表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

カジノ時々火車事変

島国ポートナム・パレイスの西海岸に位置するルピシエ市は、王国時代、都として栄えていた歴史ある街である。歴史価値の高い建造物がこの街には形を保たれたまま残っていて、その中でも有名なのが現在の警察署。ルピシエ警察署は500年前の王都時代に外務省として使われていた建物を再利用している。ゴシック調を代表とする白レンガと繊細な彫刻柱は、当時の一流建築士が手がけたと記録に残されており、豪華絢爛な屋敷はこの街で一際存在感を放っている。


そんな歴史情緒溢れるルピシエ市は、古都して観光客の絶えない街なのだが……実の所、国内屈指の犯罪率を誇っている街でもある。

そして近年問題視されているのが、突如として拡散された違法薬物である。

構造全てが未知である、特殊指定薬物。

数年前では非科学的非現実的だと思われていたありとあらゆる事象を実現させてしまう薬が、国内中に蔓延している。そしてルピシエ市は、海岸という事も影響して特にその薬物が出回っていた。

構造は全くの未知であり、今までの科学が常識が全く通用しなかった。特殊指定薬物の誕生を機に、それらを解析を進めるべく設立された未詳科学研究班は、特殊指定薬物の構成物質を発見する度に数時間ごとに更新しているのだが、それでも1週間も経てば倍の数にまで登ってしまう。そして予測では、それらも氷山の一角でしかないとか。

そんな、法律すら追いつかない薬物問題に歯止めをかけるべく創設された警察機関が、ルピシエ警察署生活安全課所属特殊麻薬取締班。

課長のナターシャが指揮を執る通称『まとり』である。


だったのだが…



「なんてざまだ」


彼女に言い放たれた言葉は重く、怒りが滲んでいた。



"カジノときどき火車事変"


***


ルピシエ警察署の三階、生活安全課のオフィスは過去と現代でチグハグしていた。例えば、ゴシック調の支柱が当時の黄金比で並んでいるにも関わらず、無遠慮にも現代文明のモニターが取り付けられる所とか。コードなんて酷いものだ。大理石と絨毯を我が物顔で這っている。このルピシエ署に配属されて少し経つが、このチグハグ具合をエマは勿体ないと思っていた。アンティークで揃えた方が絶対いいのに…。そしたらどこで写真を撮ろうと映えるに決まってる。友達からはオシャレな職場だと羨まれる事だろう。とっても……悔やまれる。けれどそれが、この古都である特別行政区に住む人達の感覚なのだ。

所詮外観重視だとか、歴史保存?!だっていうのは他所から見ている側が勿体ないと嘆いているだけで、ここに住む人達は保護建造物の隣にビルを建てる事になんの疑問も持たない。何故かと聞かれればビルが必要だから。たまたま隣5世紀前に作られた豪邸が残っていたというだけ。この街にごまんとある豪邸をいちいち特別視なんてしていないのだ。


『この女性警官の非人道的な行動は到底許されるものではありません…』

支柱に取り付けられた不釣り合いのモニターでは、コメンテーターが昨日の事件を硬い表情を浮かべて語っていた。

事件、とはいうが実際には警察が犯人を逮捕した話。


歴史的財産なんてものが身近にごろごろと転がり当たり前の一部であるここの人達がなにを重んじているのか、その1つが貴族至上主義だと思う。貴族がほとんど納めた税金で活動しているにも関わらず、貴族と平民の差別をすることなく取り締まる警察の肩身は狭い。ちなみにそんな身分制度は数十年前に既に廃止済みであるが、古都では未だに見えない序列が徹底されている。


だから今日もモニターの中でもスマホのトップニュースでも、警察のバッシングは盛り上がっていた。


昨日の午後3時、この街の人々の憩いの時間憩いの場所であるカフェで突如繰り広げられた逮捕劇。

特殊指定薬物の売人を、ある警察官2名が逮捕した。

犯人は銃を持ち、更には発砲したとすら言われているが、怪我人はゼロ。そう聞くと問題はなさそうだが…

その際に警察官の1人が、貴族の娘を蹴り飛ばしたらしい。貴族の娘というのは売人と一緒に逮捕された薬物所持者の事なのだが、それを知っているのは新人とはいえルピシエ警察のエマだからなのかもしれない。きっと、このニュースを見ているほとんどの人は報道を鵜呑みにして野蛮な警察官としか思わない。


「で、誰なんですかね、この問題の警察官2人って?」


どこでもバッシングされている2人だが、警察官の似顔絵すら上がってこない今では一体誰のことなのかさっぱりだ。噂では、一般人がその逮捕劇を録画し、ネット上に公開していたらしいが、ネットパトロールが徹底しているルピシエ警察署が顔認識を駆使し動画を発見、早急に削除したらしい。そもそもスマホから始まり便利な機械を開発したのは警察傘下の未詳科学研究班。未知の科学が使用されている特殊指定薬物を解析した未研は、研究で培い得た新技術を駆使し、道具を開発する役目も担っているのだ。

だからネット環境はおろか、個々の端末内のデータも警察が整備という名目で管理している。きっと撮影者の端末からも今頃、あの動画は消されているはずだ。今となっては警察官の身元なんて、不可能である。その徹底さがまた、プライバシーの侵害としてバッシングされているのだが。


