サレドの街
サレドの街
ニブルヘイム東門から出て一時間ほど移動すると国境関門町キルファが見えた。
車の移動時間はおおよそ馬車の半分から三分の二ほどの時間なので所要時間一時間は馬車の二時間である。
予定通りといった感じだった。
移動中一度魔物に遭遇したがラルフ達の手であっという間に討伐されたのも予想範囲だった。
水都へ向かう道中は比較的弱い魔物しか出ないのは周知の事実だったからだ。
ニブルヘイム側の門を通り向け普通ならばこの街で一泊するのが通常の旅道程だ。
というのも次の町までは馬車でだと八時間近くかかる距離なのでそれが普通なのだが俺たちの乗り物は馬車ではない。
ニブルヘイムを出たのは午前中とはいえ早朝ではない時間だった。
まだ午後にもなっていない時間だったので少しの補給と軽くトイレ休憩をはさんでからこの街を素通りすることにした。
車は目立つのだ。
それだけでなく休憩と称して町を下りればおれは囲まれるだろう。
それは勘弁してほしかった。
車での移動は少しの時間短縮できるので夕方には王都アクアリムの中継町サレドに到着するだろう。
サレドであればそれなりに高貴な身分用の宿もあるので一泊予定である。
キルファを東に抜けてしばらく外の景色は草原が広がっていたが徐々に湿原と化していく風景で水の国と呼ばれるだけはあると感心していた。
途中、キルファで買っていた昼食用の料理で食事休憩をはさんだがそれでも順調だった。
時折弱いランクの魔物と遭遇したようだがラルフ達の技量とレベルが高いせいもあるのか俺が呼ばれることもなく夕方には予定通りサレドの街の入り口である門に到着した。
検問を通り過ぎると今更のようにラルフが呟いた。
「やはり異世界の技術は素晴らしいですね。馬車ならここまではどうしても二日要する道程なのに一日もかからずに来ることが出来るとは…」
俺と瑞穂はその言葉に笑った。
「異世界ではもっと早く移動する手段もあるわ」
「この世界では良くても石畳の道なことが多いからデコボコだし、これでもゆっくり遅く移動しているほうだ」
「そうなのですね…」
「俺たちの居た異世界はここよりも科学技術がかなり進んでいる世界だったからな。向こうと比べると技術進歩は二百年ほど差がある。とは言え向こうには魔術系は原始人レベルだったから良し悪しだ」
「それだと傷などはどうやって治すのですか?」
傷や病などは魔術薬品や魔法で治すのがこの世界での一般的な治療なのでさすがに疑問に思ったようだった。
「痛みを消す薬品を使って専用のナイフと糸を使って縫い合わせるとか科学的に実証した薬を使うとかだな」
「ナイフで体を傷つけるのですか?」
「まあそうだな…」
布を縫うように糸を使うことに驚かれた。
「レイヤ様も縫われたことがおありなのですか?」
その言葉に瑞穂は微笑んだ。
「私も玲也も頼也も縫うほどの大けがは一度もないわ」
「そうですか…」
あからさまにホッと安堵した様子が見て取れた。
「でもそれではほとんど自然治癒ですよね。治るのに時間がかかるのではないのですか?」
「そうだな。この世界の魔法だと怪我なら一瞬で治ることを思えば時間は掛かるな。とは言え、それが当たり前だったから疑問にも思わないな。ここでも病は時間がかかるのと同じだからな」
そんな雑談をしていると窓からのぞき込んでくる人がいた。
視線をやるとどうやら門番が確認のために中を見ていたようだった。
窓にあるカーテンを少し開けて中から外を見やる。
それだけで俺の存在は十分すぎるほどに確認できる。
何しろ唯一無二の色素だ。
外の太陽の光が反射するように髪に当たる。
太陽に当たればなぜか明るさが増すのも特徴で、顔を知らなくても金髪は有名すぎるのだ。
そして他の者が髪を金髪に染めても生来のこの色素ほどには明るくはどうやっても染まらないという不思議現象がある。くすんだ色になるのだ。
その現象と共に金髪は世界中で誰もが知っている全の賢者の色。
門番もそれを見て驚き深々と頭を下げる。
無事に門を通り過ぎ宿泊予定の宿に到着した。
ちょうど日が傾き始め夕方の色を空は染めていた。
