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先輩とホワイトデー。のち妹。

作者: 輿水結衣

先輩とホワイトデー。のち妹。


前作「バレンタインわず。」を書いたときに、ホワイトデーの出来事も書かなければと思い書きました。


登場キャラクターは前回と同じく

《主人公》、その妹の《葉月》、主人公のバイト先の《先輩》、小学生の《幼女》とその《父親》です。


【あらすじ】

ホワイトデーのお返しをするために、先輩とデートの約束をした主人公は

先輩と一緒にショッピングモールへとやってきましたが

そこで迷子になってしまった幼女と遭遇し、三人で行動することになります。

はたして、幼女は父親と再会することはできるのか!


……というのは建前で、結局書きたいように書いてしまいました。

(本能的にキャラクター同士をくっつけさせたくなる症候群)


あらすじには妹の名前すらでてきませんが、前回とコンセプトは同じなので、妹モノです。

本作は、「pixiv」および「カクヨム」にも記載しております。

『先輩とホワイトデー。のち妹。』


1.

「お兄ちゃん、忘れ物ない? 先輩に渡すクッキーはちゃんと持った?」

 玄関でスニーカーの靴紐を結んでいる俺の後ろから、まるでオカンのようなことを言ってくるのは、妹の葉月だ。わざわざ見送りにきてくれることからも分かるように、俺と葉月の兄妹仲は結構よい。

「持ったよ。カバンの中に入れた」

 そういえば、ちょうど一ヶ月前も同じ光景を見た気がする。あの時はバレンタインだった。いま履いている灰色のスニーカーと同じ色をした二月の寒空の下、チョコを求めて街中をひたすら歩き回ったのだ。バレンタインのチョコ欲しさに歩き回っていた訳じゃない。可愛い妹にチョコを買ってくるようにお願いされたからだ。その最中に俺のバイト先の先輩と遭遇して、義理チョコを頂いた。だから今日は、そのお返しをするつもりだ。

 お返しのために昨日の夜は、葉月に手伝ってもらいながら、ごく普通のバタークッキーを作った。手伝ってもらったといっても、ほとんどの工程を葉月がやってしまい、俺は型抜きしかしていない。

 ちなみに、先月のバレンタインの日に、俺が歩き回る原因になったカカオ製品の品薄はまだ続いているようで、作る前に葉月は「ココアクッキーもいいね」なんて言っていたけれど、ココアパウダーが売り切れていて、作ることができなかった。まぁ、それは仕方ない。

 ここまでざっと説明してみたけれど、これから先輩に、バレンタインのお返しでバタークッキーを渡すために、会う約束をしているのだ。

「寝癖とかない? 歯磨きした? 顔洗った?」

「したした。寝癖もシャワー浴びたから大丈夫」

「本当に? もう、心配だなぁ……」

「葉月は心配性だなぁ。大丈夫だって」

 そう言って俺は、すくりと立ち上がった。

「あれ、どこで待ち合わせなんだっけ」

「駅前」

「それって……私と待ち合わせした場所じゃん。ショッピングモール行くの?」

「そうだよ」

 ほんの少し、葉月の唇がとんがった気がした。気のせいかもしれないけど。

「そっか。……まぁ、気をつけていってきなよ。クッキー、喜んでもらえるといいね」

「味は保証されてるでしょ。カバンの中で、クッキーが粉々にならなければ大丈夫だ」

 葉月は、俺の冗談を真に受けたようで、より心配そうな反応をみせる。

「ちゃんとカバンの一番上に入れた? あー、途中でペットボトル買って、潰したりしないでね」

「分かってる分かってる」

「うぅん……大丈夫かなぁ……」

「大丈夫だから。……じゃあ、いってきます」

「本当に大丈夫かなぁ……。いってらっしゃい」

 最後まで心配そうな表情の葉月と別れて家を出た。

 これから誰かに渡すものを、俺は粗末に扱ったりしない。


 休日の午前中にしては、人通りがまばらな駅前についてから、数分すると、先輩がやってきた。約束の集合時間の十分前くらいだった。

「こんにちは。先輩」

「こんにちは。後輩くん。……待ったかしら」

「全然ですよ。さっき来たところです」

「ふふ。そうなの? でも、私より先に待ち合わせ場所に居てくれるのは、なんだか嬉しいことね」

「そういうものなんですか」

「えぇ、そうよ」

 先輩はブラウンのチュニックに、黒のレギンスを履いていた。足下はブラウンのパンプス。落ち着いた色の組み合わせに、すらっとした綺麗な脚のラインが強調されて、先輩が大人っぽくみえる。まぁ、元々が大人っぽい女性だと思うんだけど。……そういえば、葉月が「早く大人になりたい」なんて言っていたけれど、こんな感じを目指しているのかもしれない。