そうまでして身元を隠された警察官。だろうと!こんなに問題扱いされていては誰の事だかとても気になる。犯人探しなんてしたくはないけれど、身内とはいえエマも気になるわけで。


「特殊麻薬の売人を逮捕したってなると、ウチか、刑事課かですよね?」


いろんな線を考えてみては首を捻る。だがこの犯人探し、エマの先輩にとっては至極どうでもいいことだったようで「知らなーい」と一蹴された。


端麗な顔は動じるどころか表情すら浮かべずにツンと、冷たくあしらわれてしまった。そうして彼はまた、アンティークデスクで絵になるくらい綺麗な姿で書類を読むのだ。アレン・レディアノフ。この警察署内ではおろか、街に出歩いただけで周囲の人を振り向かせるだけある容姿は、まるで彫刻のようだと思う。

エマだってこの部署に配属された時は、超イケメンな先輩の存在に喜んだ。でもそれも今となっては過去の話、綺麗な顔から吐かれる淡々とした罵詈雑言の事を考えると、彫刻の方がきっといい。


そんな彼の頭の中にあるのは、ボスの事だけ。ボスに頼まれたらどんな仕事だろうとひとつ返事でこなす彼には、今回のお騒がせ警察官なんてどうでもいいのだ。アレンの指が2回机を叩くと、モニターはブツッと音を立てて電源を落とす。

指先で叩いた一定のリズムが信号となって、エマが見ていたニュース『ディップ』は問答無用で消されてしまった。


「あー!ちょっと!!私観てたんですけど!?」

「仕事もしないでここにニュース見に来たって?」

「うっ…」

「違うでしょ。なら、さっさとしなよ仕事」


ごもっとも、正論でしかなかった。エマはずっと、仕事をしている先輩の横でニュースを観ていたのだから。だからアレンの机には捜査資料が乗っかる一方で、エマの机はまっさら更地である。でもなにもサボっていたのではなく、これには言い分がある。エマはまだここに配属されている3ヶ月の新人、日々の仕事はボスのナターシャと相談し、分担してもらっているのだ。1人で全ての仕事を請け負うことすらまだ少なく、アレンの様に1人で捜査を担当するなんて以ての外である。


「アレンさん、私ナターシャさんが居ないとお仕事が…」

「ああ……そうか。アンタまだその期間か…」


アレンは苦い顔をすると、おもむろにスマホを取り出した。そして何処かに電話を掛ける。

プルル…、耳を済ませていると僅かに聞こえてくるコール音が二人きりにしては広すぎるオフィスを包む。不在のナターシャに直接、エマへの指示を聞いてくれるのだろうか?

だが、電話口から彼女の声は聞こえることなく、1分程待って痺れを切らしたアレンが舌打ちをした。


「朝からこれだ。あの人出ないんだよ」

「朝から?じゃあ今日遅刻して来たのってナターシャさんに電話していたからとかでした?」

「うん、何十回も掛けてたから」

「何十回……。それはもう、意地ですね」

「意地だね」


サラッと言ってのけるのがまた怖かった。

意地とはいえ、30分の遅刻の間に数十回と電話が出来るこの人物を怒らせてはまずいと、本能的に悟った。


「あぁ、あと別の所にも何本か電話する必要があったから遅れたのはそれもあるな。だから……迷惑かけたね」

「いーえ?。お気遣いはこれで充分ですよ」


ニッコリ笑って、エマはマグカップを持ち上げた。30分遅刻してきたアレンは、お詫びにとコーヒーを淹れてくれたのだ。紅茶の味にうるさいナターシャに"アレンの淹れる紅茶は世界で2番目に美味しい"と言わせるだけあって、彼の淹れるお茶は折り紙付き、喫茶店以上のクオリティを誇る。

でも今日は気分を変えてなのか、貰ったのはブラックコーヒーだった。訳を聞くと『いつも紅茶ばかりで飽きかけてるから』との事。ティータイムにウンザリしてきている辺り、アレンさんもやっぱり移民だなあ…と思う。

そして、彼の淹れたコーヒーは紅茶と同じくらいに美味しかった。

ふうっと一服ついたところで、エマは気持ちを新たに仕事モードに切り替える。


「アレンさん!」


コーヒーを飲んでいたアレンは、視線だけをこちらに投げかける。


「お手伝いすることってありますか」

「えー。ない」


もう少し考えてくれたっていいのでは。即答しなくても…。だがエマも食い下がる。ニュースも見れず仕事も出来ずのやる事なしは避けたかった。


「アレンさん、私こう見えて警察登用試験の成績は一番だったんですよ?少しくらい手伝えること、あると思うんです」

「優秀なのは知ってる」

「えっ!」

「嫌でもね」

「……え」


褒められたのかと思ったのに。マグカップを置いて、アレンは口を開く。


「アンタが配属される前から、こっちは期待の新人が本部から来るって騒ぎだったんだから。どうして絶対記憶の持ち主がまとりなんかにーって、ね」

「それは私が希望したからですよ!」

「でも、本部の出世街道からどうしてハズレくじ欲しがるのかは俺も理解出来ないな」

「だって、魔法みたいな薬物を相手に戦う最前線ですよ?警察官で憧れる人、普通に居たと思います」


あの事故があったって、と言いかけエマは飲み込んだ。きっと何年経とうと、アレンにも苦い記憶だろう。

たった一度だけまとりの前に現れた、人心掌握を可能とする人を操る恐怖の薬。その捜査中に、薬に操られ人を撃ったまとりは、その日から拳銃を持てなくなった。当時はまだ首都に居たエマも、その事件はよくニュースで報道されていた。1つは特殊指定薬物の恐ろしさ、そしてもうひとつは、警察官…まとりの無能さである。

