20 巨人が攻めてきた
このうどんの専門店もオールサックの町にすぐに出現した。一号店は『なにわ屋』と名付けられた。地元民は国のどこかにそんな地名の町があるのだと解釈した。
うどんはテイクアウトというわけにはいかないので、テーブルと椅子、皿などを準備して、ちゃんとした店舗として運営された。食事のためにフォークも用意され、これを機にフォークの使用も庶民に広まったという。
うどんも主に使うのが小麦粉ぐらいで原価が安目に押さえられる。それは値段にも反映される。もちろん、庶民にウケたのは言うまでもない。
栄養面を考慮して、レストランでは野菜入りのうどんメニューを増やした。中にはうどんの上からサラダを載せ、ドレッシングをかけたサラダうどんまであった。これもハルナの心づかいである。
このうどん店も各地の町に生まれて、ハルナの経営する店も三十七店舗にまで増えた。
もはや、ハルナはこの世界における外食産業の王とさえ言える立場にいる。
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ある日、ハルナは事務所でナタリアと新規出店の話をしていた。
「この町にもお好み焼きの店を出せんかなあ。でも、ちょっとここから遠いからなあ。変なお好み焼きを広められたら困るし」
「本当にいくらでもお店って増えていくのね。そのうち王国中にできると思うわ」
今ではナタリアも立派な経営のパートナーである。
さすがに経営の中枢に関する話は信用のおける人間としかできない。それこそノウハウだけ学んで、独立されては困る。独立すること自体はいいが、偽物のお好み焼きやうどんが流通することだけは絶対に避けたい。
その点、ナタリアは兄を助けてもらった恩があるからハルナを裏切ることもありえない。いまやハルナの大事な右腕である。
どうせやったら大阪のもんを世界に広めていくんや。グローバルスタンダードや。
それがハルナの心意気だった。この地に大阪人は自分しかいないのだから、自分が伝道者にならなければならない。
「もう、放っておいても、そのうち全国にお店はできるでしょうね。十年後には、どこの町でもお好み焼き売ってるんじゃないかしら」
「いや、そんなことはないで。よほど意識的にやらんと増えへん場所もある」
「たとえば、どういうところ?」
「ダンジョンには全然増えてない。十三層の『ハルちゃん』だけや」
そう、ハルナは国中のダンジョン内部に回復薬や食品を取り扱う店を開くつもりでいた。
「ダンジョンの中に『ハルちゃん』みたいな店ができたらケガする人も死ぬ人も大幅に減るはずや。うちはそれをやりたい」
ハルナの目が澄み切っていたことにナタリアは少しびっくりした。
「冗談で言っているわけじゃないみたいね……」
ハルナは隠し事をしない。
なので、クサいようなことも素で言葉として出てくる。
「生きとったらどうとでもなる。金もない、何もない、でも、ずっと明るく笑ってるオッチャンもオバチャンも大阪にはようさんおった。でも、死んだら終わりや。どんだけ金があっても、偉いと思われとっても、死んだらあかんねん」
「生きていてこその花、というわけね」
「せやで」
笑顔でハルナはうなずく。
実際、ハルナが大阪を歩いていた頃、なんかよくわかんないけど楽しそうなオッチャンとか爺さんをよく見かけた。生きていればなんとかなると思わせるモデルがたくさんいるのだ。
一本が二十円とか三十円の自販機もあるし、激安スーパーもあるので、貧乏でも生きていけるシステムのようなものもある。
「よれよれのタンクトップ一枚で乳首見えてるまま歩いているオッチャンも、右と左違う柄のスリッパで環状線乗ってくるオッチャンも、歯がめっちゃ欠けてるオッチャンも、オッチャンかオバチャンか見た目でわからんオッチャンも生きてるだけで偉いわ。でも、死んだらおしまいや。まずは生きてることが大事やねん」
だから、あらゆるダンジョンに店を開きたいのだが――
「梅田も、新宿も、名古屋も、札幌も、日本中の地下街がそれぞれ違うかったようにこの世界のダンジョンもそれぞれ違う。地形も、モンスターも、違う。働く人間の危険も大きい。だから、調べもせずに出店はできへん」
町に店を作るのとは意味が異なる。
『ハルちゃん』が開店できたのもハルナが無茶苦茶強い剣士だったからだ。
レベル10程度だったら、とても出店する余裕などなかったし、店も守れたかわからない。
「ダンジョンに関しては慎重に私が吟味してから決めたいねん」
「もう少ししたら、あなたが出張で抜けてる間の代行ぐらいは私がつとめられるようになるはず。だから、もっといろいろ教えて」
そのナタリアの言葉にハルナはうるっときた。
「ああ、本当にナタリアはええ子やわ! 最高やわ!」
「その『ええ子』って表現やめてよ! あ、あなたのほうが見た目は若いでしょ……」
ハルナの見た目は女子高生ぐらいである。ナタリアより七歳ぐらいは若く見える。
ただでさえハルナは元気いっぱいに生きているので、余計に若々しいのだ。とても敏腕経営者には見えないだろう。
しかし、ダンジョンに本格的に出店する前にも問題が迫っていた。
事務所の扉が開き、得意先の小麦業者が入ってきた。
「いやあ、ハルナちゃん、今さっき町に帰ってきたんだけど、北が大変だよ!」
「キタ? 梅田のことか?」
キタとは大阪の北側の繁華街、梅田を差す言葉であり、ミナミだと難波のあたりを指す。
そして、そのさらに南に天王寺がある。
基本的に南に行けば行くほど、いかにも大阪という空気は強くなる。道頓堀や法善寺横丁は難波の少し北あたりにあり、新世界は難波と天王寺の中間あたりの恵美須町の駅前にある。
「ウメダなんて町は知らないけど、北方のモートリの町が戦場になったんだ。あそこ、ハルナちゃんの店もあっただろ?
」
「鳳?」
鳳は堺市にあるJR阪和線の駅で、和泉国一宮の大鳥大社に近い。
「いや、モートリだ。そこがまずいことになってる」
「なんや、モンスターでも攻めてきたんか!?」
「厳密に言うと違うな。まあ、王国とは対立してる勢力なんだけどね」
「いったい何なん?」
「山に住んでいた巨人族が町を襲ったんだよ!」
この世界では古くから巨人が細々と暮らしていた。別に普段は住み分けが起こっており、両者の間に争いもないのだが、今回はいきなり町が攻撃されたらしい。
「巨人やって!?」
思わず、ハルナは立ち上がる。
微妙に「巨人」のイントネーションが異なっていた。
「巨人は放っておくわけにはいかん。長い長い因縁があるねん。鯉やドラゴンとは違うねん」
ハルナは生粋のタイガースファンであった。すぐに巨人と戦わねばならないという大阪人のDNAが燃え上がる。甲子園が兵庫県にあるって? そんな細かいことはどうでもいい!
「ナタリア、うち、出張に行ってくるわ! こっちは任せた!」
「そうね、支店が被害出たかもしれないんだもんね」
「巨人に負けるわけにはいかへん!」