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アルフレッドと伯爵令嬢

作者: 梶木 聖

 まるで天使さまみたいだ。


 ひと目見てそう感じ、一瞬で恋に落ちたのを覚えている。


 もうかなり前のことになるが、国王陛下の末の息子である私アルフレッドと、伯爵令嬢ライラとの出会いは、それは衝撃的なものだった。


「ほらライラ、アルフレッド様にご挨拶なさい」


 よく晴れたある日、王宮の庭園で父親のリーデルシュタイン伯爵に連れられて恥ずかしそうに俯いたその少女は、幼い私の目から見ても非常に美しく可憐な姿をしていた。

 太陽の光を浴びてキラキラと輝く黄金の巻き毛、陶器のように美しく滑らかな肌、吸い込まれるような青い瞳、髪と同じ色の長いまつ毛、濡れたように艶やかな形の良い唇。

 決して派手ではないベルベット生地の品の良いドレスが、彼女の美しさをより際立たせていた。


 彼女は幼いながらにドレスのスカートを少しつまみ、優雅に挨拶をしてくれた。


「アルフレッド様、はじめまして。ライラ=リーデルシュタインと申します。お見知りおきくださいませ」


 そう言ってニコッと微笑んだ彼女に、私は雷で打たれたような衝撃を受けた。

 それまで沢山の良家の令嬢と引き合わされて来たが、こんなにも美しく、聡明で、そして上品な少女は1人もいなかった。

 まだ幼かった私は、そのようなしっかりしたライラの挨拶にもまともな返事をすることができなかった。初めての恋心に驚き、恥ずかしかったのだろう。


「アルフレッドだ、よろしく」


 そう無愛想に返した私に、ライラはなぜかとても嬉しそうに微笑み、握手を求めるように手を伸ばした。

 それを見て私はハッと我に返り、いかに自分が幼稚で無礼な態度を取っていたかを恥じた。私はその失態を取り返すように、彼女の幼く小さな手の甲に不器用ながらもそっと口付ける。


「あ、ありがとうございます、アルフレッド様」


 戸惑うように返事をしてくれたライラの頬が、ほんのり紅く染まっていたのは決して自惚れではないと思いたい。

 その日から私とライラの秘密の日々が始まった。


 初めて会った日から、ライラは三日と置かず私に会いに来てくれるようになった。


 私たちが会うのはいつも、人気(ひとけ)の少ない王宮の裏庭だった。

 ライラは家の料理人に作らせたというサンドイッチをよく持ってきてくれた。


「アルフレッド様、おひとつ召し上がりませんか?」


 そう言ってライラはカットされたサンドイッチを無邪気にも私の口元に差し出してくれる。そんな時、私はサッと周囲に視線を走らせ、誰も見ていないことを確認して、ライラの手から直接サンドイッチを食べた。ついでにその指までペロリと舐める。

「きゃっ」と小さく叫び声を上げ、頬を真っ赤に染めて手を引っ込めてしまった後、ライラは私と視線を交わし恥ずかしそうに微笑んでくれた。私もまたライラを見つめ、微笑みを返す。

 私はそんなライラの恥ずかしがりなところが可愛くて仕方なかった。


 そんな甘酸っぱい日々は互いが大人になるまで続いた。



 私は青年になると、我ながら美しく成長した。


 黒曜石のように艶やかな黒髪と鋭い目つき、よく鍛えたがっしりとした体躯(たいく)、野性的な見た目にそぐわない貴公子然とした上品な態度が評判となり、王宮にやってくる女性たちを次々と魅了した。

 様々な良家の令嬢が私と会うためだけに王宮へ押し寄せる日々だった。

 下っ端とはいえ国王陛下の息子である私に対して、ほとんどの令嬢は常識のある態度を取ってくれたが、中には少し挨拶をしただけで馴れ馴れしく腕を絡め、豊満な胸を押し付けてくるような者もおり、それは辟易したものだ。