 俺と先輩は改札に向かって歩き出す。

「でも、面白いわね。板チョコ一枚のお返しが、年下とのデートになるなんて」

「あはは。デートですか」

「えぇ、そうよ。ホワイトデーに男女が約束をするんだから、これはデートでしょう」

「なるほど」

「……というか、私以外に約束とかなかったの?」

「ないですよ」

「ふぅん。あ……もしかして、私に気があったりするのかしら」

 先輩は、俺をからかうように、いたずらっぽく大人の誘惑めいた表情を見せる。

「先輩のかっこいい振る舞いをいつも尊敬しています」

「それ、答えになってないわよ。……まぁ、いいけれど」


 俺と先輩は電車で十五分ほど揺られてから、ショッピングモールにやってきた。

 ところで、バレンタインとホワイトデーだと、どっちがお客さんの数が多いのだろうか。まぁ、このショッピングモールは来る度に混んでるイメージしかないから、結局のところは比較のしようがないのだが。

 そんなことに呆けていると、先輩は持っていたフロアマップを広げた。

「後輩くんは、どこか行きたいお店とかあるのかしら」

 とりあえずフロアマップを覗き込んでみる。

「俺は特にないですよ。先輩の行きたいところに行きましょうよ」

「本当にないの……? ふふ、じゃあ、このランジェリーショップでも行ってみる? 興味ないの?」

 先輩の下着姿……。のどをゴクリと鳴らす。一瞬気持ちが揺らいだが、それを抑えるために目を閉じる。

「……とても魅力的ですけど、ちょっと勘弁してください」

「ふふ、可愛いわね……」

 背中をポンポンと叩かれてしまった。

 先輩の目線が再び、フロアマップへと移る。

「あ、この辺の洋服屋さんとか雑貨屋さんは見ておきたいわね。春物の新作が見れそうだわ」

 そして、俺と先輩は二人でショッピングモールのお店を回った。途中で何度か試着したり、男性服の売っているお店に入って、「これ、後輩くんに似合うんじゃないかしら?」と言いながら、俺に服を試着させたりしてきた。先輩はとても楽しそうだった。




2.

