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9.番犬の役目

 「久しぶりだな、迅」

 「お前も元気そうだ」


 まるで親しい旧友に再会したかのような挨拶を繰り広げた専務と愛沢秀は、実際高校時代の同級生らしい。(という話をさっき聞かされたばっかだ。)

 ってことは、この人は専務と同じ歳なのね……。品のいいトラッド的なチェックのジャケットを着ているが、下に履いているのはジーンズで、足元は自身のブランドだろうか、なかなか個性的なスニーカー。良く見ればジャケットにも彼が立ち上げたブランドのロゴマークがさりげなくついている。ビシッとスーツを着ていて見るからにエリートサラリーマン風の専務の隣にいると、ますます同年代には見えないわ……


 人懐っこい笑顔で笑いかけた愛沢さんは、私に気づくとニコリと微笑みかけた。「君は迅の恋人かな?」なんて直球でとんでもない質問を投げるあたり、要注意人物だと窺える。

 当然、動揺なんてものは微塵も見せず、私も営業用のスマイルを浮かべた。


 「いいえ。はじめまして、秘書の久住蘭子です」

 「へえ~、こいつの秘書さんね~」


 愛沢さんは数回頷きながら、ちらりと専務に視線を移した。その目にはからかいの色が浮かんでいる。ニヤニヤしながら専務の顔を黙って見続けていると、苛立った彼が低い声で「言いたいことがあるならはっきり言え」と言った。


 「いやあ、美人な秘書を僕に紹介してくれるなんて嬉しいな~と思ってねー。これはお前なりの僕へのお祝いかな? 新たなインスピレーションを与えてくれてるんだと思っていいんだよねぇ?」

 「何で俺の秘書を紹介することがお前への祝いになるんだ。勝手に彼女を見てインスピレーションを沸かすな。お前の作品に出たいと立候補する者は大勢いるだろう」


 と言って、専務は会場内を見渡した。確かに周りの視線を注意深く探ってみれば、愛沢さんと繋がりが欲しいと目論む若手モデルや俳優がちらほらいるように見える。さりげなくこちらの動きを気にする人が多い。


 彼は言動と服装は軽いけど、見た目はいたずらっ子な少年をそのまま大人にさせたかのようなイケメンだ。永遠の少年という言葉がしっくり来る感じの。柔軟性に優れ、新しいことに敏感なクリエイティブ気質だが、なかなか鋭そうな人で侮れないという印象も強い。


 「それはそれ、これはこれ。クールビューティーな可愛い子ちゃんなんて、ちょっと新鮮なんだよねー。まあ、お前がここに連れてくるってことはただの秘書じゃないんだろうけど」


 いえ、ただの秘書です。(今はまだ。)

 なにやら勝手に独り言を呟けば自分で自己完結させて、数回頷いていると。他の出席者から声をかけられて、愛沢さんは離れていった。


 「個性的なお友達ですね」

 「……すまない」

 「謝る必要はないのでは? 別に不快な思いなどしておりませんよ」

 「そういう意味じゃなくて……いや、いい。忘れてくれ」


 なにやら疲れたように専務は小さくため息を零した。正反対な性格に見えるが、仲はよさそうに見えたけど。まあ、破天荒っぽそうだしね、付き合うのは大変な時もあるのだろう。


 さて、主催者に挨拶が終わったからと言って、自由行動が出来るわけじゃない。どんな繋がりがあるかはわからないのが人の縁の不思議なところで、面白いところだ。

 今回は映画関係者が多く出席しているが、芸能界と関わりのない業界の人間も多くいる。前方で談笑している数人のおじ様方は、確か以前のパーティーでも見かけたことのある銀行の支店長と、エレクトロニクス会社の副社長、そして大手広告代理店の常務だ。傍には雑誌の編集者らしき女性もいれば、私でも知ってる有名カメラマンに、あとシャンパンを飲んでいるあの人は、……弁護士さん? あのピンバッジは間違いないだろう。


 愛沢さんは、顔が広いのかしら。どんな繋がりがあるかわからない人まで多く参加している気がする。まあ、専務もそのうちの一人に見られているのでしょうけど。


 そしてその他大勢の参加者に顔見知りがいないわけがない。ひっきりなしに専務に声をかけてくる方達の邪魔にならない距離で、私は微笑を浮かべたまま周りの視線を感じていた。アプローチをかけてくるのは、当然女性達ばかりではない。自分の娘とあわよくば、と考えるおじ様方も大勢いらっしゃる。

 独身で、将来有望のいい男。仕事が出来て、神薙家とも繋がりが持てる。年頃の娘がいれば、つい娘を紹介したくなるのも親心だろう。(野心が大半な気もするが。)

 女性の相手も厄介だけど、こういったギラギラしているおじ様方の相手の方が面倒な気がするわね……。まあ、男同士だし、遠慮はせずにビシッと断ることができれば問題はないんだろうが。女性の場合は怖いから慎重に言葉を選ぶ必要があるけど。


 静かに黙ったまま相槌を打っていれば、私の存在に気付いた50代後半のおじさまが、おや? と片眉を器用にあげた。半歩後ろに下がろうとしたが、先手を打たれて腰を抱き寄せられる。


