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狂宴  作者: 薄暮
5/13

日常 #2

 水曜日

 P.M 6:30


「マサさんマサさん!今日の私のベース!キレッキレじゃありませんでした!?」

「おぅ!今日のは、今までで最高にキレてたぜ!練習の甲斐があったな!」

「やったぁ!やっぱ私って、最高ぅ!」

 控え室ではしゃぐ2人を、依田のぱんぱん、と手を打つ音が遮った。

「はいはい、その後は打ち上げでな。はしゃぐ前に、せめて自分の使ったモノぐらい、片付けること!」

 幼子を叱る母親の如き口ぶりに、幼子を如くむくれた2人は、「はーい」と気だるい返事をし、のろのろと動き出した。

 その様子を、舞台上の機材を片付けるために屈み、端から見ていた園部は、日頃の仏頂面に似合わぬ「ぷっ」という一言と共に、何かを抑える様にさっと口元を右手で覆いながら、顔を控え室から背けた。

「タクマくぅん、なーにが可笑しいのかなぁ?」

 いつの間にか園部の背後に立ち、どかりと背中から覆いかぶさり腕を首に回しながら、今野はニヤついた。

「いや…先輩らしい、なぁ、と…」

 声が震えている。

 勿論、今にも破裂しそうな笑いを堪える為だ。

「おーい、マサ!タクをいじめる暇はあるのかぁ。あんまりもたついてると、飲む時間も減るぜ。」

「おっといけねぇ」と言い、今野はそそくさと控え室へ戻っていった。

 それを見て、園部は再び口を覆った。

 これでは、何も手が付かない。

 そう思いながら、顔を再び控え室から背け、園部は体を震わせた。

 そんな様子を見て、依田は呆れると共に、安心した。

 常に仏頂面で、歯に衣着せぬ物言いの園部は、部内でも『扱いにくい人間』として分類されている。

 初めて彼の歌を聞いた時、依田は全身に衝撃が走り、凄まじい『何か』を感じさせられた。

 それ程の歌唱力を持つにも関わらず、その態度のせいで冷遇される園部を、依田は入部以来、勿体無いと思っていた。

 だから、依田は園部をボーカルとして、自分達のバンドに誘ったのだ。

 今ではあのように、何かとちょっかいを出す今野でさえ、初めは園部の加入を、平野以上に強く反対した。

『とりあえず1ヶ月でいい。それでも駄目だと言うなら、仕方がない。』

 そう言って今野と平野を説得し、園部を無理やりメンバーに加えた。

 幸いにも、依田の期待よりも早く3人は親しくなった。

 園部は、性根が悪いわけではない。

 寧ろ、歌は勿論、他の何事に対しても真剣に取り組む。

 その真面目さに加え、ユーモアのセンスも内に秘めている。

 ただ、それらの表現方法が特異なだけだ。

 それが分かれば、依田以上に人付き合いの上手い今野や平野が、園部に合わせることは容易なことだった。

 4人は、最初の1週間でそれなりに親しくなり、半月で仏頂面の園部が破顔するのを、彼が部に加入して以来初めて見ることができた。

 最近は、バンドメンバーである3人以外の部員への態度も軟化し、園部がより人間らしくなってきたことに、依田は度々安心感を持つようになった。

 おっと、いけない。

 僅かな間ではあるが、感傷に浸り呆けていた自分を戒め、依田は園部に声をかけた。

「タク!悪いが、これ、運ぶの手伝ってくれないか!?」

 漸く笑いの波が収まってきたのか、「今行きます」と応じた園部の声の震えは、僅かなものになっていた。

「重いぞ、いけるか?」

「余裕です。何なら、ノブさんのも僕が持ちますよ。」

「じゃ、お言葉に甘えて」と依田は園部が抱える大きなダンボール箱の上に、小振りだが、重みのある箱を、丁寧に置いた。

 童顔で、一見すれば細身で頼りない印象だが、毎週最低でも1回はジムに通う程に、園部は体を鍛えている。

 その引き締まった体は、ライブの度、ひっきりなしに重たい機材を出しては仕舞う、うちの部では重宝されていた。

 依田は、機材を置く為に充てがわれた部屋のドアノブを、機材を抱える右腕で押し下げ、ドアノブが下がりきった瞬間、扉を右足で勢いよく蹴り開けた。

 分厚い鉄製の扉は、密閉された廊下内に、がぁん、という音を響かせながらも、難儀だと言わんばかりに、ゆっくりと開いた。

「乱暴だなぁ、ノブさん。」

 眉を僅かにひそめ、口の端を釣り上げる、困ったような馬鹿にしたような顔で呟きながら、依田が蹴り開けた扉をくぐる。

 依田も、開けた扉を背で支えながら、部屋に入ってゆく園部に、小馬鹿にするような表情を向けた。

「お前だって、両手が塞がってたらこうするだろ?」

「まぁ、その方が楽ですからね。」

 園部は部屋の明かりも付けづ、大小様々な機材でごちゃつく室内を器用に、そして足早にすり抜けてゆく。

 その様子を部屋の入口で見ていた依田は、思わず「器用なやつだなぁ」と小さな呟きが口から漏れた。

 廊下から入る明かりがあるとはいえ、部屋は暗く、その上、両手一杯に抱えた荷物で足元も碌に見えない状態なのだ。

 その様な中を、薄暗い部屋一杯に、乱雑に置かれた機材の群れに足を取られずに歩くことは、まず難しいだろう。

 依田はといえば、何もない平坦な道でさえ蹴躓くような為体なのである。