「そろそろお昼どきね。……なにか食べたいものあるでしょ。言ってみて」

「う~ん。そうですね……」

 休憩スペースのベンチに座りながら、先輩と一緒にグルメガイドのパンフレットとにらめっこする。様々な料理の写真が載っている中で、俺は黄色い写真に目を奪われた。

「オムライスとかどうですか。洋食屋さんみたいですよ」

 先輩の顔が俺の方に近づく。

「どれかしら……。これ? ……たしかに美味しそうね。そこにしましょうか」

「先輩は他に食べたいものとかないんですか?」

「いいえ。オムライスが食べたいと思っていたわ。たまに食べたくなるのよ」

 本当かなぁ……。まぁ、でもいっか。

「じゃあ、この洋食屋さんに決まりですね」

「えぇ。決まりね」

「食べ終わったあとは、どこを回りますか?」

 俺はグルメガイドをカバンにしまいこむ。そういえば、クッキーいつ渡そうかな。

「う~ん。本屋さんに行きたいわね」

「先輩、本読むんですね。……どういう本を読んでるんですか?」

「そうね……。ミステリーとかかしら。他には可愛い動物の写真集とかも買ったりするわよ」

「先輩、意外と可愛いの好きなんですね」

「意外って言葉はちょっと心外ね」

「いや、なんか、普段の先輩はかっこいいイメージばっかりだから、ちょっと意外というか」

「ふふ、そうなんだ」

「――あ、チョコレートのお兄ちゃん」

 そこに突然、小学生くらいの幼女がやってきた。見覚えがある。ほんの一ヶ月前に、アスファルトでチョコをまき散らしていた幼女じゃないか。

「あら、後輩くんって、葉月ちゃん以外にも妹がいたのね」

「違いますよ。この子はちょっとした知り合いなんですよ」

「後輩くんの歳で小学生の知り合いっていうのも珍しいわね」

「まぁ、色々とあったんですよ」

「はぐらかしたわね……」

「お兄ちゃんとお姉ちゃん、二人でコソコソ何を話してるの?」

「お姉ちゃんですって……。可愛いわねこの子」

 そう言って先輩は嬉しそうに、幼女を自分の膝上に乗せた。

「くんくん……。なんか、お姉ちゃんいい匂いがする。お花みたい」

「それはね香水をつけているからよ。……って言っても分かるかしら。ふふ、大きくなったら、あなたも使うようになるわよ」

「そうなんだ~」

 先輩と幼女が話している間に俺は周囲を見渡してみる。この幼女の両親のどちらかを見つけようとしたのだが、見つけることが出来なかった。

「お兄ちゃんはお姉ちゃんとでーとなの?」

「……まぁそうかも」

「かもじゃないわよ」

「でーと?」

「……そうです」

「幼女相手に敬語なんて挙動不審ね。……それじゃまるで、私が言わせたみたいじゃない」

 そうです。とは言わなかった。

 俺と先輩のやりとりを不思議そうに見つめる幼女。

 会話が上手く途切れたところで、俺は気になっていたことを幼女に尋ねる。

「パパとママはどこにいるの?」

「ママは最初からいないよ?」

 ……。どうやら色々と事情があるようだ。それを踏まえた上で、改めて尋ねる。

「じゃあ、パパはどこ?」

「うん……。パパと一緒にね、ホワイトデーだからって、お買い物しにきたのにね、パパ、どこかにいなくなっちゃったの……」

「迷子になっちゃったってこと?」

「……うん。パパが迷子になって、どっかいっちゃったの」

 パパが迷子になったというよりは、君が迷子になったんじゃないかな……。きっと今頃、君のお父さんは必死で探しているに違いない。

「でもね、お兄ちゃんといるからだいじょうぶ。お兄ちゃんやさしいもん」

 満面の笑みを浮かべる幼女。その姿を見て、というより、笑顔を向けられた俺の方を見ながら、先輩は呆れたように口を開く。

「後輩くん、ずいぶん好かれてるのね……。これくらいの女の子が好みなのかしら」

「違いますよ」

 このやりとりを強引に折り曲げるように幼女は、

「それよりね、パパ探してたらお腹すいちゃった……」

 お腹を両手で押さえながら、そう言った。




3.

「デミグラスソースのオムライスを二つと、お子様プレートを一つ……。それから飲み物が……」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 白いYシャツの上に黒いエプロンを着たウェイトレスが、一礼をしてから厨房へと戻っていく。

 俺と先輩と幼女は、ショッピングモールの地下1Fにある洋食屋さんへとやってきた。

 ウォールナットを内装のあちこちにあしらったデザインは、濃厚なデミグラスソースの匂いを連想させて、いかにも洋食屋さんという感じがした。テーブルもチェアもウォールナットが使われている。だから、お尻がちょっとヒンヤリしてる。あと固い。

「幼女ちゃん、パパとは、どこではぐれちゃったの?」

「えとね……。私がおもちゃ屋さんでね、お人形さん見てたら、いつの間にかいなくなっちゃったの」

 おもちゃ屋さんがあるのは、3F。幼女と出会ったのは2Fだ。きっと幼女の父親は3Fを必死で探し回っていただろう。そして、今も探している気がする。

 もしかしたら、店内放送とかで迷子の呼び出しが流れてるかもしれない。といっても、今この場所は、落ち着いたボサノバのBGMと、他のお客さんの喧噪しか耳に入ってこない……。とりあえず、食べ終わったら総合案内所にでも向かおう。