 「ほお、君にもようやく春が来たかね」

 「ええ、そうだといいのですが。私の花はなかなか頑固で、望むようには咲いてくれないのですよ」

 

 おい、何を言ってるこのオヤジ。

 言われた方も微笑ましい表情で私を見るな。数回頷いては、「咲かせ甲斐がある綺麗な花じゃないか」なんてわけのわからん事をほざいている。私は曖昧に微笑を浮かべたまま、気づかれないようにそっと専務の手の甲をつねった。

 一瞬拘束が緩まった瞬間を狙い、するりと身を返す。


 「邪魔をしてはいけませんので。私はあちらで飲み物を頂いてきます」


 何か欲しいかと尋ねれば、専務は特にないと答えた。若干手の甲が赤いが、すぐに消えるだろう。番犬替わりの防波堤も、飲み物位欲しいんです。少しの間傍にいなくたって、問題ないでしょうし。

 微かに専務は眉を寄せて何か言いたげに私を見つめてきたが、私は優雅に会釈を返し、飲み物を取りに行く。

 ここは立食式のパーティーで堅苦しくはない。この後の予定としてはスピーチがあり、話題になった映画のシーンを一部公開して、今後の新しい活動について愛沢秀が語る。そこまで終わればそれ以上長居する事もないだろう。


 シャンパングラスに色鮮やかなロゼを注いでもらい、喉を潤わす。壁際からそっと専務の姿を探せば、案の定数名の女性陣が声をかけていた。あらあら、肉食女子は積極的ね。あの人が一体何て断るのかしら。


 「もう少しで口の動きが読めるんだけど……」

 

 角度が難しい。というか、人の波が途絶えないし、距離があるとやはり読唇術は難しいわね。

 うむむ、と内心うなっていると。先ほどまで聴いていた声が突然耳に届いた。


 「壁の花になるなんて、どうしたのかな?」

 「愛沢さん」


 僕にもロゼを、とスタッフに頼んでグラスを受け取った愛沢さんが、何故か私の隣に並んだ。主役が壁際にいていいのか。


 「君がいないから早速群がっているねぇ。さっきまでは遠巻きに見ているだけだったのに」

 「私は専務を守る番犬ですからね」

 「勇ましい事を言うね。でも俺からしてみれば、あいつの方が君を守る番犬っぽいけど?」


 片側の口角だけを釣り上げて私を見つめる姿は、どこかからかいを含んでいる。真意を尋ねに来たのか、もしくは試されているのか。お返しにくすりと微笑んで、専務よりは背の低い彼を見上げた。


 「防波堤代わりに連れて来られたのは事実ですが。主役がこんな壁際にいてよろしいのですか?」

 「僕以外の男が君に近づいたら、早速心の狭い番犬がやって来るけどいいのかい?」

 「どちらでも私は構いませんが。新しい人に出会う事は嫌いじゃありませんし、不愉快な想いをさせられても問題は起こしませんから安心してください」


 うーん、そうじゃないんだけどなぁ……なんて、小さく呟いた彼だが、次の瞬間には「ま、いっか」とあっけなく話題を変えた。


 「ここの料理はおいしいから、たくさん食べて行きなよ。楽しんでいってね」

 「はい、ありがとうございます。私もそろそろ番犬の役目を果たすべきかと」


 5人の美女に囲まれる男……気づけばハーレム築いているなんて、ある意味男の夢じゃないの? まあ、口許は一応笑っていはいるが、あの顔は早く切り上げたいと思っている顔ね。

 上司が困っているのなら、私は秘書らしく番犬に徹するか。


 もし迫られているのが図体もあって可愛くない赤ずきんと、迫っているのが美女のフェロモンをまき散らすセクシーな狼なら。私の配役は狩人かしら?


 ……いや、やっぱり防波堤でいいか。

 

 積極的な美女の背後から一声、「迅さん、お飲み物はいかがですか?」と専務が好むワインを持って来れば。輪の中から出て来た専務が私の肩を抱き、「ありがとう」とお礼を言った。


 完璧な微笑みの下から邪魔をした事に対する非難の眼差しを浴びるが、気づかないフリをする。軽く会釈をし、専務に肩を抱かれるまま歩きだした。


 「助かった」

 「それは良かったです」

 

 何でもっと早く来ないんだと言われるかもって思ってたけど。彼はそこまで狭量ではない。

 中庭の方へ歩こうとすると専務に待ったをかけて、立ち止まらせる。


 「専務、今からスピーチが始まりますよ」

 「何だ、もう迅って呼んでくれないのか?」

 「っ!」


 先ほど咄嗟に名前で呼んだのを言っているのか。だってあの場で「専務」呼びをするのは、何となくしない方がいいと思ったから。


 「仕事中なのを忘れておりました。専務は専務と呼ばせて頂きます」


 つまらない私の答えに、専務は苦笑を零して「会場外で呼ばせるから今はいい」と呟いた。


 いえ、遠慮したい……と言った言葉は、スピーチの始まりを告げる司会者の声に遮られて、本人には届かなかった。




 










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