第131話 幸せの催眠
「あら、お帰りなさい」
先走っていた俺に、莉羅さんから声がかかった。
「どうしたの壮太君、そんな所で話してないで上がったら?」
莉羅さんの言葉でハッとする。緊張からか、早く伝えなくてはとの焦りからか、また俺はやらかしていたようだ。
話をするにしても落ち着いてからだよな。
「ん? そうちゃん、どうしたの?」
話を中断されてノエル姉が戸惑っている。
「ノエル姉、後で部屋に行くよ」
「うん」
リビングのテーブルに買ってきたお土産を並べながら、首をかしげているノエル姉に八つ橋を渡す。
「はい、定番の小豆に、クリームとチョコと抹茶とミント」
「うわぁ、どれから食べようかな?」
嬉しそうに見比べているノエル姉を見ていると、やっぱりあれを言いたくなる。
「一度に食べると太るよ」
「太らないよ! ふ、太ってないよね!?」
大丈夫だ。太ってないから。
「ノエル姉は胸に栄養が……」
「こらぁあああぁ!」
胸を隠しながらプリプリするノエル姉だが、余計にGカップが強調されて逆効果だ。
もうわざとやってるだろ。
やっと落ち着いた俺は、シエルと一緒にノエル姉の部屋に向かった。
相変わらず部屋は散らかっていて足の踏み場が無い。
「ノエル姉、部屋の掃除を……」
「ひゅーひゅー」
俺が脱ぎ散らかした服を手に取ると、ノエル姉は吹けない口笛を吹こうとする。
おっと、今はそんな場合じゃない。
「えっと、その……」
「そうちゃん、何かあったの? 帰ってきてから変だよ」
気づかれてた。ノエル姉って、普段おっとりしているようでいて、意外と鋭いんだよな。
「ご、ごめん! ノエル姉」
「ごめんなさい」
俺が頭を下げると、シエルもそれに倣った。
「えっ、ど、どうしたの?」
目の前で義弟と実妹に謝られ、ノエル姉はオロオロとする。
でも、言わなきゃ。
「俺は……俺とシエルは付き合うことになったんだ」
「えっ」
驚きでノエル姉が目を見開いた。
「その、修学旅行で一緒になって、改めてシエルの大切さを知ったというか……。俺が告白して。その……正直なところ、ノエル姉も大好きなんだ。今でも三人でいられたらって思う。でも…………」
すっく!
ノエル姉は黙ったまま立ち上がり背を向けた。
「そ、そうなんだ。良かったね」
「あの、ノエル姉?」
「シエルちゃんは良い子だから幸せにするんだよ」
「ノエル姉……」
「小さな頃から仲良しだもんね。お似合いだよ。ホント良かった……」
ノエル姉の肩が小さく震えている。
「あっ、私、ちょっとコンビニにお菓子買いに行かなきゃ」
「ノエル姉!」
バタンッ!
部屋から飛び出したノエル姉の後を追をうとする俺だが、残されたシエルの方を振り返る。
どうする? この場合の正解は?
ノエル姉を追うべきだって分かってるんだ。
俺はシエルを選んだのに。シエルを置き去りにして良いのか?
でも、俺は見ちゃったんだ。
祝福してくれたノエル姉だけど、その目には涙を浮かべていたのを。
「壮太、行って! お姉が心配」
「お、おう」
シエルの声を背に、俺は部屋を飛び出した。
何が正解かなんて分からない。
でも、俺は大切なんだ。シエルもノエル姉も。
ダッタッタッタ!
もう夜の十時を回り辺りは真っ暗だ。
玄関を出て闇雲に走ってみたけど、ノエル姉の行き先が分からない。
まさか、本当にコンビニでお菓子やけ食いしてるとかじゃないよな?
「考えろ! 考えるんだ! ノエル姉の行きそうなところを」
ノエル姉が引っ越してきて半年だ。行きそうな所なんて限られているはず。きっと子供の頃の……。
「そうだ! あの公園!」
小さな頃に遊んだ公園だ。俺と姉妹を繋ぐ記憶といえば、それしか思い浮かばない。
きっと公園に居るはずだ!
「って、居ない……」
全力疾走した俺は、飛び出しそうに鼓動する胸を押さえながら小さな公園を見回す。
そこにノエル姉の姿はなかった。
「そ、そんな……」
普通、こういう時はブランコで一人佇んでるはずだろ。ノエル姉は普通じゃなく、ちょっと変わってるかもしれないけどさ。
何処に行ったんだよ。
「あっ」
公園を出ようとした俺だが、東屋の柱の陰に光る何かに目が留まった。
夜の闇の中でも金色に光る髪に。
「何で隠れてるの? ノエル姉」
「きゃっ」
柱の陰に隠れていた人に声をかけると、そのダークブロンドの髪をした少女がビクッと肩を震わせた。
「そうちゃん……」
「ノエル姉は、もう少し自分の存在感を自覚するべきだよ」
闇夜の中でも目立つとか、まるで星のような人だ。
本当に月というか太陽というか。
パシッ!