「お姉ちゃんとお兄ちゃんは、ケッコンしてるの?」

 危うく飲んでいた透明な水を吹き出すところだった。

「してないよ」

「じゃあ、いつケッコンするの?」

「そうね、いつ結婚するのかしらね、私たち」

 そう言って先輩は俺の方を見てくる。にたーとした笑顔で、……完全に悪ふざけだこれは。

 なら、俺もその悪ふざけに乗っかることにしよう。

「実はバツイチなんですよ」

「そういう設定なのね……」

 俺の返答に、虚を突かれたような反応を見せる先輩。幼女は意味が分からないようでキョトンとした表情で、質問してきた。

「え、ばついちってなぁに」

「結婚したけど、別れちゃった人をそういうんだよ」

 厳密には違うけれど、小さな子供にはこの説明でいいだろう。

 それを聞いて少し考えこんだ幼女は顔をキラキラさせながら

「じゃあ、パパはばついちなんだね!」

 そう言い放った。

「えぇっと……」

 俺はその言葉に詰まりながら内心思う。

 ――あぁ、教えなければよかったと、強く後悔した。それと同時に、子供の純粋さが恐ろしいと感じたのだ。


「お待たせしました。お子様プレートでございます」

 お子様プレートが、幼女の前に置かれる。

 幼女は目の前のプレートを前にして、顔がほころんでいる。

 もしかしたら、周りからみると家族連れみたいに思われてるのかもしれない。若奥様と若旦那、そして子供。そうやって想像してみると、なんだか微笑ましい光景だと思った。

「これ、どこの国の国旗か分かるかしら?」

 先輩は、小さなオムライスの頂点に刺さった旗を指さしながら、幼女に話しかける。

 左から青、白、赤のトリコロール。

 幼女は一生懸命に考えながら、口を開く。

「うんとねぇ……ロシア」

「惜しいわね。……フランスよ」

「フランス……パリ……ハナノミヤコ」

「よく知ってるわね。勉強ちゃんとしてるのかしら」

「ううん。違うよ。パパが、『シンコンリョコウで行った思い出の場所なんだ』って、時々寂しそうに呟くの」

「あぁ、そう……」

 デリケートな部分に触れてしまったと思った先輩を気にすることもなく、幼女は「いただきます」と言って、子供用の小さなスプーンでオムライスを口に入れる。

「……うーん、おいしい!」

「よかったね」

 俺が幼女にそう口を開くと、先輩が幼女の前に置かれたペーパーナプキンを広げる。

「ちゃんとペーパーナプキンつけたほうがいいわよ。服を汚すのは女の子としては、あまりよろしくないわ」

 先輩が、首からかけるタイプのペーパーナプキンを、幼女の首元に着けてあげた。

「……これで、大丈夫ね」

「ありがとうお姉ちゃん」

「ふふ、いいのよ」

 先輩は幼女に優しく微笑んだ。

「……はい、お姉ちゃん」

 そう言いながら、小さなフォークに刺したミートボールを、先輩の方に差し出す。

「え、いいの?」

「うん。あーんして」

 一瞬、先輩が恥ずかしそうに、俺の方を見る。

 俺は先輩の反応がなんだか可愛くて、ついにやけてしまった。

「……あーん」

 先輩は、幼女にミートボールを食べさせてもらった。

「お姉ちゃん、おいしい?」

「うん、とっても美味しいわ。ありがとう」

「えへへ……。お兄ちゃんにもしてあげる」

「え、いいよ俺は」

「ダメよ遠慮しちゃ。小さい女の子がしてくれるっていうんだから、断るのはダメよ」

 先輩にダメ出しされてしまったので、仕方なく口を開くことにする。

「分かりました……。あーん……」

 俺は幼女が差し出したミートボールを口に入れた。

「おいしい?」

 幼女が嬉しそうに俺に尋ねてくる。いったいなにがそんなに嬉しいのだろう子供って。

 だけど、俺も自然と笑顔になってしまうのだから不思議だ。

「美味しいよ。ありがとう」

「えへへ……。もうあげない」

 残り一つになったミートボールを見ながら、幼女はそう告げた。

「先輩、子供って可愛いですね……」

「えぇ、可愛いわね……」

 二人して、目の前で美味しそうに、ミートボールを口にいれた幼女の姿を見て癒やされる。邪心のない、その無邪気さの虜になってしまう。

「そういえば、お兄ちゃん……さっきの間接キスだね。……私とお姉ちゃんの二人とちゅっちゅしたの」

「まぁ、そうだね」

 努めて冷静に。俺はそれが当たり前のように、返答した。その様子を見て、先輩は小さく笑った。


 デザートを食べ終わった頃に、俺はカバンの中をあさった。クッキーの状態が気になったのだ。大丈夫。割れてなかった。そして気付いた。なぜか、クッキーの袋が二つ入っている。そして、片方だけ少し量が多かった。それを見て、昨日の夜の葉月との会話を思い出した。

