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舞台裏:諫早爽の思惑

 人生は、実に退屈だ。

 繰り返し訪れる毎日は、刺激もなければ面白味も感じない。学校に通い、自分に群がる同級生と会話をし、教師からの雑用を引き受け、愛想のいい笑顔を振りまく。

 昔から記憶力は良く、理解力も高くて、大して試験勉強などした事はない。一度教えられれば大抵の事は飲み込めた。それは勉強に関わらず、スポーツにも言える事だった。勉強も出来て運動神経もいい。整った容姿に、柔和な性格。気づけばいつの間にか同学年の同級生のみならず、諫早爽の名を知らない者はこの小学校にはいなくなった。


 いくら彼がこの日常を「つまらない」と思っていても、誰も彼の本心を知る者はない。本音が語られる事は滅多になく、笑顔の仮面を被り続ける。『俺達親友だよな!』と何人目かわからない自称親友がまとわりついてきても、爽は否定も肯定もせずに笑顔で受け流した。彼が特定の誰かを特別視せず、分け隔てなく誰とでも付き合う事が出来るのは、単に優しいからではない。ただ、相手に興味がないだけだ。


 友人と呼べる人間はたくさんいる。だが、その中で本当の自分に気付く人は何人いる?


 年齢が上がるにつれて、疑問が湧きあがる。燻り続ける感情を胸の奥にしまい込み、波風立てない学校生活を送るよう努めて来た。周りから求められる諫早爽のイメージを、今更崩す真似はしない。崩れた後の変化を考えたら、面倒だからだ。


 周囲が望むなら、このままでいい。優等生で王子様だと勝手に囃し立てて、騒ぎたければ騒げばいい。自分は否定も肯定もしないし、何にも関与しない。繰り返される日常をただ笑顔で眺め続けるだけだ。ああ、くだらない、と――。


 実に子供らしからぬ思考を持ち、大人になった今あの頃を振り返ってみても、あまり褒められた子供ではなかったと思う。だが、周囲から求められる事に一言も「嫌だ」と言わず応え続けてきた事は、大したものだと思えるだろう。

 嫌な事でも笑顔で「いいよ」と言ってきたのは、別に偽善者というわけではない。相手がそう望んでいたから、断るよりも面倒じゃないという理由だけ。だが、時折呼び出しをくらい告白をされた時は、流石に「いいよ」ではすまないが。


 『ずっと諫早君を見てきて、好きなの――』


 そんな台詞を聞かされるたびに、爽の心は冷めていった。ずっと見て来たのなら、本当の自分が何を考えているか位、気づくだろう? 良くそんな事が言える、と内心嘲笑っている事にも気付かない。

 愚かな少女達に、彼は毎回同じ台詞を繰り返す。


 『ごめんね、でもありがとう』、と。


 申し訳なさそうに微笑めば、嫌われたくない一心の彼女達は首を振って走り去った。


 だから自分でも何故あのような台詞を彼女に言ったのか、わからない。きっと虫の居所が悪かったのだろう。

 卒業式の日、ただでさえ両親がいて時間もないのに、下級生と同級生の少女達は最後といわんばかりに写真を求めて来た。同じ学校に進学する彼女達まで何故泣くのか、意味がわからない。微笑みながら苛立ちが増していく。そんな中、一人の少女に呼び出されていた事を思い出した。

 ほとんど覚えていない過去の記憶だが、少しふっくらした頬を真っ赤に染めた少女に、爽はいつもなら絶対見せない本心を初めて覗かせた。


 『君、誰だっけ? 悪いけど、俺ブスは嫌いなんだよね』


 呆然と立ち尽くす少女の顔は、見覚えはあったが名前は知らない。自分に関わろうとする人間が多すぎて、いちいち名など覚えていられなかったからだ。ましてや口をきいた事があるかも怪しい同級生。人間関係が煩わしいと思い始めていた思春期の自分にとっては、取るに足らない存在。

 手に持っていた手紙が地面に落ちた事にも気に留めず、その場を離れた。


 それから数日後。中学の入学式を終えた後、一人の少女に呼び止められた。メガネをかけた、いかにも文学少女といった風貌の大人しそうな少女だ。図書委員を希望し、教室の片隅で文庫本でも読んでいる印象だが、淡々とした口調は棘が強い。女性には珍しく感情的には怒らないタイプのようだ。


