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センシティブアイドル  作者: 福緒唯
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Ep.2 眠りネズミと変わる世界 - 1

午後の講義が臨時休講になったのでレッスンまでの時間をどう潰そうか弓が考えているとスマホが震えた。画面に浮かぶ文字は牧野(まきの)しほり――マネージャーからの着信である。


「おつかれさまです。桜木です」

「おつかれさまです。牧野です。弓ちゃん、今って少しだけ時間大丈夫ですか?」

「はい。午後が休みになったので、大丈夫ですよ」

「え、ほんと⁉ わー、ちょうどよかった。じゃあこの後も空いてます?」


 食い気味の返事。電話の向こうの牧野マネの表情が目に見えるようで、弓は少し笑ってしまう。


「はい、そもそも電話ってことは急ぎですよね。どうしたんですか?」

「えっと……詳しい話は社長から話してもらうので、弓ちゃんの都合の良い時間に事務所に来てもらえると嬉しいです」

「じゃあ、まっすぐ向かいますね」

「助かります~。ありがとう! 社長のことは捕まえておくので安心してください! 怪我しないようにゆっくり来てね!」

「ありがとうございます」

「はーい、ではでは。失礼します」


 電話が切れ、先ほどまで弓が見ていたブラウザページが表示される。間接照明に照らされた座り心地の良さそうなソファ、カジュアルなデザインのマグカップにはたっぷりとカフェオレが注がれ、その横にはカットされたパウンドケーキ。


「……また今度」


 カフェの紹介記事をそっと閉じ、イヤフォンを耳にはめる。今日の夜のレッスンで振り入れする予定の曲を再生し、止まっていた足を動かした。まだ仮歌の段階だが落ち着いたテンポの耳馴染みの良い曲で、ころころと挟まる音が特徴的だった。


(この曲、桜木弓はどう表現するのが正解なのかな)


事務所までの道中、音の破片を拾い集めながら彼女の頭を占めるのは、そればかりだった。



 電車に揺られ、代々木上原。

駅から歩いて五分のところに弓が所属する事務所のビルがある。

 セキュリティカードをかざしてロックを解除し、警備員のおじいさんと会釈をし合う。そのままエレベーターホールへ。上行きボタンを押すと、ドアはすぐに開いた。少し迷ったが、指は三階のボタンに触れる。社長室があるのは四階なのだが、先に牧野マネと合流するべきだろう。


 二階、三階……チン。

 到着を知らせる音と同時に、ドアが開く。その瞬間、弓の目に飛び込んできたのは――


「あらー! 弓!」


 ムギュッと抱きしめられ、勢いはそのままに弓はエレベーターのなかへ逆戻りすることになった。


「昨日の生放送見たわよー! どんどん糖プラの完成度あがってるじゃないの! なかでもサビ前のセリフの表情が格別だったわ。あんな顔どこで覚えたのよ! もう! いやん!」


弓をハグしたまま器用にエレベーターのパネルに触れたその人になされるがまま、弓は再びエレベーターの到着音が鳴るまでの間、上品ながらも存在感のある香りが満ちる腕の中で過ごすことになった。この人物こそ芸能事務所ギフトピュールの敏腕社長・瀬戸内薫(せとうちかおる)。細く引き締まった肢体、涼やかな目元が印象的な美しく整った顔立ち、肩口で切りそろえられたダメージを知らない金の髪、そして甘く響くテノールボイスの持ち主……弓はかつてトップアイドルに上り詰めた男の容赦ないホールドに耐えながら虚空を見つめていた。



「グラビア、よ!」

「……グラビア、ですか?」


 社長室に置かれた皮張りの黒いソファに腰かけ、弓は社長の言葉を反芻した。薫は左手でデスクに頬杖をつき、感情豊かな右手をくるくる動かしながら口を開く。


「そう! 【ノクアリ・桜木弓 グラビアデビュー! ~憂い顔のヒ・ミ・ツ~】ってかんじで、ババンと弓が表紙を飾るのよ! どう⁉ 前々から考えてはいたんだけど、昨日の糖プラで絶対イケるって確信したのよ~! それで売り込みかけたらぜひお願いします!って。悪い話じゃないと思うの。どう? 挑戦してみない?」


