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13.お誘い

お待たせしました。遅くなりましてすみません。

 密かに広まる噂は嘘偽りのない事実で、疚しいことは一つもない。ただの同級生だから何だって言うの、と言ってしまえば終わりだ。こんな面白味もない噂なんて七十五日を経たずに消えるだろうと考え直して、私は普段どおりの生活を送っていた。

 だが、気にしないと言い聞かせている時に限って、奴の噂を耳ざとく拾ってしまう自分にも気づき、苛立ちが増す。

 どうしてそんなにみんな噂好きなの。あの男なんかよりいい男はたくさんいるじゃないの。

 独身で仕事の出来る将来有望株の若手社員だって、私が知るだけで5人はいる。目立つし話題性があるのは確かにあの男も含まれるかもしれないが、皆もっと人を見る目を養うべきだと言ってやりたい。


 ……なんて言えるのも、過去の自分がいるからだろうか。

 名前どおり爽やかな好青年と信じて頬を染めている彼女達を見ると、冷ややかな眼差しをつい送ってしまう。どうでもいいと思っている反面、気になってしまう私は、本当に矛盾した人間だ。


 「人間、出来てないわね……」


 そうぽつりと呟いてしまうほど、客観的に見ても私は自分がわからない。ただ、あの日専務からリハビリを提案されてから、日常生活が少しずつ変化してきたことは事実だった。


 「今日の来客は何時までだ?」

 「16時から30分の予定です」


 お昼休み後。積み重なった書類に目を通しながら、専務が訊ねた。その後の予定も訊かれる前に念のため告げておく。変更があった予定を含めて。


 「フランス支社から来日されているジャン・ポール氏ですが、予定されていた会食をキャンセルしたいと、先ほど連絡を受けました」


 ページをめくっていた手を止めた専務が、僅かに訝しむ。見上げる顔には、何か仕事で不測の事態でも発生したのかと思案しているのが窺えた。何通りのパターンを練る前に、私は一言「体調不良です」と告げる。


 「体調不良? 大丈夫なのか」

 「秘書の方が言うには問題ないと仰っていましたが。どうやら昨晩ぎっくり腰になってしまったようでして、念のため今日一日は安静に過ごしながらホテルで仕事をされるそうです」

 「あのおっさんも歳だな……」


 ぼそりと呟いた台詞は聞き流す。事実だが、肯定も否定もできまい。


 さて、7時から予定していた会食のキャンセルは済んであるが、ぽっかり空いてしまったスケジュールをどうしようかしら。たまには早めに帰って、ゆっくり過ごされるのもいいと思う。そう考えていた矢先、専務の視線が私を捉えた。


 「それなら、今夜は君が行きたいところに行こうか」

 「……はい?」

 「他に予定は入っていないんだろう? もし君の予定も空いているなら、俺と食事に行こう」


 こう直球に食事に誘われるとは予想外だ。思わず咄嗟に対応ができず、声に詰まってしまう。


 「何だ、ずらせない予定でも入っているのか」


 沈黙を何と受け取ったのか。若干専務の声が低く感じられたのは気のせいかしら。

 何とか普段どおりを装い、一度だけ頭を振って否定した。


 「いいえ、特に予定は入っておりませんが……」

 「そうか。なら食べたい物を考えておきなさい。俺も君が食べたい物が食べたい」

 「……っ」


 すっと目を細めて口角をあげる専務の姿は、いつもストイックな空気を醸し出している男とは思えないほど、大人の色気に溢れていた。フェロモンでも出ているのだろうか、その目で見つめられると妙に居心地が悪く、居たたまれない気分になってくるんだけど!


 「あの、何で、」


 何で私を食事に誘うのか、何でそう直球に言うのか。初心な乙女を惑わすような色っぽい眼差しが、精悍な顔立ちとあいまって絶妙なバランスを作っている。きっちり着こなしているスーツ姿なのに、背後に夜景が見えそうだ。それに追加のオプションで、赤ワインとバスローブとか!(←落ち着け)


 うろたえていることを悟られてはいけない。直球には直球で返すと、専務はしれっと答えた。


 「リハビリに決まっているじゃないか。よもや忘れたわけじゃないよな?」

 「……いえ、もちろんそんなわけは」


 あるわけないですが、今のこの瞬間は忘れておりました。

 じっと見つめられたままの視線をごまかすように、事実確認をする。これはやはり、もしかしなくても……


 「あの、つまりこの食事はデートのお誘い、ですか?」

 「無論、男と二人で食事に行くのは当然そういう意味だろう。リハビリの第一段階だ。まずはお互いの時間を共有し、好みを把握するところからだな」

 「……時間は十分共有していると思いますが」


 彼が言っている意味をわかりつつも、ついそう言ってしまう。でないと、表面上はクールな顔を保っているが、今すぐにでも何だか恥ずかしさとくすぐったさで、顔に出てしまいそうになるから。

 それに私は専務の食の好みは一通り把握していると思う。まあ、好き嫌いがない人だけど、それでも好物は存在するのよ。


 「プライベートではまだまだだ。俺は君の全てが知りたい」

 「っ!」


 さ、さすがにこの台詞は卑怯よ!? 

 まるでベールの奥に隠された私の嘘も秘密も強がりも、全てを暴きたいと言っているようで。その中にはセクシャルな意味合いだって含まれているだろう。真っ直ぐに向けられる視線の強さに、咄嗟に動揺が隠せない。

 戸惑いと得も知れぬ羞恥を感じ、かろうじて保っていた仮面が剥がれ落ちる。今の私は、きっと素の自分に近い。鼓動が早まり、視線を彷徨わせた後、反射的に一歩後ろへ下がった。

 が、その行動よりも早く、パシッと私の手首が掴まれる。


 「逃げるな、蘭子」


 ぞくり、とした何かが背筋に走った気がした。それは、捕食者の光を専務の瞳が放っていたからかもしれない。


 「む、無理です。人も動物も、追われれば逃げたくなります」

 「逆だ。逃げるから追いかけたくなるんだろう。その獲物が魅力的なら、なおさら」


 え、獲物って!

 手首を握る手に、僅かながら力がこめられた。骨ばっていて、大きな男性の手。余裕で私の手首など一周して掴む事が出来る。それは何だか、自分の非力さを実感させられたように感じた。触れられている箇所が、意識しすぎて熱くなりそう。


 「これ以上は触らないし、迫らない。社内だしな。だが、外に出れば別だ。覚悟しておくように」


 そう専務はよりハードルを上げる物言いを残して、パッと手を離した。確認中だった書類に視線を戻し、彼は一言「久住君、お茶をくれないか」と言った。


 「……かしこまりました」


 顔の火照りと、動揺を抑えるように、私はいつも通り、だが出来る限り早足で給湯室へ逃げたのだった。










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