午前三時の郵便配達
お客さまへ
本日はみぞの郵便局をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
みぞの郵便局ではお客さまの様々な『願い』を大切に配達させて頂いております。
投函された『願い』は必ずお届け致します。
ご利用に当たりましては以下の注意事項を必ずお読み下さい。
・みぞの郵便局のご利用は一度きり、再度ご利用することはできません。
・配達された『願い』を回収することはできません。
・配達後に起きた出来事については一切の責任を負いかねますのでご了承下さい。
・投函後もその『願い』をけして忘れないでください。
お手数ですが迅速かつ確実な配達のためにご協力よろしくお願いします。
みぞの郵便局 局長
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わたしが住んでいる町にはちょっと変わった郵便局がありました。
その郵便局の名前は「みぞの郵便局」と言います。
配達するのは手紙に書かれた『願い』。
利用できるのは15歳未満のこどもだけ、『願い』を配達してもらえるのは一生に一度きり。
謎に包まれた配達員が『願い』を回収しに来るのは決まって、こどもならとうに寝静まった午前三時…
いまのわたしにはもう見えませんし、だんだんとそんな郵便局があったかどうかすらあやふやな気がするのです。
わたしがあの郵便局を見つけた日のことをここに書いておこうと思います。
熱いハーブティーからゆるりと立ち昇る湯気のように、大切な記憶が忙しい日常の間に消えてしまわないように…
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
中学三年の冬。
初めての受験を控えたわたしは教室の騒がしさを避けるように図書室へ避難していました。
あの頃の男子ってなんであんなにうるさいんでしょう?休憩時間になると猿山の猿みたいに奇声はあげるわ走り回るわ…
女子だって同じようなものです。よってたかって悪口を言い合ったり、人の恋バナにいちいちキャーキャー言って、まったくうるさいったらありません。
そんなふうに同級生を斜め上から見下ろすようなわたしも彼らからしてみればうっとうしい存在だったのかもしれませんね。
壁いっぱいに敷き詰められたたくさんの蔵書、大きな窓から差し込む柔らかい午後の光。
インクと紙の芳しい香り。
あの部屋がわたしにとって学校で唯一落ち着ける場所でした。
みぞの郵便局の話を聞いたのも、確かあの図書室だったと思います。
その日もわたしは向かいに座った生徒にも目をくれず、活字の海におぼれるように本を読んでいました。
「…き、ーーさ、き。岬っ!!」
「あっ、はいっ」
呼ばれていたのはわたしの名前でした。
あんまりびっくりして、授業中に先生に答えを言うように指名されたときのように立ち上がってしまいました。
「あっはははは!」
静かな図書室にあけっぴろげな笑いが響きます。いつの間にか向かいに座っていたのは幼なじみの遠山くんでした。
「ちょっ、遠山くんっ!?」
いつもは優しい司書さんににらまれている気がして、わたしはあわててピンと立てた人差し指をくちびるにあててみせました。
すると遠山くんもごめんごめんと言ってぱちんと手を合わせます。
「何、どうしたの?」
「いやー、相変わらず本好きだなーっと思ってさ」
「本は好きだけど…めずらしいね。遠山くんはあんまりここ来ないでしょ?」
「うん、おれ活字見てると気持ち悪くなるから読書とか縁ないしなー」
受験勉強どうするんだろう?と思っていたけれど、彼には野球の強豪校からたくさんの推薦がきているから余計な心配でした。
「じゃあなんでここに?」
「うーん、女子から逃げてきた的な感じ」
「ああ、そっか」
今日は言わずと知れた告白デー。
バレンタインだったことを思い出し、遠山くんの事情に納得がいきました。
野球部の主将でイケメンという最強のスペックをもった生粋のモテモテ男なら、バレンタインの放課後にチョコレート攻撃を受けるのは必然…。
「だからって、どうしてここなの…」
「いやー、ここ来れば岬いるし…悪いけどちょっと匿ってよ」
遠山くんは本当に困っているようで、わたしは彼の必死の頼みを断わることはできませんでした。
別に良いけど…とは言ったものの、二人でいるところを見られては明日クラスで何と言われるか想像すらしたくありません。
「おわびと言っては何だけどさ、ちょっとすごい話聞きたくない?」
「ええー遠山くんが言うすごいって信用できないかも…」
「ひっでー、信じなくてもいいし騙されたと思ってさ」
本当は今読んでいる話の続きのほうが気になるところでしたが、遠山くんの勢いに押されて結局頷いてしまいました。
「みぞの郵便局って知ってる?」