でもここに来て分かったのが無能どころか、個々の有能さ。絶対記憶を持つエマがどうしてここに来たのかアレンは不思議がるが、エマはその逆、彼がどうしてここに留まっているのか分からない。


今日だって。

ナターシャが雲隠れした今、苦労しているのは他ならない彼だろう。

でも不満すら言わない。それがエマには不思議でならなかった。今頃課長はどうしているのだろうか。

その時、マナーモードの携帯が震えた。


エマはスマホを慌てて机の下の膝の上に滑り込ませた。メッセージを読まれてしまったかと一瞬焦ったが、その心配はいらなかったようだ。アレンの視線はエマを見ることなく、じっと捜査資料に落とされている。ホッと内心安堵していると、紫の双眸がエマを捉えた。


「何見てんの」不機嫌そうに眉間が狭まる。

「あ!いやぁ?…。そういえばアレンさんのところのスポンサーブランド、新しいポスター出してましたよね!見ましたよ?」

「それ。言われても嬉しくないし、おだてても俺は仕事振れる立場じゃないから」

「あはは、残念。でも、私なにすればいいんですかね?…」

「帰っていいんじゃない?」

「ああ!……え?帰る?」

「うん。ナターシャさんは責めないだろうし。俺だったら帰るかな」

「えーー……そんなぁ。さすがにそれは」

「気が引ける?別にいいと思うけどね」


国家公務員として、全くよくないと思う。けれどこのままアレンと話していると流されてしまいそうで。本当に昼前から帰ることになりそうだったから、エマは心の中で喝を入れてパソコンの電源を付けた。

2週間前から発売を楽しみにしていた新作スイーツを買いに行きたいなんて煩悩、頭から追い払った。

コーヒーを味わいながら、パソコンが起動するまでスマホを見る。アレンが見ていないと確認した上で、エマはある警察官2人を写した画像をもう一度開いた。警察のネットパトロールを掻い潜る為に、顔こそ塗りつぶされているが、これが昨日問題を起こした警察官2名だという。報道通りに男女であり、どちらも有名ブランドのスーツを着込んでいる。しかも男の着るスーツは、アレンのスポンサーとしてついているVVの新作のものだった。ポスターで着ていたものと同じデザインである。


………新作?

ふと胸をついた疑問は、パソコンに現れたログイン画面に気づいた時には消えていた。警察IDとパスワードを打ち込む。


「アレンさんって、バッキンガム教会行ったことありますか?今日やることないんだったらパトロールついでに見に行こうかなって思ってるんですけど」


バッキンガム教会は歴史建造物が多く残るルピシエ市の中でも、一際有名な観光スポットである。王国建国時に建てられた最古の教会には天使像や天井画など死ぬまでに見たいと言わしめる美術品が数多く保存されていて、しかも極めつけのステンドグラスは、未詳科学の発展により当時の状態に復元出来たと聞いた。太陽の当たるステンドグラスの輝きは、当時の人達が見ていたものと同じだなんて聞かされては、この国の歴史にあまり詳しくないエマだって行ってみたい!それに、…新作スイーツの店はバッキンガム神殿の近くだ。


「いいんじゃない。俺はないけど、行った友達は良かったって言ってたよ」

「え?やっぱりです?じゃあ決まり!あ、アレンさんも行きせん?シュウくんは今日も署長業務のお手伝いで帰ってこないだろうし、1人でここに残るの寂しいですよ!」

「心底大丈夫です」

「心底大丈夫」

「どうせ撮った写真に男の影をさせたいだけだろ?馬鹿みたいな理由で俺を使うな」

「なぁ……!だって!最短記録更新したくないんですもん、まだ周りには付き合ってる風に思わせたいじゃないですか」

「安心しな。今回の最短記録もどうせすぐ越してくれるよ、未来のアンタが」

「2週間超えることってあると思います!?」

「早」

「や早いのは分かってるんですよだからバレたくないんですっても?!!」

「やだ」ピシャリ、取り付く島もなし。


釣れないなあ、とエマは口を尖らせた。

一緒にバッキンガム教会に行ければ、仕事を全うしている先輩を置いて観光する罪悪感が減る、なんてずるい考えもなくはなかった。それにアレンはまだ行ったことがないというなら、チャンスはまだある。そして一緒に行って一緒に怒られた方がいい!