 いつになく上機嫌に、それでいてたっぷり熱意を込めて語る社長――薫を前に当の本人である弓はぽかんとしている。弓からすれば寝耳に水で、そもそも今日の呼び出し自体が急なことだったのだ。そんな弓の気持ちを察してか、慌てて後ろで控えていた牧野マネージャーが言葉を付け加える。


「実は、以前から各媒体でお話はあったんです。社長に相談して、少しタイミングを見ましょうかって言っていたんですけど……今日出社したら社長がもう動いたあとで……」


 つまるところ、薫の行動力が事の発端であり、その行動力に応えうるクライアントが存在したという話である。弓は「なるほど……」と口中に音を含ませた。


「弓ちゃんが嫌ならお話はお断りするから、素直な気持ちを教えてほしいの」


 そう言ってにこりと微笑む牧野はいつもより少々やつれているように見える。売り込み、ということはつまりこちらから持ち掛けていることなので、断るのは彼女にとって胃が痛む仕事なのだ。

 突然のことで驚いていた弓だったが、すでに桜木弓としての意見は固まっていた。やりたいか、やりたくないかではない。桜木弓がやるか、やらないか。彼女にとってはそれが絶対事項だった。柔らかく牧野に微笑みかけ、そして薫と目を合わせる。


「お気遣いありがとうございます。喜んでお受けします」


 弓の言葉を聞き、薫の口元がにんまりと弧を描く。心の底から楽しそうに、それでいて瞳には少しだけいたずらっぽい光が宿る。


「ウフ、弓ならOKだと思ってたわ! もしダメだったら別の子を……とも思ってたけど、今ウチから出すなら弓なのよね。心配はしてなかったけど一安心」

「それは」


 薫の良くも悪くも歯に衣着せぬ言葉に、弓はほんの一瞬固まる。しかし、言葉を紡ぎかけた唇をきゅっと引き締めて口角をあげた。


「ありがとうございます」


 まっすぐに、心からの感謝。桜木弓にとってきっと大事な一歩になる。そんな弓の姿を見て、牧野マネージャーはぐっと両の手で握りこぶしをつくった。


「うんうん! 絶対いい仕事にしましょう!」

「が、頑張ります」

「それで、早速なんですがNG事項を決めておきたくて。これを見てもらえますか?」


 社長のそばから離れ、弓の正面にやってきた牧野が渡したのは【グラビア活動にあたって】という文字が一番上に、そこからずらっと確認事項が書かれたA4サイズのコピー紙だった。


「後ですべてちゃんと目を通してほしいんですが、今お話ししたいのはここですね。撮影時要確認事項のところです。露出の限度、水着のサイズ・形の指定、水濡れの可否……先方と打ち合わせする際に固めておきたいところなので、早めに知りたくて」


 牧野に指さされた箇所に目を通しながら、弓は頭の中でイメージを構築する。桜木弓のグラビア活動はどういったものが最適解なのか。初めての仕事であり、未知の分野のそれを持ちうる限りの知識で立体的にしていく。しかし、彼女の心の内に不安要素は驚くほど少なかった。それは桜木弓という姿が自身にとって、確固たるものであり、同時に共に仕事をする相手を信頼していたから。考えがまとまった弓は確認事項の用紙を見つめながら口を開く。


「なるほど……うーん、私としてはやたらと小さい水着とかじゃなければ大丈夫かな……?」

「ええっ、ここはたくさんわがままを言っていいところですよ⁉ 人によってはカメラマンやスタッフの指定まで――」

「牧野さんのこと、信じてます」

「!」


 あっさりとした様子の弓に狼狽えた牧野だったが、彼女の言葉を遮るようにして弓が放った一言に何も言えなくなる。寄せられた信頼に伴う責任の重さは計りしれないが、牧野にとってはそれを補って余りあるほど嬉しい言葉だった。静かに話を聞いていた薫がにやりと笑う。


「弓ちゃん……! 私、頑張ります!」


 そう言って、弓の両手を己の両手で包みこんだ牧野は、決意を新たにと言わんばかりの表情を浮かべていた。感激する牧野の姿を愉快そうに見ていた薫は茶化すように口を開いた。けれど、その声は優しく響く。


「マネージャー冥利に尽きるわね~」

「私は……幸せ者です……! 朝の胃痛も消えました……!!!!!」

「あ、あはは……」


 うううっ、と牧野は大げさに腹を抑えて顔を顰め、弓は愛想笑いで応える。薫の行動力に牧野が振り回されるのは日常茶飯事なのだ。


「ま、今回は協賛がつくからそんな滅多なことはないわよ。安心なさい。【ディアコーヒー】知ってるでしょ?」


(え?)


