Ep.2 眠りネズミと変わる世界 - 4
【ノクアリ・桜木弓 ソログラビアデビュー! Supported By.ディアコーヒー】という見出しとコーヒーカップを片手に微笑む弓が表紙を飾るヤングパンプ6月号が全国のコンビニや書店で売り出された初日。件の雑誌はもちろんギフトピュール芸能事務所にも並べられていた。事務所三階・待合室も兼ねて併設されている休憩スペースで、その雑誌を囲みわいわいと騒ぐ集団を牧野は苦笑いを浮かべつつ見守っていた。
「ほぉー『弓とコーヒー、どっちも好き?』ねぇーーーー」
「ひゃーーー、これはえっち通り越してスケベですね! 弓ちゃんはフェチズムの何たるかをカンッペキに理解してます。木乃香大興奮です!」
巻頭グラビアの最後のページには、アイスコーヒーを上半身に滴らせて微笑む弓の写真が掲載されていた。やや伏し目がちな瞳が切なげながらも煽情的で目を引くカットである。
「はぁーーーー、弓がソログラビアってだけでも先を越されて悔しいのに! めちゃくちゃいい写真なのがさらにむかつくーーーッ!!」
「双葉ちゃんあの日荒れてましたもんね~。でもいい写真って認めちゃうところが双葉ちゃんのかわいさですよ。おっぱいも同じくらいかわいいですケド」
「うるさーい! スレンダーって言いなさい!」
「スレンダー美人ポジは梓ちゃんが該当するので、やっぱり双葉ちゃんはちっぱいポジです。これは変わりませんし譲りませんし覆りません」
「ふ、ふたりとも……そのあたりで……」
初グラビアの感想(もとい、いつものやり取り)を目の前で聞きながら、弓は小さくなっていた。桜木弓としてできることをやったし、良い結果になったとはいえ、気恥ずかしいものは気恥ずかしいのだ。一方で、梓が自腹で買ったという電子版の雑誌をタブレットで見ていた。その傍らには愛理もいる。
「せやけど、ほんまにええ写真。弓の肌が白いからコーヒーの色が余計綺麗に見えるわ。ここまで考えられたグラビアもなかなかないやんね」
「コレ、事故だって聞いたわよ」
「あら、そうなん?」
真偽を問う梓からの視線に弓は応える。
「うん。最後のカットを撮る前にアクシデントで。でも、せっかくだしこのまま撮ってもいんじゃないかなって」
「ほぉおおん、自らえちえちの神にその身を捧げたと……なるほど……」
「着替えは後からでもできましたし……」
「それに、弓ちゃんの提案で現場の空気もグッと良くなったんですよ。はい、これみんなで食べてください」
有名洋菓子店のクッキー缶を片手に牧野が話に入り込む。
「あの瞬間はどうなるかと思いましたけど、本当に助かりました! 先方からも丁寧なお礼と謝罪が届きまして……」
そう言って、トントンとクッキー缶を指で叩く。なるほど、そういうことか、とそれぞれが好みの菓子を手に取る。つまるところ、このクッキー缶はお詫びの品である。
「ピンチをチャンスに……弓はさすがやわぁ。そんなん怒るか泣くかしてもおかしないのに」
「いやー、木乃香なら絶望してますね。頭のなかパニックになってワニワニ大集合……」
「は? ワニ?」
「モノノ例エデス。フタバチャン真顔ヤメテクダサイ。ウマ、クッキーウマ」
「でも木乃香の言う通りやん。弓も少しくらい焦ったりせんかった?」
「驚きはしたけど、でも――」
――でも、桜木弓ならどうするかなってすぐに考えることができたから。そう言いかけて弓は口を噤む。
「でも、なんだろう……あの時は閃いたんです」
ふふっと笑う弓を見て、梓もまたうんうんと口を開く。
「……そのおかげやんね。アノニマスでもめっちゃ話題になっとる。ヤンパン売り切れで買えへんみたいよ」
「梓ちゃん、それ本当ですか!?」
「牧野さん落ち着いて、ほんまやで。少し検索しただけでこれや」
梓はタブレットにアノニマスの検索画面を表示させて牧野に差し出す。スッ、スッとひとつひとつ読むごとに牧野の指先は喜びで震えた。
「す、すごい……っ!! 今すぐノクアリのオフィシャレートからお礼のメッセージ出さないと! あ、弓ちゃん。一言メッセージが欲しいので一緒に来てくれますか?」
「わ、わかりました!」
牧野に連れられて弓は休憩スペースを後にする。
「ひゃー。ほんとにすっごいですネ。アノニマスは優しい世界ですけど、ここまで大反響は久しぶりに見ました」
自身のスマートフォンで検索していた木乃香も驚きの声をあげた。
「ふふ、優しい世界。物は言いようやね」
梓は木乃香の言葉を掬いだして薄く微笑む。
アノニマスと呼ばれる大型掲示板が『優しい世界』と呼ばれる所以は、システムに組み込まれた高性能トップダウン型AIが発信された情報をコンマ0秒の単位で自動検閲し、誹謗中傷をはじめとした問題が生じる可能性のある投稿を未然に防いでいるからである。厄介なことに一度でも検閲に引っかかるとアカウントが停止されてしまうため、人々は自らの発言に対し過剰なまでに注意するようになった――そして生まれたのが誰も傷つけないマジョリティな意見で満たされた『優しい世界』なのであった。
その優しい世界は優しい言葉で溢れている。人の尊厳を傷つけず、協調性を持ち、いつのまにか右にならえ。
そんな場所で生まれた言葉はどこの誰にも響かなくなるのではないか――この疑問ですら、かき消されてしまう世界だった。