グレッグが車から降りて宿に向かう。
その間もしばらく待った。
車で目立つことはわかっていたがそれ以上に目立つのは自分であることは十分理解していたからだった。
しばらく待つとグレッグが帰ってきた。宿の者たちも数名で迎えるためなのか出てきた。
「レイヤ様、宿の準備が整いました」
グレッグがそう言ってきた。
「ああ」
ラルフが扉を開け降りると慇懃無礼に頭を下げてきた。クリストファたちは周囲に警戒の視線を向けていた。
俺は車から降りて目の前の宿を見上げた。
街の一等地に立つにもかかわらず広い敷地と共に豪華でありつつも警備性の高い宿と分かった。
視線を正面に移すと入り口付近に立っていた宿の責任者らしき人物が俺に声を掛けてきた。
「お待ち申し上げておりました。きょうはごゆるりとお過ごしくださいませ。我ら一同、誠心誠意をもって対応させていただきます」
揃うようにして頭を下げてきた。
「ああ、よろしく頼む。静かに過ごせれば幸いかな」
そうして宿に入り予定されていたVIPルームに案内された。
入って一言瑞穂が呟いた。
「すごい豪華な部屋ね」
「豪華はともかくとしてこの街で一番、警護で安心できる部屋だろうからな」
「レイヤ様もミズホ様も御身に何かあっては命の賢者様も気が気ではいられませんからね」
俺は中央の広いソファに遠慮せずドカリと腰を下ろした。
無意識に足を組んだ。ソファの背もたれの上に腕を載せる。
頭をソファに預け天井を見上げる。その視線は天井を見ていなかった。
「今回の訪問は公式なものだからな。自分の領域内で全の賢者の後継者にケガでもされれば命の賢者の沽券にかかわる。それだけでなく何かあれば今度こそ世界は立ち直れない。そういう事だろうな」
「勉強で教えられていたけど、本当に玲也の存在が重要なのね……」
瑞穂は改めて実感したような言葉をつぶやいた。
そんな瑞穂を見た。
「各賢者は知っているからな。再生後の別の体であっても、俺の心と体ごと正当に後継者として認められ、世界が認識している事実を」
「そうでございますね。レイヤ様がご帰還なされてから魔力も空気も重かったものが徐々にですが軽くなっているようですし」
隣に座った瑞穂が軽く頭を肩に乗せてきた。
想いを伝え合ってからというものの瑞穂の接触が増えていて自覚のない不安さが体温で安らぐのだろう。
両親を失ってから瑞穂は体温という形で心のバランスを取るくせがあった。
幼い頃は兄貴や母さんにも向けられたものだが俺の婚約者となってからは兄貴にも向かわなくなり俺だけになっているようだ。
俺はそんな瑞穂の頭を後ろから撫でた。
「心配するな。俺たちを守ってくれるものは一つじゃない」
「……………。私、玲也の役に立ちたい」
「瑞穂」
「守られるだけじゃなくて」
「瑞穂。役に立つから傍に居られるとかそんな事じゃない。瑞穂はそのままでありのままでいていいんだ。気にすることじゃない」
「無力が嫌なの…」
「……………。願うことは悪い事じゃない。この世界は心の強さが魔力に変換される世界。強い願いには自然と力が集まる」
「願い続ければ叶う?」
「相応にな」
その言葉に瑞穂はとても嬉しかったようで満面の笑みを浮かべてくれた。
そんな笑みにおれは射殺されてしまったかもしれない。
釣られるように笑みが浮かんだことは自覚した。
「明確にどう役に立ちたいのか考えろ。その希望を願いに変えればあるいは…」
瑞穂は少し考えた。
だが答えはすぐに出た。
瑞穂は玲也たち顔見知りにケガをしてほしくないと思った。
ケガなどで苦しんでほしくないと思った。
「私、玲也たちにケガをしてほしくない」
真摯な目をして俺を見ていた。
「瑞穂」
「失いたくない。一人は嫌なの。病気やけがで失うのはもう嫌なの。見ているだけは嫌。だから治したい」
「…………この世界は向こうよりも少しだけ命の価値が低い。事故率も高いから瑞穂はそう言うと思ったよ」
「ミズホ様ならばきっと聖女にお目覚め出来るはずです。レイヤ様の魔力を誰よりも取り込んでおられるのですから」
