第三話 亡国の王子(前)
都市国家アガペ。
あの貴族の男が共感し、また感化された思想の源泉を辿るため、目下、わたしはその都市を目指し飛行を続けている。
ーーー途中、海岸沿いを飛行していると、一つの都市が見えてきた。
都市は、わたしが近くにつれてどんどん大きくなっていく。
金属製の巨大な門、平地を独占するように囲む円形状の巨大な市壁、そして、その中に密集した無数の巨大な建築物・・・。
この規模からして十万人か、あるいは二十万人ほどの〈人間〉がここで生活しているのだろう。
ここが都市国家アガペ・・・なのか?
まだ距離があるように思ったが。
わたしは都市の様子を探るため、街の中心辺りまで移動する。
直上から見る都市は曇り空のせいか、都市全体が黒ずんで見える。
人影は・・・。
「おお、これは。これは。」
思わず声が漏れる。
わたしは都市中央の広場に、大きな噴水があるのを見つけた。
わたしはすぐさま広場へ降りる。
その噴水には白い石材を用いた巨大な彫像が数体、噴水の中心でそれぞれ特徴的な姿態をとって配置されている。
水瓶を持つ女。
槍を構える女。
牛を引く女。
麦穂を抱える女。
鉄槌を握る女。
松明を掲げる女。
そして片膝をつき、手を伸ばす男。その手の先は松明を掲げる女のようだ。
この彫像たちが何を表しているのか、また誰を見本として制作されたのか、わたしには分からないが、〈人間〉にこれほど精緻な彫刻技術があることには驚いた。
いや、精緻さというよりも、美しさ、にだろうか。
この美しさをわたしが感じたのは、わたしがこれらの彫像に対して〈永遠〉に近い印象を抱いたからだろう。
無論、『生成世界』に〈永遠〉はないと理解している。
ただ、だからこそ『生成世界』に生きる、死すべき〈人間〉は〈永遠〉の美を求めてこれらの彫像を制作したのかもしれない。
自分たちはいずれ死にゆくが、その精神は永遠に残るのだとか、そんな感じだろうか。
だとすれば、この都市は今、彼らの精神を実によく体現しているのかもしれない。
ここは都市の中心地。
だというのに、〈人間〉の姿は人っ子一人見当たらない。
いや、正確には生きている〈人間〉の姿、というべきだろうか。
老若男女問わず、広場には黒ずんだ無数の死体が転がっている。
よくみると、周囲の地面や建築物も煤や灰で黒ずんでいる。
どうやら曇り空のせいではなかったようだが、これは・・・
火事? しかし建築物自体が燃えた痕跡はないように見える。
戦争? でもないだろうな。それなら市壁や門が破壊されていないのは不自然だろう。
いずれにしろ、この都市で何らかの異常が発生したのは間違いなさそうだ。
あの思想との関連性は不明だが、〈人間〉の運命を選択する身としては、都市内の調査を行わないわけにはいかないだろう。
だが、その前に、わたしはこの噴水で成すべきことがある。
沐浴だ。
天使にとって『生成世界』という生死の入り混じった空間はどうやら『穢れ』そのものらしい。
少し前から、腕や顔や髪や翼、どこを触ってもベタツキのような不快を感じるのだ。
わたしは噴水の水に触れてみる。
うん・・・やはりこの水は清潔そのものだ。
川から引いた水なのか、地下から汲み上げた水なのか、とにかく清潔なのは間違いない。
わたしは衣を脱いで、噴水の中に入る。
腕を擦ると『穢れ』が落ちていくのがよくわかる。
死体や灰や煤に囲まれた環境で『穢れ』を落とすというのも何だかおかしな話なのだが。
これは気分が良い。
今後、沐浴を欠かすことは出来ないだろう。
「いたぞ!」「捕まえろ!」
遠くから〈人間〉の声が聞こえる・・・。
なんだ、生きている〈人間〉がいたのか。
わたしは水中から顔を出して、声のする方に向き直る。
男が三人。
東の大通りから広場の方へ駆けて来る。
先頭は・・・少年。その後を小太りの男ら二人が続く。
状況から見るに、先頭の少年を後の二人組が追いかけているようだ。
「捕まえたぞ!」
広場に入ったところで小太りの男が少年にのし掛かる。
「ぐっ・・・。放せよぉ!」
少年は腕を振り回したり、足をばたつかせたりして、激しく抵抗しているが、相手はせせら笑うくらいに余裕があるようだ。
じきにもう一人の男も追いついてきた。
「良いのが残ってたな。」
「ああ。コイツはかなりの上玉だぜ。」
「売れば金貨100枚、いや200枚だってありえる。」
「助けて下さい!」
少年は噴水の方に手を伸ばして叫んでいる。
・・・?
