39 温泉大繁盛
「この温泉は、うちの回復魔法のお湯やからな。これで回復せんかったらウソやで」
「そうなのかもね。で、でも……」
ナタリアが顔をそらす。
「その格好で胸張るのはやめなさいよ! せめて隠してから胸は張りなさい!」
ハルナはもちろんタオルも何も巻かずに風呂につかっている。なので、その胸を突き出しているような状態だった。もちろん、別におかしなことはない。ここは温泉なのだ。
とはいえ、ナタリアにとっては、いろいろとショッキングな光景だったらしい。とにかく大きい。まるで冒険者の実力と比例関係にあるみたいだ。
「そんなん言うても隠さへんのが真のマナーやしなあ。裸の付き合いっていうんもええやろ?」
「裸の付き合い!?」
その定型表現を知らないナタリアはどうもいかがわしい言葉だと勘違いした。
「ダメだからね……。女同士でそんなこと……。男と女だったらいいってことじゃないけど……」
さすがにその態度にハルナも勘違いをしていると察した。
「あほやなあ。大事なナタリアに変なことするわけないやん」
ハルナは苦笑する。
「ほんま、あほやわ」
関西では「あほ」は侮蔑語ではなく、親しい人間に使う言葉である。「バカ」より数段やわらかい。
「ナタリアはうちの家族やで。なんで家族が傷つくようなこと、せえへんとあかんのや。裸の付き合いっていうんは、大きなお風呂で一緒にのんびりするってことや。これやと重たい鎧で身を包んで生きるのとは違う心地になるやろ」
「な、なんだ……」
ゆっくりとナタリアが息を吐く。
「それに、うちは初心やからそんな積極的になれへんわ」
「それはウソでしょ!」
「恋と買い物はちゃう。買い物と違って、押すだけではあかんし、値切ってもあかん」
じっと湯船につかっていたせいか、ナタリアの体も本格的にぬくもってきた。
「たしかに大きなお風呂ってすごく気持ちいいものね」
ナタリアは自分の呼吸がとてもゆっくりしたものになっているのに気づく。
「足をどこまで伸ばしてもよくて、時間がのんびり流れてる気がする。天国に来ちゃったようっていうか」
「せや、せや。温泉っていうんは、体だけでなく心も落ち着けてくれるねん」
「つらかった日々が溶け出して消えていきそう。これはきっと冒険者には人気が出るわ」
冒険者は日夜、命懸けで戦っている職業だ。その緊張感も極度のものと言っていい。
それが一気にほどけていく。とても、ここがダンジョンの中とは思えない。
ナタリアは少し、ハルナのほうに距離を詰めてくる。肩が触れ合うかどうかという距離だ。
「これはこれで……悪くないのかも……」
「ん? なんかあったんか?」
「なんでもないから……」
黙りこむナタリア。彼女なりに安らぎの時間を感じているのかもしれない。
「そういえば、ナタリアとこんなにだら~っと時間過ごしたん、初めてかもなあ」
「あなたは働きすぎだから、休んだほうがいいわ」
そのあと、ナタリアはのぼせてふらついてしまうぐらい、温泉につかっていた。
どうやら温泉にはまってしまったらしい。
◇
入浴施設『春乃湯』はタオルで体を隠すのはアリという扱いでスタートした。入湯料は銅貨五枚だ。
当初の予想ではもっと恥ずかしがって客足が伸びないかと思われたが、その予想はいい意味で裏切られた。
そもそも、『春乃湯』に来る客は全員、冒険者たちである。しかも多くが男だ。生きるか死ぬかの戦いをしているような連中なのだから、多少の羞恥心は気にしないのだ。
あと、もちろん、温泉の魅力自体が大きい。
「もう、カミさんにまた汚い格好で帰ってきたって言われなくてすむぜ」
「魔族の土地の灼熱の溶岩流もこれぐらいの温度だったら怖くないんだけどな」
「お前、温泉でも兜かぶってんのかよ」
「これが俺のポリシーってやつなんだよ」
そんな声が大浴場のほうから響いてくるのに、時間はかからなかった。
さらにこの温泉は想定外の効果ももたらした。
温泉が冒険者の口コミでも広がり、温泉のためにオールサックの町にやってくる冒険者が増大したのだ。
