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バケモノと呼ばれた小説家 ~最強用心棒の取り戻したい日常~

作者: 高美濃 四間

 とある地方都市の裏には、無法地帯がある。

 個人で仲間を集めて創業した、様々な自称金融業者が乱立し、華やかな都市の裏側から知恵なき人々の金を搾取していく。


 その夜も、繁華街のあやしく仄暗いあかりの影に隠れ、火花を散らす者たちがいた。


「――クソッ! 待てやっ!」


 ドスの利いた声で怒鳴り獲物を追いかける屈強な男たち。

 サングラスにスキンヘッドの男、ライダースジャケットを着た金髪の青年、金色の龍の刺繍がある黒のジャケットを羽織った色黒男と、他にも三人ほど、それぞれが派手な恰好でまっとうな社会人には見えなかった。


「うるせえぇっ!」


 必死に逃げる二人の青年。

 一人はフォーマルな雰囲気の紺のビジネススーツを着た男で髪はオールバック。

 もう一人は、グレーのスーツを着崩し、中には黒と白のストライプのシャツを着た茶髪の青年。


 彼らは繁華街から離れ、寂れた商店街を越え、薄暗い路地裏を走り抜けてとうとう立ち止まった。

 行き止まりだ。


「ちっ」


 茶髪の青年が舌打ちして背後を見やる。

 既に追手の六人が追いつき、じわじわと二人へ歩み寄ってきていた。


「さっさと観念しろや」


 スキンヘッドの男が額に青筋を浮かべ、殺意のこもった目を向ける。

 青年も負けじと睨み返していたが、追手の中から一人の男が前に出た。

 彼は高級そうな黒のスーツの中に、トラ柄のシャツを合わせた長身痩躯ちょうしんそうく。長い銀髪を後ろで一つに束ね、俳優のように整った顔立ちをしている。


「俺は『コモスパ』の幹部『新城しんじょう』だ。言いたいことは分かるな?」


「なんのことか分かりませんね」


 オールバックの男が毅然と言い返す。

 すると、新城の横で金髪の若い男が叫んだ。


「しらばっくれてんじゃねぇぞ! コラァッ!」


「抑えろユージ。おい、あんたらがうちの商売にケチつけたことは分かってんだよ、『金翼きんよく』の社長『黒田くろだ』さんよぉ」


「ちっ……」


 黒田と呼ばれたオールバックの男が舌打ちする。

 金翼という会社は、近くの寂れた商店街に小さな事務所を構える金融の会社だ。

 主にFXや株式投資などのトレードに関する教育をオンラインで行う事業。ブログやSNSなどで客を捕まえ、『誰でも簡単に儲かる』といった甘い言葉で誘導し、高額の情報商材を売りつけるといった商売で荒稼ぎしている。


