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***


昨日もこの時間に署を出た。今日もまた、署を出るハメになるなんて。

太陽が真上に昇った晴天の空を今日も見上げるとは思っていなかった。署の卓上を見下ろさなきゃいけないってのに、頭に差すギラギラとした日差し。

今でも書類仕事が待っているっていうのに……


「はぁ………」深いため息をつくと、エマが苦笑いしながら見上げてきた。


「けど良かったじゃないですか、ナターシャさんと連絡ついて」

「さあ、どうだか」


少なくとも、この状況は嬉しくない。

何十回と電話をかけて全く出なかった彼女は、何事もなかったかのように電話をかけてきた。30分前に電話の事だった。


『お金持って、オックス通りの廃ビルまで来て。よろしくね』


要件だけ言ってブツッと切れた。これには流石のアレンもムッとした。朝から仕事放棄しておいてだとか、今まとりはどうなっているんだとか、そもそもなんの為のお金なんだとか、不満はいくらでも出てくる。

だが結局、嘘か本当かも分からないナターシャの『仕事だから』という言葉を信じ、言う通りに指示された金額をアタッシュケースに詰めてしまう。

どうせ"ベット"の軍資金だろうに。


馬車が行き交う車道を横目に見ながら、照り返しの強い白レンガを歩くアレンに、どうせやることもないからとエマは同行を望んだ。

着いてきた所で行き場は裏カジノで。新人の中にあるナターシャへの尊敬や威厳を落としてしまうかもしれない…と悩むアレンだったが、問題を起こして雲隠れしている今も同じようなものだろうとの結論に至った。なんとも悲しい結論である。

ただエマにとってのショックは別の所にあるらしい。


「なんで廃墟になんて…バッキンガム教会の方がいいじゃないですか…」


行き先が廃ビルだと聞いてからエマはテンションが急降下を極めている。

行くついでにバッキンガム教会寄ってみません?なんて言ってきたくらいだ。もちろん断ったが。


前方にはナターシャの指定した廃ビルが見えてきた。4階建てで元々はオフィスビルだったようだ。


「廃墟も教会もそう変わらないな」


ポツリと吐いた言葉を拾うように、エマが聞き返してくる。


「意味が無い建物ってところがだよ」

「アレンさん地獄に落ちますよ」



***



指定された廃墟は、長い間撤去作業がされていないビルだった。入口の前には警察の規制線を模した黄色のテープが何本も張られている。言わずもがな立ち入りを警察が禁じているらしいが、所詮こんな薄っぺらさは偽物だ。試しにアレンが触ってみるが、電流も流れなければブザーも鳴らなかった。


「本当にナターシャさん、こんな所に居るんですかねぇ…。一番こーゆうの汚いって嫌いそうなのに 」

「地下に行ってみないと分からないな」

「地下!?」エマの大声が、無人の敷地を劈いた。


「こんなオバケ出そうな場所の地下に行くんですか!?」

「あの人が指定したのは廃墟じゃない、廃墟の地下二階だ。行くしかないでしょ」


地下にナターシャが居ると聞いた時点で、そこにあるのは違法カジノだと想像がついたが、こんなどこにでも残っていそうな廃ビルにすら巣を作るなんて感心すらしてしまう。

どうりでいくら違法店を検挙しても減らないワケだ。ちなみに生活安全課の仕事の1つに違法店の取締りもあるが、ナターシャが仕事の為にここに来ているとは思いにくい。口では潜入捜査だと言うが、カジノで遊んでいることはざらである。

きっと今頃、この下で一喜一憂していることだろう。


はたしてこの金、渡していいものか…。

考えはするが悩みはしない。金遣いがいい客ほど手厚くもてなされ、上の連中と親しくなれるのはどこの社会だってそうだ。そして、ナターシャの言い訳の一つである。


アレンはただの見掛け倒しのテープを掴み上げ、敷地に内足を踏み入れる。やはり何も起こらなかった。


「ほら、行くよ」


振り返り、廃棄の前で1歩も動かないエマを促す。彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして、黄色の目で訴えてくる。こんな肝試しに行きたくないと。


