第4話 義妹なのに義姉
「ちょっと良い?」
風呂上り、自分の部屋に戻ろうとした俺は、階段で待ち構えていたシエルに声をかけられた。
「えっと、何か用かな?」
「こっち」
シエルは手のひらを曲げ、こっちに来いというジェスチャーをする。
何だそれは、カンフー映画の『かかって来い』というポーズか?
ガチャ!
シエルの後をついて行くと、そのまま彼女の部屋に入ってしまった。俺の部屋の隣だが。
部屋は落ち着いたインテリアで整理整頓されている。姉の汚部屋とは大違いだ。
少し気になるのは、本棚にカーテンが付いているのと、ベッドの枕元の棚にある写真立てに布が掛けられていることくらいか。
俺の視線に気付いたのか、シエルの表情が険しくなる。
「ちょっと、ジロジロ部屋を見ないで」
「はいはい」
俺は視線をシエルに戻した。
「聞きたいことがあるのだけど」
ベッドに腰かけながら、シエルはそう言った。氷の女王のような美しく鋭い顔で。
そして俺の返答を待たずに話し始める。
「安曇君ってお姉が好きなの?」
「は?」
「だ、だから、ノエル姉が好きなのって聞いてるんだけど」
シエルは何を言っているんだ? お姉ちゃんにばかり構ってズルいとか思っているのだろうか。
嫉妬か? 嫉妬なのか?
いや、それは無いな。
「あの誰とでも仲良くなれそうなノエル姉を嫌いな人なんていないだろ」
俺は無難な回答をした。
「そういう意味じゃなくて。異性として好きなのって聞いてるんだけど」
「はあ? そ、そんなわけないだろ」
「怪しい……否定するところが怪しい」
「どうしろっていうんだよ」
シエルが何を言いたいのか分からない。
「も、もしかして……お母さんが好きとか?」
「それは無い」
秒で否定した。
親の再婚相手を好きなどと思われたら、義姉妹との関係は破綻する。
「お風呂の件は偶然だぞ。俺が親の再婚相手の風呂を覗くなんて暴挙に出るわけないだろ」
「まあ、そうだよね」
シエルは何度も頷く。本気で俺を信用しているかのように。
俺はシエルをよく覚えていないのに、やはりシエルは俺をよく知っているのかもしれないな。
まあ、しかし実際に莉羅さんは間違いを起こしそうな魔力があるのは確かだ。
あんな凄い色気を出している女性を母親と呼ぶのには抵抗がある。
そんなことを考えていると、ついポロっと口に出してしまうのだが。
「まあ、莉羅さんが魅力的なのは俺も分かるけどさ」
「うん……って、やっぱり好きなんだ」
「ち、違うって! 優しかったり話しやすかったりで、人間的にって意味だ」
「そう」
ここは俺のスタンスを伝えておかなければ。
「あのさ、俺は人間関係で疲弊したくないんだよ。この通り陰キャ男子だからな」
「そう……なの?」
シエルが首を傾げた。
「そうそう。だから男女関係でもトラブルを起こしたくないんだ。一定の距離を保っていたい。義姉や義母を変な目で見たりしないから安心してくれ」
「そうなんだ……」
これで誤解は解けただろう。
俺はシエルに背を向けドアへと向かう。
「もう一つだけ良い?」
部屋を出ようとした俺をシエルは引き留めた。
「何だ?」
「えっと……その……」
「ん?」
「安曇君って、お姉と私で態度が違う」
「へ?」
シエルは何を言っているんだ?
「だから、ノエル姉の時だけ楽しそうにしてる。私への態度を改めるべき」
ええっ!? 態度が冷たいのはシエルの方だろ。どうなってるんだ?