 そして今、追いかけてきた男たちは、『コモナスーパーローン』、通称『コモスパ』という会社の社員だ。

 事業としては、まっとうな金融会社からは融資を断られるような、わけありの人へ高金利で金を貸すという事業を行っていた。


 本来であれば、金翼とコモスパは競合というわけではなかったが、コモスパが新たに金融教育の情報商材を売り始め、金翼の売り上げが減少し始めてしまった。

 そこで金翼は、コモスパのマイナスになるような情報を流し、コモスパへの客の流入を防ごうとしているのだ。


「もちろん、俺たちの世界では日常茶飯事のこと。けどな、自分たちがやられて、はいそうですか仕方ないですねって言えると思うか?」


 新城がそう言っているうちに、部下の五人が金翼の二人へにじり寄っていく。

 絶体絶命の状況だというのに、黒田はなぜか余裕の表情を浮かべていた――


「――待て」


 そこに金翼でもコモスパでもない、第三者の声が響いた。

 その抑揚のない冷めた声の主は、新城の後ろから現れる。

 その男は、黒のファー付きモッズコートに黒のスキニーといった出で立ちで、フードを深く被り正体を隠していた。

 二メートル近い長身で、体つきは細く見えるがどっしりとした存在感を放っている。


「……やっと来たか」


 黒田がほくそ笑む。


「何者だっ!?」


 新城が威圧を込めた怒声を発するが、乱入者の男はなにも言わず、彼らへと歩き始める。

 金翼の二人に近づこうとしていた男たちのうち、二人が乱入者へと方向転換し駆け出す。


「この野郎! スカしてられんのも今のうちだ!」


 新城の横を駆け抜け、二人同時に襲い掛かる。


「……」


 男は立ち止まり、襲い掛かる二人を見た。

 フードの奥で瞳が赤く光る。


 顔面狙いで放たれたストレート。それを見切り顔を逸らすだけで回避。

 もう片方の拳は、鳩尾を狙って下から振り上げられたが、その手首を掴み止める。


「なにっ!?」

「くっ!」


 二人は一瞬硬直する。そしてその一瞬が命取り――


「――かはっ……」


 男は、体ごと掴んだ腕を引き、その腹に膝蹴りを叩き込んだ。

 そしてそのまま相手の顔を側面から押しのけ、硬直していたもう一人の男の方へとぶつける。彼はよろけるが仲間の体重を横へと受け流し、転倒せずに済んだ――


「――ぐぁっ!?」


 前を向いたときには、側頭部に回転蹴りが炸裂していた。

 二人の男を倒した乱入者が着地すると、フードが外れその相貌があらわになる。

 目にかかるほど伸びた金髪に、燃えるような深紅の瞳。肌は白く整った顔立ちだが、殺し屋のような鋭い目つきで威圧感が尋常でない。

 それを見たドレッドの色黒男が動揺したように叫んだ。


「あ、あいつはっ!?」


「なんだ、知ってるのか?」


「あ、ああ……噂に聞いたことがある。最強の用心棒『笠野かさの龍一りゅういち』だ。通称『バケモノ』……」


「な、なに!? アイツが噂の……」


「なにがバケモノだっ! 寝惚けたこと言ってないで、さっさと始末しろ!」


 額に青筋を浮かべ、憤怒の表情を浮かべた新城が日和ひよっている部下たちへ怒鳴る。

 部下たちは慌ててきびすを返し、バケモノと呼ばれた男……龍一へと駆け出した。


「お前ら! 容赦はいらねぇ!」


 先頭を走るスキンヘッドの男がそう言うと、三人とも懐からナイフを出す。

 龍一へ迫る三人の屈強な男たち。スキンヘッドの男、ドレッドヘアーの色黒男、金髪オールバックの男。それぞれがナイフを光らせ、一直線に迫る。

 龍一は冷静に見極める。三人の足の速さはバラバラ。誰が最初に自分の攻撃範囲に到達するのか。


「はっ!」


 龍一は短く息を吐き、その長い足を振り上げる。


「うぐっ!」


 ブーツの爪先は見事、ドレッドヘアーの男の手首に直撃し、ナイフを落とさせる。敵は衝撃でよろめき、すぐ左斜め後ろを走っていた男へ接触。二人の動きが止まる。

 龍一は地を蹴り反撃に出た。


「くっ、このおぉぉぉ!」


 急接近する龍一の胸へナイフを突き出す金髪オールバック。

 龍一は腕を真下から入れ、ナイフを持つ敵の腕を斜め上に押しのける。ナイフは肩を掠めたものの、大きく軌道が反れた。

 すぐに掌底を鳩尾に叩き込み膝をつかせる。


「っ! かはっ!」


「う、うおぉぉぉぉぉっ!」


 獣のような雄たけびを上げ、スキンヘッドの男がナイフを振りかざしてくるが、大振りなため動きが遅い。

 龍一はステップを踏んで軽々と避けていく。

 そして、上段で薙いできた瞬間、カウンターのサマーソルト。


 ――バコンッ!