そう言ったラルフの言葉にレイヤは気がつき瑞穂は気がつかなかった。
「え?」
「ラルフ、お前な…」
「事実ではありませんか。口移しで魔力を注いでおられるのは」
その言葉に瑞穂が茹で上がってしまった。
「この世界でも屈指の癒しの力をお持ちになる全の賢者の血統の中でも最強と名高いレイヤ様の魔力を直に取り込んでおられるのですから、きっかけがあれば力は発現いたしましょう」
「きっかけ………?」
「はい、強い想い。強い願いなどです」
「深く考える必要なんてないぞ。きっかけなんて些細なものだったりするらしいからな」
「でも……」
「それよりも、いい時間なんだから、他にすることがあるだろ」
「そうですね。宿のディナーもじきにお呼びがかかる時間のようですし」
「御準備は整えてあります。後はお召し物を着替えていただくだけでございます」
そう言ってラルフの後ろには侍女が着替えを持っていた。
「お召し物は土埃などありますのでお召し替えを」
「ディナーだけなんだから簡単にしろよ?」
「そうはいきません」
「ニブルヘイムの沽券にかかわります」
「………ち」
その一連の言葉を見ていた瑞穂は不意に言った。
「生活魔法って便利よね。『クリーン』だっけ。体も物の汚れもそれ一つで綺麗になるなんて凄いわ」
生活魔法にはクリーンのほかにもトーチやライト、ウォッシュなどがある。効果はそのままで着火と光源、水源だ。他にもアイスなど生活に必要かつ便利な魔法が揃っている。
一般人にも普及しているものでこれらは学校などで覚えられるものだ。
旅に伴い衣類等は亜空間収納に納めてあるのを早々に取り出していたのでそれを侍女たちが取り出したのである。
衣類などは全て自分持ちだ。とは言え瑞穂の分は俺が持っているが持っているだけだ。
亜空間収納とは時間停止能力のこもった無限の容量を持つ。それは智の賢者の血筋の特権の能力で今は俺と兄貴と父王しか使えない。
だがこの世界にはその亜空間収納を模して造られた鞄がある。
マジックバッグと呼ばれるその鞄は無限の容量はないものの、容量の大きさで性能に差がある。
一般販売もされてはいるが高価で有名だ。
とは言え各賢者に仕えるものならば必須のものだ。
特に智の賢者に仕えるものは仕えているという前提条件の元、無料配布される。
解雇されたりして仕えなくなれば自動的に手元から消える仕組みだ。
二心あるものには手元に残ることがないので反逆者あぶり出しにも効果的だったりする。
当然だが今回の同行者は全員鞄持ちだ。
そうして瑞穂と二人してそれなりの服に着替えてディナーを堪能した。
宿から最高級ともいえるもてなしを受けてレイヤたちは十分満足のいく夜だった。
翌朝身だしなみを整えて朝食をとるために部屋を出て降りると宿の支配人が俺の姿を見つけて一礼をして近寄ってきた。
ラルフが声をかける。
「支配人、どうかしましたか?」
「実はこの街の領主様が御方様にお会いしたいと申しておりましてお伺いに参りました」
「我々は急ぐ旅の身です。命の賢者様も到着をお待ちの身ですのであまり時間は取れませんが?」
「領主様もそれは重々承知しておられます。ですがどうしてもとおっしゃられて理由をお聞きするとわたくし共では判断しかねました」
「理由?」
「領主様のご息女様が原因不明の病でお倒れになっておられるようです」
「………………薬でも効かないのか」
「そのようです。領主様はこの数日、高価な薬を多く取り寄せて息女様に処置なさっておいでだったようですが一向に回復する見込みがないのだとか」
「そんなときに俺の事を知ったのか」
「レイヤ様」
全の賢者は生死をつかさどる力がある。もっと言えばあらゆる怪我や病をいやす力に特化しているという事。
有名どころでは全ての自然を操る力を持っていることだがそれだけだ。
だが、各地の領主や賢者達には病をいやす力を持っているという事は知られている。
命の賢者でも怪我を直すことはできるが病は癒せない。
それが世界中で知られている原則である。
病をいやす力は基本、秘匿される。口外はできないように禁呪されている。
例外はある。