「きゃっ」
「逃がさないよ」
俺はノエル姉の手を掴み逃げられないようにする。ここで逃がしてたまるか。
逃げるのを諦めたのか、ノエル姉は無理やり笑顔を作った。
「もうっ、ダメでしょ。シエルちゃんの近くに居なきゃ」
「ノエル姉が心配なの」
「そうちゃんてば優しいんだよね。でも、その優しさが残酷だよ」
「ノエル姉……」
明日美さんにも言われたような?
「でも、これで良かったんだよね。幼い頃に私がそうちゃんに掛けた催眠の通りになったんだから」
ん?
「私ね、そうちゃんとシエルちゃんが喧嘩ばかりしてるのを見て、もっと仲良くなれるようにって思ってね。テレビで見た催眠術を掛けてみたの」
えっ? ノエル姉は何を言ってるんだ?
「えへへっ、そうちゃんって単純でしょ。だから催眠が掛かりやすいんだよ」
「は? えっと……」
催眠? 催眠を掛けたのはシエルじゃないのか?
ノエル姉は指を俺に向け、何やら囁き始めた。
「こうやってね。『そうちゃんはシエルちゃんを好きになる。シエルちゃんを守りたくなる。そうちゃんとシエルちゃんは仲良し』って」
それシエルの催眠そのまんまじゃないか! 待て、最初にやったのはノエル姉なのか?
えっ、俺って姉妹両方から催眠を受けてたのか? 姉妹そっくりだな。
そのノエル姉だけど、お姉ちゃんの顔になって話し続ける。
「これで良かったの。シエルちゃんね、そうちゃんの記憶が消えてからとても落ち込んじゃったのよ。もう見ているのが辛いくらい。でも、最近は凄く楽しそう。だから、シエルちゃんを幸せにしてあげてね」
これで良い? 良いのか?
「ふふっ……私ね、本当はあざとかったり計算だったんだよ。天然のふりして密着したり、隣の席をキープしたり。シエルちゃんを応援していたはずなのに、ちゃっかり私もそうちゃんと恋人になろうって企んで……」
こんな結末なんて良いわけあるか! だってノエル姉は泣いてるじゃないか!
そうだよ、子供の頃からちゃっかりしてるくせに、最後は人に譲っちゃうんだ。お人好しなんだ。
心からシエルを大切に想っているから。
ガバッ!
俺はノエル姉を抱きしめていた。体が勝手に動いて。
「ノエル姉は誰にも渡さない」
「そうちゃん、ダメだよ。シエルちゃんのとこに行ってあげないと」
「シエルを大好きだ。でも、ノエル姉も同じくらい大好きだ」
「ふぇえええぇ♡」
抱きしめた腕の中にノエル姉の体温と匂いを感じる。ドキドキと心臓の鼓動まで。
心地よくてずっとこのままでいたい。
「無理するなよ、あざと姉」
「あざと姉はやめてぇ~」
本当にこのお姉ときたら。
「ノエル姉って、完璧美人に見えるけど本当にポンコツなんだよな」
「ええっ?」
「汚部屋だし、ぐうたらだし、ダサジャージだし、スケベだし、食いしん坊だし、抜け目ないし」
「ちょっと、そうちゃん!」
「でも、本当は優しくて妹想いのお姉ちゃんなんだ」
ぎゅっ!
ノエル姉の腕が俺の背中に回る。
お互いに抱きしめる形だ。
これ、OKって意味で良いのかな?
「俺、シエルに説明するから」
「ううぅ♡ 嬉しいけど、良いのかな?」
「何度も説明するから。あと莉羅さんにも」
「お母さんにも!?」
「娘さんを両方くださいって」
「それはダメだよぉ」
ちゃんと説明しよう。莉羅さんがショックで倒れそうな気もするけど。
「そうちゃん♡」
ん? ノエル姉の目がとろんと蕩けてるような? 凄くエッチな顔だぞ!
「そうちゃん♡ する?」
ポコッ!
俺は容赦なくチョップを入れた。
「いたぁ~い! 酷いよぉ、そうちゃん」
「そういうとこだぞ、スケベ姉」
「スケベじゃないもん♡ そうちゃんだって、そういうとこだよ。何度も何度もその気にさせて、おあずけばかりでぇ」
それじゃ俺がエッチに焦らしてるみたいじゃないか。
「ノエル姉がエッチなだけだろ」
「そうちゃんだよ!」
「ノエル姉!」
「そうちゃん!」
またやってしまった。
「うふふふふっ♡」
「あははは」
「もうっ、そうちゃんったら♡」
「行こうか」
「うん♡」
こうして俺はノエル姉と手を繋いで家路を辿るのだった。
シエルのお仕置きを予感しながら。




