神さまはどこへ?
うららかな春の日和を突き抜ける、雅やかな笛の音と重々しい太鼓の響き。
喧騒を貫く祭囃子の音色が徐々に大きくなるのに気付き、人々は顔を上げる。
自然に生まれた人の流れは、鳥居の向こうにある参道へと向かっていくようだ。
「そろそろですね……佐伯先生、こっちです」
「え?」
見上げる先には、赤いフレームの奥で不思議そうに目を瞬かせる細面がある。
彼は大学の美術研究科の准教授で、このわたし、立川空華にとっては指導教授に当たる。
「山車が来るんです。ほら、音が近づいてくるでしょう?」
「ここに居てはいけないのかな?」
「いえ、でも参道から見た方が迫力があるんです」
さりげなく手を取り、鳥居と参道の境目付近に集まる人たちの中へ分け入っていく。下手な位置に陣取るとなにも見えないままに終わってしまう恐れもあったので、安全のために引かれた紅白のロープまで無事に辿り着けてほっと一息をつく。鳥居の足元は、山車が一番よく見えるポイントだ。
「そういえば立川さん、参道がクランクになってる理由は知ってるかな?」
「え、クランクってなんですか?」
「稲妻状と言うのかな……ほら」
先生は腕を伸ばし、参道を指し示す。
参道は、境内から鳥居を出てすぐのところで直角に折れ曲がり、そこから十歩もいかないところでもう一度折れている。その先は両脇に古民家が立ち並ぶ細い道が100mほど続き、それを抜けると大通りに出る形だ。直角に二度折れ曲がる形は、確かに稲妻形と言えなくもない。
この形状に、理由があるのだろうか。
思い浮かんだのは、砂煙を上げて境内に雪崩れこむ山車の姿だった。
「えっと、山車の梶切りをかっこよく魅せるため、ですか?」
「ん?」
しかしその答えは先生の考えていたものとは違ったようだ。
先生の顔に怪訝な表情が浮かぶのを見て、わたしは話題をそらす。
「あ、ほらほら来ましたよ!」
山車に取り付けられた綱を引く若衆の威勢のいい掛け声、そして負けじと吹き鳴らされる笛や太鼓の音色が響き渡る。細い参道を、5mを超える全高と3t近い重量を誇る四台の山車が進んできていた。
彼らは曲がり角の手前まで来ると山車を停止させ、境内に突入するときを待ち構えるように気勢を上げ、一升瓶を順繰りに回しながら手拍子と共に喉に流し込んでいく。荒々しい興奮は観衆にも徐々に伝わり、その高まりを見計らうかのように拍子木が打ち鳴らされる。
仕切りと呼ばれる甲高い笛の旋律が空気を引き締め、合図を受けた若衆は各自の持ち場に散って太綱を握る。掛け声とともに彼らが綱を引き始めると、山車はぎしりと音を立てて動き出す。速度に乗るまでにそれほど時間はかからなかった。
「これは……迫力があるね」
「でしょう?」
感心したように呟く先生を見て、わたしは我が事のように嬉しくなる。
実際、地上から見た山車の威容は若衆たちの気迫も相まって実物以上に大きく見える。軽くランニングする程度の速度と言えども、二階建ての建物ほどもある山車が真正面から突っ込んでくる姿には多少の恐怖を覚えるほどだ。万が一のときにはすぐ逃げ出せるよう身構えて、そのときに備える。
「曲がるとこ、よく見てて下さいね?」
前方に迫る山車から目を離さず、隣へ声をかける。すでに綱先は二つの角を折れて境内へ入っているが、山車はまだ最初の曲がり角の手前にいて、慣性の付いた状態で直進してくる。車輪は固定されているので綱を引くだけでは真っ直ぐにしか進まないのだ。
わたしたち観客と山車とはロープで区切られただけで、間には段差もなければ障害物もない。そのままいけば一秒と経たずに観客の中へ突っ込むだろう。そう確信した瞬間、山車の後方で鋭い掛け声が上がる。
「っせい!」
山車の前後に張り出す二本の梶棒が目の前で空を切る。一瞬の後、地面を削る激しい音と振動を残して山車は見事に九十度の方向転換を果たしていた。綱を引く若衆たちは勢いを殺さず、次の角へと疾走。後方の梶棒に取り付いた男たちが逆側へ梶を切り、山車は再び急旋回。そのまま砂利を蹴立てて境内へと驀進していく。文字通り稲妻のような宮入りに、わたしは知らず止めていた息を長々と吐き出すのだった。
その後、残り三台の山車の宮入りも見届けたわたしたちは、事故防止用のロープが取り払われるのを待って山車へと近づいた。山車組の人たちに大学の人間であることや彫刻の研究をしていることを説明し、間近で見せてもらう許可を取る。
目当てのものを前にした先生は微笑みを浮かべながらデジカメを取り出し、真剣な様子でシャッタを切り始める。シャッタを切るという言葉もすっかり比喩表現になっちゃったよね、という言葉の意味は取れなかったが、ここは黙って微笑んでおくべき場面だろうと判断したわたしは口元をわずかに緩めて笑みを形作った。