この支配人のように賢者たちと大いに関わる者、口外できないまでも事情を知らないと困る立場の者がいるからだ。
この支配人は現・命の賢者の従僕を務めていた経緯があり知っているのだ。
「朝食時でよければ構わん」
「予定を繰り下げることはできませんし、時間的に午後にはここを発つ予定ですからその間であれば可能でしょう」
「了解いたしました。そのようにお伝えいたします」
支配人はお辞儀をして早々に離れた。
俺たちはといえば予定されていた個室での朝食をとるために動き出した。
ラルフ達には場所が教えられているのか先導するようにしてその部屋に入る。
上座に案内されて座ると一緒に来た侍女と共に宿の給仕が料理を持ってやってくる。
テーブルに食事が並ぶといつものようにラルフが毒消しの魔法をかけてラルフが頷いて声を掛けた。
「レイヤ様」
「ああ」
そうして朝食を取り終える頃、領主がやってきた。
ここの領主はそれなりにやり手という噂がある。
というのもここの領主は領主を任される貴族でありながらも元A級冒険者なのでそれなりに貫禄がある。
初見は貫禄のある男だった。
領主になってまだ十年足らずだというから歳は40代後半といったところだろう。
元冒険者という事もあるのかスキのない身のこなしは納得がいった。
髪は茶髪で短髪、瞳の色はグレイがかっていた。口周りには立派な茶色い髭が貫録を際立たせていた。
「お忙しい日程の中、面会感謝いたします。自分はこの街の自治を任されているスコット=サレディクトと申します」
彼はジッと俺を見つめてきた。
その視線を俺は受け止めつつ、答えた。
「こんな朝早く申し訳ない。お初に御目にかかる。俺がレイヤ=ジルド=クロノス。全の賢者として戴冠を確約された者だ」
ラルフが言葉を引き取る。
「このような早朝でも面会に来られるというのは何か用がおありのようでございますが…?」
「私には亡き妻の忘れ形見の娘がおりましてね」
「支配人から聞いたな。病をもっておられるとか?」
そのラルフの言葉に頷いた彼はさらに言葉を続けた。
「はい、実はその娘の病がどのような薬も効かないというニブルヘイム独特の病だという事が判明いたしまして途方に暮れておりました折に御方様の訪問を聞きまして何とか手を尽くしたいと思い僭越ながらお願いに参りました」
その言葉を聞いたラルフは俺を見た。
「レイヤ様」
「あらゆる薬が効かないと言いましたか?」
「はい」
「……………。ニブルヘイムで知られる薬が効かない病というのは二つしかありません。いずれも刑罰として存在するものです」
「え」
俺のその言葉に領主スコットは驚いた。
「逆に言えばその二つの病は決して自然にかかる病ではないという事です」
スコットはその言葉に考え込んだ。
「人為的なものという事ですか…」
「そうです。二つの病は薬で治らない反面、ニブルヘイムの王である全の賢者の能力と教会の祝福ですぐに癒えてしまう病です」
「とはいえ、レイヤ様がご帰還されるまではラインハルト様の能力が低下していたため祝福さえも与えられない状態が続き、不治の病扱いだったことも事実です」
「そうなのか?」
「はい。我らがレイヤ様の元へ配置される直前に全の教会の神父様が祝福できると大騒ぎになった逸話がございます。そのおかげでラインハルト王もレイヤ様のご帰還を知られたので」
「全の教会へ行けば治ると?」
「普通ならばそうですが特殊なものになると教会では無理なものもありますので…」
「俺が直接行くほうが無難だろうな」
「ですが、人為的なものである以上レイヤ様に危険が及ぶかもしれません」
俺はラルフを見た。
「だろうな」
ラルフは大きなため息をついて呆れた。
そして首を横に振る。
「言い出したら聞かないところはお変わりがないようで………。仕方ありませんね。ですが警備対応で口外は出来る限り控えていただきたいです。スコット様」
領主スコットは深々と頭を下げた。
「ええ、もちろん口外は控えます。ありがとうございます!」
「時間的に午後にはここを発つ予定ですので午前中に領主屋敷に向かう事にしますがそれでも良いのならいうことになりますが?」
