第100話 過去
「うわぁああああああああああ~っ!」
視界が目まぐるしく変わる。夜空へ、木々へ、地面へ。俺が転がっているんだ。
ガンッ!
「ぐええっ!」
後頭部に強烈な衝撃を受け、意識が異世界に飛びそうになる。いや、異世界じゃなくあの世か?
嫌だ! 俺はまだ何もしていない!
彼女をつくって制服デートとか、部屋で一緒にアニメを観ながらまったりとか、え、ええ、エッチとか。
「壮太! 壮太ぁああ! そうちゃん! そうちゃぁああああ~ん!」
シエルの声が聞こえる。夢かな? そう、いつもの夢。
いつもの?
あれっ!? いつものは夢じゃないよな。 昔の記憶だ。
ガサガサガサガサ!
「そうちゃん! そうちゃん!」
シエルが斜面を下りてくる。
危ないじゃないか。こんな崖を。
あれっ、背中に当たってるのは木の幹かな? そうか、木に引っかかって下まで転落しなかったのか。助かったぜ。
代わりに後頭部を幹にぶつけたけどな。
「そうちゃん! そうちゃん! わぁああああぁ~ん! そうちゃんが死んじゃう!」
死なねえって! 大袈裟だな。シエルのやつめ。
「そうちゃん、結婚してくれるって言ったぁああ! お嫁さんにしてくれるって! 死んじゃヤダぁああああ~!」
言ってねえぇええ! 考えとくって言ったんだよ!
あれっ? 何で俺は覚えているんだ?
そうだ……思い……出した。
全て思い出した。
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『そうちゃぁ~ん!』
〇〇〇……そうだ、あの声はシエルだ!
『そうちゃん』
〇〇〇姉……そう、こっちはノエル姉だ!
俺は夢を見ている……じゃない、これは俺の記憶だ。子供の頃の記憶だ。
それは安曇壮太と姫川姉妹の。
運命に翻弄された俺たちの。
ここは、俺の家か。まだ新しい。そうだ、過去の記憶だ。
『ギャアアアアッ! この出来損ない! 何でアンタは何もできないの! テストも85点だなんて、15点も間違えてるじゃない! 全く誰に似たんだか!』
今日も母さんがヒステリーを起こした。この人はいつもこうだ。自分は勉強も運動も何もできないのに、人には完璧さを求めている。
『アンタがだらしないと私が恥をかくのよ! ああ、情けない! 母さん、情けなくて外を歩けないわ! ママ友のあの人は、旦那が一流企業で良い暮らしをしているのに! あの人は、お子さんが有名幼稚舎にお受験成功してエリートコースなのに! それに比べてアンタは!』
もうこうなったらお手上げだ。ほとぼりが冷めるまで公園で時間を潰すしかない。
俺は家を飛び出した。
『くそっ! 何で俺ばっか……』
とぼとぼと肩を落とし歩いていると、いつも遊んでいる姉妹の家の前まできた。姫川家だ。
家の中から喧嘩のような大声が聞こえてくる。
『あなた、やめて!』
『うるせぇええ!』
ガシャーン!
家の前の道路では、近所のオバサンたちが噂話に花を咲かせていた。
『またやってるわよ』
『嫌ねぇ』
そのオバサンたちは、ニヤついた嫌な感じの顔で話し続ける。
『何でも姫川莉羅さんって、いいとこのお嬢様らしいわよ』
『そうなの?』
『そうなのよ。旦那さんが婿入りするような感じになったそうだけど、駆け落ち同然で家を出たらしいのよ』
『駆け落ちまでしたのに、旦那が酒飲んで暴れる穀潰しじゃ浮かばれないわねぇ』
オバサンたちは『がはは』と声を上げて笑い合う。人の不幸は蜜の味なのだろう。
やがて騒ぎの中に子供の泣き声が混ざった。
「うわぁああああ~ん! お父さんがぁ!」
「うるせえぞ、乃英瑠! その手をどけろ!」
「ダメっ! 詩愛瑠ちゃんに手を出さないで!」
「あなた、やめてぇーっ!」
ガシャーン!
大きな音がして、俺は姫川家の玄関に向け走った。
玄関の中には酒に酔って暴れる男。娘を守ろうとして突き飛ばされた莉羅さん。二人、身を寄せ合うようにした姉妹が見えた。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって! 俺は! 俺はな! この家の主だぞ! ちくしょぉおおおおっ!」
男が拳を振り上げる。それを姉妹に向けて振り下ろした時、俺の体は勝手に動いていた。愛と正義の断罪天使のように。
「マジカルフラァアァーッシュ!」
バキッ!