 弓の顔から愛想笑いが消える。協賛――スポンサーがつく仕事なのだ。牧野の胃痛も納得というところであり、弓にとっては改めて気が引き締まる情報だった。


「駅前でよく見ます。最近、人気ですよね」

「そ、一応全国展開のチェーン店よ……少年誌の紙面グラビアに大々的にスポンサーがつく時代なのよね~。ほんと不思議なかんじだわ~」


 ――今から三年前に行われた【SNSの半永久凍結】の影響はこういったところにも表れていた。個人の発信力がほぼ無くなり、その結果、企業は拡散力の低下により自社製品の情報発信及び宣伝が難しくなった。どの企業もオフィシャレートアカウントを作成してはいるが、目に見えて効果は落ちている。

 そこで企業は効果的な宣伝の一つとして協賛に目をつける。これまで以上に様々な形で企業として名乗りをあげようとしたのだ。試験的に始められたそれは徐々に効果を増し、今ではメジャーな宣伝方法として確立され、広告費用の大部分が充てられるようになった。そのなかでも紙面グラビアへの出資はターゲット層が特定しやすく、特に企業色を出しやすいとして近年注目されている宣伝方法の一つなのだった。


「ま、ウチとしては協賛仕事に関われてラッキーくらいのものよ。いつもどおり弓らしく仕事してきなさいな」


 フフンと嬉しそうに鼻を鳴らし、弓を見つめる薫。彼の言葉に嘘はない。しかし、先刻さらりと放たれた――ダメだったら別の子を……という言葉が、今一度弓に重くのしかかっていた。少年誌の協賛グラビアというのは、今の弓からすればとても大きな仕事である。しかし、それでいて代わりが利くのだということもまた現実だった。


(私らしくって、なんだろうな)


 薫の応援の言葉からぽつりと彼女の胸中に湧いた疑問。けれど、どんな時も意識しているそれ。


桜木弓らしく、桜木弓らしい仕事。


(桜木弓、は)


 思考がぐるぐると支配される。桜木弓らしさ、桜木弓という問い、桜木弓としての正解。彼女にとってのアイドル・桜木弓。つまるところそれは、桜木弓を届けるという使命感であり、桜木弓を誰よりも大切に思っているということ。桜木弓に代替があってはならず、けど――思考が落ちきる間際にハッとして、弓は驚く。彼女は事務所からほど近い喫茶店でアイスコーヒーと向かい合っていた。あの後も二人としばらく話していたはずなのだが、その内容すらも朧気で思い出せない。特に叱られるなどはしていないし、今の時間から逆算してもそう長い時間ではない。つまり、いつもどおりの雑談だった――そう自分のなかで結論をだした弓はフゥと息を吐く。


(桜木弓らしさ、か。桜木弓、か)


 レッスンの時間まで、だいぶ余裕がある。弓は静かに目を閉じて桜木弓の記憶をなぞった。



 桜木弓はグループ内で「眠りネズミの誘惑」という役割を与えられている。社長曰く――ミステリアスで儚い色気にびびっときたのよ――とのことだが、弓としてはさして重要なことではなかった。言ってしまえばKnock2 Aliceのお色気担当、それはそれで良い。与えられた仕事に対して正解で応え続けるのが弓の在り方だった。しかし、そこに必ず付随する項目が「桜木弓らしさ」である。社長やメンバーをはじめとした仕事仲間が、応援してくれているファンが、弓が関わる全ての人が求める桜木弓像を常に意識し体現することで完成するのがアイドル・桜木弓だった。


 しかし、桜木弓という人物を紐解く際、脳裏に必ず現れる存在がいる。



 佐久間栞(さくましおり)



 弓にとって、彼女の存在は切っても切り離せないものだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 弓の思考の大多数を占めているであろう「桜木弓らしさ」 皆が求めるその偶像になるための最適解を求めるあまり、弓自身の心とのズレが生じ精神が瓦解するのではないか?という不安を抱えながら読み進んで…
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