「はい、お願いいたします。早速準備いたしますのでこれにて失礼対します」
領主は嬉しそうにして退席していった。
そんな領主の去った先を俺はじっと見ていた。
「……………。なにか気になる事でも?」
「ああ、ニブルヘイムでしか罹らないはずの病がどうしてこの外の命の領域で罹ったのかが気になってな」
「それは……」
「あの二つの病は確かニブルヘイムでしか罹らない反面、ニブルヘイムから出られなくなる病でもあったと思ったんだけどな……」
「違う病だと…?」
「………知識としてしか、知らないことだから何か知らないことがあるのかもしれない。違う病の可能性も否定できないだろ」
「向かうのは危険では…」
「玲也もかかるんじゃないの?」
瑞穂がやっと言葉をはさんできた。
「それはない。全の賢者は基本的に、病は罹りにくい体質なんだ。俺は特に病気知らずだ。それはこの体になってから一番、瑞穂が知ってる事だろ」
「確かに玲也は病気にかかったことがないのは知ってるけど、理由があったのね…」
俺は頷いた。
「ああ、全の力の死の波動と生の波動に寄る病原体なんてそうそうない。兄貴も俺と力で繋がってるから俺ほどではないものの、罹りにくい。それは事実だ。病にかかる心配はないけど人為的という事が気になっていてな」
「罠だと?」
「おそらくは……な。だが放っておくわけにもいかない。ニブルヘイム外での発症は全の賢者の沽券にもかかわる」
「は」
「瑞穂は悪いけど護衛を残しておくからここで待っていてくれ」
「でも……」
「何が起こるか分からないからここのほうが安全だしな」
「…わかったわ。でも無茶はだめよ」
「ああ」
その後部屋に戻った俺は携帯を使って兄貴に連絡を入れた。
この領主の状況を説明した後もう少しニブルヘイムに関する事を聞きたかったからだった。
すると兄貴は一時間後に合流すると言って切れた。
どうやら詳細の情報を集めにかかっているらしい。
ニブルヘイムの地上でキリングを部下に取り立てたことを兄貴には教えてあったので集まっている情報を集めているものと思われた。
キッチリ一時間後に兄貴は部屋に現れた。
「キリング殿の話では上層部の腐敗が激しいとはいえ該当する病は厳重に管理しているらしく流出は考えられないそうだが一つだけ気になることがある」
「気になる事?」
「過去に一度だけ流出したことがあるという話だ」
「過去に流出?」
「それも二十年ほど前らしいから今回の病の原因ではないだろうが関係はあるかもしれないという話だ」
「二十年ほど前というと叔父貴の即位ってそれくらい前だろ?」
「どうやら即位のあわただしさで行方知らずになったことがあったらしい」
俺は考え込んでしまった。
そんな俺に話を続ける兄貴だった。
「その時は全部回収したらしいが回収忘れがあったとしてもおかしくはないだろうな」
「そうか……。その時の病が元になっているとしたら改変されているかもしれないな……」
「癒しに行くのか?」
「放ってはおけない。全の賢者の沽券にかかわる」
「相手が何を思って使ったのかは分からんが気を付けろ。この街にお前が一泊することはすぐに予想がつくからな」
「もちろん気を付けるさ」
「ミズホ様の事は我らにお任せください。王と共にお守りいたしますのでラルフ殿はレイヤ様の御身を」
そう言ってきたのはライヤと共に同行してきたファルガだった。背後には頷くように数名同行していた。
「恩に切ります」
そうしてライヤの居るうちにとおれは領主の館に向かうのである。
領主の館へは馬車を使った。
目立つ必要が無いからである。
フードを目深にかぶり、領主の館へ馬車が入ると屋敷の主から聞かされていたのか警備の者はラルフの顔を見てすぐに通してくれた。
ラルフ以外の者は警備の関係上ほぼ全員がフードをかぶっている。
俺を特定させないためだった。
館内に入ると領主が立って待っていた。
「お願いを聞いてくださり感謝いたします。早速ですが娘の部屋に案内いたします」
ラルフが頷いた。