「居るとしたら、幽霊より怖いのだろうな」

「え!?悪霊?悪魔とかですか…!?」

「……幸せだね、アンタ」

「馬鹿にしてますね?」


むっと睨めつけてくるエマに怖いものなんてないだろう。すり減らされた言葉でいえば、1番怖いのは人だとアレンは思う。

人は人を簡単に殺せるんだから。死ぬ以上に怖い事などあるのだろうか。


規制線のテープを引き上げたまま新人を待っているアレンは、とうとう痺れを切らして最終警告「来ないなら置いていく」と告げる。うっ、と言葉を詰まらせたエマは、不服そうに返事をしながら、渋々屈んでアレンの押さえているテープをくぐった。

やっと腕を下ろせたアレンに金色の巻き毛を直しながらエマは言う。


「アレンさんが先歩いてくださいね!」


ビルに入ると、中は想像以上に閑散としていた。散らかっているかとも思ったが、規制線はもどきと言えど想像以上に効果があるらしく、人が入った形跡はほとんどなかった。

割れた窓ガラスが散乱した床、一面に落書きされた壁…を想定していたアレンは見事に裏切られた。実際は家具だけがごっそり抜け落ちただけの、殺風景な空間が広がっていた。

空き物件を見ているかの様だ。だがエマは未だに肝試しをしているらしく、終始色んな方向を振り返っては巻き毛を揺らしている。響く足音に敏感になりすぎて、隣のアレンが歩いた音にすら肩を跳ねさせる始末だ。

そしてアレンがさっさと階段を見つけ降り始めた時には、「やっぱりやめましょうよ」と眉を下げた。


「やめないに決まってんでしょ」

「こんな真っ暗なとこ、危険です!途中で階段が壊れてたらどうするんですか、滑って落ちちゃったら?」

「はあ……」


確かに電気の切れた階段を手探りで降りるのは危ないが、目が慣れれば見えないこともないだろう。それより、電気に気づいた何者かの不意打ちの方がよっぽど危険だ。違法カジノとあれば、用心棒の1人2人は確実にいるだろう。

もう一度最終警告を放ち、アレンは壁に手を這わせ階段を降りた。

「待ってくださいよ…」


小走りの足音と頼りなさげな声が響く。

暗がりの階段を一歩一歩確かに踏みしめる。3段先はもうほとんど黒で同化している程、もう日の光すら届かない。慎重に進み続け地下1階を過ぎた頃、踊り場から再び階段に足を踏み下ろした時、突然の眩しさで瞳孔がきゅっと締まった。

パッと、今までそんな気配微塵も見せなかったフットライトが点灯したのだ。おそらくセンサーだろう。明かりがどんどん広がっていき、視界には奥行が出来上がる。等間隔に配置されたフットライトが次々と灯って、一瞬で階段の足元を照らした。


無言でエマと顔を見合わせる。分かりやすいくらい、新人の顔には緊張と警戒が浮かんでいた。やっとここがただの廃墟で無いことを信じたらしい。


地下二階は最下層の様だった。その下に続く階段はなく、階段を降りた先にあるのは中に繋がる防火扉が一つだけである。

この中の連中が侵入者に敵意を向けているなら、まずこの扉を開けた瞬間に叩く最も効率的だろう。


それ、と手を差し伸べるエマにアタッシュケースを手渡して、防火扉のノブに手を掛ける。迷った末に片手をスーツの中の胸ポケットに突っ込みスプレー缶を握りながら、重たい扉を体重を掛けながら開ける。


ああ、案の定だ。


*



鉛の扉に隠された一本道の廊下とは、想像以上の光景だった。急に点灯したフットライトの怪しさから、ただの廃墟だという考えは捨てたが、まさかこんなに手入れがされているなんて…。アレンの後ろでエマは目を瞬かせた。

塗りたての白い壁と磨かれた真っ白なタイルは、天井の電気を反射させてきらきら光る。そしてその先に見える黒い人影。

先輩の背中越しから分かったのは、行く手を遮るように屈強な男がスーツを着込み立ち塞がっていた。

その男を見て、エマはギョッとした。その男の太い腕には、誰もがスーツと一緒に握った事がないであろう、大きな鉞が握られていたのだ。護衛?門番?どうにしろ異常なまでの警戒心だ。


「ぁ、レンさん!」


悲鳴まがいの声が出てしまう。

なんで?ナターシャは本当にここに居るのだろうか?