ついにはギルドで求人を出して冒険者に身を守ってもらいながら、温泉までやってくる一般客まで現れはじめた。
そう、温泉が観光客を作り出したのだ。
この時期の王都で発刊された各地の名所案内の本でも、オールサックはダンジョンに温泉のある町とはっきりこう書かれてある。
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オールサックはダンジョンの地下十三層に『春乃湯』という温泉があることで著名である。
ここには大きな岩の浴槽の部屋と木の浴槽の部屋があり、男と女はそれぞれその日の割り当てられた部屋に入る。
恥ずかしい者はタオルで体を隠してよいが、多くの冒険者たちは裸でその中に体を横たえる。普通のお湯よりもはるかに血行をよくし、ちょっとした体調不良なら自然と治ってしまう。
なかには慢性的な病気を治したり、やわらげたりするために冒険者に付き添われてやってくる者もいる。
温泉のそばには休憩施設もあり、横になって休むこともできるし、冷たい飲み物を求めたりすることもできる。お好み焼き、タコ焼き、うどんなどの食べ物も売っている。最近ではギョウザという食べ物も売りはじめたらしい。
主人はハルナという娘で、白金クラスの冒険者だ。天使のように美しく、そのくせ、王都の商売人の娘としか思えないほどに気風がいい。彼女を妻にしたいと口にする冒険者の数は三百人では足りず、妻に迎えたいと思っている貴族や金持ちの数は五百人でも足りない。
とはいえ、ハルナは『巨人を追い払った女』『ドラゴンを泣かした女』などという途方もない記録を持っている。これらは正式に国が事実と認めたものである。彼女に見合う男など当分見つからないだろう。
このような調子だから、オールサックの町は数年前とは想像もつかないほどににぎわっている。実際、この本でも以前の版ではオールサックに五行も割かなかったが、今回になってその方針は改めねばならなくなった。
あなたに知らないものを見てみたいという探究心があるなら、必ず地下十三層へ足を運ぶべきである。ギルドで用心棒を雇ってでも行く価値は充分にあるだろう。
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言うまでもなく、本に書かれたおかげで客足はさらに伸びた。
「ちょっとにぎわいすぎて、きりがないなあ」
その日は十三層の一号店に出向いて、そこの裏手で出店計画を練っていたハルナだったが、ひっきりなしに客がやってくるのがよくわかった。
「スーパー銭湯みたいになってきたなあ」
「それが何かはわからないけど、とにかく大人気なのは間違いないわね」
ナタリアはテーブルの向かい側で淡々と計画書を作っている。
各地のダンジョンでの『ハルちゃん』の出店も現実味を帯びてきていた。
このままだと、ダンジョンに店舗があるのが当たり前になるのもそう遠くないだろう。ダンジョンという概念がまったく別のものになっていきそうだ。
「ねえ、ほかの店にも温泉は作るの?」
「ううんと……うちが全店舗巡回して湯を入れるわけにもいかんしなあ……これは難しいな……。温泉見つける能力までは持ってへんし……。湯気が出てるところに集中的に出店しよか。それで温泉をぎょうさん作る」
「なんか、本末転倒だわ……」
ハルナの言葉も半分冗談だ。温泉は一号店だけの特別仕様ということにしようか。
今も温泉のほうから湯気がもくもくと出ている。男の冒険者の地歌みたいなのが聞こえてくる。
ふと、その湯気がまたハルナのインスピレーションを刺激した。
「そういえば、蒸した料理は何もやってへんなあ。前に作った餃子も蒸し焼きにはしとるけど、基本は焼いてるし」
もう、作業の手は止まってしまった。料理のほうに頭がいっている。
「というか、餃子が作れるんやったら、豚まんもいけるんとちゃうか?」
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