案内された部屋に通されて初めておれはフードを取った。
それに従うように他の者もフードを下ろす。
おれはベッドに寝かされている領主の娘を見た。
今の俺よりも五歳ほど年上に見える彼女は酷く青白い体をしていて血色が悪かった。
その彼女の状態を見てラルフが呟いた。
「生命力を奪われるほうのようですね…」
「………ああ」
病には二通りがあり一つは生命力を奪う形なき病。
もう一つはあらゆる寄生虫に冒される毒タイプだった。
だが、何か違和感があるな…
「不穏な気配がする」
その言葉だけでラルフは頷いた。
「お任せを」
「頼む」
おれはそう言ってベッドに近寄る。
初めて使う祝福。それなのに手慣れたように女性に手を翳して祝福の力を使った。
掌から光が現れる。
『罪人に罪の恩赦と祝福を』
その光は瞬く間に女性を包み込んでいく。
途中まではいつもの祝福のようにうまくいっていた。
だが途中から状況が変化していった。
不穏な気配が女性から漂ったかと思えば一瞬にして周囲を覆い黒い何かに形を成してレイヤに襲ってきた。
反射的に俺は下げていた剣でそれを両断していた。
だがそれは一つではなかった。
何本もの縄のような黒いものが周囲をうごめいていた。
それは女性を取り囲むように蠢き、一番近くにいた俺の足をすくい取る形で襲ってきた。
俺の近くにいたラルフ達にも襲い掛かり拘束しにかかっているのだが、縄を切るように俺もラルフ達も拘束から逃れていた。
が、それ以上に縄の再生が尋常でなく見る見るうちに元に戻るので事態は徐々に悪化していた。
やがてそれは俺の拘束という形で悪化したのだ。
三本以上の黒い縄に拘束された俺は身動きが取れなくなった。
拘束された縄から力が抜ける感覚が俺を襲った。
「………くっ!」
さすがにうめき声が漏れた。
魔力を吸収してやがる!
危機感を感じた俺は意識的に鎌を出現させた。
この鎌、持ち主には一切傷をつけることはない武器だ。それだけでなく持っていなくても自在に操り操作できる。
全の力の結晶ともいえるものなのでこの武器も生死を操れる力がある。
俺は気負うことなく俺自身に向かって鎌を振り回す。
鎌の刃は俺を傷つけることなく縄を断ち切った。
同時に軽く宙に浮いていた俺は床に降りた。
反射的に柄を握り、ベッド上の女性に向けて鎌を振りぬいた。
「な!」
さすがに扉前に立っていた領主が驚きの声をあげた。
一閃、二閃と五回ほど振りぬいた後、止めた。
不思議なことにベッドはおろか女性すら傷はついていなかった。
「………………」
鎌を握ったまま女性に注視していると女性の胸の辺りから再び黒い霧のようなものが立ち込めてくる。
体内の魔力を注視していると胸の奥に黒い種を見つけた。
その種はおぞましい力を持っていた。
黒い霧は再び俺を拘束しようと取り囲みだすがそれはラルフ達に阻まれた。
「俺という上質な魔力を見つけたな…」
「レイヤ様」
「心配いらん。この者は必ず治す」
おれは鎌を持つ手を持ち換え、両手で持った。
慎重に鎌の切っ先を女性の胸の種に向けて刺し貫く。
不思議なことに鎌は女性の体を傷つけていなかった。
種を刺し貫いた後、そのまま種を刺したまま鎌を引き抜いた。
鎌の先には種が取り出されていた。
「それは……?」
「おそらくこれが元凶だろう。これには魔力と生命力を吸って成長するようだ」
「…………呪詛にも近いような感じがしますね」
「これは病が結晶化した物だろうな。ただの病ではないようだ」
そんな種を注視しているとベッドからうめき声が上がる。
「……………う………」
おれはそのまま鎌を持ったまま女性を見た。
すると目を覚ましたその女性と目が合った。
「気がついたな」
「……………私……?」
領主が声を荒げた。
「ルルファ、気がついたか。良かった!」
「お父様…?」
領主が娘に近寄ろうとして俺が遮る。
「根治したか調べてからだ」
「あ…………」
領主はその言葉にハッとなった。
「ジッとしていろ」
俺は女性の体内の魔力と生命力に注視していた。
体内には種の残りは欠片もなかったが、問題が生じていた。