あ、写真。エマは閃いた。

写真を見せればその気になるんじゃないか?そう思って早速検索しようと思ったパソコンは、未だにログイン画面のままである。


『IDまたはパスワードが違います。指紋認証に移ることが出来ませんでした、再度間違いがないかご確認ください』


ポップアップメッセージに言われるままもう一度入力し直すが、また閉め出される。あれ、おかしいな。昨日まで自然とログインできていたのに。


「ねえアレンさん…」

「待って。アンタ、149827、覚えておいて」

「はーい。で、いいですか?パソコンが開かないんですよぉ」

「………なんでだろうね」

「なんですかその間」

「なんでかなって思った間」

「えなに怪しい…。あ!まさかこのパソコンも乗っ取られた!?」

「アンタ、ネット信じすぎ。乗っ取りなんてそれ自体がデマでしょ。警察が一から作り上げた道具、一般人が仕組みを理解してプログラムし直すなんて有り得ない」

「でも!昨日はちゃんと入れたんですよ?なのにほら」


パソコン画面をアレンの方に向けた。じっとポップアップメッセージを見つめるアレンは小さくため息を吐くと、「やっぱりか」と言った。


「やっぱりって?やっぱりなんですか!?」

「俺もそう、閉め出されてる。データベースにアクセス出来ないようになってる」

「なんで!?」

「生活安全課の仕事はデータベースに問い合わせる必要がないって判断されたんだろ。それか、データベースが見れたらこっちが、まとりの仕事をすると思われたか」


次々湧く疑問、状況が掴めない。確かに前者は安全課の仕事はパトロールから始まり交通安全教室やスピード違反の取り締まり。事前に捜査する必要なんてなければデータベースから過去の犯罪や犯人の情報を知っておく必要も無い。じゃあ後者は?まとりの仕事をするのは至極当たり前のこと。なのにどうしてその邪魔をするのか。

それは、ナターシャが雲隠れしているのと関係があるのだろうか。でもデータベースから閉め出すなんて権限は署長ぐらいしか持ち合わせていない。

もしかして……されたくない理由がある?例えば、そうだ。問題を起こした直後だから、とか……?


「アレンさん……」


先程胸をついた疑問を思い出した。エマが思うより自分の口から出た声は堅いもので、アレンは手を止めて視線だけを投げかける。彼のスーツの胸ポケットにはブランドのロゴが刺繍されている。


「アレンさんって、VVのスーツを着るのも契約の内ですよね」

「まあ。密着取材が入れば、顔は映らなくてもスーツは映るし。広告になるからね」

「そのスーツって、買って着るんですか?」

「いや貰う」

「発売前の新作とかも?」

「そうだよ、だから?なんの質問だよ」


だったら全ての話に説明がつく。今朝のニュース、アレンの遅刻、データベースからの閉め出し、そしてナターシャの不在。スマホの画像はその後押しをしている。ピースがはまって行くように感じた。


「………じゃあこの発売日前のスーツを着てるのって、やっぱりアレンさんですよね?」


見せるのは憚られたが、エマは顔を塗りつぶされた二人が映る写真をアレンに見せた。男性のスーツには彼と同じ場所に同じ刺繍が入っている。そして、写真の中の彼が着ているのは、ポスターで初めて公開された、新作スーツだった。発売日は一週間後である。


「カマかけてたのか、俺に」


まるで誘導尋問の様な聞き方をしてしまった事もあり、アレンは苛立たしそうに舌打ちづく。


「い、いやあ…そういうわけではないんですけど」

「てかこの写真どこで手に入れた」

「ネットです。あ、大丈夫ですよ!出回ってはないみたいです。それに…これだけ見ても誰が誰だか分からないだろうし」

「そうかもな、アンタみたいにカマかけない限り」

「うっ…」

「でもだからって放って置けない。どこに出てるか知らないけど、そのサイトには未研に削除要請出しておけ」

「はい!でも、何があったんですか?」

「質問が多い」

「あごめんなさい、でも隠してるって酷くないですか?私達チームじゃないですか!副長のシュウくんは知ってるんです?」


ピクっと、上司の名前にアレンの眉がはねた。


「知らない。署長に聞かされてたら知ってる。シュウさんは元々前線に出たがらないし、要らない心配かける必要ないでしょ」

「………」

「うざったい」

「えーー…」


至近距離で、しかも目を見て罵倒されたのは生まれて初めてだ。軽いショックを受けながら、エマはすごすごと彼の元から引き下がった。


「隣の女性はやっぱりナターシャさんですよね…」

「はあ……」まだその話かと言わんばかりのため息をされてしまった。

でもエマの中では全然終わってないのだ。なにせこの状況はまだ分からないことだらけである。彼に肯定されて初めて、この顔の分からない女性が雲隠れしてしまったナターシャだと知るのだ。


「でもニュースのことは鵜呑みにするな。あれは、嘘は言ってないけど真実でもない」

「分かってますよそれくらい!でもあのバッシングの感じ、しばらく続くと思いません?私達、どうなっちゃうんですかね…。てかもうまとりの仕事は取り上げられちゃってますし…」

「それはナターシャさんに聞いてみないと分からないけど、あの通りだから。ま、どうせ"これ"だろうけど」


これ、とアレンは両手のひらを向かい合わせ、なにかを差し出すジェスチャーをするが、エマにはどれがこれなのか全くわからない。


「えなんですかそれ」

「これだよ、これ」

「前ならえ」

「違う、ベット」


***


「ベットを始めてください」


いくら賭けようなんて考えながら、カクテルを喉に流し込んだ。


ブーッ、ブーッ……

尻ポケットに入れていたスマホが震えだす。まただ、と舌打ちしながら、ナターシャは隣の客と同様にチップを積み上げていた。どうせまたアレンからだろう。今朝から何度も何度も、まるで何かを察したかのように彼からしつこく着信が来るのだ。その度無視を決め込んでいるのに、懲りないヤツだと思う。チップの山を動かしているうちに電話は切れた。今頃不在着信の通知は50を超えていそうだ。


