第22話 勇気の欠片
今日も蜷川さんの様子がおかしい。今も暗く沈んだ顔で一点を見つめている。
教室の席に座った俺は、何度か隣の席をチラ見していた。
やっぱり蜷川さんが変だよな。
いつもはぎこちないながらも気さくに声をかけてくれたりするのに。最近は無口だし、時々思い詰めた顔をしている気がする。
参ったな。もう蜷川さんのことは忘れようと思っていたのに、どうしてこうも気になってしまうんだ。
「どうしたの? そうちゃむ」
突然、俺の視界にギャルが現れた。
嬬恋星奈、通称ギャルである。
「う、うむ、淫紋師ペロロの英雄譚というアニメがだな」
驚いた俺は、とっさに深夜アニメの話をしてしまう。
「きゃはっ! ヤダぁ、そうちゃむったら。何それ、エッチなアニメなの? 今度教えてよ」
相変わらずグイグイ来るギャルだ。あの仮彼氏の一件から、更に距離が近くなった気がする。
「ほれほれ、まだお願い言ってないっしょ。見せてあげるし」
そう言いながら胸元を開けるギャル。
「まま、待て。まだ早い」
「何よそのリアクション。ウケる」
オイヤメロ。それ以上ベタベタするんじゃない。
後ろから凄い殺気を感じるのだが。シエルの威圧感を感じるぞ。
また甘々ボイスで変なプレイをされたらどうするんだ。
そんな感じに、俺がギャルの胸圧とシエルの殺気に挟まれていると、いけ好かないイケメンが近寄ってきた。
「蜷川さん、ちょっと良いかな」
そう、軽沢だ。
最近やけに蜷川さんに絡んでいるようなのだが。
今も二人で何か話している。
「ちょっと前回の件で話が」
「うん……」
浮かない顔のまま蜷川さんが席を立つ。
軽沢と二人で何処かに行ってしまった。
気になる。前回も林間学校の件があるし。また軽沢が女子にちょっかいを掛けてるとか?
まさかな…………。
◆ ◇ ◆
放課後――――
出し忘れていた書類をさやちゃん先生に提出した俺は、一人廊下を歩いていた。
そこで俺は見てしまったのだ。軽沢と蜷川さんが二人っきりで居るのを。
「は? 何だ、何をやってるんだ?」
とっさに俺は柱の陰に隠れた。
二人が居るのは学食へ続く廊下の奥。自販機が並ぶ場所だ。
この時間には生徒が少ない。
「遠くてよく聞こえないな。もう少し近付いてみるか」
盗み聞きなど趣味が悪いと思うのだが、以前にシエルの件もあってか、このまま見過ごすのには躊躇いがあった。
音を立てずに近付くと、何やら不穏な会話が聞こえてくる。
「そ、それは以前お断りしたはずです」
「は? 僕の告白を断るなんて許されないだろ。僕はハイスペだぞ」
「ですから、私は男女交際する気は無くて……」
おいおいおい、これって軽沢が蜷川さんに告ってるんだよな。しかも強引に。
気が弱そうな蜷川さんは、強引な軽沢に困っているようだ。今にも泣きだしそうな顔をしている。
「ご、ごめんなさい。交際はできません」
「良いのかな? 僕の申し出を断ったりして」
「そ、それは……」
「前も言ったよね。僕にはこの画像があるんだって」
軽沢はスマホを取り出し画面を蜷川さんの方に向けた。
何だ? 何の画像だ? ここからじゃ見えないな。
「ひっ…………」
動画を見た蜷川さんが、ここから見ても分かるほど動揺している。
「や、やめてください……」
「ああ~、良いのかな? この画像を拡散されても」
「そんな……」
「みんな驚くだろうな。優等生でクラス委員の蜷川さんが、こんな淫乱だなんて知ったら」
は? 蜷川さんが淫乱? 何の話だ?