今だって俺を安曇君と呼んでるしな。
おかしなことを言うシエルだが、大真面目な顔で更におかしな話をする。
「私も安曇君の姉なんだから『お姉ちゃん』って敬うべき」
「おいおい、シエルは俺の妹だろ。だって俺の方が誕生日が早いし」
「ほんの数日でしょ。あと呼び捨て禁止。んで、私が姉。揺るぎない事実」
「何だよ揺るぎない事実って」
あれ? シエルってこんな性格だったか? もっとクールでダウナー系だと思ってたけど。
って言っても、子供の頃のシエルを覚えてないから、ここ数日の感想だけどさ。
そんな俺の戸惑いもお構いなしに、シエルは涼し気な美人顔で面白いことを言うのだが。
「はい、言って。『シエルお姉ちゃん』どうぞ」
「何がどうぞだ?」
「はい『シエルお姉ちゃん』リピートアフターミー」
「ぷっ」
つい笑いを堪えられず吹き出しそうになった。
何だよその『リピートアフターミー』って。日本人離れしたダークブロンドの髪とキラキラ光る瞳で、コテコテのカタカナ英語を使うんじゃない。
俺が何も言わないからなのか、シエルの表情が険しくなってゆく。まさに氷の女王だ。
「ねえ、安曇君。もしかしてバカにしてる?」
「め、滅相もない」
「とにかく私が姉、安曇君が弟。分かった? ドゥーユーアンダスタンド?」
「ぷふっ!」
だからその真面目な美人顔でカタカナ英語を使うんじゃない! 笑っちゃうだろ!
「やっぱりバカにしてる?」
「してないしてない」
「じゃあ言って。はい『シエルお姉ちゃん』どうぞ」
「し、シエルお姉ちゃん」
「ふふっ」
おいおいおい! シエルが鼻で笑ったのだが。
何だその勝ち誇った顔は!?
「ふふん、しょがないなぁ。代わりに私はあんたを壮太って呼んであげる」
「呼び捨てかよ」
「当然」
俺に『お姉ちゃん』と言わせて満足したのか、シエルがドヤ顔で俺に手を振る。
「それだけ。もう帰って良いよ」
「はいはい」
今度こそ俺はシエルの部屋を出た。
◆ ◇ ◆
少女の声がする――――
『うわぁーん! 怖いよぉ! そうちゃぁーん』
犬に吠えられて泣いた少女が俺に抱きついてきた。
『大丈夫だぞ。ほら、リードで繋がってるだろ』
『だってだってぇ!』
『しょうがないなぁ、〇〇〇は。ほら』
俺がその少女を押して犬の方に向ける。
ワンッ! ワンワンッ!
『きゃあああっ! そうちゃんのイジワルぅ!』
『ええっ、慣れれば可愛いのに』
『もうっ! そうちゃんキライっ!』
少女はふくれっ面で俺を睨んだ。
その顔が面白くて、俺は笑ってしまうのだが。
『あははっ! 〇〇〇の顔、おもしろい!』
『もうっ! もうもうもうっ! そうちゃんのばかぁ!』
俺は何を見ているんだ?
これは夢なのか?
なんだろう? 凄く懐かしい気がする。
少女の顔が思い出せない。
何か……凄く重要な気がするのに。
『壮太……壮太……』
今度は耳元で甘い声の囁きを感じる。
少女の声と似ているが、こっちはもっと大人の色気だ。
『壮太……安心した。壮太はお姉が好きなんだと思ってたよ』
変な夢だな。まるで本当に耳元で囁かれているみたいだ。
何だか直接脳に甘い吐息が響くみたいでくすぐったい。
『お姉……可愛いよね。不愛想な私と違って……』
お姉って何のことだ?
もしかしてノエル姉かな?
『私だって壮太と仲良くなりたいのに……』
何だそれは。女子と仲良くだと!?
やめてくれ。俺は省エネモードで生きると決めたんだ。
いつだってそうだ。女子は思わせぶりな態度ばかりで……また俺が一方的に誤解して……。
『もしかして、お母さんが好きってのは無いよね?』
おい、何で莉羅さんが出てくるんだ。
『良かったね壮太。もしお母さんが好きだったら息の根を止めてたところだよ』
おい! 止めるんじゃねぇええ!
『冗談冗談』
ふうっ……助かったぜ。
『もう、壮太のばか』
バカとは何だ!
『私の気も知らないで……もうっ』
だから何だそれは?
しかし変な夢だな。
『おやすみ壮太』
そう言って声の主は遠ざかって行く。
ガチャ!
ドアを閉める音がして、そこから部屋は静寂に包まれる。
今のは何だったんだ?
夢……だよな……?
ふああぁああっ……。
眠い。
明日から新学期なんだ。もう寝ないと。
不思議に思いながらも、俺は再び深い眠りに落ちていった。そうだ、きっとこれも夢なんだろう。