「そういえば先生、参道が曲がってる意味についてのお話が途中でしたよね」
「ん? ああ、山車の迫力に見惚れててそのままだったね」
「ええ。それで、もう一度自分で考えてみたんですけど……山車が境内から出ていくときに本殿に後ろを向けるのは神さまに対して失礼に当たるから、という答えではどうですか?」
わたしの言葉を聞き、今度は微笑みを浮かべる先生。
どうやら、悪くない答えだったらしい。
「うん、本殿の正中線は神さまの通る場所だからね。参拝客の通る参道とはなるべく軸をずらすんだ。同じ理由で、鳥居や参道の真ん中を通るのもよくないとされている。山車が鳥居の脇を通って出入りするのもそれと同じ、という考え方は筋が通っている。もちろん、山車が鳥居をくぐれないという実際的な理由もあるだろうけどね」
鳥居がくぐれない、というのは山車の大きさを指してのことだ。鳥居が約4mの高さであるのに比して、山車は5m以上ある。そのままでは神社に入れないので、宮入りのときにはわざわざ鳥居の正面を横切ってから方向転換して鳥居の脇から境内に入ってくるのは先ほど見た通りだ。
「全体写真も撮っておこうか」
「はい、先生」
山車は全体で一つの美術品という側面もあるので、近づいてばかりでは分からないこともある。少し離れたところから四台の山車を見上げると、一台ごとに足回りから屋根に至るまでそれぞれ異なる意匠の刺繍幕や彫刻で彩られているのが分かる。長いこと丁寧に使われてきたことを物語るように製作年代はばらばらだが、中でも有名なのが明治から昭和にかけてこの地方にある山車彫刻を一手に担った『初代彫飛』の手になる一連の作品なのだそうだ。
実際、この地方では彼の彫刻がついていない山車の方が珍しいくらいで、いま目の前にある山車もその例から外れない。脇障子と呼ばれる神さまの御坐の両脇部分には『手長足長』と呼ばれる二対の老爺が、その下部にある蹴込には『唐獅子に手鞠』という手鞠を転がす獅子の親子が彫刻されている。
「これ、可愛いですね」
見ようによってはやや不気味な手長足長に対して、手鞠を転がす雄獅子の左右でつがいの雌獅子と子獅子が戯れる様子はどことなく愛嬌があり、勇ましくも微笑ましい。
「手長足長は不老長寿、唐獅子と手鞠は家庭円満。どちらもおめでたい意匠だね」
「節の位置まで計算して彫ってありますね。凄い技術……」
改めて、獅子の彫刻に見入る。
躍動感ある獅子の造形も凄いが、手鞠にも工夫が凝らされている。
「あ、これって」
「うん、気付いたね」
近くで見なければ分からないが、斜め格子の透かし彫りにされた手鞠の中には球体が閉じ込められていた。球の直径は網目よりも大きいので、そのままでは入らないはずだ。どこかに継ぎ目はないかと目を凝らすが、少なくとも表面上からは加工された形跡が見当たらなかった。
「手鞠の中に球が入ってますけど、分解して入れたわけではないんですね」
折よく境内を風が吹き抜け、桜吹雪を散らすと共に手鞠の中の球体を揺らしていく。手のひらに乗る大きさの手鞠の中でころころと動く様子を見れば、どこにも固定されていないのは一目瞭然だ。しかも彫刻は背後にある山車の基部と一体になっているため、彫刻を外して手鞠の中に球を入れることも不可能だった。
「ということは、一本の木からこれを掘り出したんですね。凄い……」
「うん、綺麗な球形だ。どうやって彫ったんだろうね」
自分はこれを彫れるだろうか、と考えてみる。やり方としては先に手毬の透かしを彫り、球を作るのに十分な塊を残して内側を整え、最後に球を成形するという順番になるのだろうが、考えただけでも肩が凝りそうになる。
「そういえば、これと似たものをアメリカで見たことがあるよ」
「えっ?」
急に話題が飛んだので、思わず聞き返してしまう。
「僕が教授と一緒にネイティブアメリカンの石彫を調べに行ったときなんだけど――」
先生はそこまで言いかけて、ふと思いついたように言う。
「――そうだ、立川さんはミステリ研究会だったよね」
「ええ、そうですけど」
「この後、時間はあるかな。もし興味があるなら、僕が見たちょっと不思議な彫刻の話を教えてあげたいんだけど」
少しはにかむような先生の誘いに。
「は……はい、ぜひ!」
一も二もなく、わたしはうなずくのだった。
神社を後にしたわたしたちは、古い蔵を改装したカフェに腰を落ち着けた。市内に江戸時代創業の醸造会社がある関係で、こうした店舗が市内だけでも数店あるのだ。奥まった席に落ち着いて、珈琲を二つとケーキを一つ注文する。