必殺技を叫びながら飛び込んた俺は、男のパンチをくらってよろめいた。
当時の俺はカッコよく登場したつもりだが、今思い返すと恥ずかしい。
「いってぇええ!」
「あっ、ああっ、俺は、俺は悪くねえ。俺を認めねえ奴らが悪いんだ。そ、そうだ、きっと社会が悪いんだ! 俺のせいじゃねえ」
男は意味不明な言い訳をしている。殴ったのは誰のせいでもなくお前のせいだろが。
「ああ、あああぁ、ごめん、ごめんなぁ。父さん、こんなで。もう酒はやめるから許してくれぇ! おおおおぉ!」
今度は泣き落としかよ。それとも酒が抜けたのか? 面倒なオッサンだな。
「だ、大丈夫? 壮太君!」
莉羅さんが駆け寄ってきた。その優しい手で俺の頬を撫でてくれる。
「ごめん。ごめんなさいね。壮太君。そして、ありがとう、娘を守ってくれて」
「どうってことねえぜ! この程度で断罪天使は負けない」
本当は痛いのに強がる俺。だから断罪天使はやめろ。
どうやら聞いた話では、この親父さん。普段は気弱で大人しいのに、酒が入ると手が付けられない困った人らしい。
何度か離婚を話し合っているのに、その都度『もう一度頑張るから』と言われて踏みとどまっているとか。
「そうちゃん素敵ぃ♡」
ふと、後ろを見ると、ノエル姉が目をキラキラさせていた。
俺のマジカルフラッシュが決まったからか。
「カッコイイ♡」
シエルも目をキラキラさせていた。
きっと断罪天使に憧れているんだな。たぶん……。
ところ変わって、いつもの公園。流れ的に何日か後かな?
目の前には泣いた少女が居る。シエルだ。
『ううっ……ひぐっ……。そうちゃん……私、引っ越すことになっちゃったの……』
そうだ。これは姉妹が引っ越す話だ。
ここで俺は、ずっと一緒だって言うんだよな。
『離れ離れになっても、俺は絶対にシエルを忘れない! また絶対会えるから! いつかまた一緒になろう! 約束する。俺はずっとシエルを守ってやるって! だから泣くな! 俺たちはずっと一緒だぞ!』
くぅ、恥ずかしい。これ完全に告白じゃないか。子供の頃の俺って暴走し過ぎだろ。
シエルが目を輝かせて俺を見つめているのだが。
『嬉しい。じゃあ大きくなったら私……そうちゃんのお嫁さんになる』
『えっ、お嫁さんは……ちょっと』
だから、そこで断るんじゃねえ、子供の俺ぇ!
『ううっ……やっぱりお姉の方が好きなんだ……』
そうなるんだよな。まあ、俺が『返事は高校生になるまで待て』って言ったんだけど。
『えへへぇ♡ そうちゃんのお嫁さんだぁ♡』
シエル……本気なのか? 俺は…………。
『そうちゃぁ~ん!』
そこにもう一人の女の子が走ってきた。いつもお日様のような笑顔の美少女、ノエル姉だ。
今は悲しそうに涙で目をはらしているけど。
あれっ? この話って続きがあったんだ。
『そうちゃん、私たち、遠くに引っ越すことになっちゃったの』
ノエル姉は続ける。姫川家が他県に引っ越す話を。
親父さんが住み込みで働ける仕事を見つけたらしい。酒を断って一からやり直すと謝ってくれたとか。
大丈夫なのか?
まあ、大丈夫じゃないから離婚になったんだろうけど。
『そうちゃんと離れたくないよぉ』
ノエル姉も、シエルと同じ気持ちだった。潤んだ目で俺を見つめる。
『あ、安心してくれ。離れ離れになっても、俺は絶対にノエル姉を忘れないぞ! 俺とノエル姉は、ずっと一緒だ!』
小さい俺は力説する。シエルに言った告白とほぼ同じ内容を。これ、ヤバくないか?
そのノエル姉は、キラキラした目になって俺を見つめるのだが。
『ほわぁ♡ 嬉しい♡ じゃ、じゃあ、大きくなったら、そうちゃんのお嫁さんになりたいな♡」
『お、おう』
『良いの?』
『い、良いぜ』
良いのかよ! あっさりOKしちゃうのかよ!
アホか!? アホなのか!?
『やったぁ! そうちゃん、大好き♡』
『おっ、おう……』
ノエル姉に抱きつかれて照れる俺。何やってるんだか。
婚約成立かな?
まあ、昔からノエル姉のお願いは断り辛いんだよな。ノエル姉マジックだろ。
『むぅううううううぅぅうっ!』
案の定、くしゃくしゃに顔をしかめたシエルが、目に涙を溜めているのだが。
『うわぁああああ~ん! そうちゃん酷いぃいいっ! お姉だけOKするんだぁああああ~!』
まあ、そうなりますよね。
昔の俺って、何気に酷くないか?
また場面が変わった。数日後かな?
ガシャァアアアアアアアアアーン!
『そうちゃん! そうちゃん! 死んじゃヤダぁああああああ! そうちゃぁぁぁぁーん!』
そうだ、あの日だ。
あれが俺たちの運命の分かれ目だったのか。
ついに記憶を取り戻した壮太。果たして、どうなってしまうのか?
ノエルルート? シエルルート? それともリラちゃんルート……は無いか。
待て、星奈と明日美はどうなる!?