『お兄ちゃん、これ余ったクッキーだから、おやつ用に持っておけば。私の分はもう取っちゃったし』

 つまり、これは俺のおやつということらしい。そのおやつ用にも、ちゃんとラッピングしているあたり、葉月のマメな性格を感じさせる。

 せっかくだから、量の多い方を先輩に渡して、幼女にもあげよう。

 俺は二人に差し出した。

「先輩、あの……これ。忘れないうちに渡しておこうと思って。ホワイトデーのお返しです」

「あら、用意してくれていたのね。ふふ、ありがとう。私が渡したのは、たかが板チョコ一枚なんだけどね、でも、倍返しは嫌いじゃないわ」

「はい、君もどうぞ」

 俺は幼女にも差し出す。

「え、いいの……? お兄ちゃん、ありがとう」

「ふふ、幼女ちゃんも良かったわね。後輩くん、いま一枚だけ食べてみてもいいかしら」

「いいですよ」

 俺は笑顔で応える。そして、ちょっと緊張した。

「ふふ、それじゃあいただくわ」

「あ、私もたべる~」

 先輩と幼女が美味しそうにクッキーを口に入れる。

 先輩の仕草は艶めかしい。ぷっくりとしたピンク色の大人っぽい唇に、クッキーが吸い込まれていく。

「……うん、普通に美味しいわね。素朴なバタークッキーね。コーヒーと一緒に食べたらもっと楽しめそうね」

 先輩は満足そうに目を細めた。

「おいしいよお兄ちゃん」

 幼女は袋からもう一枚取り出して、小さなお口に一枚まるごと入れて頬張った。

「あぁ、それならよかった」

 俺は胸を撫で下ろした。葉月にも家に帰ったら、バタークッキーは好評だったということを伝えておこう。きっと喜ぶに違いない。

「さて、そろそろお店をでましょうか。幼女ちゃんのお父さんが探しているかもしれないわ」

 そう言って、先輩は伝票を何も言わずに持って行こうとする。

「そうですね……。あ、勘定は俺でいいですよ。今日はホワイトデーですから」

「それはよくないわよ。ここは先輩の私が払うわよ」

「いやいや。それこそ俺がよくないですよ。葉月にもよく言われるんですけど、『男は奢る余裕のある甲斐性が必要でしょ』って。だから、甲斐性を見せるためにも払わせてください」

「ふふ。何を言っても私は譲らないわよ」

 先輩はこういう時、頑固な性格のようだ。

「俺も譲りませんよ」

「本気なのね……」

「そうですよ……」

 この静かな奢り合いに終止符を打ったのは、俺と先輩のやりとりを不思議そうに眺めていた幼女だった。

「パパが『ランチ代もろくに払えないオトコは、同棲するときの引っ越し費用が出せないだの、結婚する時も挙式代が足りないとか言って、揉めることになるんだ。だから、そんなカイショウがないオトコと一緒にいるのはダメだ』って言ってたよ」

 一瞬、先輩と俺の間に流れていた空気がヒンヤリと固まって、亀裂が入ったような気がした。

「……ダメになりたくないので、やっぱり俺が払いますね」

 俺は財布から樋口さんを取り出して、ウォールナットで作られたキャッシュトレイの上に置いた。

 それを見つめながら、先輩はぼそりと呟く。

「私は別に幼女ちゃんが、後輩くんのことをダメだと思っても構わないのだけどね……。むしろ好都合かしら。でも、ここは空気的に仕方ないから奢ってもらうことにするわ。次にランチをしたときは、私に奢らせてね。それでチャラよ」

「じゃあ、次は奢られる予定でいます。一応」

 俺は会計を担当してくれたウェイトレスから、おつりを受け取る。その背中を幼女に引っ張られる。俺は財布にお金をしまいながら、幼女の方へ振り向く。

「いっけんらくちゃく?」

「一件落着」

 俺の復唱を耳にして、幼女は嬉しそうにはにかんだ。意味分かって使ってるのかな?




4.