はぁ…とため息を吐いた所で、目の前の中年のディーラーと目が合う。焼き物のカップを掴む手には長く口の広い袖が被さっていて、いかにも異国情緒と言った具合。そんな、壺振りがナターシャを見つめて何かを待っている。


「あぁ…半」

「では、丁半出揃いました。勝負!」


位置でいえば裏路地の廃墟ビル。侵入出来ないようテープが張り巡らされ看板には『所有地につき立ち入り禁止』なんて書いてあるのは所詮表の顔。非常階段を降りていくと、センサーで灯った照明が暗い足元を照らしてくれるようになる。地下二階、ガタイのいい用心棒が門番を務める防火扉を開ければそこには、会員制のカジノが広がっていた。


この街に根強く蔓延る裏社会の入口である。

ベルベッドのカーテンが壁をぐるりと沿って掛かる大ホール。ルーレットやスロット台が立ち並ぶ中、


「ニロクの丁!」


小上がりになったブースには畳が敷かれ、東から来たという、ツボフリが行われていた。偶数か奇数か、丁半を賭けた後に民族衣装を着込んだディーラーが長い袖口を振り上げ壺を開ける。


わあわあ歓声怒声が入り乱れ湧く最中、


「はあ!?くっそ……」


ナターシャは一人、座布団の上で頭を抱えた。

また負けたのだ。

負けてばかり。賭けもそう、サシの対決もそうだった。

ストレス解消のつもりで足を運んだカジノだが、ナターシャの心には負荷がどんどん強まっていく。


"「なんてざまだ」"と。

昨日1ヶ月越しの捜査の末、麻薬取引現場を押さえ、発砲されようとけが人1人出さなかった功績を、ルピシエ警察署署長のマリウスは切り捨てたのだ。


***


天窓から夕日が差し込む署長室の中央には、実態のないスクリーンが浮かび上がり、カフェでの逮捕劇を映し出していた。

そして何故か、当事者であるナターシャは、上司であるルピシエ警察署署長のマリウスと共にその一部始終を見せられていた。

あの日、あのカフェから薬物所持のハンナと売人のモンス、改めマルティオが連行されるのを見送った後、もっと詳しくいえば署に帰ってきた直後のことである。

署長室に呼ばれて、有無も言わさず自身の目で見てきた光景を再上映させられたのは。


部屋に入るや否や、机についていたマリウスはここに立て、と机の前を指差し指示する。だが立っている必要性を感じられなかったので、ナターシャは無視して署長机を向いている側の応接用ソファーに座った。そこで頬杖をつきながら、姿を現したスクリーンをつまらなそうに眺めていた。というか実際、つまらない以上の何物でもなかった。

つまらなすぎて、この時間の意味について考えていたくらい。結局これは時間を捨てている行為か、または未研が新しく開発したスクリーンの性能を見せつけられてるかの2択にヤマをはっていた。

まあ実際、そのどれもがハズレだったけれど。


映像は終盤に差し迫っていた。2発目の銃声、踏み込んだナターシャの一撃はマルティオの喉元を突く。これが決め手となって、彼の腕には手錠がかけられたのだ。でもその割には、半透明越しに見えるマリウスの顔は硬いものに見える。やはり彼の反応行動一つ一つのワケが分からず、だから自分の功績には自分で口笛を吹いて賞賛してやった。…それが逆鱗に触れたらしい。


ゴンッ!!


鈍い音を立てて、黒いグローブの拳が机に打ち付けられた。怒りすら帯びたその一撃に、スクリーンは逃げ出すようにパッと消える。するとどうだろう、ナターシャと署長との間には遮るものがなくなってしまったのだから、お陰で彼女は署長の怒りに燃えた眼光を直視する羽目に。ギラギラと憤怒で燃えた真っ赤な目、視線だけで人を殺せそうだ。


「………なんてざまだ、ナターシャ・ウィンザー」


発せられた声は地を這う程に低く、背筋を凍らせるには充分すぎた。

だが、彼が何をそんなに怒っているのかナターシャには見当もつかない。むしろ使用者と一緒に組織の売人を芋づる式に捕まえたんだから、労われてもいいくらいの功績だと思ったのに。