 しかし、どんなに妖艶で美しい令嬢を前にしても、私にはジャガイモも同然だった。

 私にとっては、いつまで経っても女性とはライラただ一人だけだったのだ。


 ライラは大きくなっても変わらず私に会いに来てくれた。

 私たちは自然と親密になり、秘密の裏庭でデートを重ね、彼女の膝枕で眠ったりする程の仲になった。

 ライラはいつも朗らかに微笑んで、私の話をニコニコと聞いてくれる。私もライラの日々の出来事や悩みごとをよく聞いた。そして2人でサンドイッチを分けて食べ、クスクスと笑い合う。


 時々じゃれている隙に、冗談のように頬に口づけたりもしたが、ライラは決して拒まなかった。

 そのため、私はライラの気持ちを勘違いしていたのかもしれない。

 頬に口付けられて恥ずかしそうに俯く彼女を、私は本気で愛し始めていたのだ。


 その日は曇り空で、灰色の暗い雲が空に立ち込めていた。

 いつものように裏庭で密かな逢瀬を楽しんでいた私たちだったが、突然の雨に降られ、屋根のある東屋に避難した。

 少し濡れてしまったドレスが肌に貼りつき、黄金の髪からぽたぽたと雫を滴らせる彼女は、とんでもなく官能的な姿に見えた。

 胸が苦しくなり、次第に呼吸が荒くなる。私は我慢できずに、思わずライラの身体にしがみついた。彼女の雨に濡れた耳朶(じだ)を夢中で舐める。そして、その可憐な唇にむしゃぶりつく。それは本能に任せた激しい口付けだった。

 しかしその時、今まで一度も私を拒んだ事のなかった彼女が、初めて抵抗のようなものを見せた。


「あ、アルフレッド様、おやめください!」


 私は思った以上に強い力で突き飛ばされた。雨に濡れるのも構わずライラは駆け出していく。

 私はライラに受け入れてもらえなかったショックで、そこから立ち上がることができなかった。

 ただ呆然と遠くなっていくドレスの影を見つめていた。


 もう会っては貰えないだろうと覚悟していたが、その数日後、彼女は何事もなかったかのように再びやってきた。私は歓喜し、二度と彼女を怯えさせるようなことはすまいと心に決めた。


 年月が流れ、私は国王陛下の寝所を守る近衛(このえ)の役目を拝命した。有能な部下も多数与えられ、彼らを統率し、陛下を害そうとする輩を次々と排除していった。

 私の果敢な働きは王宮中に知れ渡り、私の名声は上がるべきところまで上がった。

 ライラは相変わらず数日おきに遊びに来てくれている。

 次の逢瀬の時に私は彼女にプロポーズをしようと心に決めた。


 しかし、次の逢瀬の時、プロポーズのタイミングを窺っていた私に対し、ライラは頬を染め、恥ずかしそうにこう言ったのだ。


(わたくし)ね、今度、王太子さまの妃にしていただけることになったのです」


 私はショックでしばらく返事ができなかった。


 王太子、つまり私の1番上の兄である。

 ライラは数日おきに私と会いながら、兄とも逢瀬を重ねていたのだった。


 しかし、私には2人を恨む気には到底なれなかった。

 なぜなら私はこの長兄もライラと同じく大好きだったのだ。

 兄は眉目秀麗で優しく強く思慮深く、まさに次の国王に相応しい器と言える人物である。ライラにとってこれ以上素晴らしい相手もいないだろう。同じ王の息子と言えど1番下っ端で近衛の役割しかしていない私などより、次期国王である兄の方がよほどライラを幸せにしてくれるはずだ。


 私はプロポーズをする前に失恋してしまったことになる。

 私は悔しさと悲しさを(こら)え、2人を祝福した。


「兄上、ライラ、結婚おめでとう」


 2人の結婚式の場で、私はそう言って背中を向けた。

 その背中に兄の嬉しそうな声がかけられる。


「ありがとう、アルフレッド」


 大好きな2人が幸せそうにしている姿、それはいつまでも見ていたいような、しかし決して目に入れたくないような、そんな複雑な感情を私に喚び起こした。


 結婚式後、私は幸せそうな王太子夫妻の姿から目を逸らすように仕事に没頭した。

 丁度その頃、他国から国王陛下に対して暗殺者が送られて来ていたこともあり、私の仕事は多忙を極めた。しかし、王国内の誰よりも素早く強い私にとっては、その辺の雇われ暗殺者など所詮敵ではない。

