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第五話 亡国の王子(後)


「さあ、ソフィアさま。あなたは何と弁明するのでしょうね。この国を滅ぼした、天使たちの所行を。身の毛がよだつ惨劇を。有無を言わさぬ理不尽を。」

「理不尽か・・・。」

わたしはあの貴族の男、アネルを思い出した。

あの男もこの世の理不尽を嘆いていた。

嘘を押し付ける社会を。正直に生きられない現実を。

しかし、この少年・・・パイスの言う理不尽とは何か違う。


ーーー偽りの世界、悪魔に抗う、本当の神。


「パイスよ。少しばかりわたしの質問に答えてもらおう。」

「君はこの国を愛していたのか?」

「愚問ですね。僕はニュンペ王の子、パイス王子ですよ。」

「では、この国の民はどうだろうか?」

「・・・えっ?」

「君はこの国の民を愛していたのかと、わたしは聞いている。」

「そんなことに答えてーー」「いいから答えよ、パイス。」

「僕は国民を・・・。」

パイスは何かを言い掛けて口をつぐむ。

意外だな。嘘のつける性質だと思ったが。


「わたしはここに来る前に、ある思想をもった男と出会った。その男が言うには、この世界は悪魔によってつくられた地獄で、〈人間〉はそこで肉体という牢に投獄された囚人であるらしい。」

「・・・ずいぶんと馬鹿げた話ですが、それと天使たちの所行、一体何の関係があるというのです?」

「彼はこうも言っていた。天国にいる本当の神に見つけてもらうため、悪魔に抗うと。自分たちの本当の居場所はそこなのだとな。」

「本当の神・・・。」

パイスの頭の中にニュンペの民の声が蘇ったのだろう。

真の神は偉大なり、と。

「君の話を聞いた限り、彼らには共通点がある。それはこの世界を偽りとみなし、死をもって本当の世界への帰還を目指したところだ。」

「そんな狂った思想が普通、受け入れられるはずがない、やはり天使たちの仕業ではないですか。」

「君の話通りなら、確かに天使が関与した可能性は高い。実際『天界』と音楽には密接な関係があるからな。しかしだ、パイス。〈人間〉はあくまで『天界』のものではなく、『生成世界』の、個々に肉体をもつ独立した存在。この国の民全てが君の言う、物悲しい旋律を聴いたところで、全ての国民の気が触れるなど、わたしには考えられないな。思想が種とするなら、その天使の歌声の効果はあくまで芽吹くだけのきっかけ。そして種を植えるにはそれ相応の土壌がなければならない。」

「するとソフィアさま。あなたは我々王家が嘘や理不尽で国民を支配したことで、その土壌を醸成したというのですか?」

「わたしは君たちのことをまるで知らないからな・・・君の話や周囲の状況からの憶測でしか語ることは出来ないが。」

「いいでしょう。ぜひ聞かせてください。」


「君は自身のことをネフィリムだと言っていたな。わたしも君がわたしを認識出来る以上、天使と繋がりがあることは疑いようがない。しかし、国民からの視点を考えればどうだろうか。彼らからしてみれば、二千年前のことなど知る由もない、建国神話は王家が国の支配を正当化するための虚構であり、ネフィリムはそれに附随するおとぎばなしに過ぎないだろう。それに死せるべき〈人間〉の彼らは天使の姿を認識することは出来ないのだから尚更だ。

パイスよ、想像してみればいい。誰もいない噴水に一人語りかけ、天使を語る気の触れた王子を。」


言って、わたしはパイスの雇ったというならず者たちの顔を浮かべた。

パイスがわたしに助けを求めている時、あの時のならず者たちの表情は〈人間〉なら共通するものだろう。


「国民は君のことを気味の悪い王子と思っていただろう。そして君もまた、君を敬遠する国民を良くは思っていなかったであろう。それは君の言葉にも、そしてこの広場の状況にもあらわれている。君は天使にこの国の偉大さを示すよう助言されたそうだが、戦争の勝利を賛美するのに、なぜ歴代の王だけを讃えるのか。戦争とは王が一人で戦うものではあるまい。人心を治めるための演説ならばなおさら可笑しな話だ。次いでこの広場の状況だが、君の話からすればこの国が滅び、わたしがここに来るまでには数日の間があったはずだが、この広場には国民の死体がそのまま放置されている。パイス、君の民たちの死体が、放置されているのだぞ。君は一体何をしていたのだ?」


「・・・一国の王子に向かってずいぶんな言い草ですね。まぁいいでしょう。しかし、仮に国民の戦争への貢献を蔑ろにする支配者だと、虚構で国民を支配する愚かな一族の王子だと、そう思い、不満や憎しみを国民が溜め込んでいたとして、僕の両親はどうなりますか? 二人が狂い始めたのもちょうどあの歌声を聞いてからなのですよ。権力者がその危険思想に傾倒するなんてありえないでしょう。」


「両親の気が触れたことについては、本当のところ、君は理解しているのではないか?」

「・・・。」

パイスの表情に陰りが見える。

やはり本人にも思い当たる節があるようだ。


「君の父か母、どちらがネフィリムの血筋か知らないが、おそらく、君と違って、天使を認識出来るほどの力がなかったのであろう? いや、ひょっとすると、君の祖父母あたりも怪しかったのではないか。とにかく、王家の〈人間〉にとっても自分たちの認識ではもはやネフィリムではなく〈人間〉であり、二千年前の建国神話はただの建前でしかなく、君はこの国の中でただ一人の本物のネフィリムとして忌避され孤立していた。立場ゆえ、あくまで精神的に、であろうがな。」


「確かに父上には天使を見ることは出来なかった・・・なら、天使たちは建国神話を信じない、天使たちを敬わない者たちの気を狂わせたということですか?」

「僕を虐げる存在に罰を下したということですか?」

「そうか、あの日現れた天使たちはエグロイで、正当な子孫である僕を救いに来たわけですね!」

「そういうことなんですよね!」

パイスは瞳を目を輝かせながら、自分の出した答えに納得する。それを繰り返す。

もしかしたら彼は初めからこの答えを持っていたのかもしれない。

ただ〈人間〉の国の王子と、ネフィリムとしての本来の自分との間で揺れていたのだろう。



パイス。

こういうのを気の毒というのだろうか、わたしにはその答えが正解だとは思えない。


ニュンペに現れた天使たちとアガペの神官・・・。


少なくとも都市国家アガペを訪ねるまでは真相はわからないだろう。




ーーー穢れも十分に落ちたな。

わたしは噴水の縁に掛けておいた衣を羽織る。

その様子を取り乱した少年が窺う。

「ソフィアさま。ぼくは、何てことを・・・お許しください・・・。」

・・・さっきまでの王子とはまるで別人だな。年相応の、まさしく少年といった感じだ。

「あの、ぼくはこれからどうすればいいでしょうか・・・。」

「・・・パイスよ。君の国はもうないのだ。よって君はニュンペの王子ではない。だから、その短剣を下ろしなさい。」

「あ、すみません。」

パイスはわたしに向けた短剣を下ろす。震える手にもう片方の手を添えて。


次回 12月11日 投稿予定

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