「あああ……そ、そんな。そんなの盗撮です」
「でも事実だよね」
「ううっ……」
おい、盗撮だと! 犯罪じゃねーか!
「僕の命令に従わないと、これをクループチャットに流しちゃうけどね」
「お願いします! それだけは」
「なら僕の命令に従うんだ」
「は、はい……」
「今日は僕に家に来るんだ。初めてだろうから優しく抱いてやるよ」
「そ、そんな…………」
蜷川さんが顔面蒼白だ。今にも倒れそうなほどに。
「ううっ……ぐすっ……」
ついに蜷川さんの目から一筋の涙が流れた。肩を震わせながら必死に声を押し殺すようにして。
クソッ! 軽沢ぁ! 前からクソなヤツだと思ってたが、本当にクソ男だったのかよ!
これは完全に脅迫じゃねーか! 許せねえ! 蜷川さんを脅して部屋に連れ込むつもりかよ!
飛び出して行って軽沢をぶん殴りたい衝動に駆られる。だが、俺の足が震えて動かない。
くっ、俺は省エネモードで生きるって決めたのに、どうしてこう事件ばかり起きるんだ。
本当なら人間関係のいざこざにも男女関係の面倒くささにも関わらず、ゲームやアニメを観て心穏やかに過ごしたいのに。
『壮太はいつだって私のヒーローだよ』
不意にシエルの声が脳内に響く。
何だこれは?
懐かしい……記憶なのか?
足の震えが止まった。
俺は……何をやってるんだ。
蜷川さんには振られたけど。あれからギクシャクしちゃってるけど。彼女は誰にでも優しくて周囲に気配りする素晴らしい人じゃないか。
そんな蜷川さんが脅されてるんだ。
ここで助けなくてどうする!
省エネモードで生きようと決めたけど、性根までクソになるなんて言ってない!
断罪天使は愛と正義の使者だ!
蜷川さんへの想いと、中二病的熱量でおかしくなった俺は、思い切って二人の前に飛び出した。
ダンッ!
「蜷川さん!」
突然、飛び出してきた俺に、軽沢も蜷川さんも驚いた顔をする。
だが今はそんなの気にしている場合じゃない。
「蜷川さん、皆が呼んでるよ。行こ」
俺は蜷川さんの手を掴んだ。
「お、おい! またお前か! 僕の邪魔をするんじゃない!」
蜷川さんを引っ張って行こうとする俺の背中に、軽沢の声がかかった。
イラついた声で怒鳴るように。
「安曇! 毎回毎回、僕の邪魔をするな! 僕は彼女に用があるんだ!」
「蜷川さんは嫌がってるように見えるけどな」
「は? ありえないだろ。ハイスペの僕を嫌う女子なんているはずがない」
こいつアホか! どこまで自己評価が高いんだよ。
「とにかく彼女を置いて行け。低スぺの分際で」
「断る! 泣いている女子を置いて行けない」
「なんだと! 僕に恥をかかせてタダで済むと思ってないだろうな!?」
こいつ、本当にムカつく。
今度は俺を脅してるつもりかよ。
「軽沢……脅して無理やりしたら犯罪だぞ……。バレたらお前の立場も悪くなるぞ」
「けっ、低スぺオタクの安曇と、ハイスペの僕の話。皆はどちらを信じるかな?」
「知るか! 行こっ、蜷川さん」
俺は暴言を吐く軽沢を無視して歩き出した。
スタスタスタスタ――
蜷川さんの手を引きながら歩き、誰も居ない教室まできた。
そこで手をつなぎっぱなしだったのを思い出す。
「あっ、ごめっ、手を……」
蜷川さんの手は小さく華奢だった。まるで繊細な芸術品のように。
その蜷川さんだが、ジッと繋いだ手を見つめている。
「えっ、さ、触れる。男の人と……」
「えっ?」
それ、どういう意味だ?
ガバッ!
「安曇君! 私、私ぃ!」
ええええええええええええ!
蜷川さんが抱きついてきたんですがぁああ!