 侵入者を次々と捕え、牢送りにした。


 そうして仕事以外に見向きもしなくなった私を、国王陛下が心配して縁談をいくつか持ってきてくださった。しかし既にライラ以外の存在を女性として見ることができなくなっていた私には、どの縁談も乗り気になれず、全てその場で断ることとなってしまった。


 私は一生ひとりで生きていく。そしてライラへの淡い恋心を密かに抱えたまま、死んでいくのだ。

 私はそう心に決めた。


 更に長い年月が流れ、私の自慢の黒髪の大半は白髪に変わり、顔にも深い皺が刻まれるようになった。


 王太子妃として私の元に時々遊びに来てくれるライラは、相変わらず若々しく美しい。


「アルフレッド様、こんにちは。ご機嫌はいかがですか?」

「義姉上、こんにちは。お変わりなく何よりです。私も元気ですよ」


 私は王太子の末弟として相応しい礼儀でライラを慎重に出迎える。

 もちろん以前のようにサンドイッチを分け合ったりはしないし、冗談半分で頬に口づけたりなどもしない。せいぜいが帰り際に差し出された手の甲にそっと口付ける程度だ。それでも私はその一瞬の口づけに全身全霊で愛を込めた。それがただの自己満足にしか過ぎないことは分かっていたが、それでも私の心の欠片のひとつでも届いて欲しい。

 浅ましくもそう願った。

 この先、一生口には出せない願いだ。


 その後も私は相変わらず仕事に没頭していた。

 ライラを愛する自分を忘れるため、仕事に溺れるしかなかった。

 父である国王陛下の命を守り、敵を排除する。

 その目的のためだけに、私は生きた。


 しかし、ある日、ついに私は病に倒れることになった。

 私を診た医者によれば、腎臓の機能がもうほとんど残っていないそうだ。

 余命僅かと宣言された。

 苦しい。気持ち悪い。早く楽にしてくれと何度思ったことだろう。

 もう顔を上げることもままならなくなった頃、ライラが私の元へやってきた。2人の子供たちを連れている。

 愛するライラと愛する兄の子供だ。可愛くない訳がない。

 私は子供たちに順に手を握られた。


「あるふれっどさま、はやくげんきになってください」


 ライラの子供たちにそう言われた瞬間、私の目からは涙が零れた。

 真っ直ぐで、優しい子供たちだ。この国の将来も安泰に違いない。

 私はもう治らない。そう言うことは簡単だったが、私は最後の力を振り絞って笑顔を浮かべ、正反対の答えを返した。


「ありがとう、おかげですぐに元気になれそうだ」


 しかし、ライラには分かっていたのだろう。目を真っ赤にして私を見つめている。

 ライラは私の枕元に座り、強く私の手を握った。そして私の顔をその美しい手でそっと撫でる。


「アルフレッド様……。いいえ、アルフレッド。誰よりもあなたを愛しているわ。今までも、これからも。ずっと、ずっとよ」


 ライラはそう言って、私の瞼にそっと口付けを落としてくれた。


 それは何よりも待ち焦がれた言葉だった。

 結ばれなくてもいい。私はその言葉こそが聞きたかったのだ。


 私は生涯で一番幸せな時を迎え、そしてゆっくりと、ゆっくりと目を閉じた。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 その後、王宮の片隅にひっそりと作られた墓の墓石には、国王の言葉として以下の文が刻まれていた。


 ──── 皆に愛された私たちの大切な息子、アルフレッド

 愛しい愛しい、国一番の勇敢なるラブラドール・レトリーバー

 14年の生を終え、ここに眠る

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