32 ドラゴンスレイヤー、眠ってしまった
ナタリアはもう炎や冷気を吐かれる前からハルナの真後ろにいる。
その予想は的中した。すべてを焼き尽くす、否、むしろ溶かし尽くすほどの炎をドラゴンは吐き出してきた!
「せめて、『命が惜しくば立ち去れ!』とか言ってよ! 問答無用で殺す気じゃない!」
今日だけで何回、死の恐怖を味わっているだろうとナタリアは思う。数えるのも嫌になってくる。
しかし、ハルナは相変わらず、ブレスに対して無敵なので――
「おっ、今度は有馬温泉ぐらいの温度やなあ」
気持ちよさそうに炎の前に仁王立ちしていた。
有馬温泉は神戸市の北にある有名な温泉地である。大阪からでも割と近い。豊臣秀吉が湯治に使ったことなどでも知られている。
大阪梅田と宝塚を結ぶ阪急宝塚線という通勤路線は本来大阪と有馬温泉を結ぶはずのものだった。ただ、宝塚から先は山の中で、工事が難しく、ここで路線が中断した。
「あの……後ろの私は防ぎきれてないからどうにかしてよ……」
ハルナは問題なくても、真後ろのナタリアはけっこう熱いらしい。
「まあ、息なんやったら、そのうち止まるやろ。凍結の魔法、自分にかけとき」
「こっちは直撃したら一発アウトなんだから、そんな気楽に言わないでほしいんだけど……。まあ、氷は出しておくわ……」
氷の攻撃魔法でナタリアは中和することにした。やがて、炎も止まった。
「どういうことだ……。我の炎が効かぬなど……。五百年に一人現れるというドラゴンスレイヤーぐらいしかいないはず……」
「うち、ドラゴンスレイヤーやで」
ハルナが自己申告した。自慢できることはストレートに自慢していくのが大阪流だ。ただし、自慢の内容はしょうもないものでないといけないという暗黙の了解がある。でないと笑いにならないからだ。本当にすごいことを言い出すのは、下品なことなのだ。
なので、ハルナ的にはドラゴンスレイヤーであることは、しょうもないことである。
「何だと! ドラゴンスレイヤーと呼ばれた男は百二十年前に現れたばかりで、まだ当分は現れぬはず!」
「しゃあないやん。そうなんやから」
「族長よ、その者には本当に何も効き目がありません!」「悪夢のような女です!」
周囲にいたほかのドラゴンが訴える。逃げ帰ってきた被害者たちだ。
「なるほど。お前が実力者ということはわかった。だが、我もドラゴンを統率し者――」
「っていっ! っていっ!」
ハルナがドラゴンを叩きだした。
「おい! こちらが話している間に叩くな! 空気読め!」
「あほか! 話聞いてほしかったらおもろいこと言え! 何が『我』やねん! かっこつけすぎや! いてまうぞ、ワレ!」
さすがにドラゴンの族長だけあって、すぐに吹き飛ばされたりはしないが、ハルナの攻撃はかなり痛い。その痛みがボディーブローのようにどんどん蓄積してくる。
ドラゴンの族長も反撃しようとするが、ハルナの体が小さいので当たらない。
手で叩こうとしても、踏みつぶそうとしても、素早く回避される。
まずい、このままでは負けるぞ……。族長は思った。
そこで彼は一か八かの策に打って出た。
「ははは、我が吹く息は炎だけにあらず。魔力を含む様々な息を――だからしゃべっている間は待て!」
「体力だけはあるな! 阪神の普通に乗って梅田から甲子園に行くみたいやわ」
阪神電鉄は駅の数が非常に多いので、普通電車に乗るとやたら時間がかかる。
なお、甲子園は直通特急・快速急行・急行などいろいろ停車する大きな駅である。別に球場だけの駅ではない。
「だから、我は人間を眠りにいざなう吐息も吐けるのだ。これを受ければ三日は眠りこける!」
バシッ! バグッ! ドガッ!