「知らないけど…郵便局がどうかしたの?」
みぞの、みぞの…
変わった名前だなと思う以外に何の心当たりもありませんでした。
遠山くんは少し得意げな顔になって話を続けます。
「そこの郵便局はさ、『願い』を届けてくれるんだって」
はっきり言って少しがっかりしました。
そんな都合の良い話なんてあるわけがありません。しかもこれは小学生の時に流行った都市伝説ならぬこの町独特の町伝説にも同じような話があって、「願いの叶う郵便」は割とポピュラーな話だったのです。
「ふーん」
見るからに面白くなさそうなわたしを気にすることもなく、遠山くんは言います。
「仁科って知ってる?」
「仁科祐希くん?」
仁科くんは遠山くんの仲の良い友達です。
「そうそう、あいつ三年に上がったとき体調崩してずっと入院してたんだ。それがさ、今週退院できることになったんだよ」
「それはよかったね、でも今の話と何の関係があるの?」
「その反応を待ってた!」
遠山くんはとても嬉しそうでした。
ちょうど何の餌もつけてない釣竿に鯛がかかったような感じです。
「仁科が病院から一時帰宅の許可が降りた日のことなんだ、夜中に腹減ったらしくってブラっとコンビニまで行く途中にあったんだって」
「もしかして、その郵便局?」
「そう、あったんだよ。
夜中って言っても午前三時とかじゃん、普通の郵便局なら閉まってるし、こんなのあったっけって変に思ったらしく、ちょっと寄ってみたらさ、中から制服着た若い男の人が出てきてこう言ったらしい。
『あなたの願い、配達いたします』って。
いや、普通に考えたらおかしいんだけど仁科も『あ、じゃあお願いします』って言ったらしいんだ」
「わたしだったら、逃げるかも…」
夜中の三時、制服…これって不審者ではないでしょうか?
「うーん、まあそうなんだけど、あいつもちょっと変わってるからなーってどうでもいいけど」
「で、何をお願いしたの?」
その時にはもうわたしも話に夢中になっていました。
「『病気が治りますように』だって。普通の葉書にそれだけ書いて、郵便局のとなりにあるポストに入れたんだってさ。
半信半疑だったけど、次の日検査したらびっくりするくらい結果が良くて退院まで決まったって…」
「そうなんだ…」
「な、すごいだろ!」
確かに作り話しならここまでスラスラ話せないですし、仁科くんが遠山くんに嘘を言っているとは思えませんでした。
「確かに、すごいかも」
「な、今晩行ってみねえ?」
「ええっ、どうやって??」
いや、歩くか自転車でいいんじゃねと、なんとも現実的な答えが返ってきて我ながら間の抜けた返答だったなと思いました。
仁科くんの言っている場所なら不可能な距離ではありません。
「で、どうする?」
遠山くんの無邪気でいたずらっぽい目を見るとわたしはまるで魔法にかけられたかのように「うん」と頷いていました。
その後わたしたちは午前二時半に学校前で待ち合わせをして別れました。
受験勉強ですり減った心が久しぶりにふわふわした好奇心に揺れていました。
帰り道、郵便局の話をしたからか何となく配達中の配達員のおじさんをじーっと見ていたら「おかえりなさい」とにこっと笑ってくれました。
ジロジロ見てしまったのに何ていい人だと思い自分が恥ずかしくなり「お疲れさまです」と小さな声で返しました。
こんなに寒いのに配達大変だろうな…
そんなことを考えながらぼーっと歩いているとドンっと誰かがすごい勢いでぶつかってきました。
「ご、ごめんっ!!大丈夫?」
「ああ、はい…」
実はあんまり大丈夫ではありませんでした。
転んだ拍子に足首を捻ったらしく立ち上がることできません。
どうしよう…
「立てる?」
心配そうにこちらを覗き込む男の人と目が合いました。
「あ…」
世の中にはこんなに綺麗な人がいるんだとわたしは初めて思いました。
白い肌、薄茶色のアーモンド形の瞳、柔らかそうな亜麻色の髪、左目の下に続く二つの小さな泣きボクロ…すべてが神さまの思いどおりに作られた人形みたい…異常なまでに整った容姿に状況も忘れて唖然としてしまいました。
「ええっと、おれの顔になんかついてる?」
いえ、なんでもありません…
けれどよく見ると、目の周りが少し赤くて泣いていたように見えました。
「あなたは、大丈夫ですか?」
「えっ?」
男の人は心底驚いたようなそれから哀しげな顔をしていました。その薄茶色の瞳には何かを悲しみや怒りを通り越した空虚が閉じこめられている、わたしにはそんな気がしてなりませんでした。
綺麗だけど、空っぽな人。
その人はそれが精一杯の笑顔だと言わんばかりに少し微笑んでみせました。
綺麗なのに笑い方はとても下手なのです。
「大丈夫だよ」
そう言ってわたしに手を差し出します。
「あ、立てないんだよね」
その人はわたしに背中を向けてしゃがみました。負ぶされ、ということでしょうか?