 『卒業式にあなたがヒドイ言葉で振った女の子――覚えておくといいわ。彼女、諫早君を見返して復讐するつもりだから』


 言いたい事だけ言って去った彼女の名は、常盤ゆかり。卒業式に告白してきた女の子なんて、片手では足りない。だが、ヒドイ言葉で振った相手なら、一人だけ心当たりがある。

 復讐なんて、言葉だけだろう。同じ進学先ではないのなら、接点だってなくなる。ただ忘れていた記憶はその時確かに蘇った。帰宅した後、受け取ったまま一度も開いていない卒業アルバムをめくる。


 ――いた。

 確かに、同じクラスのページに。


 「久住、蘭子……」


 それだけ確認し、爽は本棚へアルバムを戻した。もう見る事はないだろうと思いながら。


 ◆ ◆ ◆


 恋愛にますます興味を抱き始める中学生の女子に、告白される頻度が増えた。同級生のそれなりに仲がいい男子生徒から同情の眼差しを送られるほどに。その中の一人が、『いっその事誰かと付き合っちゃえば諦めるんじゃね?』と軽く告げた。

 誰もが認める1、2を争うほど可愛くて人気の高い女の子と付き合えば、余計な告白も受けずに済む。その提案を聞いて、なるほど、一理あるなと頷き返した。興味のない相手と付き合うのは面倒だが、別に異性に興味がないわけではない。自分が誰か一人を”欲しい”と思う可能性もゼロではないはずだ。


 タイミング良く告白してきた一学年上の先輩と、交際を開始したのが中学2年に進級した頃。

 時折、一瞬だけ突き刺さるような視線を感じたが、その視線の相手を特定する事もなく次々と交際相手を変えていく。

 高校に入学し、暫く経った頃。同じ高校に進学していた常盤ゆかりと鉢合わせた。

 小柄な彼女は、初めて会話した頃とあまり変わらない。冷静な眼差しに、大人しい外見。メガネの奥から爽を見つめる彼女は、他の少女達が自分を見つめるような熱い眼差しではなくて、とても冷めた、呆れを隠しもしなかった視線だった。偏差値の高い進学校と有名なこの高校に入学した彼女は、とても理知的に見え、そして女子特有の群れを嫌う。


 『相変わらず、退屈そうね。若いのにかわいそう』


 淡々と告げられた言葉に、笑顔のまま訝しむと、彼女の顔は嫌そうに顰められた。この顔を虫けらを見るような視線で見つめ返されたのは初めてだ。着飾る事とアイドルの話に花を咲かせる同年代の少女達とは、どこか違う。かけられた言葉に、爽の関心はわずかながら強まった。


 『本当はあなたが今まで付き合って来た派手で自信家なタイプの子、嫌いなんでしょ』

 『何でそう思うのかな? 嫌いなら付き合わないと思うけど』

 『好きじゃないから続かないんじゃないの? あなたの視線からは、彼女達を好きだと想いあう、恋愛独特の熱が感じられない』


 鋭い指摘に、内心ほくそ笑む。

 無言を貫いた爽に、ゆかりは言った。


 『諫早君に復讐を誓った女の子の話、覚えてる?』

 『そういえばそんな事言ってたね。確か6年の時のクラスメイトだったかな』

 『やっぱりどうしようもないクズ男ね。4年生からずっと同じクラスだったのに。3年間も一緒のクラスメイトの名前すら覚えていないなら、去年のクラスメイト全員の名前を言えるかどうかも怪しいわね』


 クズ男、なんて呼び名をされたのは初めてだった。思わず本性が少し滲んだ笑みを浮かべる。


 『へぇ? よく見てるね。別に俺に興味なんてないのに。その友達が一体何だって言うんだ?』

 『当然私はあなたなんでどうでもいいんだけど。彼女がなかなかあなたへの復讐心を忘れようとしないから、諫早君と賭けをしようと思って』

 『賭け?』


 そう持ち掛けてきたゆかりは、賭けの内容を告げた。

 あの日からカウントして、10年の期間を設ける。22歳になるまで、久住蘭子が諫早爽を忘れ、復讐も諦めたら爽の勝ち。10年以上経過した後、彼女が爽の前に現れたらゆかりの勝ち。