 小気味良い音を立て、巨体が吹き飛ぶ。

 ドスンッと重量感のある音が響き、その場に静寂が訪れた。

 ドレッドヘアーの男は、蹴られた手首を押さえ片膝を地につき、怯えた目で龍一を見上げている。

 新城は目を見開き、必死に思考を巡らせているようだ。

 そんな新城へ、黒田が微笑みかける。


「勝負あり、ですね」


「お前ら……こんなことしてタダで済むと思っているのか?」


「なに言ってんだ!? 正当防衛だろうが!」


 黒田の横で部下の青年が吠える。


「違う。先に仕掛けてきたのはお前らだ」


「そういうことにしておきましょう。警察にでもなんでも相談してください」


 黒田があざ笑うかのように薄っすらと笑みを浮かべ言い返す。

 正規の組織に介入を求められないことは、闇の世界に生きる彼らが一番よく分かっていた。

 新城はそれ以上なにも言い返さず、部下たちへ引き上げるよう告げると、彼らと共に去って行った。

 そしてすれ違いざまに龍一の顔を睨みつけたが、彼は見向きもしなかった。


「――助かりました。報酬についてはすぐに口座へ振り込みますので、今後ともよろしくお願いします」


「……ああ」


 依頼主の仰々しい礼にも素っ気なく返し、その部下の羨望の眼差しを受けながら龍一は歩き去るのだった。


 この闇の世界では、このようないざこざは日常茶飯事。そしてそれに介入するのが『用心棒』。

 この職種も以前は大勢いたが、龍一が敵の用心棒を再起不能にさせたり、自分への恐怖心を植え付けたりして競争相手を減らしていった。

 その結果、ついた名が『バケモノ』だ。


 龍一は好きで強くなったわけではない。

 金髪に深紅の瞳、その特異な見た目のせいで昔からいじめに合い、目つきが悪いせいで不良に絡まれることもしょっちゅう。


 しかしあるとき、両親が事故で亡くなり天涯孤独となってからは、狂ったかのように強くなろうとした。

 恵まれた体格とストイックな性格のおかげもあり、気付いたときには喧嘩で負けることはなくなっていた。


 そんなあるとき、力加減を誤って人に大怪我をさせてしまう。

 そのせいで引っ越すことになり、この町に逃げこんだ。


 誰かの後ろ盾もなく、金もなかった龍一は、この闇の社会に引きずり込まれ、借金の取り立てに追いつめられた。

 そのとき、屈強な男たちを返り討ちにしたことで、名をせ用心棒としての道を歩み始めたのだ。


「……つまらねぇな」


 笠野隆一は現在、二十二歳。

 用心棒の仕事は主に夜が多いため、日中は狭いボロアパートで趣味にいそしんでいる。


 趣味は小説を書くことだった。

 きっかけは、商店街で売っていた小説を読み不覚にも感動してしまったからだ。

 世の中には、文字だけでこうも人の心を動かせるのかと。自分も暴力でなく、言葉で人を動かしてみたいと思った。


 その日もパソコンで物語を書いていると、玄関でチャイムが鳴った。


「……」


 龍一は一歩も動かない。

 しばらくすると再びチャイムが鳴る。

 それでも動かない。

 しばらくしてまたチャイムが鳴る。そのすぐ後に、女の子の声が聞こえてきた。


「バケモノせんせー!」


「………………くそ」


 龍一はため息を吐く。

 あの女、留守の可能性は頭の片隅にもないのかと。

 いくら自分の本名を隠して、バケモノですと自己紹介したにしても、あの頭の悪い呼び方はどうにかならないものか。


 チャイムはいつになっても鳴り止まない。

 龍一はやむを得ず立ち上がり、のっそりと玄関まで歩いていく。


 ガチャッと音を立て扉を開けると、目の前に立っていたのは愛らしい笑みを浮かべた小柄な女の子だった。

 ピンクと白の縞々シャツの上に、大きめな白のパーカーを羽織り、赤いチェックのスカートを履いている。見た目は中学生ぐらいに見えるが、実は高校二年生。名前は淡谷あわや雪菜ゆきな

