食べますから」
「はい、あーん♡」
「えっと」
「あーん♡」
莉羅さんが折れないので仕方なく『あーん』で食べた。
「うふふっ♡ こうしていると学生時代に戻ったみたいだわ♡ 壮太くん♡ 私のことはリラ先輩って呼んで良いのよ♡」
「えっ、嫌です」
ガァアアアアアアーン!
「およよよぉ~」
やっぱり莉羅さんがヘコんだ。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ……」
変な擬音が聞こえたかと思ったら、シエルが目を覚ましている。あーんで食べさせてもらったのをバッチリ見ていたようだ。
「お母さん! もう出てって!」
「はいはい。もうシエルったら壮太君を独占してぇ」
「早く」
「分かったわよぉ。私も壮太君とイチャイチャしたいのにぃ」
バタンッ!
莉羅さんを追い出したシエルが、今度は自分がお世話をするとばかりに土鍋とスプーンを持つ。
「はい、壮太。あーん」
やっぱりそうきたか!
「自分で食べられるから」
「あーん」
鬼気迫る表情でシエルは迫ってくる。
タイプは違うのに行動は母娘そっくりだな!
「ほら、あーん」
「わ、分かった。食べれば良いんだろ」
「んっ、分かればよろしい」
結局、新妻のようになったシエルが全て『あーん』で食べさせてしまった。新婚さん生活かな?
「くっ、さすがに照れるのだが……」
「は、恥ずかしい……」
やった本人のシエルまで照れている。
カチャカチャ――
土鍋をテーブルに戻したシエルが真顔になる。
「ご、ごめんなさい!」
「えっ?」
「私のせいだよね……」
シエルの手が震えている。今にも泣きだしそうなくらい。
「シエルのせいじゃないよ」
「でも……」
「元から風邪気味だったんだ。シエルは悪くない」
「う、うん」
「それに、俺が蜷川さんに告白したのが原因だしな」
キッ!
シエルの表情が一変する。
「そうだ、元と言えば壮太が悪い」
「お、おい、謝るのか怒るのかどっちかにしろよ」
「思い出したらムカついてきた」
おいおい、さっきまでしおらしかったのに。
「そもそも何で俺が怒られるんだよ。告白して振られただけなのに」
「えっ、付き合ってないんだ?」
「そうだよ。俺は彼女いない歴イコール年齢だよ」
「ぷっ、ふふっ♡」
「おい、笑うな」
何だよシエルのやつ。急に嬉しそうな顔をして。
そんなに俺が非モテなのが楽しいのか?
「そうかそうかぁ。壮太はドウテ……付き合ってないんだ」
「おい、今問題発言しただろ?」
「うへへへっ♡ しょうがないな」
「こら、変な笑いをするな。てか、聞いてないし」
まったく、シエルのやつめ。やっぱり変な女だな。
ピンポーン!
その時、春の嵐がまだ序章に過ぎないのを、俺は知ることになる。ラブコメ戦国時代の幕開けとなるチャイムの音によって。
コンコンコン!
「壮太君、クラスメイトがお見舞いに来たわよ」
「えっ!?」
インターホンに出た莉羅さんが俺を呼びにきたようだ。
「蜷川明日美さんって方なんだけど」
その名前を聞いた俺は、ベッドから跳ね起きた。
な、ななな、なななななな、なんだってぇええええ!