男の膝まである大きな刃は、素人目に見ても研がれているのがよく分かる。しかも、血までこべりついているではないか!

アレンのジャケットを掴み、引っ張った。

こんな所にいては殺されてしまう。体格差だけで勝ち目もないのに、エマは武器を持ち合わせていない。狭い廊下であの大きさの凶器を振り回されては逃げ場なんてない、絶望的な状況だ。

なのに、アレンは動じることなく冷ややかに男を見据えていた。


「…ジェイクかよ」

「え?お知り合いなんですか!?」

「いや。この前観に行かされた殺人鬼の舞台に、こんなのがいたから、そう思っただけ」

「戻りましょう!あの、すみません!!私達間違えてここに来ちゃったんです!すぐ帰りますから!!」


男の足は止まらない。斧を引きずりながらゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

防火扉に飛びついたエマだったが、なんどドアを引いても開かない。鍵をかけられたらしい。


「なんでぇ……!」


とうとう2人の前で男の足は止まった。八方塞がりである。長身のアレンよりも高いその男は、2m近くあるのかもしれない。覆面から見える目だけが、アレンとエマを品定めするかのように、上から下まで見やった。

そしてくぐもった声を出す。


「"傘をお持ちですか?"」

「…は?」「はい?」

「"傘をお持ちですか?"」


なにかの合言葉に違いない。言えた仲間は中に入れ、言えなかった部外者は殺す。シンプルな2択だ。

もちろんエマが知っている訳もなく…。

僅かな望みはナターシャの電話に出たアレンが、合言葉を聞いていることだけだ。だが彼女は一方的に用件だけ言って切ってしまった様だし、現にアレンの反応からして彼も知らないのだろう。


アレンさん…。

男を静かに見つめるアレンが心配で、彼のジャケットを握った。すると、胸ポケットに入れてない方の手で、バシッと叩き落とされた。

そして、その手で"黙れ"と"視線:下"のジェスチャーをする。捜査でよく使われる合図だ。

エマは言われた通りに下を向き口を噤んだ。


「私達はある人に頼まれ、ここに金を届けに来ました。その人は中で待っていると仰っていました」


アレンの声は斧に気圧されることなく、いつも通りに淡々としている。


「通していただけますか」

「"傘をお持ちではないのですか?"お持ちでない方を通すことは出来ません」

「それが合言葉なのは察しがつきますが、ただの荷物を運ぶだけの存在に合言葉を求めていいのでしょうか。激選された会員にしか伝えないからこその合言葉なのでしょう。1度ここに足を踏み入れたら会員ですか?」

「"傘をお持ちではないのですね"」


確認するような口ぶりは、言質を欲しがっているようにも聞こえた。


「私と彼女を殺さない方が身の為です。この中にいる人物に寵愛を受けています。どのような身分が出入りしているのか、穢れの仕事をする程度の出自のあなたでもお分かりなのではないですか」

「……」

「ここの門番は礼儀も弁えない野蛮な異国民か否か、態度で示しなさい。さっさと道を開けろ」


睨みに気圧されたのは、男の方だった。

身の丈に合わずたじろぐ覆面男の背後から、突然女性の笑い声がする。アレンの背後でエマが隠れていたように、ガタイのいい男の死角にも女性が隠れていたらしい。


「私の部下は全くもって、可愛げがなくなったらしいわ!」


そしてその声は、エマにとってもアレンにとっても聞きなれた声だった。男が振り返りやっと、その屈強な身体で隠れていた廊下の全貌が顕になる。

8cmヒールのナターシャは、ニヤニヤと楽しそうに笑っていた。


「ビビるかと思ったら言葉で脅すなんて、口達者になったのね」

「誰かの振る舞いを真似ただけですよ」

「ウィンザー様、彼らでお間違いないのでしょうか…?」

「ええ。悪いわね、私に免じて通してちょうだい」

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