第八話 この門をくぐる者(後)
門番が大声で呼び出す。
「次の方、前へ!」
いよいよわたしの順番が回ってきた。
わたしは門番の指示に従い、門の方へと歩を進める。
門前に立つのは二人の門番と、一人の少女。
長い黒髪と褐色の肌。
わたしがまだ見たことのない人種のようだ。
彼女はにこりと笑って右手を差し出す。
「こんにちは。わたしはアガペの巫女、シビラと申します。」
巫女? なぜこんなところに巫女が?
疑問を抱きながらも、わたしは差し出された右手を握る。
「わたしはソフィア。巡礼のためピスティスより参りました。」
「ピスティスから? この時期にですか?」
「この時期・・・?」
巫女はわたしの手を握ったまま、わたしの顔を覗き込む。
わたしの静かな表情が彼女の瞳に映る。
「もしかして、アゴナス大祭のことでしょうか? それなら今年は開催されませんよ。ピスティス王が神託に従い、祭りの季節を変更されましたから。」
「あぁ! そうでした!そうでした!」
白々しい笑みを浮かべる巫女。
なるほど、仕掛けてきたというわけか。
巫女のすることとは思えんが、これがこの国のやり方なのだろうか。
しかし残念だったな。
西の大陸の時事と地理は大抵、パイスから聞き知っている。
「うーん。でも、おかしいですね。」
巫女は穏やかな笑みを崩さずに続ける。
「ソフィアさん。あなた、手汗をかかれています。」
巫女のいう通り、確かに手汗はかいているが・・・。
「手汗が何だというのですか?」
「人は嘘をつくと手に汗をかくのです。」
「・・・これは肉体の持つ生理現象だと理解していますが。」
「生理現象?」
「はい。体温を調節するために人は汗をかくのです。きっとシビラさんの熱のこもった握手で蒸れてしまったのでしょう。」
巫女は目を丸くする。これもまた白々しい。
「失礼ですが、ソフィアさんはおいくつですか?」
「十七です。」
「ソフィアさんは私と同じくらいの年齢なに随分博識なのですね。あ、もしかして学校に通われていたとか?」
学校・・・。ピスティスにある学校など、わたしは一つも把握していない。
これを追求されるのはまずいな。
「いえ。父が医者なので、その影響で少しばかり知識があるだけですよ。」
「ふーん。」
巫女は再びわたしの顔を覗き込む。
そしてまたにこりと笑う。
「ま、いいでしょう。ああ、それから、さっきのはあくまで私の経験則に過ぎませんから気にしないでくださいね。」
「あの・・・。もしかしてわたしは何か疑われているのでしょうか?」
「いえいえ、そんなつもりはありませんよ。」
でも、と巫女は続ける。
「仮にあなたを疑うにしても、私にあなたの嘘を見抜く力はありません。しかし神の力は偉大です。神は全ての嘘を見抜かれるのですから。」
そう言うと巫女はわたしの右手の甲の上を左手の人差し指でなぞり始める。
「これは神の言葉。我らしもべたちに天使をかいして贈られた言葉。永遠不変の調和を促す愛の言葉です。」
ただ無作為に指をはしらせているのではないな・・・文字を書いているのか。
しかし、これはーーー。
〈人間〉の文字ではない。
「あっ! ダメですよソフィアさん。手は動かさないでください。これは神の刻印なのです。あなたもアガペに入国を求める神のしもべなら、それに相応しい人であることを証明しなければいけませんよ。」
「証明ーーー?」
文字を書き終えた巫女はわたしの右手を解放すると、すぐさま背後に回って、わたしの背中を押す。
門のちょうど真下に引かれる白線。
壁内と壁外の境界線。
巫女はわたしをそこに立たせる。
「ソフィアさん。神に誓って下さい。私は嘘偽りのない神の忠実なしもべであると。そしてこの門をくぐり真の信徒であることを証明して下さい。」
「いや、少し待って・・・」
「なぜです? 躊躇する理由などないはずですが? まさかですが・・・ソフィアさん。あなた神への信仰心を持たないのでは?」
巫女だけでなく、門番や列に並ぶ〈人間〉たちの視線が背中に刺さるのを感じる。
戸惑いは疑念を呼び込むか。
やるしかない。
わたしは右手を上げて神に誓う。
「神に誓って。わたしは嘘偽りのない神の忠実なしもべです。」
わたしは飛び込む勢いで、アガペの門をくぐる。
その瞬間、烈火のごとく、右手が焼きただれるのを感じた。
思わず苦悶の声が漏れそうになる。
しかし、これはあくまで感覚の話。
見たところ、実際に右手が焼けているわけではない。
わたしは意識を内側に向ける。
ーーー。
やはり、悲鳴をあげているのはわたしの本体。
霊体そのものか。
わたしは勢いで転んだふりをしてしゃがみ込む。今しかない。
生成変化ーーー。
「我が肉の右腕よ。大地の元に還れ。」
「大丈夫ですか?」
巫女がしゃがみ込むわたしに駆け寄るのは早かった。
だが幸い、わたしの生成変化の速度はそれを上回った。
「はは。すみません。大丈夫です。」
わたしは差し伸べられた右手を新たな右手で掴んだ。
やつがわたしの右手に刻んだ文字は確かに〈人間〉の文字ではなかった。
それに霊体に干渉するあの力。間違いなく『天界』のもの。
しかし、刻まれたのは神の言葉ではない。
神の言葉であるはずがない。
なぜなら、やつがわたしに刻んだ言葉は、偉大なる神を侮辱する言葉だったからだ。
このシビラという巫女。一体何者なのだ?
今年の投稿は今回で終了となります。
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次回 1月1日 登場人物・用語一覧 投稿予定




