07:異界人
「ま、真琴さん……?!」
視線を向けると、杏津は困ったようにその眼を決定権を持つであろう社長に向ける。
「真琴さん、どういう意味かしら?」
「二人では心許ない、けれど装置を壊したいという事なんですよね」
「まあ、そうね」
水無月は真っ直ぐと、真意を図るように真琴を見つめる。
「……だったら、私が助太刀します」
力を必要としている人がいて、自分は力を有している。だったら、手を貸すべきなんじゃないか、と思った。この人智を超えた力が、何かの役に立つのなら尚更。
「現実世界よ」
「承知の上で申し上げてます」
じぃっと、視線が交差する。視界の端に、詩織の心配そうな顔が映りこむ。
盗み見ていた限りだと、交戦中とは言えど絃と樂が攻撃しない限り向こうが攻撃する気配はないようだった。それが本当なら。
(壊すだけなら簡単だし……、そんな建前が聞きたい訳じゃない)
内心そう独りごちていると、横でその会話を眺めていた浦田が声を発した。
「社長」
「何」
「絃と樂から聞いています。以前の迷宮内で、真琴様は怖気づくことなく幽霊相手に上手く立ち回っていたと」
思わぬところからの援護に、真琴は驚いた。ホログラムモニタの中では、異界人の抵抗によって手古摺っている二人の姿が中継されている。
「真琴様の異能を見る、という事でいかがでしょう」
確かに、クレールクラングの人々の中で真琴の異能をしかと見ているのは、樂のみだったはずだ。他の面々は話には聞いているかもしれないが、実際に見るのとではまた違うだろう。
真琴が戦地に赴くのに、丁度よい理由が提示された。さてどう動くか。
真琴と浦田とを交互に見ていたが、振り返りモニタを見ると。
「……そうね」
決断を下したようだった。
「真琴さん、お願いできるかしら?」
「勿論です」
「じゃあ、杏津の〈転移〉で行ってもらうわ。帰りは二人も回収してきて頂戴。杏津、位置を教えるわ」
「承知しました!」
「わかりました」
社長の言に、それぞれ返答する。横目で浦田を見遣ると、何もなかったかのようにホログラムモニタを見つめていた。
「真琴さん、こちらへお願いします」
「はい」
〈転移〉は、杏津と杏津の近くにいる人しか一緒に異能で飛ぶことができない。机の脚やソファにぶつからないようにしながら、杏津に近寄る。
「……杏津さん」
「何でしょう?」
「万一がありますので、転移したら私から離れないでください」
「はいっ」
何があるか分からない。万が一を考えてそう伝えると、にこっと花の咲くような笑みを返された。
「では、行きましょう」
「はい」
「真琴さん」
社長が、名を呼んだ。視線が交錯する。
「はい」
「よろしくお願いします」
「……はい」
「――参りますっ」
視界が、歪んで回って回って。
壊せそうにないな、と絃は思った。
睨み合う相手――異界人は、ただただ無感情にこちらを見据えるだけ。
体感にして三分ほど、つまりは五分は経っている。
異能力を使う仕事についてからまだ日が浅い。にもかかわらず、他の異能者達は芸能活動により不在。普段なら、誰かもう一人と組んで三人で取り掛かるのだが、タイミングが悪かったとしか言いようがない。
絃と樂のたった二人での交戦だ。正直なところ。
「キッツイなぁ……」
絃が思わず苦笑いで心の内を溢すと、樂が不満そうな顔でチラリと視線を寄越した。その手元には、氷で出来た剣が握られている。
「何れは二人で仕事するようになる」
何事も経験。そう言いたいのだろうが、まだまだ経験値が足りないと思われて仕方なかった。
異界人が背後に庇っている装置には、まだ一撃も叩き込めていない。
こちらの世界に干渉してくる異界人は、いつも同じではない。時によって、だいたいは大人だが、男だったり女だったり姿が違い、反撃パターンが違う。
基本的に異界人から攻撃してくることはなく、此方が装置を壊そうとすると反撃してくるのが常だ。
絃や樂の異能が近接攻撃型で使っているのに対し、今回の異界人は中・長距離攻撃型である。そこに二人は戦いにくさを余計に感じさせられていた。
球体を真琴と同じような念力で浮かし、動かして反撃してくるので直接装置を叩くことが出来ないのだ。
「どーしよな、樂」
それでも、最初十は有った相手の武器である球体を、三までは減らしたのだ。
「最善を尽くすだけ」
異界人は、顔色一つ変えることなく装置を守り続けている。その存在は現実味が無いというよりは、生命体としての活力のようなものが失われているように見えた。
ふわふわと宙に球は浮いたまま、異界人は此方の様子を伺っている。周囲の風景に似合わない、静寂が訪れたその時。
「――来い」
響くはずのない、声が聞こえる。次いで、ぱちん、と破裂音が響いた。両の手を鳴らす、彼女の異能発動の引き金。
〈創造〉された黒い物体は〈念力〉によって装置目掛けて真っすぐ加速され、そして。
球体に突き刺さり、ぱきり、と嫌な音がした。
(よし、当たった)
「……!!」
異界人の顔に、驚愕という初めて感情らしい感情が見て取れた。
刺さっていたのは、変わった形状をして小さなナイフのようなもの――遠い昔に忍者が使っていたクナイという武器だった。
一瞬の出来事に、絃も樂も目を見開いて固まったままだ。二人がゆっくりと飛来した物体の発射元へと視線を動かすと、其処には二人の異能者。
たったの一撃でのあっけない幕引きに、真琴は思わず背後に隠れている杏津に声をかける。
「杏津さん、これでいいんですよね……?」
「……えっ、あっ、はい! そうです」
同じく呆気に取られていた杏津は、はっと気を取り直して答えた。異界人の背後では、装置が壊されたことによって、次元を割いて顔を見せる禍々しい色合いの異世界が縮小していく。
そう、壊すだけなら簡単なのだ。
正面堂々殴りかかることはない、意表をついて、〈創造〉で創り出した武器を〈念力〉で対象に当てるなり突き刺すなりすればいい。
ふ、と笑うかのように、飽きるかのように一つ息を吐くと、異界人は振り返って背を向ける。そして、縮小していく異世界の向こう側にゆっくりと足を踏み入れていく。
そのまま、進んでいくかと思いきや、ふと立ち止まって、チラリ、と顔だけで此方を見た。不気味なほど整った顔立ち、赤と桃色が混ざったような血の色の瞳、人工的な発色の髪が揺れる。
ここにいる異能者四人、それぞれを順にその瞳に映した後、異界人は言葉を発した。
「……帰還、スル」
少しノイズの掛かった、くぐもった発音。現在の合成音声よりも、少し質の落ちたもののような聞こえ方だった。
異界人が再びもう一歩、足を進めると同時に。
次元の裂け目は、元からそこには何事もなかったかのように異界人と共に消えた。