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第一話 天使誕生


「目を開けなさい。」


わたしはその優しい声に従い、生まれて初めて目を開く。


光がわたしの目に飛び込んでくる。


ーーーまぶしい。


わたしは思わず、目を細める。


しかし、不快さはない。この光は優しさに満ちている。


わたしは前を見る。横を向く。後ろを振り返る。光はどこまでもあり続けている。


果てしなく、どこまでも、どこまでも。


わたしはこの光に《永遠》を感じ取った。この光は常にあったし、今もあり、またこれからもあり続けるだろうと。


そして、この《永遠》に、わたしは畏敬の念を込め、生まれて初めて言葉を発する。


「神は偉大なり。」


すると突然、目の前の光が渦を巻きだした。巨大で、力強い渦だ。


周囲の光も渦に巻かれ、光はチリのように舞い上がり、ぶつかり合い、一つ一つの大きな塊となって、またぶつかる。ーーーやがて光の塊は、一人の巨大な老人となった。


その老人は大木ほどの杖をつき、威厳に満ちた口髭と顎髭を蓄えている。


「あなたは何者ですか?」


わたしが尋ねると、その老人は少し間を置いて答えた。


「私は永遠の光。無限なる創造者。そして、お前を産んだ父であり母である者だ。」


「では、あなたは神なのですね?」


「いかにも。」


わたしは膝を突いて、質問を続ける。


「あなたはなぜ、わたしを産んだのですか?」


「お前にしか出来ぬことがあるからだ。」


下を見なさい、と老人は言う。わたしはそれに従う。


老人が杖で下を突く。すると、光が、杖を中心として波紋を描きながら去ってゆく。


どんよりとした暗い世界が姿を現す。


「真っ暗で何も見えません。」


「そんなことはない。ほら、光の粒が見えないか。無数に輝く光の粒が。」


確かに、暗闇の奥の奥。目を凝らせば、小さな光が確認できる。だが、この光はどこかおかしい。

今、弱々しいかと思えば、突然強い光を放ち、次に見ればそこに光はない。


「これが我らの住う『天界』と対極をなす『生成世界』というものだ。この世界では全てのものが、生まれては死んでゆく。生き物はもちろん、星々でさえ、始まりがあり終わりがある。絶えず変化し続ける。そういう運命をもとに私が造った世界だ。」


老人のいうことは確かだろう。わたしはこの光に満ちた場所、『天界』に対して《永遠》という安心を覚えるが、『生成世界』に対してはその反対に、名状し難い不安を掻き立てられる。


わたしはさらに目を凝らす。


「何か、他とは違うものが見える・・・青と緑・・・白いモヤのかかった小さな星。」


「あれは私が〈人間〉を住まわすために造った地球という星だ。」


〈人間〉・・・。


わたしは生まれながらにして多くの知識を持っている。しかし、〈人間〉という言葉はわたしの頭の中にはないようだ。


「〈人間〉とは何ですか?」


「それを私は答えない。答えられないからではない。答えるべきではないからだ。」


「一体どういった事情からでしょうか?」


「これは私が、お前を産んだ理由と大きく関わる。」


老人は言葉を慎重に選んでいるのか、手で顎を支えながら、しばし黙り込む。


「今『天界』では〈人間〉について大きな論争が起こっている。詳しくは言えないが、〈人間〉を生かすべきという天使たちと、人間を滅ぼすべきという天使たちとの意見の対立だ。私はどちらの意見も漏らさず聞いているし、どちらの意見にも正当性があるように思う。ただ、彼らは皆、私が初めて〈人間〉を造った頃からすでに人間と深い繋がりを持っているのだ。故に、どちら側の意見も公正さに欠けているといえる。そこで私は人間と一切の繋がりを持たぬ新たな天使を生むことにしたのだ。」


「つまり、わたしは〈人間〉を公正に見定めるために生まれたということ。あなたが〈人間〉を語らないのはわたしに〈人間〉への先入観を持たせないため、ということですか?」


「そうだ。」


「しかし、どうでしょう。わたしが〈人間〉をまるで知らないためなのかわかりませんが、・・・正直にいうと、わたしは〈人間〉という未知の存在に対して、全く関心が持てません。」


「それはお前が〈人間〉を知らないからではない。私がお前をそのように産んだからだ。お前は決して人間に関心を寄せない。決して興味も持たない。決して深入りしない。ただ冷静に、純粋な第三者として人間を見定め、そして選択するのだ。ーーー生かすべきか、滅びすべきかを。」