なのにこの仕打ちは…昼間に暴れすぎ、とでも言うんだろうか。


「お前に見せた映像は、一般市民が撮影した動画だ。恐らく店内にいた客の1人だろう。撮影されている自覚はあったのか」


声に、視線に、マリウスの威圧さにはますます拍車がかかっている。息苦しさを感じながらナターシャは頷いた。


「ええ、まあ」

「は?」

「え」

「…冗談だと言え、認知していたのか?」

「そりゃ、シャッター切られたら誰だって」

「シャッター……?」

ポカンと彼が停止したのは一瞬のこと、例えるならあの2秒間は嵐の前の静けさだった。次の瞬間には、


「ふざけるな!!」


キーーンっ……

怒声がナターシャの耳をつんざいた。


「写真だけは警戒しろと、何度俺が言ったと思っている!にも関わらず言ったな、ナターシャ。認知していただとか、シャッターを切られただとか、ぬけぬけと。

なあ聞かせてくれ、なぜそうも気楽に物が言えるんだ貴様、何を考えたらそう他人事の様にいけしゃあしゃあと…」

「いけしゃあしゃあ?」


ぴくりとナターシャの眉根が跳ねた。そして次の瞬間には、


「動画を見てなお!どんな状況か分からなかったんですか!!」


カンッ、と怒声と共に彼女のヒールが大理石を穿っていた。立ち上がったナターシャはマリウスを見下ろす。彼との間に伸びる大理石は数字にして10m。邪魔な距離だ。


「銃相手に戦ったの、観ましたよね?ホシ2人に逃げられそうな状況だったんです、ご存知ですよね?私の部下の脳みそぶちまけられそうだったのは?え?観ましたか!?発砲されたのは?死人が出そうな状況下は??その目で見たわよね、その無駄にデカい目で!」


ナターシャの8cmを誇るピンヒールは怒りのまま音を鳴らし、大きな署長机を陣取る彼に向かって距離を詰める。捲し立てるようにカン、カン、カンと、歩を詰める度に、床に打ち付けられたヒールが甲高い音を上げていた。吐き捨て詰め寄るナターシャは署長机の前に立ちそして、


「いいですか!!」


バンッ!手のひらは怒りのままに強く彼の机を叩きつけた。


「椅子に座ってスナック感覚に見れるほど甘くない犯人と、クラップ一つで思いどうりになるモニターほど簡単じゃない状況相手にこっちはやってんの!写真に気をつけろだぁ?いけしゃあしゃあと!!」


カタカタと振動で揺れる、卓上のネームプレート。マリウスの真赤な瞳は冷ややかにそれを見下ろしていた。そのいつまでも他人事のような態度が、前からずっと気に食わない。間近で睨みつけてもなお、少しも怯まないその度胸が。


「ああ、確かに甘くない相手だっただろうな」


高い所から見下ろしているかのようなこの余裕さが。迫ったナターシャを一瞥してから、マリウスはため息を吐いた。そして机の上でグローブの手を組み直す。


「発砲すら厭わない相手に怪我人1人出さずに確保した、その事実は認めよう。だが、お前の対応が適切だったと言えるか?答えはNOだ。お前の部下の脳みそがぶちまけられなかったのは運が良かっただけだ、お前の実力ではない。ましてや対応力でもな。

あの状況下でお前は犯人の確保を優先した。功績欲しさにお前が一番、他の命を危険に晒したんだ。それが、今見て俺が分かったことだ」


迷いもなく、署長は言い切った。"功績"なんて嫌な単語で形容されたものだと思う。ただ、犯人を逃がせないと純粋に思っただけ。だけど否定出来ない。逃がせないと思った理由の中には、まとりとしてもう失敗できないと焦りがあったからだ。


ぎりっと奥歯を鳴らすナターシャに、マリウスは言う。トドメを刺すように一言だった。


「何を切り捨てられたか、お前の部下は感じていようと口にしないだろうがな」



*


「今さっきお前にみせたあの動画は1時間前に公の場に投稿されたものだ。撮影者はあのカフェに居合わせた客の1人で、大方撮ってすぐにSNSを使って拡散したのだろう」


説教はあれで終わること無く、


「俺が気づい頃には膨大な数の人間がこれを目にしていて、メディアもこぞって食いついていた。警察がむやみに顔を晒してどうする。写真は動画は!…似顔絵とは全く違うんだぞ!」


苦い顔をしたマリウスが言っていた。これが翌日ニュースとなりどのチャンネルでもやれ事件だ不祥事だと騒がれる事になるとは知らずに。ただあの時は、

「今警察署の回線は非難の声でパンクだ」


と言っていた。番組を作るより早く、市民は怒りの声を隠せないらしい。馬鹿らしいと思った、だって


「お前の犯罪者を蹴る行為が、要は特別公務員暴行陵虐罪に当たると」


やりすぎた行為だと、権利を逆手にとった暴力だと、法律で定められたれっきとした犯罪だと、世の中は判断したらしい。ふざけるなって話だ。

どうせ、蹴られた犯罪者であるハンナ・ルイスが貴族の出身だから上がった声だろう。なんて、なんて馬鹿らしい!!