種の在った場所には大きな穴が開いていたのである。
鎌の持つ手を左に持ち替え、右手を女性の体に翳した。
本当は触れることで癒しが促進できるんだが、女性に触るわけにはいかないしな……
近くに寄ったせいだろう。女性は俺が誰なのか気がついたようだった。
「貴方様は……!」
「動くな。動くと治癒に障りが出る」
その言葉に彼女はじっとしていてくれた。
しばらくして癒しが完了したので翳していた掌を鎌に添えて持つ。
鎌に刺さったままの種に視線を移した。
鎌に刺したままで種の情報を鎌に覚えさせてから無に帰した。
種は霧散して消えたのである。そのまま鎌を格納する。
「もう、心配はいらん。根治したのでな」
「ありがとうございます!」
領主は酷く喜んだ。
俺は首を横に振った。
「治癒はしたが今日明日は安静にしていたほうが良い」
「はい、ありがとうございます」
ほくほく顔で領主は答えた。
「せっかくですのでお茶をご用意いたしますので休憩なさってはどうですか?」
「いや、せっかくのご厚意だが宿にまたせているのでな。その心使いは受け取っていきますよ」
「そうですか…」
領主スコットは酷く残念そうな顔をした。
そんな顔を俺は気にせず踵を返して部屋を出ようとしたとき再び声が掛かる。
「あの!」
女性の声だったので患者の女性だろうと振り向くと彼女はベッドから起き上がってこちらを見ていた。
「なんでしょうか?」
女性は少し朱に染まった頬を隠すように声を紡いだ。
「貴方様に感謝をしてもしきれません。本当にありがとうございました!」
その時ふと気がついた。
人為的な病である以上術師と会っているのではないかと気がついた。
「一つだけ聞いてもいいですか?」
「はい?」
「今回の病にかかる前に不審な存在や、見知らぬ人と接触しませんでしたか?」
「見知らぬ人………。そう言えば知らない男性から言い寄られたことが一度だけありましたわ」
ラルフは驚きさらに聞いた。
「どんな男性ですか?」
「深い藍色の髪をした少年のような男性ですわ。その時に花を受け取ってしまったのですが今から考えると少し怖い目つきの人だったので覚えております」
「その花は?」
女性は部屋の片隅にある一凛の花瓶の花に視線を送った。
「あの花がそうですの…」
「レイヤ様」
俺はその花に違和感を持った。
近寄ることなくその花に手のひらを向けて調べるために力を込めた。
すると力を受けたその花は瞬く間に枯れた。
「……………。やはりな。運び手になったらしいな」
「運び手……ですか」
「花に病が付けられていたようだ。花に触れた初めの者に感染するように条件づけられていたみたいだ。調べられるとすぐに枯れるようになっていたところを見ても意図的に感染させたようだな」
「それでは……」
「証拠隠滅ということだ」
「計画性があるという事ですな?」
領主スコットが口をはさんだ。
「ああ、俺かもしれないが、貴殿らかもしれない。重々気を付けたほうが良い。狡猾さがありそうだ」
「心使い感謝いたします」
そして挨拶もそこそこに俺は屋敷を後にした。
迎えに来ていた馬車で宿にもとるとそれなりに時間が経っていたのか昼になっていた。
ラルフ達に出立の準備をさせておれは部屋に戻る。
だが、そこには瑞穂がいなかった。
「あれ、瑞穂?」
部屋をひと見まわしてどこにもいないのを確認してソファに座った。
先程の事を思い浮かべていた。
何が目的だったのか……調べる力を向けた途端に枯れたという事は全の力に反応したのか?
天井を見上げた。天井には繊細な文様の天井があった。
水都に向かうにはこの街に立ち寄ることも理解していただろうからやはり俺が目的か……
しばらくして天井を見ることを止めて座りなおして両腕を組んだ。
おれだとして、何がしたかったのか………。力を見定めたかったのかもしれんな
どれだけの力を持っているのか、本当に冥王の後継者なのかを把握したかったのかもしれないと思った。
静かな室内でじっと座っていると当然だが力を使った関係からか睡魔が俺を襲った。
少しだけ仮眠することにして俺はそのまま眼を閉じた。




