35 味噌と醤油の工場稼働
ハルナはそのカツの皿をドラゴンの前に持ってきた。
「さあ、できたで! 食べてみいや!」
とはいえ、ドラゴンの手ではカツはつまみにくいので、ハルナがフォークで取って、口に入れた。一切れでは小さすぎるから、三切れほどまとめて中に入れる。
サイズが小さいからというのもあるのか、ドラゴンの族長はゆっくりと咀嚼する。ほとんど舐めているのに近かったかもしれない。
やがて、その咀嚼がやんだ。
だが、何の感想もない。
ドラゴンは黙りこんでいる。
「もしかして、失敗なの……?」
ナタリアは不安そうに見守る。
その不安が伝染したように聴衆たちも固唾を飲んでドラゴンの様子を注視していた。
ドラゴンの目から涙が流れだした。
「ああ、これだ、これだ……。なぜだか、ひどくなつかしい味がする……もう一つくれぬか……?」
ハルナは次の一切れを口に入れた。
また、しばらくドラゴンはゆっくりと口を動かして、さらに涙の量を増やした。
「思い出した。我は名鉄の岩倉駅近くの子供で、そのあたりにある中高一貫校に通っておった。事故で死んだはずだが、昔から野球好きだったから、ドラゴンに転生させようと女神に言われて……」
「かなり思い出してきたらしいな」
「そうだ。繊細さよりも濃厚さ。じわじわ口の中に伝わるのではなく、一気に口の中を支配するようなこの味だ。この強くて丸みもある味は、疲れも嫌なことも一気に吹き飛ばして、陶然とした気持ちにしてくれる……」
なぜか関係ない聴衆でもらい泣きしている者までいた。おふくろの味でも思い出したのだろうか。
残りの味噌カツも当然、ドラゴンはすべてたいらげた。
ただ、「キャベツはあまり好まぬ」ということで千切りは残された。
わざわざ買いにいったナタリアは内心イラっとした。
「ありがとう、小さき者よ。お前のおかげで味噌が何かわかった。そして、我がどうして味噌を強く求めていたのわかった気もする」
「もう、地元民に迷惑かけるのはやめにしいや」
そう、本来の目的はドラゴンの被害を食い止めるためである。
「わかっている。そうだな、贖罪の意味もこめて貢納は三年取りやめにしよう。バゼ高山の民への連絡はこちらからしておく」
「あと、これは個人的なお願いなんやけど」
「なんでも申してみるがいい。ドラゴンがかなえられることなら、なんなりとかなえようではないか」
鷹揚にドラゴンの族長は言った。
「給料出すから、タクシー代わりになるドラゴン、派遣してくれへんか?」
手を拝むようにして、ハルナは頼む。
「あっ、扱いは派遣やなくて正社員な」
「なんだ、正社員というのは……?」
当たり前だが通じなかった。
「つまり、馬代わりに我が同胞を使わせろということか。小さき者よ、それは図々しいというものだぞ。だが、わかった」
「この流れでOK出ると思わんかったわ!」
「我はお前に敗れたのだ。首を刎ねられても文句は言えなかった。わかった。ドラゴン一体をこの町に送ると約束しよう」
「ありがとうな。馬はかったるいねん。この世界、新幹線がないからな」
ドラゴンの族長は満足した表情で帰っていった。
そのあと、ハルナには『ドラゴンを泣かした女』という二つ名がついたという。
いや、実際泣かしたけど、何か意味が違うだろうとそれを最初に聞いたナタリアは思った。
ドラゴン自身が話したおかげか、ハルナはドラゴン問題を解決した冒険者として正式に国から認められ、まず金貨二千枚が贈られた。日本円で一億円ぐらいである。とはいえ、大事業家のハルナにとってはもはや誤差みたいな金額でしかなかった。
それに、ハルナとしてはもっと別にほしいものがあった。
「ぜひ、王都ほかいろんな都市への支店出店許可がほしいわ」
もちろんそれも受理され、『ハルちゃん』グループはお好み焼き、ボール焼き、うどんなどの店舗を全部合わせると、すぐに百二十店舗を超えた。
◇
「おお! 今まで飲んだことのないスープだ!」
「体の芯からあったまるような気がする!」
「これなら塔に詰めている者たちの心も翼も安らぐだろう……」
『ハルちゃん』一号店で試験的に売り出してみた味噌汁に対する常連客の感想だ。
ただ、ナタリアは「?」と思った。心も翼もと、いつも兜をかぶっている常連が言っているが、翼なんてないだろう。比喩か何かなんだろうか。
味噌そのものには抵抗感があっても、スープにしちゃえば大丈夫だろうという予想はついていた。豆の入ったスープならこの世界にもあるので、似たようなものだろうと思ったのだ。
「元々冒険者向きの食品やしな。当然のことやな」
ハルナはその反応に気をよくした。
「これも定番商品になるの?」
店番をしていたナタリアが聞いた。最近ではナタリアの焼くお好み焼きもかなりハイレベルになってきている。
「いや、それはない。単純に味噌が足らん」
自家製の味噌だから、個人消費なら問題はないが、売り物として使っていたら、とっととなくなってしまう。
「でも、発酵食品は健康にもええし、普及させたいって気持ちはある。実際、栄養が足りてない人間にとったら薬みたいなもんやしな」
「だったら、味噌用の工場でも建てたらいいんじゃないの?」
ナタリアが素朴な疑問をぶつけてきた。
ハルナは腕組みして、「う~ん」とうなる。