 洋食屋さんを出てから、2Fのインフォメーションセンターに向かう途中で、幼女の父親と遭遇することができた。そして、幼女のお父さんは俺のことを見るなり、開口一番「この女たらしめ!!」と言ってきた。

「なんで俺が女たらしなんですか……」

「自分でも分かっているだろう? 一ヶ月前、僕と夜の道路で会った時、お兄さんの隣には、もう少し小さな彼女が居たはずだ。……だというのに、その彼女をほったらかして、別の女と一緒にデートをした挙げ句、僕の娘まではべらかそうとしているではないか。これを女たらしと言わずになんと言うんだ」

「誤解ですよ。そもそも先月、俺の隣に居た女の子は――」

 葉月との関係を弁解しようとしたところに、幼女がお父さんの上着を引っ張った。そのまま手に持ったラッピング袋を見せつけるように、小さな体を大きく伸ばして、それを高くかざした。

「パパ、見て、お兄ちゃんにこれもらったの。ばたーくっきーだって」

「ふむ。バタークッキーか。ふ。……つまりこれは、あの日の板チョコのお礼ということかな」

 自分の娘のことを見ていた視線が再び俺の方に向けられる。

「……そういうことにしておいてください」

 本当は幼女にあげたつもりだけど……。

「では、これは君の手作りなんだな」

「まぁ、そうですね。一応」

 葉月が俺の妹だということは、もう面倒な気分になってきたので口に出すのはやめた。

「そうか、手作りなのか……。そうか……」

 幼女のお父さんは俺の目を見ながら、ゆっくりとかみしめるように、ただ静かにそう呟いた。

 そして、俺と幼女のお父さんの間に流れる空気が、なぜか微妙な雰囲気で凝り固まった。

 その淀みに近い空間の中で、幼女のお父さんは、バタークッキーを一枚、口にした。

「これは、風味豊かで上品なバタークッキーだ」

「それはどうも」

「もう一つ食べちゃお」

 幼女の父親はなぜか口調を崩して、クッキーをもう一枚口に入れた。

「ん~~~!! んまい!! もう一枚!」

「ねぇ……パパ、それ、私が貰ったやつなの……」

「あぁ、そうだったね……。でも、他の男が焼いたクッキーよりも、パパが焼いたクッキーの方が美味しいぞ」

 そう言いながら、幼女のお父さんは、三枚目、四枚目とバタークッキーを口に入れた。

「ううん。パパのクッキー、パサパサしてておいしくない」

 幼女の純粋でオブラートに包まない鋭すぎる言葉が、お父さんの繊細な心に深く突き刺さった。そのままお父さんは灰になったように真っ白になってしまった。どうやら、お父さんにとってのホワイトデーになってしまったみたいだ。

 俺と先輩は、幼女とホワイトファーザーに別れを告げて、夜になるまでショッピングモールで買い物を楽しんだ。


 待ち合わせ場所だった駅前に戻ってきた。

「ふふ、今日は楽しかったわ。誘ってくれてありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。付き合ってくれてありがとうございました。先輩とのショッピング、結構面白かったです」

「そう? それはよかったわ。……それからクッキーもありがとうね。家に帰ったら、私のお気に入りのレギュラーコーヒーと一緒に、じっくりと楽しませてもらうわ」

「えぇ、楽しんでください」

「あ、それともこれから私の家に寄っていく? 泊まっていってもいいのよ?」

「いえいえ。遠慮させてください。大変魅力的ですけど、緊張しちゃいそうなので、また今度にしてください」

「また今度っていつになるのかしら。……今度とお化けは、同じくらい出たことないって言うじゃない」

「う~ん。来年くらいじゃないですかね」

 なんとなくそんな予感がした。その返答を聞いて、先輩はうずくまりながら頭を抱えた。

「結構遠いわね……。今週末でも私は構わないというのに……」

「そのときは、ちゃんと心の準備をしてから、伺いますよ。先輩の家がどんな感じが興味ありますし」

「ふふ。後輩くんって、私に興味持ってくれているのね」

 先輩が俺を見上げながら、嬉しそうに呟く。

その姿は、普段の先輩の姿よりも、数倍も可愛らしくて、女の子らしさを感じた。

 それでも、先輩のからかいを対処するために、俺はイメージの中の先輩を思い浮かべて口にする。

「先輩は大人っぽくてかっこいいので、いつも尊敬してます」

「なんかそれ、午前中にも聞いた気がするわ……」

 俺と先輩の間を、夜風がほどよい速度で吹き抜けていった。

「また、バイトでお願いします」

「えぇ、気をつけて帰ってちょうだい」

「はい。先輩も気をつけて」

 俺と先輩は、それぞれの帰るべき家に向かって別れた。




5.