「あの、重いですし、制服汚れちゃいますから…」
「いいの、いいの」
気がつくと広い背中に負ぶわれていました。
顔がかあっとあつくなり、わたしは声も出ませんでした。
いつもは人通りがなくて少しこわいこの道をはじめてありがたいと思いました。
「いや?かな」
男の人が心配そうにたずねます。
これ以上かなしそうな顔をしてほしくなくてわたしはブンブン首を横に振りました。
「お家はどこ?」
「すぐそこの自販機右に曲がった坂のとこ、です」
「うん、じゃあ行こうか」
男の人はゆっくりと歩き出しました。
大きな黒い鞄を肩に掛けてわたしまで背負ってまるで何ともないように歩いています。
「あの…重たくないんですか?」
「ん?全然。あ、この鞄のこと?」
「あ、何が入ってるんですか?」
学生なら教科書のような気もしますがその膨らみ様が少しばかり奇妙なんです。
ストラップに引っ掛けている帽子もまるで駅員さんがかぶっているようなものでした。
「ただの仕事だよ」
「そうですか」
「その制服、神山中学校の生徒さんかな?」
「はい、ご存知なんですね」
「うん、まあ…」
そうこうしているうちに家の前まで来ていました。わたしは負ぶわれていることをもう少しで忘れてしまうところでしたから、本当に絶妙のタイミングでした。
「す、すいませんでした。
本当に本当にありがとうございます」
「うんん、こちらこそ。痛かったでしょ?」
ごめんなさい。と言って、その人はそれだけ言って立ち去ろうとしました。
「あ、あの!」
その後ろ姿があまりに儚くて、危なっかしく見えてわたしは思わず呼び止めてしまいました。
けれど、その人は振り返りません。
やがてその姿は夕暮れに溶けていくように見えなくなりました。
遠くで甲高いサイレンの音が聞こえます。まるで町が泣いているようでした。
その夜は結局わたしが足をくじいたこともあって郵便局へは行きませんでした。
でも何故だかあの日に仁科くんと同じ道を歩いても「みぞの郵便局」には辿りつけなかったような気がしました。
あれから一年と少し、無事に志望校へ合格したわたしは同じ高校生へ進学した仁科くんと部活帰りの遠山くんと一緒に帰り道を歩いていました。
三人集まれば自然と中学生のときの話になっていつの間にやらあの郵便局の話になっていました。
「あの郵便局はきっと、本当に必要としている人の前にしか現れないんだと思うよ。
あの日はいかなくて正解だったかもね」
「そうだよなあ。そんな都合良くいく訳ないってことだ、ざーんねん」
そう言いながら遠山くんは少しも残念そうではありませんでした。
「本当に叶えたい願いなら、自分で叶えなきゃ意味ないもんな」
夕日に照らされた遠山くんの横顔が、心なしか大人びて見えました。
「そうだね、ぼくのはきっとレアケースだからあんまり信用しないほうがいいかもしれない。それから、あの郵便局でたまたま知ったんだけど、『願い』を配達してもらえるのは15歳までの子どもだけらしいよ」
仁科くんが思い出したように言います。
「配達?配達された願いはどこに届くの?」
「さあね」
そう言って仁科くんは少し笑いました。
彼はきっと答えを知っていたのだと思います。自分で探してごらん、そう言われているような気がしました。
あ、そうだ!
遠山くんが急に振り返って言いました。
「そういや岬、おまえ明後日誕生日じゃなかったか?」
「うん、そうだけどどうしたの?」
「お誕生日おめでとう」
「あ、ありがと…でも覚えてるなら当日言えばよかったのに」
「明日から遠征だから今言っておこーかなと思ったからさ」
「ふーん」
ケータイ持ってるのになあ、と思いながら生返事するともっとなんかリアクションねーのかよ!?と笑われました。
「いやー1日前に言われてもねえ」
直接言わなきゃ意味ねーじゃんとか遠野くんが抗議して仁科くんまでケラケラと笑いだして、しまいにはわたしも笑っていました。
「明後日、誕生日なら『願い』配達してもらえるチャンスは今日で最後だね」
その晩、仁科くんがポツリと言った言葉が気になってわたしはなかなか眠れませんでした。
わたしの『願い』はなんだろう?