「あのな、味噌は建物さえあればなんでもええってわけやないんや。発酵に適した建物でないとあかん。それに信頼できへん人間に任せて、味噌がダメになっても困るしな……。温度管理とかいろいろ難しいねん……」
小麦などと違って、特定の菌がいるものなので、この土地で採取するということもできない。今の味噌が枯渇したら、味噌はこの世から消える。さすがに最低限の量は残しておいて、保険にはするが。
「オールサックの町にはそんな味噌の蔵にええ建物もないしなあ……。離れたところやと管理もできんし」
これまでもずっと味噌不足と味噌から生まれる醤油不足には苦しめられていた。
その二つが潤沢にあれば、もっといろんな料理を生み出すことができたはずだ。
「お好み焼きとかと違って、知識があれば誰でもできるものじゃないってことね」
「食材そのものを作る作業やからな。なかなかきついわ」
味噌や醤油の重要性を知っている人間が遠方にいればまだいいのだが。
「王都なら人も多いし、案外、味噌作りを知ってる人もいるかもよ」
「んな、あほな。そりゃ、二十一世紀やったらニューヨークやパリに一人や二人、味噌作れる人もおるやろけど、ここの王都じゃ――――おらんこともないな」
ばんばんとハルナはナタリアの背中を叩く。
「グッドアイディアや! いける、いける! 任せられそうな人材おるわ!」
「ちょっと! うれしいからって叩かないでいいわ! あなたがばんばんする威力、かなり高いんだから!」
「ごめん、ごめん。ちょっと地上戻って、王都行ってくるわ。善は急げや!」
ハルナは王都ヴァン・タイドールに向かう。
ちなみに小さめのドラゴンの背中に乗って移動したので、一日で着いた。
ナタリアも立場上、一応ついてきた。ほとんど副社長みたいな立ち位置なのだ。
「ところで、王都の心当たりっていうと……やっぱりあの人なの?」
「そやそや。カレンのところや」
ナタリアはまだカレンが苦手らしい。ナタリアには純粋に金持ちの性格悪い貴族と映っているのだろう。
邸宅を訪れると、カレンは喜んで出迎えてくれた。
「わざわざ来てくれて、うれしいわぁ。今度はどないしたぁん?」
こころなしか、甘えたような声をカレンは出している。
「あのな、王都やったら、なんか今は使ってない倉庫とか蔵とかないかな思って来たんや」
「なんや、ほんまに仕事の話なんか」
ちょっとカレンはすねたような顔になったが、すぐにいくつかの空き倉庫を紹介してくれた。大貴族は複数の商工業者の組合ともつながっており、そういう物件も簡単に手配できる。
そのうちの一つがハルナは気に入ったらしく、じっくりと中を確認していた。
「うん、ええわ、ええわ。日の光も入らんし、温度も一定に保てそうやし」
「こんな古い倉庫で何をしはるつもりなんです?」
「味噌をどんどん増やしていくんや。増えてきたら、カレンの料理にも絶対使えるわ。ほら、湯豆腐にかけた醤油も作れるで」
「ああ、あの醤油も! それやったら、ちゃっちゃとこっちもはりきってやらしてもらいますわ!」
やはり、転生者のカレンは発酵食品に興味を示してきた。この意欲が必要だったのだ。とくに軌道に乗るまで蔵の管理を慎重にやってもらわないと、あっさり全滅なんてこともありうる。それにこの世界にはカビ防止の薬品もないから、カビが増えないように気をつかう必要もある。
「頼むで! この仕事はカレンぐらいにしか任せられんと思うてたんや」
「ハルナはん、そ、そんなに信頼してくれてはるんや……」
カレンの顔が桜のようにほんのり朱に染まる。
「そうや、今日は疲れてるやろし、うちに泊まりはったらどうですやろ?」
カレンがハルナの手を握ってきた。
「前回のラーメンと餃子のレシピ聞いてあらへんもん、ちゃんとわたしのとこの料理人たちに教えていってから帰ってもらわんと困りますわ」
実のところ、貴族の令嬢などという戦闘と最もかけ離れた生まれのカレンにとって、高名な女冒険者というのはモロにあこがれの対象である。
ナタリアが嫌そうな顔でその様子を見つめていたが、視界には入っていないらしい。
「わかった、わかった……。味噌蔵のほうももっと詰めて計画せんとあかんしな……」
ハルナも今回はお願いに来た立場なので、強くは出られない。ナタリアとしてはその様子がもどかしい。杖をぎゅっと強く握っているし、尻尾がやけに動いている。何か含むことがあるのだ。
「カレンさん、社長は日々の用事で疲れていますので、ほどほどにお願いいたしますね」
「あなたには聞いてあらしまへんわ」
つんとした顔でカレンが言って、ナタリアの顔も朱に染まった。ただし、理由が全然違う。
「ちょっと! それは失礼ですよ!」
「わたしはハルナ社長に用事があるんですわ。付き添いは黙っといたらええんとちゃいますか!?」
ハルナはその間で、なんでケンカになっているんだとあきれていた。
「なんなんや。大阪の酔っ払いでもこんなに血の気多ないと思うで……」
連携が取れるか不安な雰囲気を残しつつも、味噌作りと、それに伴う醤油作りは順調にはじまった。
本格的な商品化レベルにはまだ時間はかかりそうだが、ハルナとカレン周辺の需要をまかなう程度のことはすぐにできそうだ。
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