 龍一は面倒くさそうにため息を吐くと、ぶっきらぼうに言い放った。


「んだよ……ストーカーばっかしてっと、警察に突き出すぞ」


「その場合、おまわりさんは私と先生、どちらの味方になるんでしょうか?」


「ちっ……」


 龍一は内心で思った。「こいつ、分かってやがる」と。


「それよりも、いつになったら私を鍛えてくれるんですか!? 先生!」


 龍一は後頭部をかく。

 なぜ闇の世界に生きる強面こわもての龍一が、こんな年下につきまとわれているのかというと、夜の繁華街で不良に絡まれていた彼女を助けてしまったことに端を発する。

 彼女は龍一の強さに感動し、自分を弟子にしてくれと懇願してきた。


 もちろん龍一は軽くあしらって去ったが、それからも龍一を探して毎晩繁華街に来るようになったため、やむを得ず保護し理由を聞いた。

 彼女は学校でいじめられており、それで強くなりたいと語った。

 やめとけと一蹴した龍一だったが、いつの間にか家の場所を割り出され、頻繁に来るようになってしまったのだ。


「――帰れ」


 龍一は低い声で返し、強引に扉を閉めようとした。


「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ~」


 雪菜は泣き声になりながら扉の端を両手で掴み抵抗しようとする。

 龍一は焦った。そんなところを掴んでは扉が閉まったときに指を挟んで大怪我をするではないかと。


「おいっバカ!」


 龍一は力を緩める。すると雪菜は、扉を半開きのところまでこじ開け、体を滑り込ませて侵入してきた。


「ちょっ待っ!」


「ありがとうございます、先生!」


 雪菜は流れるような所作で玄関に上がると、「えへへ」と笑った。

 リボン付きの白い靴は、ご丁寧に揃えられ龍一の方を向いている。


「てめぇ、不法侵入じゃねぇかよ」


 龍一が扉を閉め額に青筋を立てて振り返るが、雪菜は笑顔で首を傾げた。

 自分の入室を許してもらったと本気で信じているようだ。


「はぁ……だいたいなぁ、俺みたいな人相の悪い奴と一緒にいたりしたら、お前にとって良くない噂が流れるぞ」


「あっそういえば、この間バケモノ先生と夜歩いてるの、いじめっ子のリーダーに見られてしまいました……」


 龍一の背筋が凍りつく。もしその時、警察を呼ばれていたら危なかった。見たというのがいじっめっ子で本当に良かったと思う。

 龍一は平静を装って言った。


「分かったか? 誰がどこで見ているか分からないんだ。今よりもっといじめられるようになるぞ」


「いえ、うらやましがられて、先生のことをたくさん聞かれましたよ? 金髪で綺麗な赤い目をしてて、背も高くてちょーカッコいいって言ってました。で、それで話題になって、みんなから色々聞かれてるうちに仲良くなっちゃいました」