「へぇ~。じゃあ、お兄ちゃん、家族連れのお父さんみたいだったんだね」

「それにしては、あまりにも若すぎると思うけど」

「それも含めて面白そう。見てみたかったなぁ……」

 今日の、ショッピングモールで起きた出来事を話しながら、葉月と一緒に美味しい食卓を囲んでいる。両親は一昨日から旅行に行ってしまった。明日の朝には、お土産と一緒に帰ってくるだろう。

「そういえば、バタークッキー、先輩にも幼女にも好評だったよ。美味しかったって」

「そっか。それはよかったぁ。腕を振るった甲斐がありました」

 葉月は嬉しそうに、小さなガッツポーズを見せる。

「さすがってところだな。昨日は夜遅くまで手伝ってくれてありがとう」

「いいよいいよ。私もちょうどクッキー食べたかったしね。あぁでも、ココアクッキーも作りたかったなぁ……」

 葉月は肩を落として残念がる。

「品薄だし仕方ない。来年は作れるといい」

「う~ん。早めにチョコ買い溜めしておかないとダメかもね。今度買い物行くときにチェックするように気をつけよう」

「わざわざそこまでするんだ」

 その言葉に反応した葉月は、唇を尖らせながら、ジメジメと呆れた口調で、ぼそりと呟く。

「……お兄ちゃん、また来年もバレンタイン当日に、チョコを探し歩くつもりなの?」

 それを少し想像してみた。想像するよりは、ほんの一ヶ月前の体験を思い出す方が早かった。

「いや、それはちょっと面倒かも」

「でしょ? だったら、そうした方がいいよ」

「だな……」

 ちなみに、板チョコはネットオークションなどで高額で転売されており、一枚千円以上の値段が相場になっていて、中には二千円以上の値段が付いているものまである。それが今月になってから、ニュースでも取り上げられるようになって、社会問題になりつつある。早く原産国の政変が落ち着くことを願わんばかりだ。

「……そうだ、そういえば葉月にプレゼントがあるんだよ」

「え、プレゼント? なになに。私は何をプレゼントしてもらえるの?」

 俺はカバンの中から、小袋を取り出す。それを葉月に手渡した。

「ありがとう。なにこれ」

「まぁ、開けてみてよ」

 葉月は「分かった」とポツリと呟いてから、小袋の中に入っているモノを取り出す。

 そして、出てきたのは青色を基調とした水玉柄の髪飾りだった。

「お兄ちゃん、これってシュシュだよね。なんか、可愛い色してる。ありがとう」

「どういたしまして。使ってくれると嬉しい」

「うん、大事に使うよこれ」

 そう言いながら、葉月はプレゼントされたばかりのシュシュで試しに、髪を束ねて、結んだ。

「……どうかな? 似合ってる?」

「うん。いい感じ。似合ってるよ」

「そっか。ならよかった。ありがとうね、お兄ちゃん」

「いいよ。いつも葉月にはお世話になってるから、返せる時に返しておかないとね」

「別に気なんて使わなくていいのに……。まぁでも、嬉しいよお兄ちゃん。ありがとう」

「どういたしまして」

 食事中、葉月は終始ご機嫌な様子だった。


 日付が変わって三月十五日午前一時過ぎ。

 俺は就寝するために、部屋の電気を真っ暗にした。そして、ダークネイビーのベッドの中に潜り込む。この時期はだんだん寒さが和らいでくる時期だから、布団の中がよりいっそう心地よく感じてしまう。

 重力で凝り固まった体を布団の中で思いっきり伸ばしていると、布地が擦れる音とは別の音が、静寂の中で鳴った。なんの音だろうか。ガチャリと部屋のドアが閉まった後に、ペタペタとフローリングの床を鳴らしながら、こちらに近づいてくる足音。