だが相手は署長、身内の正当な不満より世間の不当な不満の方が強力で脅威だと知っているから。


「今後ほとぼりが冷めるまで、お前は前線の仕事を離れた方がいい。特殊麻薬取締班の職務は、一旦刑事課が兼任する」


なんて更に馬鹿げた提案をしてくる始末!これにはナターシャも黙っていられなかったが、


「この1年で"アヘン"の手がかりを掴まないままだっただろう?まとりへの風当たりは日に日に強くなる一方だ。そして今日の件と来た。バッシングを更に助長させるだろう」


なんて言われたらグサグサ痛いところに刺さるワケで、ナターシャの減らず口を黙らせるのには充分だった。

まとりが発足された1番の要因である、他人の思考を把握、コントロールするという脅威の特殊指定薬物、アヘンについて、署長の言う通りに全く情報がない。初めてその力を見せつけた1年前から、操作は微塵も進展出来ていない。どんなに特殊指定薬物を押収しようと、アヘンに比べれば小物。

確かにこの街どころか署内でも風当たりはよくない…。


「ならいっそ生活安全課としての、本来の市民に尽くす仕事を優先するべきだ。市民の為の警察、それが生活安全課の仕事だろう。パトロール、交通取り締まり、違法店摘発、お困りの市民様にお力添えをしてさしたげろ。それがイメージ改善に繋がる」


なに体よく言ってくれてんのよ、またウチらにクレーム処理させよっての!!

と言った。これはもう黙ってられなかった。

はあ…マリウスは重たいため息を吐く。そして低い声で言った、二の舞だと。


「お前達が拳銃所持権を剥奪されたきっかけの事件、市民は色濃く覚えているぞ」


*



「……くっそ、むかつく」


目の前の光景も、頭を過ぎる記憶も、全部が全部最悪でしかない。いつもなら気が紛れるはずのスロットの音も、トランプが切られる音も、わあわあと勝敗に上がる喧騒も、全くもってナターシャの心を癒さなかった。


"部下の命を切り捨てた"。

昨日署長に言われたその言葉が何より一番、ルーレットよりもずっと頭の中をぐるぐる回っている。

切り捨てたワケじゃない、捨てるはずがない。彼を殺させない確固たる自信があった!


でも実際どうだ、部下を人質に取られ動くなと命じられたあの時、銃を構える売人に向かって女を蹴り飛ばしたあの瞬間、ズレた標準でもお構い無しに売人が撃ってくるとは思いもしなかった。

署長室のビデオを見て分かったことは、あの発砲に当たらなかったのは部下のアレンが咄嗟に避けたからで、ナターシャが売人をよろけさせたからでもなければ自分の力量でもなかった。


運が良かっただけ。

そんな不確かなものを確信だと思ってたのかしら。


「ウィンザー様、本日は優れませんね?」


虚ろな視線を上げると、営業スマイルを浮かべたボーイと目が合った。赤と黒を基調としたカジノらしい制服をしっかり着込み、いかにも顔面審査を通りましたと言わんばかりの表情の出来上がりよう。


「いつもは人が集まる程に調子がよろしいのに、珍しいこともあるものですね」なんてにこやかに行ってくるから、ナターシャもぐるりと目を回した。


「12連敗なんて、私もこんなの初めてよ」


どうやらボーイの中では、勝負に負けて落ち込む客に映ったらしい。それは心外だ。だから目を回したついでに肩を竦めてやった。


「ディーラーが出来レースしてない限りね」

「まさか!私も驚いていたところですよ」


壺振りは無実だと両方の手のひらを振ってみせるけど、偶数か奇数かを当てるだけのゲームなのに、12ゲーム1セット分を丸々外すなんてこれはもう奇跡の部類だ。

ある意味これも運だろうか。そんな考えが頭を過ぎったのですぐにかき消した。


運?いいや、こんなの、呪いだ。あの署長の……。


「次のセットにも参加なさいますでしょう?」とボーイに聞かれたが、ナターシャは即答できなかった。


「さあね、考えとくわ」


豪遊癖は自覚しているけれど、そろそろ本格的に今日ドブに捨てた金額について考える頃だろう。

憂さ晴らしがギャンブルのナターシャ、ストレスの量と買うチップの量は比例する。

今回は最大ストレス量だったからカジノにつぎ込んだ額も相当。2時間ほどここにいるが、大量に買っておいた手持ちチップはまた底をついていた。

全くイヤになる。なんでこんなことで感動しているんだか。こんなの、まるで呪いだ。


「次のゲームまでまだ時間がありますから。それまでこちらをお楽しみください」


笑顔を貼り付けたボーイは肩に乗せていたプレートから鮮やかな赤いカクテルを差し出した。


「爽やかな味わいのものをご用意致しました。プティリアのぶどうを使用しています」


昼間だろうとここに地上のルールは関係ない。それは絶賛仕事放棄中の、部下の電話にシカトを決め込むナターシャも同じこと。

少しだけ芽生えた罪悪感を飲み込みながら、ナターシャはグラスを受け取った。この赤さ、まるであのギョロ目だ。


「あんの署長…」

「署長…?」


キョトンと目を瞬かせたボーイは、納得したようにああ、と声を漏らした。


「どこのテレビでも持ち切りですものね。ウィンザー様も昨日の警察の"不祥事"をご覧になられましたか」

「不祥事ねぇ」

「ええ、全く困った野蛮人です。ウィンザー様も貴族であられるのに、あの様な機関が出しゃばるなんてさぞ頭が痛いことでしょう」

「ははは、まったくよね」


不機嫌な顔のナターシャを見て、やはり彼女も警察が嫌いなのだとボーイは思ったらしい。うんうん、と頷いてはため息を吐く。


違う、お前にだよ。なんて言えないから、ナターシャは危うく口から出かけた言葉を、署長を思い出す胸くそ悪いカクテルで流し込んだ。


まったく、神経を逆なでられる。ピキピキと血管が切れそうだ。当の本人に言ってるとは露知らず、ボーイは饒舌に語る。

犯人に発砲させるなんて爪が甘いだとか、

罪を犯したとはいえ貴族の令嬢を蹴り飛ばすなんて無礼にも程があるだとか。

例の動画を抹消した警察の態度はどうなんだとかとか。


不満は尽きないらしい。動画をそのまま放置していたら、今頃ナターシャはここに入れないだろう。こんな、違法カジノ店に。

しかもカジノに出入りするのは所詮貴族。従業員だろうと彼らの肩を持つものがほとんどであり、どうやら彼も、主導権が貴族から国家機関に変わりつつあるのが面白くない1人らしい。