 雪菜はVサインを龍一へ突き出す。

 龍一は思わずツッコんだ。


「いじめの悩み、もう解決してんじゃねぇか!」


 雪菜はハッとして慌てて口を塞ぐ。

 彼女は目を泳がせながら、ぎこちない動作で回れ右をした。


「そ、そんなことよりも、先生のお部屋見たいです」


 そのままそそくさと奥の部屋へ侵入する。

 龍一はどっと疲れた。年下の異性の相手は得意じゃない。だが根の優しい彼は、強引に突っぱねることもできないでいた。


 龍一がどうしたものかと腕を組み、思案しながら部屋に戻ると、雪菜が固まっていた。

 彼女が静かに食い入るように見ていたのは、パソコンの画面ーー


「ーーっ!!」


 龍一の全身から大量の汗が噴き出す。雪菜の奇襲のせいでパソコンをスリープモードにし忘れていたのだ。

 今、画面上には龍一の妄想が羅列されている。


「おい小娘……」


 龍一は恥ずかしいやら憎たらしいやらで、般若のような形相になり低い声で呼び止める。もし笑おうものなら家からつまみ出すつもりだ。

 すると雪菜は、勢いよく龍一へ顔を向けた。その目はキラキラと輝いている。


「先生! 凄いです!」


「……は?」


「これ、先生が書いたんですよね!?」


「あ、あぁ……」


「凄い凄い!」


 雪菜はなにやら凄く興奮している。


「おい、少しは落ち着け」


「あっ、す、すみません」


 雪菜は、あははと苦笑して呼吸を整える。


「もしかして、出版とかもされてるんですか?」


「いや……」


 龍一はバツが悪そうに目を逸らした。


「じゃあっ! 私が一番最初のファンになります! 私、応援してますね、バケモノ先生」


 そのとき、龍一は言いようのない感覚を覚えていた。初めて誰かに自分の趣味を認められ、ただただ嬉しかった。これまでの人生ではありえなかった感覚だ。

 龍一はなんとなく気恥ずかしくなり、満面の笑みを向けてくる雪菜から目を逸らした。


「……勝手にしろ」


 それから、雪菜はまた頻繁に来るようになり、龍一の小説を読んでは感想や誤字脱字などを指摘してくるようになった。

 だが龍一は、もう雪菜を追い返そうとはしない。

 彼女と過ごす時間はどこか心地良く、かけがえのない日常となっていたのだ。



…………………………



 それからしばらくして、龍一は「金翼が潰れた」という不穏な噂を聞いた。

 どうやら、コモスパの連中が金翼の顧客に対して直接圧力をかけ収入源を断ったようだ。

 コモスパの……いや、新城の執念は恐ろしい。

 自分に恥をかかせた者は決して許さず、なにがなんでも報復を果たそうとするタイプだ。

 しかし龍一は自分には関係のないことだと断じ、気にも留めなかった。


 その日、来るはずだった雪菜が来なかった。先日、来ると言っていた日だ。

 とはいえ、おっちょこちょいな彼女のことだ。日にちを間違ったのかもしれない。

 そういうことはたまにあった。


「――まさか、な……」


 そのとき、なぜかコモスパの新城の顔が思い浮かんだ。

 龍一は首を横に振り、嫌な予感を振り払う。


 ――翌日も雪菜は来なかった。


 今まで毎週来ていた雪菜が来なかったのはこれが初めて。

 龍一はなんだか不安になった。今まで他人に興味を持たなかった龍一にとって初めての感情だ。

 そのとき初めて、雪菜の存在が自分の中で大きくなっていたことに気付く。


「ちっ!」


 龍一は荒ぶる感情を抑えて家を出ると、夜の寂れた商店街を颯爽と歩いていく。

 金髪は目立つため、フードをかぶりコモスパの事務所へ。


「――なんだ?」


 寂れた商店街にしては外装の綺麗な低層マンション。その二階にコモスパの事務所はあった。

 しかし今、マンションの前にはパトカーが複数台止まっていた。

 胸騒ぎのした龍一は、周囲の見物人に近づく。


「なにがあった?」


 龍一が問うと、中年の女が振り向いて顔をしかめた。

 見たことがある顔だった。

 近くのスナックでママをしている女だ。


「……なんかね、未成年の女の子を監禁していたらしいんだよ。それでその首謀者だっていう男がさっき連行されて……」


 龍一は目を見開き息を呑む。そして、声を震わせながら尋ねた。


「その男は、銀髪の長い髪だったか?」


「……そうだよ。どうしてそんなこと知ってるんだい?」


「いや、印象に残っていただけだ」


 女の不審なものを見る目に、限界だと感じた龍一はその場を離れた。

 警察に捕まったのは新城で間違いない。

 そして、監禁されていた少女というのは――


「――くそっ!」


 誰もいない真っ暗な路地裏に龍一の怒声が響く。

 彼女の安否を確かめたいが、警察に聞いた途端にアウトだ。

 この風貌では疑いの目を向けられる上に、身の上を詮索されては危ない。

 後でコモスパの連中に聞くにしても、答えはしないだろう。

 今はまたいつか、雪菜が元気になって家を訪ねてくれるのを待つしかなかった。


 しかし雪菜は、二度と戻って来なかった。

 結局、コモスパは芋づる式に悪事があばかれ全員逮捕。


 龍一は、なにもできなかった自分の弱い心にふたをして、小説を書くことに躍起になった。

 自分のこの悲しみを、後悔を、物語にすることで雪菜が喜んでくれる。そう思うようにしたのだ。


 絶望の日々は新たな日常となり、月日は流れる。

 龍一はとうとう出版することになった。

 どうやら、リアリティのある悲劇のストーリーが出版社に受けたようだ。

 校正やカバー作成なども順調に進み、半年後には出版できた。


 ……皮肉にも、龍一の悲劇を描いた物語は売れ行きが良かった。

 自分へのいましめとして、ペンネームを『バケモノ』としたこともあり、ネーミングでも話題に上ることになる。



 …………………………



 その日、龍一は黙々とファンレターを読んでいた。

 非情にも、次の作品を書くためには読者の反応も知らなければならないのだ。


「………………」


 この本が良かったと言われるたび、胸が締め付けられるような思いだった。


「……これは……」


 龍一が無心で読んでいると、ふと目が止まる。

 そこに書かかれていたのは、「応援してますね、バケモノ先生(・・・・・・)」というありふれた文章。

 しかし、りし日の情景が脳裏に浮かぶ。

 以前、彼女が自分の初めてのファンになってくれた日、言われたのと同じ言葉。


「っ!」


 龍一がその手紙の差出人を見るとこう書かれていた『淡谷雪菜』と。

 すぐに手紙を最初から読み返す。

 そこには、彼女の苦悩が書かれていた。


「っ!! 雪菜っ……」


 龍一の頬を涙がつたう。

 彼女の苦悩とは、『記憶喪失』だった。

 一年前、とある事件に巻き込まれ、そのときのショックで記憶を失ってしまったのだと。

 それ以来、思い出したくても思い出せない大事なことがあり、それで苦しんでいたとつづられている。

 そして、この本を読んで、もう少しで思い出せそうだと言っていた。


 ――ガタンッ!


 龍一が立ち上がり、外出の支度を始める。

 今度こそ雪菜に会おうと誓った。

 『バケモノ先生』のもう一つの意味を思い出させるために、かけがえのない日常を取り戻すために――


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