「……葉月、どうしたの」

「さっきのシュシュ、ちゃんと着けてみたから、見て」

「まぁ、いいけど」

 俺は電気をつけた。

「どう?」

 葉月が嬉しそうに頭を傾けて、シュシュの結び目とうなじを見せつけてくる。

「うん、可愛い」

「良かった。お風呂上がりにも、使いやすいんだよねこれ」

「あぁ、そうなんだ」

「うん、じゃあもう電気消していいよ」

「分かった。おやすみ葉月」

「おやすみ、お兄ちゃん」

 俺は電気を消す。真っ暗闇の中で、再び布団の中に潜り込もうとすると、掛け布団が持ち上げられる。

「なに?」

「今日は私も、ここで一緒に寝るよ」

「ここで一緒に寝る? この前は『早く大人になりたい』って言ってなかったけ? 兄と一緒に寝ようとするなんて子供になっちゃうぞ」

「まー、今日はいいの。お兄ちゃんの妹だから」

「どういうこと……」

「まぁまぁ、いいじゃないの。そんなにお堅くならんでも」

 そう言って、問答無用でお布団の中に入り込んできた葉月に、俺は観念した。

「まぁ、今日だけは好きにすればいいよ……」

 ネイビーブルーのお布団の中に、妹のシャンプーの匂いを発生させる熱源が増えた。というか、それは妹だった。

 つくづく妹には甘いなぁと自分で思ってしまう。内心笑ってる。シスコンなのかもしれない。


「お兄ちゃんのベッド、お兄ちゃんの匂いがする。男臭いよ」

「男臭いってどういう匂いなの?」

「ん~……なんか、汗? あとお兄ちゃんのシャンプーの匂い」

「それって臭いってことなの……? 俺は葉月のシャンプーの匂いがするけど」

「え、ドキドキした?」

「慣れ親しんだ匂いで安心感を得た」

「なぁんだ……。緊張してくれたら面白かったのに」

 その時、葉月がどんな表情をしているか分からないけど、掛け布団越しに、もぞもぞとした仕草が伝わってきた。

「お兄ちゃんって、先輩のこと好きなの?」

「いや、別に」

 というか、唐突な質問にびっくりしたよ。どうしたんだいったい。

「先輩って、あんなに綺麗なのに?」

「まぁ、なんていうか、釣り合わないっていうか……」

「そうかなぁ……。お兄ちゃん、別に先輩の隣にいてもおかしくないと思うけどなぁ……。先輩大人っぽくてかっこいいし」

 葉月が俺の背中をツンツン指でつついてくる。ちょっとくすぐったい。

「緊張するんだよね。居心地みたいなのがね。落ち着かないんだ。……今もちょっと背中が落ち着かないんだけど。なんていうか、もしかしたら年上が苦手なのかもしれない」

「え、じゃあ、年下の方が好きってこと?」

 葉月がつついていた指先が背骨の上で止まる。

「好きかどうかは分からないけど、年下の方が可愛いって思うことは多い気がする」

 たとえば、最も身近にいる年下の葉月は、俺にとって可愛い存在だ。その影響が強いから、年下の方が気楽に可愛いと思えるのかもしれない。そうだ。年下が可愛いといえば、今日のショッピングモールでの幼女は可愛かった。子供っていいなぁって、ひしひしと思い知らされた。あんなに無邪気で純粋で一生懸命で悪意がない。そして、屈託のない笑顔を見せてくれる。結婚願望なかったけど、将来はパパになるのもいいのかもしれない。

「へぇ……お兄ちゃんって年下の方が可愛いって思うんだ……」

 俺の返答になぜか満足したようで、葉月の声のトーンが明るくなった。それから、もぞもぞと動きながら、俺の背中をなぞる。くすぐったい、やめて……。

 そう思っていると、葉月が背中越しに抱きついてきた。その柔らかさと温度に、相手が妹とはいえ、一瞬の動揺を隠せない。それをどうにか隠すために、俺は葉月に背を向けたまま、平静を装ったフリをして口を開く。

「……兄に成長を見せつけてる?」

「……妹の感情表現でしょ」

「……妹なりの色仕掛けかな?」

「……色仕掛け? 大人アピールじゃない?」

「大人は兄のお布団には潜り込まないよ」

「じゃあ、妹アピールだよ」

「初めて聞いたよ……妹アピールなんて……」

「うん、これは妹アピールだから……」

 そう言って、葉月はさっきよりも少し体を寄せてくる。葉月がぺたりと背中に張り付いた形になる。

 妹アピールねぇ……。

 俺はありのまま、今の状況を感じることにした。そうしてみたところ、背中から伝わってくる妹の体温や感触を、俺はやっぱり心地よいと感じたようで、微かに匂う葉月のシャンプーの香りが、ふんわりと嗅覚に触れて、俺はこれ以上ない安心感に包まれた。

 そして、その心地よい気分のままスヤスヤと寝落ちしたのは言うまでもない。

ご覧くださりありがとうございます。よろしければ、ご感想などを頂けますと、とても喜ばしく思います。よりユーザー様に楽しんで頂ける物語を提供したいと考えております。

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