「だから、攻撃するな! もう、よい! ぐっすりと眠りに落ちるがよいわっ! お前の横暴もこれまでよ!」
そして、ハルナめがけて息をぶつける。
「ふん、こんな息ぐらいで――ふあぁあ~……ねむ……」
ハルナはばたりとその場に倒れた。
「あ、これは効いたのであるな……」
また無効化されるのではとドラゴンも不安に思っていたらしく、ちょっと驚いていた。
そして――
「え……ハルナが寝てたら、私、殺されるんじゃ……」
ナタリアが絶体絶命のピンチになっていた。
「ちょっと! 起きなさいよ! 起きてくれないと私が死ぬでしょ!」
あわててナタリアが眠りの吐息を喰らったハルナをゆする。
「次のバッターは……ああ、あいつか……ゆふ……ね……がんばって投げや……」
変な寝言が返ってきただけだった。
どうやら昔、阪神中日戦を見た時の夢でも見ているらしい。
「いや、寝言はどうでもいいから起きて! 本当に起きて!」
「もう一人の娘よ、お前もここまで来たということはその女の一味であるな。ドラゴンを愚弄し――」
「助けて! 助けて! なんで起きないのよ!」
「いや、だから話を聞け!」
ドラゴンの族長は再び炎を吐き出した。
ナタリアは腹をくくった。
「くおぉっ! ハルナ、盾になって!」
ハルナを抱え起こすと、その後ろに隠れたのだ。
「あの獣人、仲間を盾にしたぞ!」「血も涙もない戦法だ!」
外野のドラゴンが文句を言う。
「うっさいわね! 無傷なんだからいいじゃない!」
ナタリアも命懸けである。
「くそ! 卑怯な! まあ、よいわ。まわりこんで炎をぶつけてやる」
ドラゴンがまわりこむ。
ナタリアもハルナを動かしてガードする。
微妙に間抜けな展開だった。
ナタリアとしてはハルナが起きるまでこうやって身を守るしかない。
そしてドラゴンの族長も炎を吐きながら動き回るということはあまりできないらしく、一度炎を止めて再度狙いを合わせて移動する。
――こんなことが五分ぐらい続いた。
「くそっ……いいかげんまともに戦うのだ! 炎をあれだけ吐くと相当疲れるのだぞ……」
「まともに戦って、勝てるわけないでしょ! そっちこそ諦めてよ!」
もうドラゴンの族長もなりふりかまっていられなくなった。
「よし、お前たちも我に加勢せよ! 全員でこの女をぶちのめす!」
「ええっ! ナシ! ナシ! せめて一対一でやって!」
ナタリアはもちろん中止を訴える。
「たしかにズルいような……」「格好悪いかも……」
ほかのドラゴンもあまり乗り気ではないらしい。
「しょうがないではないか! もしあの女が目覚めたらドラゴンが滅ぶぞ! いいからやれ!」
そう言われてしまうとほかのドラゴンも逆らうわけにもいかない。
ナタリアをドラゴンたちが囲む。もはや絶体絶命だ。ナタリアにはこの状況を打破する選択肢は一切ない。
「やっぱり、ドラゴンなんかと戦うべきじゃなかったのよ……」
がっくりとナタリアは膝をついた。
「ああ、女よ。お前の命を助けてやってもいいぞ。別に小さき者の命を奪っても何の益もない」
勝利を確信したドラゴンがそんなことを言い出した。
ナタリアの顔も、ぱぁっと輝く。今はどんな屈辱を受けても、ここから脱出するべきだ。
「だが、我のほうから条件を一つ出させてもらう」
族長がナタリアに言った。
「な、何を要求するつもりよ……」
ナタリアの尻尾が不安で左右に何度も揺れ動く。
ドラゴンだから体目当てだなんてことはないはずだが。しかし、いったい何を……?
「我に貢納する品の中に味噌を加えよ」
「みそ?」