 このような状況であれば、良くて躓くか、悪ければ盛大にひっくり返ることになるだろう。

 以前、依田が歩く様を見ていた今野に「足を上げるのがそんなに難儀か?」と笑われた。

 要は、傍から見れば、すり足に近い状態で歩いている、ということなのだろう。

 自分がどう歩いているかなど、余程意識しなければそうそう分かるものではない。

 それに、歩き方のような、無意識でかつ根深い癖は、指摘されたところで、その場ですぐに直すことのできるものではない。

 結局、依田は今でも、すり足で歩いている。

 タクが器用なんじゃなくて、俺が不器用過ぎるだけかもなぁ。

 そう思った瞬間、部屋が明るくなった。

「どうぞ、ノブさん。」

「先に点けてから行けよ」と、呆けていたことを誤魔化すように、園部に悪態を突いた。

「ノブさんの安全を確実に確保するためすよ。」

 含み笑いと共に扉を支え、部屋に入ってゆく依田を見つめながら、その背に向けて園部は言った。

「ノブさんのことだ。どうせ明るくったって、躓づくでしょうに。」

「大きなお世話、だっ!」

 凡そ丁寧とは言えない扱いで、重い機材の塊をどさりと、床に下ろす。

 依田が荷を下ろし、うんと背伸びをする様を端に見ながら、園部は雑然とした部屋を眺めた。

「そうやって適当に置くから、いつまでたっても片付かないんじゃないんですか?」

 扉横の壁に背を預けた園部から、僅かに非難めいた声が、重い機材から解放され背を伸ばす依田に向けて放たれた。

 一方依田は、相変わらずのんびりとした様子で腰に手を当て、背を逸らし、首を壁に向けている。

「そう言ってくれるなよ。俺だって部長として、昔は頑張ってはみたんだぜ?」

「結果この有様だけどな」と付け足しながら依田は体を戻し、肩を竦めた。

「元部長のご苦労、お察しします。」

 言葉とは対照的に、園部はいやらしい笑みを浮かべる。

「嘘つけこのぉおうっ!」

 入口がある右側に居る園部を見ていた依田は、左足をダンボールに取られ、早足で歩いていた勢いそのままに体が前に飛び、目の前にあるステンレス製の棚に、全身を思い切り打ち付けた。

 重厚で頑丈な棚は、依田の激突に伴い、がしゃん、と大きく揺れはしたが倒れることはなく、棚に乗っていた小さな箱や機材が、ばらばらと床に落ちるのみだった。

「っつうぅ…」

 棚にしがみつく依田が、呻き声を上げる。

 園部は依田が飛んだ瞬間、目を見開き、口を僅かに開け、目の前の光景に呆けた。

 だが、素早く我に返り、「言わんこっちゃない!」と、凡そ心配しているとは思えない叫び声と共に、へばりついていた棚からずるずると崩れ落ち、床で蹲る依田に駆け寄った。

「ノブさん!」園部が蹲る依田の横に屈み、様子を伺う。

 依田は、苦虫を何匹も同時に噛み潰したかの如き顔を、ゆっくりと園部に向けた。

「俺が…心配なら、もう、ちょっと…マシな言葉、ねぇのかよぉ…!」

「ははっ、その様子なら、大丈夫そうですね。」

 そう口先で笑いながら、園部は依田の胴体を抱え、立ち上がろうとする依田を慎重に支えた。

「体は当然痛いでしょうけど、頭とか、変な処、打ってないですよね?」

「あぁ…くそ!頭、思いっ切り打っちまったよ!」

 ふらつきながらも、園部の手から離れ、依田は右手でこめかみの辺りを押さえながら、自分がぶつかった棚に背を預けた。

「ひょっとして、俺は厄年なのか?これで今年3回目だぞ!?」

 依田の苛立ちと怒気が、何処へとなく放たれた。

「幾ら同じ処ぶつけてるからって、3回じゃあ厄年って程でもないでしょう。実際、ノブさん厄年でも何でもないじゃあないですか。」

 園部はそう言いながらも依田に近づき、右手で押さえている部分を注意深く覗き込んでいる。

「…腫れてますね、でも、怪我って程でもなさそうです。部室まで行けますか?僕、氷貰ってくるんで。」

「あぁ…」と言いながら、依田は難儀そうに棚から体を離し、ふらふらと歩き出した。

 そんな依田の横を、園部はさっと抜け、重い扉を開けた。

「冷やせばすぐにマシになりますよ。」

「はは、いい後輩を持てて、俺は幸せ者だな。」

 通り過ぎ様に、力なく園部の左肩を叩いた。

 依田の手が、園部の左肩を離れる瞬間。

「目と耳を塞ぐんだ。何が聞こえても。」

 迚も小さな、呟きだった。

「は?」

 園部は思わず、咄嗟に訊き返した。

「ん?どうした?」

 当の依田は、まるで何事も無かったといった風だ。

 園部の方に、眉間に深い皺を刻み、痛みを堪える顔を向けた。

「い、いえ。僕、氷貰ってきます。」

 言い知れぬ不安を悟られぬように、園部は素早く部屋の明かりを消し、扉が閉まりきらぬ内に、依田に背を向け駆け出した。

 目と耳を塞ぐ?

 何のことだ?

 唯の聞き間違いか?

 そうだ、聞き間違いに違いない。

 依田の声は、迚も小さなものだった。

 きっと、呻き声か何かを、意味のある言葉の連なりだと勘違いしたのだ。

「唯の、聞き間違いさ。」

 下に降りてゆくエレベーターの中で独り、園部は自らに言い聞かせる様に、呟いた。

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