大学受験に合格すること?
幸せになること?
世界平和の実現?
億万長者…?
…?
どれも違う気がしました。
午前二時を回った時計の針が容赦なく時を刻みます。
カチ、カチ、カチ……
カチリッ。
と音立てて、頭の中で全ての歯車が在るべきところに収まったそんな気がしました。
そう答えははじめからわたしの中にあったのです。
仁科くんが「みぞの郵便局」に出会ったあの場所まで走っていけば午前三時にギリギリ間に合います。
わたしはいてもたってもいられなくなってコートも羽織らずに家を飛び出していました。
走って、走って、走って…
学校からはもうどこを走っているのかもわからなくなってしまいました。
冷んやりとした空気が肺に染みて、キリキリと痛み、靴は片一方脱げていて、足の裏には血がにじんでいました。
ああ、もう間に合わない。
やっぱりわたしには見つけられなかったんだ…暗い絶望感に視界が揺れたその時、
背後でオレンジ色の暖かい光が灯りました。
信じられない気持ちで振り返るとそこには有るはずのないレンガ造りの建物が道を封鎖してちょこんと建っていたのです。
シンプルな木の板の看板に下手くそな字で書かれているのは、「みぞの郵便局」の文字。
本当に、本当にあったんだ…
安心したら全身の力がフワッと抜けて、わたしは冷たいアスファルトの上にペシャンと座りこんでしまいました。
すると、きれいな白い手袋に包まれた大きな手が差し出されてわたしは顔を上げました。
「立てますか?」
目の前にいる制服を着た青年が優しく問いかけます。
わたしはしっかりと頷いて、その手を取りました。
「大丈夫です」
青年はまるでそれが精一杯の笑顔だと言わんばかりに少し微笑んで先促すように頷きました。駅員さんがかぶるようなかっちりとした帽子を目深にかぶっていたからよく見えませんでしたが、きっとそれはとても下手くそな笑顔でした。
暖かいオレンジ色の光に満ちた郵便局に入るとふんわりとコーヒーの香りが漂っていました。
職員は誰一人いません。がらんとした郵便局の中には不思議なことに大量の紙飛行機が忙しそうにくるくると旋回しています。
紙吹雪の嵐の中心わたしの手を引いていた青年が振り返り、そして静かに右手を左の胸にあててこう言いました。
「あなたの『願い』、配達いたします」
「じゃあ、お願いします」
そう言ってわたしは急いでルーズリーフに書いた大切な『願い』を配達員の青年に手渡します。
「確認のため少々拝見させていただいてもよろしいですか?」
すっかりヨレヨレになった紙を青年は丁寧に開きました。
「失礼ですが、貼り紙に書いてある注意事項には目を通されましたか?」
「はい」
「みぞの郵便局を利用出来るチャンスは一緒に一度きりなんですよ?」
「知ってます」
「後悔しませんか?」
「もちろんです」
「本当にいいんですか?」
「はい」
なんの迷いもない。
わたしの叶えたい『願い』
これ以上もこれ以下もない。
「では、これで配達完了です」
目の前に立っている青年がかぶっていた帽子をそっと外しました。
白い肌、薄茶色のアーモンド形の瞳、柔らかそうな亜麻色の髪、左目の下つづく二つの小さな泣きボクロ…
すべてが神さまの思いどおりに作られた人形のように綺麗な青年が、涙で顔をくしゃくしゃにして笑っていました。
ちっとも綺麗ではないけれど、きっと世界で一等、いい笑顔です。
わたしは精一杯の気持ちを込めてこう伝えました。
「配達、お疲れさまでした」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
夕闇に染まった窓の外でひらひらと雪が降り始めました。
すっかり冷えてしまったハーブティーを温めなおそうと台所に向かうわたしの鼻を何やら危険な匂いが刺激しました。
こうなるともう嫌な予感しかしませんよね。
「ごめん、さっき玉子焼きつくるの失敗したんだ…」配達員の制服を着たままの彼が疲れきったように言いました。
なかなか夕飯の支度をしないわたしの代わりに台所で一戦交えてきたのでしょう。
「座ってて」わたしはそう言って彼の柔らかな亜麻色の髪を梳きました。
やれやれ、夕飯は結局わたしが作ることになりそうです。
というわけで今日はここまでにしようと思います。
それではまたいつか、どこかで。
おわり