 人の想いなんて10年も続かない。ましてや、あの日からお互い一度も会っていないのだ。聞けば彼女は他県に引っ越したという。それならますます接点はないだろう。


 退屈しのぎになるなら、賭けに乗るのも悪くない。

 負けた場合、ゆかりから提示された内容は、”謝罪”の一言だった。


 『私が勝ったら、あの子にちゃんと謝って。あなたにいつか復讐する為に蘭子は努力を重ねて、斜め上に暴走しているの。ちゃんと恋愛できずに、未だに囚われ続けている姿を見ると、さっさと忘れなさいよと思うけど。親友の人生目標を崩す真似はどうかと思って』

 

 ――それなら、好きにさせた後、傷つけた彼女への謝罪を要求するわ。


 そう続けられ、爽は承諾した。

 どうせ現れる事はない。人の気持ちなんてすぐに変わるのだから、この賭けも無効になる。

 念のため自分が勝った時のメリットを尋ねれば、彼女は『あなたの退屈そうな人生に少しの刺激をあげられる事、かしら。ああ、それとも、好きな女の子が出来た時に協力してあげてもいいわよ? 私に出来る範囲なら』と答えた。

 退屈そうな人生と見破られていた事に苦笑が零れる。面倒な恋のキューピッド役を彼女が出来るかどうかはわからないが、まあ、何でもいいだろう。


 『別に構わないよ。どうせあと6年も続かない』

 『あら、あの子を甘くみない方がいいわよ? 執念で追いかけてくるから』

 『それは楽しみだね』


 その後ゆかりに、必要ならば自分の写真と情報を提供してもいいとまで告げた。だが、自分から彼女に会う真似はしないし、彼女の情報はいらない、とも。

 嘘と本当を織り交ぜて生活しているこの学校生活で、一体どれだけの真実を正しく拾う事が出来るのか。その答え合わせをいつかできたら、それはそれで面白い。


 (どうせすぐに諦める。高校までならまだしも、大学に入れば忘れるだろう。)


 選択肢が広がり、将来を考え始める時期だ。大学に入れば出会いも増え、過去の事に囚われている暇もないほど忙しくなるだろう。あと6年なんてあっという間に過ぎる。たとえゆかりが自分の写真と情報を彼女に渡そうと、気にも留めない日がやって来るはずだ。


 それからゆかりとは、時折賭けが有効かの確認を取る位の交流しか持たなかった。お互いの連絡先すら交換していないが、偶然にも進学先の大学まで同じ。専攻は違えど、キャンパスは一緒。ごくたまに見かける彼女は、高校時代からの交際相手とよく歩いていた。

 1年に1、2回、すれ違うたびに尋ねて来た。あの賭けはまだ有効か? と。

 淡々と紡がれる答えは毎回「ええ、そうね」の一言。その答えを聞くたびに、僅かな高揚感が溢れてくる。タイムリミットが近づくにつれて、自分の中での彼女に対する関心が深まった。


 そしてついに22歳。迎えた大学の卒業式で、ゆかりは言った。『私の勝ちね』と。


 『彼女は今どこに?』

 『ここにいるはずないでしょう? 今はまだ留学中。夏までに日本に帰ってくるわ。私達より一年遅く社会に入る予定よ』


 ――謝罪、忘れないように。

 

 くすりと笑い歩き去ったゆかりを見て、爽は小さく嘆息する。

 だが、次第に笑いがこみ上げて来た。何がおかしいのかわからない。だが、どうしようもなく笑いたくなる。


 『まだ、諦めていなかったんだ。10年経った今も』


 自分だけを見て、自分を追いかけて。

 姿は知らない、彼女がどんな大人に成長したのかも、知る由はない。いずれ再会するであろうその時の彼女は、一体どんな大人になっているのか。想像するだけで、気分が浮足立った。


 ◆ ◆ ◆


 社会人になって1年後。新入社員を迎える前に、すっかり腐れ縁になったゆかりから呼び出しをくらった。 


 『あの子……、蘭子が来るわよ。覚悟しておくといいわ』

 

 艶やかに笑い、要件だけ言ってさっさと去って行く姿は相変わらず変わらない。

 だが、賭けに負けたあの日から待ち続けてきた彼女とようやく再会できる事に、爽は自然と笑みを零す。


 『ようやく感動の再会ってところかな?』


 営業事務として入って来ればいいと密かに願っていたが、配属先は異例の秘書課だった。新入社員としてはありえない人事に、彼女に関する関心が高まった。

 社内で広まる噂を耳にすれば、空虚だった心が徐々に何かで満たされるような気分になっていく。


 磨き上げられた容姿、4カ国語を操る語学力、切れ者の専務が自ら選んだほどの頭脳。冷静沈着な才女と名高い秘書の心には、自分が中心に回っている事など、他の人間が知る由もない。


