必要じゃない。けど、
ここに最後に来たのはいつだったろうか。1年、5年、いや10年も経っていた。荘厳に見えていた本殿は今となってはより身近に見える。相も変わらず、人がいないこの場所の風は心地よいものではなく、何もかも透過していくような感覚をさびれた体は覚えていた。
コケだらけになっていた狛犬の隣に立つと、昔見上げていたはずなのにとても小さく見える。体はそれを拒否するように違和感を与え続けるけれど、それはきっとこの伸びた世界のせいだ。背丈ではない、私の心は汚れて伸びきってしまったからだ。
思春期の頃は何もかもが塗りつぶされて、私は周りが見えなくなって、時間を本当に浪費した。腐っていても時間は待ってくれないし、後悔も塵みたいに積もるしかない。時間の浪費癖は今でも治っていない。何もかもが輝いて見えたのも違いはない。色々なことを経験した。興味を抑えることができなかった。結局は現実逃避ってどこかで思っていることも、いつかこの経験が役に立つと思ってるのも、そんな白と黒が混ざりきっていた。
こんな思いの吐露も、悩みも、憂いも、全部全部、懐かしいって感情のせいだ。どこか安心する。結局はここに来る。なんだかんだ地元が好き。そんな感情はすべて懐かしいって思うから、私は未だこの場から離れることができない。
石階段に腰を下ろす。本当にここに来るまでいろいろあった。裏切られた。騙された。人に傷つけられた。泣かされた。理不尽な目にもあった。感情を殺された。強制された。嘘をつかれた。その全てが辛かった。逃げ出したくなるくらい、胸を痛め続けた。
それは当然だ。だってそれと同じくらい、私は人を裏切った。人を傷つけた。泣かした。理不尽な目にも合わせた。感情を殺させた。強制した。嘘をつき続けた。本当に、情けない。
本当に何もない。私には何もない。今までを振り返って、ゴミすらない。ただの空虚、それが私にはふさわしい。空っぽを埋め続けた結果がただの空虚じゃ、あまりにも喜劇じゃないか。
ポケットからスマホを取り出して、目の前の光景を撮り、SNSにアップする。
”懐かしいと感じたらいいね”とコメントを添えた。アニメの一部を切り取ったような写真の各々の数字は増えていき、同じように虚しさも増えていった。
耳のそばに蜂が飛んできて、つい反射的にその場所を離れた。感情に整理なんてついていない。前向きに慣れた訳じゃない。それでも、簡単に立ててしまった。あの風も私の体を撫でる。石階段を駆け下り、低くなった枝にぶつかり、石の鳥居をくぐり抜けた。
鳥居の前にはもう数段、階段が続いていた。確かめるように下っていく。私は気づいた。もしかしてと思って振り向くと、目線はちょうどあの頃の身長と同じぐらいだった。何もかも大きく見えた。10年経っても、私の中では大きいままなんだ。変わってない。何も変わっていない。
煙草を取り出して、口に運ぶ。銘柄はピアニッシモ。こんなところで吸うなんて飛んだ罰当たりだ。それでも、私にはこれぐらいでちょうどいい。
言い訳も吸い飽きて、今ここに居る。




