非日常 #2
金曜日
P,M 9:25
「寝坊、ですか?」
遅刻の侘びを込め、依田が買ってきた菓子や飲み物を抓みながら、園部は依田に訊いた。
依田はバツが悪い、と言うように微かにうんと唸り、前方の席に向け難儀そうに話し始めた。
「まぁ、原因は、一昨日誰かさんが俺にしこたま酒を飲ませてきたせいで、半日動けなかったのが原因なんだけどな。お陰で準備やらなんやしてる内に、中途半端な時間になってな。仮眠すればいい時間になるだろうと思ったら、このザマだ。」
バックミラーから見える依田の顔には、遅刻時に走って来たそれとは別の、草臥れた様な疲労の色が浮かんでいた。
それを聞いた今野は、前方を見ながらも、あからさまに不満を表した。
「ひでぇえ言い分だなぁ同志よ。俺はそんなこたぁ、した覚えはないぜ。それに、ノブだってよぉ、俺と同じように酒が好きで手前勝手に飲んでんだろぅ?酒は飲んでも飲まれるな、って昔っから言うじゃねぇか。飲むにもコントロールしねぇとなぁ。ま、自業自得だ、自業自得。」
「コントロールも何もあったものか。さっきも言ったがな、マサがコントロールしようとする俺に情け容赦なく飲ませてきたんだぞ。確かに俺も酒は好きだがな、お前みたいなザルじゃあないんだよ。毎度二日酔いで苦しむ俺を、もう少しは思ってくれてもいいんじゃないか?」
「おいおい、それじゃあ俺がノブを苛めてるみてぇじゃねぇか?寛大に、遅刻の言い訳聞いてやろうってのに、そりゃないだろう。それによぉ、ザルってなぁあ、なんて言うか、響きが悪かねぇか?もっとこう、いい言葉ねぇのかよ?酒通、だとかよぉ。
…まぁ、実際、酒で俺に付き合ってくれるのはノブくらいだからなぁ。仕方ねぇなぁ、今回はそれで許してやるよ。お互い、これを機にもっとマシな飲み方ってのを覚えねぇとなぁ。」
話しながら、真後ろでスルメを齧る依田をサイドミラーで見たのか、今野は顔を僅かに右横に傾け、口を開いて見せた。
「お互い、ってのは不服だな。」と言いながら、依田は今野の開いた口に向けスルメを近づけた。
今野は後部座席から差し出されたスルメを咥え、口の中でもごもごさとさせていると、助手席から園部の視線を感じた。
「ん?どうしたタク?お前もこれ、欲しいのか?」
今野は目を丸くし、ちらと助手席に視線をやった。
目が合った園部は相変わらず仏頂面ではあるが、恥ずかしいのか顔を正面にさっと向け、右手で後頭部をがしがしと荒っぽく掻いた。
「いや、やっぱ、その…仲良いですよね。お2人とも。」
ぼそりと、園部が呟いた。
「ん?まぁ、ノブとは高校の時からの付き合いだからな。まぁお互い、こーやってしょうもない喧嘩する程には仲がいいんじゃねぇのか。」
「なぁ」と今野がバックミラーを覗くと、依田も今野をバックミラー越しに見、「まぁ悪くはないだろうな。」とあっさり答えた。
「タクくん、もしかして、2人に妬いてんのー?」
平野は後部座席から園部の右横に顔を突き出し、にこにこと笑みを向けている。
「ばっ…!な、何言ってんですか!サエコさん!?」
「ほーっ、タクぅ、お前も可愛い処、あるじゃあねぇかぁ。」
今野はハンドルを握り前方を見ながらも、いやらしい笑みを浮かべた。
そんな今野や平野に抗議しようとする園部の右肩に、依田の左手がどかっとのし掛かり、その手が園部の体を前後にゆさゆさと揺らした。
「そんな心配すんなよ、タクマ。お前は、俺たちの可愛い可愛い弟みたいなモンだぜ?」
「うぅおうっ…あ、ありがとう、ござい、ます…。」
園部は落ち着き無く目線をあちこちに彷徨わせ、終いには何もかも諦めたかのように明後日の方を向き、忘我の如く呆けてしまった。
「あははっ!タクくん可愛い~!」
平野はくすくすと笑いながら、あさっての方を向く園部の頬を右の人差し指でつついてみせた。
「おっと、俺としたことが、ちょっと大人気なかったかな?」
依田は園部の肩から手を離し、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「へへっ、偶にはこーやってイジってやらないとなぁ!」
今野は愉快そうに、がはがはと豪快に笑った。
車内に笑いが満ちた時、場違いな程大きく、無機質な、がぁんという音がトンネル内に響いた。
その音と共に、3人の笑い声はぴたりと止んだ。
運転席と助手席に座る今野と園部は前方、カーブの向こうを注視している。
「おいタク…」
「あれは…」
訝しむ2人の様子に、後部座席の2人も前方を覗き込んだ。
確かに、この道は平素から他所の道に比べ、交通量は多い方である。
おまけに、今日は祝日であり、金土日と繋がっての3連休の初日である。
平日に比べれば、より交通量は増すだろう。
しかし、数十分前、休憩時に確認した際には、このトンネル付近の渋滞情報は無かった。
実際に周囲を走る車はまばらであり、彼らの前を走る車はカーブの向こうに隠れている。
その前を走っている『はず』の車の後部が。
迫る。
迫ってゆく。
減速している、などという速さではない。
停まっている。
そして、その更に前には。
天井を這う、黒い煙。
「え、え?嘘、うそ、ウソ!?」
「まさか…事故!?」
平野と園部の困惑が口から次々と漏れる。
依田は背後を素早く振り返り、今野は右前方を注視する。
「マサ!切れ!」
依田が怒鳴る。
「わかってらぁ!」
今野は反対車線に向けハンドルを右に切った。
4人が乗る車は、前方に停る車の後部右端を掠め、反対車線に乗り出した。
彼らに後ろに、肉薄せんばかりにぴったりと張り付き走っていた車は減速も間に合わず、停まっていた車の後部に突っ込み、またもや大きな音をトンネル内に響かせた。
それを尻目に、4人が乗る車は対向車が居ないことを良い事に、停まることを忘れたかのように疾走する。
左真横を、ひしゃげ、横転し、黒煙と赤い炎を上げる車の群れが次々と過ぎ去っていった。
そして、その先。
トンネルの出口には。
あるはずのない、黒い、大きな壁。
「くそったれぇ!」
今野はブレーキを思い切り踏み込み、ハンドルを思い切り右に切る。
そのまま、空いた左腕で園部の硬直した体を左側に突き飛ばす。
目の前に迫る壁に、平野が悲鳴を上げる。
依田は平野を庇い、体を左側に押し込める。
車は右を向き、タイヤが地面を擦る甲高い音を立てながら、トンネルを塞ぐ壁に向けて滑り…
金曜日
P.M 9:30
4人の意識は途切れた。