 嫌って憎んで追いかけて――とうとうここまで登って来た。

 学生時代、一度たりとも彼女が自分に会いに来たことはない。彼女自身が納得できるレベルに達していなかったからだろう。

 同じ会社に就職できる可能性は、低くはなかった。むしろ、その道を選ぶためにここまで努力を重ねて来たと考える方がしっくりくる。


 遠目から見かけるだけだった久住蘭子と初めて社内で遭遇した日を、鮮明に思い出した。


 同僚が落とした書類を拾う手伝いをして、スーツ姿の彼女に声をかけた。間近で眺めた蘭子には、昔の面影はほとんどない。顔を隠すような眼鏡は恐らくコンタクトにかえたのだろう。

 思わず触ってしまいたくなるような、しっとりした白い肌。シャツの襟から覗く細い首に、胸元で揺れる漆黒の柔らかな髪。化粧は派手すぎず、ナチュラルメイクに少し色味を加えた程度。だが、その位が一番彼女を美しく見せるだろうと、僅かな時間で観察する。


 いくつも散りばめたハズレの中から、全て当たりを引き抜いてきたかつての少女は、自分を見返す為にこの場にいる。

 完璧に取り繕っている彼女からは、復讐を宣言するような気の荒さは見えない。冷静で控えめな微笑。凛と背筋を伸ばして歩く姿は、そう容易くは折れない芯の強さをうかがわせる。


 後ろ姿を見送って、ふいにくすりと笑みが零れた。

 訝しんだ同僚に何でもないと答え、蘭子が消えた出口に視線を走らせる。


 彼女はこれからどうやって自分を楽しませてくれるのだろうか。


 12年間、あの日の出来事を忘れずに、目の前に現れた。彼女の心を占領し、ずっと中心にいたのが自分だと考えるだけで、愉悦に浸れる。


 ここまで自分の存在が誰か一人の人生を左右するとは。その執着心と意志の強さに、惹かれずにはいられない。


 (一つでもハズレを引いたら、よかったのにね?)


 そしたらここまで興味を抱かれる事もなかっただろう。自分が嫌いな女と同じ格好、同じ振る舞いを研究していれば、その時点で解放出来た。付き合う女性のタイプが一緒ならば、普通はその真似をするはずなのに。ただ唯一、元交際相手の共通点で好ましかったのは、ロングヘアだった事か。それすらも、蘭子は当たりを引いたようだが――。


 たとえ今後彼女の復讐心が薄れたとしても、ここまで自分を本気にさせた蘭子を手放すつもりはない。一日も忘れる事がなかったのなら、これからも忘れさせはしない。

 彼女の心の中心にいる男は、過去も未来も自分だけでいい。誰か一人の心を支配できるなら、自分も迷わず彼女を選ぶ。

 抱く感情が憎しみだとしてもかまわない。自分にだけ特別な強い感情を抱かせ続けられるのなら、好きでなくてもいいのだから。


 「いっその事、もっともっと、憎めばいいよ……」


 ――俺だけを。


 あのクールな表情を歪ませて、感情を露わにさせて、「大嫌い!」と叫ぶ彼女の姿を想像する。憎しみをぶつける美女の姿は、きっと一目で魅了されるほど美しい。


 ここまで追いかけてきたのだ。もう、自分を忘れる事は許さない。逃げようとすれば追いかける。いっその事何か忘れられないほどの衝撃を与えたら、彼女は一生自分を憎み続けるだろうか。


 仄暗い感情が湧きあがり、思考を埋める。何事にも動かされる事のなかった心が、初めて強く誰かを欲した。自分を本気にさせたのは、彼女の方だ。

 

 再会直後。驚きに目を見開かれた姿を思い出し、爽は恍惚な笑みを浮かべた。


 ずっと退屈だと思っていた人生に、色がついた瞬間だった。

 





 






 







*◆*・*◆*


たくさんの続編希望のリクエストを頂きました。ありがとうございました。

一旦完結設定にしておりますが、続きをまた書き始めたいと思いますので、もう暫くお付き合いくださると嬉しいです。少しお時間頂きますが、よろしくお願いします。


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