「特別公務員暴行陵虐罪に当たるのならさっさと逮捕して欲しいもので…ウィンザー様、カクテルの方はお気に召してもらえたでしょうか?」

「結構!」


ピシャリと言い放った。おかわりを差し出そうとしたボーイは、勢いよくカクテルを飲み干したナターシャにパチパチ目を瞬いた。怒りで煽ったとまだ気づいていないらしい。

気に入ったとでも思ったのだろうか、味はそこそこ、見た目は最悪。もう一杯?まさか!


「私より酒が必要な客がそこら中で待ってるわよ」


空のグラスをボーイに渡した。

「そうですね、では失礼致します」なんてまた上部の笑顔を貼り付け、ボーイは別の客の元へ向かった。

営業スマイルでは隠しきれない怪訝そうな視線は一切無視。


「彼の話に付き合って下さりありがとうございます、ウィンザー様。件のニュース、彼も気に病んでいるようで」


そう言って来たのは、畳に座るディーラーの壺振り。白髪混じりの彼は他の客にカクテルを配るボーイをみやり、少しだけ眉を下げた。それをナターシャは見逃さない。


「ワケありって言いたげね」

「ええ。昨日捕まった売人の男は、このカジノの仕入先の一人だったんですよ。彼が直接取引に応じていたので、足がつかないか心配なのでしょう」

「なるほどね、だからあんなに…」ボロクソ言ってくれたのか。


可哀想なボーイだ。今、本人も彼を心配しているディーラーも、誰もが思ってもない所で足跡を発見されるなんて。この店、違法店摘発なんかで終わらせてはもったいない。


「ウィンザー様、もう1戦されていきませんか?」


そろそろブレイクタイムも終わり新たなゲームが始まるという頃、壺振りに誘われナターシャは少しだけ驚いた。白髪混じりの彼とは何度か違う席でも勝負したことがあったけれど、こんなふうに聞かれるのはこれが初めてだ。

ストレス発散は賭けと相場が決まっているナターシャは言わば常連。ディーラー一人一人の名前は知らないけれど、顔や性格くらいは大体把握してる。こんなふうに珍しく勝負を促されたの初めてな上に珍しい。ふぅん、とナターシャ。片眉を上げた。


「言いたいことは分かったわ。私が負け続けるのがよほど楽しいみたいね」

「いえいえ、そんな事はありませんよ」


目尻に皺を寄せ微笑むディーラーは、

「ですが、ウィンザー様はよく勝負なさいますから。事前にいいお話をと思って…」

と長い袖で口元を隠しながら声を潜めはじめた。


「本日15時よりゴールデンタイムが開催されますから、それをお伝えしようと思った次第です。参加されるのであれば、チップは今のうちに増やすべきですよ」


は?とナターシャは目を丸くした。

ゴールデンタイムなんて、それ目当てで会員になる客すらいるビッグイベントだ。美術館に寄贈されていたはずの絵画や彫刻、墓荒らしが盗んだ古代の王の財宝等々、法律すれすれもしくはもろ犯しているような品物が、このカジノで稼いだチップのみで交換出来るイベント。ただし商品を得るにはかなり難しい。イベント開始時に所持しているチップを申請する事で追加で買うことが出来ず、また勝ち続けチップを増やしていく必要がある。


と、常連なだけに仕組みは知っているが実際にやったことは無い。持っているだけで違法になる代物、ナターシャが持てるはずもないのだから。


「そんなビッグイベント、いつも夜じゃない。こんな日中にやって、人が集まるの?」

「確かに普段なら夜に開催しますが、今回は希少度が違いますから…。人の少なくお客様が激選されている頃合いがいいだろうと。それにボーイの彼が、もう品物を早く手放したいと強く願い出たそうで」

「待ってよ、あのボーイってことはその品って…」


ピンッと、神経が研ぎ澄まされるのを感じた。彼のあの焦りよう、答えは一つしかないだろう。

壺振りは頷き言葉を述べた。

嫌な予感は的中した。


「………え」


というか、飛躍しすぎていた。あまりにも衝撃的すぎてナターシャは聴き逃しかけたくらいだ。

聞こえなかったというより、信じられなくてシャットアウトしかけていた。

ウソでしょ…と、オリーブ色の目を見開いてナターシャはディーラーの顔をまじまじと見やる。

だがディーラーは固く頷く。そしてふふ、と食えぬ笑顔でまた微笑むのだ。


「ですから、人心掌握が出来るという噂の麻薬、アヘンですよ。ウィンザー様、勝負を続けられますか?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