「なるほど。神がわたしに与えた使命は理解できました。」


老人は微笑みながら深く肯く。


「では・・・」


「しかし、わたしはあなたの命令には従いません。」


老人は目を丸くする。わたしの頭ほどある大きな目を。


わたしはただ正直に言う。 


「あなたは神ではないのだから。」


老人の顔が、一気にわたしの身体に迫る。


近い・・・。怒りで真っ赤になった鼻先がわたしの胸に触れそうなほどの距離に来た。


「ほほう。なぜそう思うのか是非とも聞きたいな。しかし、覚悟しなければならない。お前はすでに間違ったことを言ったのだ。私を前にして、お前は、この私を、神ではないと言ったのだ。この発言は最も不敬なものの一つであり、通常、死罪に値する。だが・・・」


老人は嫌らしい笑を浮かべた。


「だが、お前の言葉の調子からは確かな自信を感じた。面白いではないか。さあ、ここにいる皆を、もし笑わせられるようなうまい詭弁を語れるのなら、お前の罪を許してやってもよいぞ。」


言われて気配に気付き、わたしは上を向いた。白く、大きな翼を羽ばたかせた幾千の天使たちがわたしを睨み付けている。


剣や弓を構えている者たちも幾人か確認できる。


この状況が平穏でないのは生まれたばかりのわたしでも分かる。しかし、わたしが動じることは何もない。わたしはただ真実を語ればいいのだ。


「では、語りましょう。あなたが神ではない、その理由を。」


「わたしの、この耳が初めて聞いた声。「目を開けなさい。」というあの優しい声はあなたのものではありませんでした。次にわたしが初めて、この目で見たのは《永遠》の光であって、あなたの姿ではありませんでした。最後、わたしが初めて、この口で発した言葉はこの《永遠》に対しての賛美でした。あなたが現れたのはその後のことです。あなたはわたしの初めてを一つだって奪いませんでした。なぜでしょう。それはあなたが神の忠実なしもべだからです。神に捧げるべき初めてを、あなたはその忠誠心から、どうしてもわたしから奪うことが出来なかったのです。ご老人、もう一度言いましょう。あなたは神ではない。わたしは偶像などに決して惑わされない!」


天使たちがざわめき出す。


笑い声は一切聞こえてこない。


しかし、


彼の様子を見るに、どうやら死罪は免れそうである。


「ああ・・・神よ。愚かな私をお許しください。」


老人は反論もせず、嗚咽を漏らしながら崩れ落ちる。


蓄えられた髭も、大木のような杖も、また光となって光の中へと戻ってゆく。


すると消えゆく老人の巨体の腹を裂き、這い出るようにして一人の天使が現れた。


六枚の大きな翼を持つ、美しい天使だ。


「試すような真似をして済まなかった、我が兄弟よ。私は天使長モノゲネス。天使たちを束ねる者だ。」


「天使長モノゲネス。わたしがあなたの正体を見抜けなかったら、一体どうしたのです?」


モノゲネスは答えない。


なるほど、どうやら天使長は複雑な事情を抱えているようだ。


「許してほしい。私も立場というものがあるのだ。天使たちの中にはあなたの存在意義を疑う者も多い。」


「それはわたしを産んだ神を疑っているのと等しいのでは?」


モノゲネスは笑う。


「神は寛大なお方だ。それに、天使たちにはそれなりの裁量を持つことが許されている。無論、あなたもだ。兄弟よ。さあ、両の手を広げ、天に掲げなさい。」


わたしはモノゲネスに言われたとおりにする。


「神を讃えよ。」モノゲネスが言う。わたしはそれに続く。


「神は偉大なり。」すると今度は幾千の天使たちがわたしに続く。


「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」 

「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」 

「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」 

「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」 


     「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」


         「神は偉大なり。」「神は偉大なり。」


             『神は偉大なり!』


天使たちの神への賛美が重なりあい、一つの調和が生まれた。


その時、わたしは自分の名前を思い出した。

思い出した、というのは生まれて間もないわたしが使うにはおかしな表現かもしれないが、わたしがまだ神の子宮で眠っていた頃、或いはそれ以前から、わたしは神に名を与えられていたように感じたのだ。



          あなたの名はソフィア。私の愛しい子。


          その知恵をもって〈人間〉を見定めよ。




わたしは生まれて初めての涙を流す。


賛美の声が止む。皆、微笑んでいる。


天使長モノゲネスが号令をかける。


「天使ソフィアよ。この名と力を、神はあなたに与えた。さあ、もうあなたを疑う者など誰もいない。知恵ある兄弟よ。神の寵愛に預かりし者よ。ーーー時は来た。神の期待に応えよ。」


わたしは翼を広げ、『生成世界』へと降った。


神より授かったこの知恵をもって〈人間〉の運命を見定めるために。









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