第四話 亡国の王子(中)
「罪? 国を滅ぼした?」
「とぼけても無駄ですよ。ニュンペ国民二十万の人心を惑わすなんて芸当、人間ごときに出来るわけはありませんから。」
ニュンペ? やはりここはアガペではなかったか。
しかし人心を惑わすとは一体・・・。
「何かとんでもない勘違いをしているようだな、少年。」
「少年じゃありません。僕はニュンペの王・バシウスの子、パイス。この国の王子です。」
「わたしは天使ソフィア。神のめいによりこの世界を旅する者だ。」
「神のめい・・・ですか。天使はみんなそう言いますよね。」
「その口振り、天使について色々と知っているようだな。君がわたしを認識できることと、関係があるのかな?」
少年は首を傾げる。
「え? ああ。僕、ネフィリムなんですよ。」
「ねふぃりむ?」
「いやいや、天使がネフィリムを知らないわけはないでしょう。」
「知らないな。」
「えー。」
少年は呆れたような顔つきでわたしをじっと見詰める。
本当に知らないのだがな。
これも〈人間〉に関することでわたしに先入観を持たせないための、神の計らいか。
少年はわたしの様子をしばらく観察したのち、やれやれといった風に口を開く。
「ネフィリムっていうのはですね、天使と人間の混血児のことです。」
「天使と人間の? そんなこと・・・」
が、本当にありえるのか? と言いかけてわたしは言葉を呑み込んだ。
天使長モノゲネスが言っていたことを思い出したのだ。
天使は神が〈人間〉を造った時から、彼らと深い繋がりがある、と。
深い繋がり、とはつまりそういうことなのか。
「まぁ、僕はその血族ってだけですが、これも広い意味でのネフィリムに入ります。ほら、そこに彫像があるでしょう。それはニュンペ建国神話の『エグロイとニュンペ王』をもとに作られたものです。エグロイとは約二千年前にこの地に降り立った天使たちの総称。神話によれば、天使たちは神のめいでこの地に赴き、まだ何者でもなかった初代ニュンペ王に国家建設のための力を与え、彼と交わったそうです。ーーー」
国家建設のための力。
なるほど、それが彫像たちが持つ槍や麦穂や鉄槌・・・つまり、天使たちは武器や農作や建築など諸々の技術を、文明を〈人間〉に与えたわけか。
「ーーーそうして生まれたのがネフィリム。二代目のニュンペ王ですね。彼の名声は初代を上回るものでした。彼はその生まれもった超人的な力でニュンペを治め、いくつもの戦争に勝利し、諸民族を取り込んでさらに国家を拡大していきました。以来、この国はその栄光と繁栄を享受し、西の大陸の覇者として君臨していたのです。・・・そう、あなたたちが人心を惑わすまではね。」
「もう一度言うが、君はとんでもない勘違いをしている。わたしがこの国に来たのはついさっきのことだ。上空からこの噴水を見つけたので、沐浴をするために立ち寄っただけなのだ。」
「勘違いでも見当違いでもありませんよ。僕は何もあなた個人に罪があるなどと考えていません。僕は天使そのものに罪があると考えます。」
大胆。
というか、恐れを知らない子供だ。わたしだけでなく、天使全体を口撃するとは・・・。
「君の話を聞こう。天使が人心を惑わしたとは一体どういうことなのか?」
「わかりました。ただし、隙をついて逃げようだなんて考えないでくださいね。僕はずっとあなたを見ていますから。」
少年は語る。
「異変の始まりは七日ほど前、神への祈りを終え、宮殿で家族と夕食をとっていたときです。僕はその時、天使の歌声を聞きました。天使が歌うのを聞くのはネフィリムの僕にとって、別に珍しいことではありません。しかし、その歌は今まで一度も耳にしたことのないような物悲しい旋律をしていたので、僕は気になって窓から歌声がする広場の方を眺めました。その時にはすでに天使の姿はありませんでしたが、かわりに、広場では奇妙な光景が広がっていました。夕陽が沈みゆくなか、男や老人、女子供関係なく、皆人目を憚らず泣いていたのです。
不思議に思った僕は兵士を呼び、広場へ行って様子を見てくるように言付けました。そして一時間ほどして帰ってきた兵士は特に問題はないと僕に報告しました。しかし、その兵士もまた涙を流しているのです。
次の日の朝、僕は前日のことが忘れられず、自ら広場へ出向くことにしました。普段の広場なら朝市で賑わっている時間なのですが、商人、買い物客を合わせても指で数えられるほどしかいませんでした。僕は商人に尋ねました。どうして今朝はこんなに人が少ないのかと。商人は真っ赤に腫らした虚な目を僕におとして、わかりません、とだけ答えました。僕はその足で宮殿に戻り、父上と母上に相談しましたが、二人もまた真っ赤に腫らした虚な目をしていて、真面に返事もしてくれませんでした。
その次の日、僕はいよいよこの異変に危機感を覚え、噴水前で朝から天使が来るのを待ちました。そして昼下がりになって一人の天使が舞い降りた時、僕は天使に縋って頼みました。人心の乱れを治めるために力をお貸しくださいと。その天使は僕に微笑みかけながら言いました。
ニュンペ王・バシウスの子、パイスよ。今、あらためてニュンペの偉大さを民に示すがよい。そうすれば彼らの心はまた一つに束ねられ、国家の安寧は磐石なものとなるだろう。
僕はその日のうちに草稿を練り上げ、兵士を使って人を集め、寝室から出てこない父上にかわって、この広場で演説を行いました。ニュンペの建国神話から始まり、これまでの戦争、その輝かしい勝利と、その勝利に寄与した歴代の王たちを讃えたのです。
演説を終えると、広場は万雷の拍手と喝采で溢れかりました。
僕は彼らの明るい顔を見て胸を撫で下ろしました。しかし、しばらくして僕は気づいたのです。その拍手と喝采は、ニュンペに向けられたものではないことに。
国民たちはしきりに叫びました。
真の神は偉大なり。真の神は偉大なり。真の神は偉大なりと。
それから国民たちは泣いたり、笑ったり、怒ったりしながら、家から机や椅子を持ち出し、広場の一カ所に集めては斧で壊し始めました。そして誰かがその木材の山に火をつけ、叫びました。
偽りを炎で焼き尽くせ。
それに呼応して国民たちは燃えるものなら何でも手当たり次第に広場に集め始めました。
僕は兵士たちに騒ぎを鎮圧するよう命令しましたが、あろうことか兵士たちは命令を無視し、槍を投げ捨て、彼らに加わりました。
僕は、もはや自分にはどうすることも出来ないと悟り、呆然と立ち尽くしていました。
やがて街中のものを広場で燃やし尽くした国民は互いの衣服に火を放ち始めました。
そして燃え盛るニュンペの民たちを見て、僕は両親のことを思い出し、ゾッとしました。
父上も母上も彼らと同様に、狂い始めていたからです。
僕は急いで宮殿に戻り、王の寝室を蹴破りました。
寝室の中央、異国の絨毯の上。
そこで父上と母上は互いの心臓に剣を差し合って倒れていました。
僕は震える手を抑え、心を少しでも落ち着かせるため窓を開けて夜風を浴びました。
そしてその時、僕は見つけてしまったのです。
月明かりの中、燃えるニュンペを見下ろしながら笑う天使たちの姿を。」
次回 12月4日 投稿予定




