Ep.3 眠りネズミと鏡の向こう - 8
第一発見者として事情聴取をされることになったとき、見ていられないほどボロボロの有様だったと思う。それでも警察官は問いかけてきた。
「桜木さんの……スマホを確認させていただいたんですが、このやり取りの意図をお聞きしてもいいですか?」
『明日はとうとう駆け落ち! 楽しみ~!』
『いや、楽しみは間違いでしょ』
『えええ、楽しみだよ。栞ちゃんとずっと一緒にいられるんだもん』
『はいはいそーですか』
『桜木 弓 からの着信 通話時間16:02』
『じゃあ、また明日!』
『ん、おやすみ』
「この『駆け落ち』というのは?」
「……弓が……好きで使っていた言葉です。ほら、女の子同士でもデート、とか言うじゃないですか……」
嘘だ。私たちは本当に駆け落ちをしたいと思っていたのに。
「ああ、『駆け落ちごっこ』みたいなことですか」
「……」
嘘だ。あの日の弓の声はしっかりと覚えてる。
『えへへ、やっぱり栞の声が聴きたくて。迷惑じゃなかった? うん。あのね、私……栞のことがだいすき。ほんとだよ。明日も、明後日も、その先もずっと一緒にいたい……グス、ああ、ごめんね。泣くつもりじゃなかったんだけど……っ。明日が楽しみで、へへ。楽しみだと泣けちゃうの。栞は? ええぇー、なんだか不公平だぁ。 ふふ、明日も早いし寝なきゃね。 んー、でももうすこしだけ……。 うう、わかってるよ~。じゃあ栞が好きって言ってくれたら寝る! 言ってくれなきゃ寝なーい! えええ、ひどい! ………………っ!! えへへ、ありがとう。栞。おやすみ』
甘えた声、涙ぐんだ声、からかうと楽しそうに笑う声、そして幸せそうに微笑む声。私の大好きな弓の声。
「……っ」
ポロリ、涙がこぼれた。警察官が慌てる。
「ああ、ごめんね。責めてるわけじゃないんだ。ただ聞かないといけなかったから。そうだよね、お友達が亡くなってショックだよね」
お友達じゃない。お友達じゃ、ない……っ!
けど、どうしたって私たちはお友達としか見られない。弓は友達と出かけた先で事故死をした。駆け落ちなんかじゃない。その現実が悔しくて仕方がなかった。どれだけ堪えても溢れる涙が憎らしい。友達を失って流した涙と思われるのが心外で、だから、一人で泣かせてほしかった。
警察署を出た私は無我夢中で走った。どんなに息が切れても苦しくなかった。だってもっと苦しい場所が私の体にはある。そしてたどり着いたのは、弓と初めて出会って、それからずっと一緒に過ごした階段。カチ、カチと不安定に灯る街灯を横切り震える足で近づく。そして、へたりと座り込んだ。どうしようもない悲しさが胸に押し寄せる。ここに並んで座った彼女はもうこの世にいない。いつも嬉しそうに私の顔を見ていた弓は、もういない。こんなことなら、もっと弓を見ておけばよかった。だって、私がこの場所で見た弓の顔は私を見る弓の顔なのに、弓が見ていたのはきっと私の横顔ばかりだっただろう。
「……ぅ、うう……っあ…………ぅああ………!!」
涙が視界を染め上げる。嗚咽は止まることを知らず、周りに響き渡る。でも、知ったことか。どうせこの場所に人が来ることはめったにない。そういう場所だと私たちは知っている。この場所で、二人、寂しさを分け合って――でも、ここで私と弓が過ごした時間は一年にも満たない。夏の終わりから、今日まで。たった……それだけ。
「ゅ、弓……っ! 弓!!!!!」
どれだけ名前を呼んでも、返事が返ってくることはない。どうしてここに弓がいないのだろう。私たちにとってお互いの存在が生きる意味だったのに。弓を失ってしまった私は、もう生きていたってしかたないんじゃないだろうか。そう思い、階段の横、ブロックで詰まれた壁を見る。ここから飛び降りれば、あるいは? そんな考えが頭をよぎった。だって、こんなに苦しい気持ちを抱いて生きていくことなど到底できない。
「でも、そんなことしたら弓は私を……軽蔑する、かな……っ」
記憶の中の弓が悲し気な表情を浮かべる。私を置いていったくせにそんな顔をしないでほしい、とまた涙が溢れた。そこで、はたと気づく。弓は、私の記憶の中に生きている。私の中に弓は生きている。それに、そうだ――
「……弓は、まだ、いる」
ポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを開く。桜木弓とのメッセージ画面を開くと視界が滲んだ。けど、今は泣いている場合じゃない。スクロールを繰り返し、探していたメッセージを見つける。三週間前に弓から送られてきたそれ。
『栞、栞、プロフィールってこんなかんじ?』
『桜木 弓 からの画像』
『こんなの初めて書くからわかんないよ~』
『あー、いいんじゃない?』
『えええ、なんか適当……っ!』
そして脳裏によぎるのはコテージでの弓との会話。
『面接いつなの?』
『えっとね、今週末で場所は……』
桜木弓の欠片は、遺されている。この世に無いのは弓の肉体だけだ。
それならば――
「……私が、桜木弓として生きていけば…………?」
だから、弓は死んでなどいない。むしろ死ぬのは――。
弓との思い出が一番詰まった場所で、私は栞に別れを告げた。
弓も栞も寂しがりやで、お互いがいないとダメになってしまうから。
だから、だから。
エゴだった。分かってた。
それでも、弓を失いたくなった。
私は弓のいない世界に耐えることができなかった。