誰に向かって助けを求めているのか?
この広場には彼ら以外に〈人間〉はいないというのに。
二人組も笑っている。
「ははははっ。どうした? 恐怖でおかしくなっちまったか?」
「何が助けて下さいだ。情けねぇ!」
少年は伸ばした手の人差し指を、さらに真っ直ぐに伸ばす。
「助けて下さい! 天使さま!」
・・・驚いた。
わたしは『存在を示す意志』など持っていない。
それなのに、少年にはこのわたしが見えているというのか。
「少年。わたしの声が聞こえるか?」
「はい! もちろん聞こえます! 聞こえてますから、は、はやく助けて下さい!」
少年の迫真の哀訴に二人組は急に不安になったにか、周囲を警戒し始める。
「・・・。」
「天使さまっ!」
わたしは少年に言う。
「少年よ。男たちの注意がそれている。左手を横に回しなさい。そうすれば、男の帯革にさしてある短剣を掴むことが出来るだろう。」
「そんなの無理ですぅ・・。た・・助け・・・」
少年の瞳に溜まった涙が頬を伝って地面にこぼれ落ちる。
首根を腕で押さえつけられて息苦しいのだろう。
声も次第に聞こえなくなる。
少年は睨め付けるような目でわたしを見詰める。
わたしは髪の手入れをしながら少年を見詰め返す。
そして、わたしがいよいよ本当に助ける気がないことを悟ったのだろう。
少年の表情はがらりと変わった。
少年は左手を横に回す。
短剣の柄が指先に触れ、そこを感覚頼りで握り込む。
少年は流れのままに、引き抜いた短剣で持ち主の横腹を、次に後ろにのし掛かる男の腕を斬る。
「痛えぇ?!」
男は怯み、少年の背中から転げ落ちる。
少年は体勢を立て直し、切っ先を男たちに向ける。
攻撃を予想していなかったのだろう、二人組は悲鳴を上げながら走り去っていった。
少年はトボトボと噴水の縁まで歩み寄って来た。
「あの・・・。」
「なんだ。少年?」
「どうして、助けてくれなかったんですか?」
「・・・? どうして、君を助けなくてはいけないのだ?」
はぁ、とため息をつく少年。
こうして近くで見ると、〈人間〉にしては、なかなか美しい顔立ちをしている。
「でも、まあ、いいです。おかげで僕も決心がついたというか、腹を括れたというか。」
言って少年は噴水の縁に足を掛け、今度はわたしにその切っ先を向ける。
なるほど。やはり罠だったわけか。
あの二人組、この少年を捕まえた時、腕を自由にさせたままにしていたのは気掛かりだった。
もし、わたしが少年を助けに近づけば、あの短剣はわたしに向けて使われたのだろう。
「仲間の二人は加勢に来ないのか?」
少年は眉をピクリと動かす。
「へぇ。気づいていたんですね。でも、安心して下さい。あの二人はお金で雇ったただのならず者です。それに予定外のことをしてしまったので、たぶん戻って来ませんよ。」
「君一人でわたしを相手に立ち回るのか?」
少年はふふっ、と笑ってみせる。
「僕を近づかせのは慢心ですよ。ここからちょうどあなたまで歩幅十歩以内ってところですが、この距離なら僕の方が速いですから。天使なんかよりも、ずっとね。」
彼の言葉の節々に自信を感じる。
はったりというわけではなさそうだな。
「一応聞くが、目的は何だ?」
「罪を償ってもらいます。この国を滅ぼした罪を。」
次回、 11月27日 投稿予定