「それで、さっきのお話ですけど……」
注文した品が揃うのを待って、内心では聞きたくてうずうずしていた問いを口に出す。
先生は珈琲を一口飲んで微笑むと、話を始めた。
「うん、あの透かし彫りの手鞠と似たものを見たって話だね。あれは十年ぐらい前かな、僕がまだ院生で、メイホ族というネイティブアメリカンの石彫を調べに行ったときのことだ。どこまでも続く荒野に赤っぽい岩山が立ち並ぶ、なんとなく寂しい場所だったよ」
西部劇に出てくるような、草木一本生えない荒野をわたしは思い浮かべる。
「メイホ族の末裔を名乗る古老に案内されて、僕らは彼らの祭祀場跡へ向かった。長い年月の間に風化したのか、高さ20~50mほどの巨大な岩が乱立する天然の迷路みたいな場所でね。ふと振り返っても同じような景色ばかりで、このまま迷って帰れなくなるんじゃないかと半ば本気で心配になるような道をジープで進んでいくんだ。そうして三十分ほど進んだころかな」
先生はいったん言葉を切ると、カップに口をつけた。わたしも釣られて珈琲を口に含む。
「少し開けた場所に出ると、そこに全高20mほどの巨大な石塔があった。直径は1m弱で、表面には魔除けらしき意匠がびっしりと彫刻されていたね。そして天辺には直径2mはある球状の物体が乗っていた。全体の形状としては、人生ゲームで人間を表すピンってあるだろう? あれを巨大にしたものを想像して欲しい」
すでに滅びた一族の、神聖な祭祀場。
そこに、球体を乗せた頭でっかちな石塔が立っている様子を思い浮かべる。
「人生ゲームのたとえは、えっと、よく分かりませんけど、そういうものがあるんですね?」
「え、人生ゲームってやったことない?」
黙ってうなずく。人生ゲーム、名前は知っているがやったことはなかった。
しかし先生はわたしの答えを聞いて、ショックを受けたような表情を浮かべる。
「そうか、やったことがないのか……スタート時は一人で、結婚したり子供が生まれたりしたら車にこんな形のピンを差すんだよ」
先生はメモ帳を取り出すと、人間を表すのだというピンと、それを差しこむ六つの穴が空いたルーフのない車をボールペンでさっと描いてみせる。
「なるほど、オープンカーなんですね」
「え? ああ……言われてみれば、その発想はなかったな。そうか、あれはオープンカーだったのか……」
ノスタルジィな気分に浸っているのか、先生は一人でうんうんとうなずいている。
わたしはさっきの話の続きが聞きたかったので、話題を引き戻すことにする。
「っと、脱線しちゃいましたね。話を戻しませんか?」
「うん、どこまで話したっけ?」
「石塔を見つけたところまで、ですね」
「そうそう。で、石塔の上に乗っていた球体なんだけどね。これが今日見た透かし彫りの手鞠と似ていたんだ。写真があればよかったんだけど、基本的にはそのまま巨大化して石材に置き換えたものと考えてくれればいい。直径は約2mで、格子の大きさは20×20cmくらいかな」
「へえ……材質と大きさは違うけど、確かに共通点が多いですね」
「ちなみに、中に球は入っていなかった。そこは『唐獅子と手鞠』とは異なる部分だね」
「えっと、祭祀場にあったってことは信仰の対象なんですよね。そんな手鞠みたいな形の神さまなんて聞いたことないですけど、いったい何を象ったものなんですか?」
「うん、その石彫の名はメイホ族の言葉で『太陽の牢獄』と呼ぶのだそうだよ」
先生のそんな言葉に、わたしは思わず首を傾げてしまう。
「……太陽の、牢獄ですか?」
太陽と言えば天照大神のイメージがあるので、牢獄と言われてもピンとこない。
それではまるで。
太陽が封印されるべき悪い神さまだとでも言わんばかりだ。
「案内人の古老は訛りの強い英語しか話せなかったから、英語に直せば『The Sun Cage』という意味になるメイホ族の言葉があったってことしかわからないんだけどね。ただ、彼らの住んでいたのは乾燥が酷い地域だから、水を干上がらせ作物を枯らしてしまう太陽が憎まれていた、というのは充分にあり得ると僕は思うよ」
「へえ……」
「人形を人に見立てて祈りを捧げたり、呪ったりする風習は世界各地で見られるよね。だから『太陽の牢獄』もそれと同じような考えの下に作られたんだろうね。もし太陽を牢獄から逃がそうとする人間がいても、牢獄は20mの石塔の上に乗っているから人間では手出しできない」
「あれ? でも牢獄は空っぽだったんですよね?」
「うん、実は石塔上の牢獄の中にも、元々は球があったらしいんだ。まさに『唐獅子と手鞠』と同じような状態だったんだろうね。けど、球はいつしか消えてしまった。それを見たメイホ族は『太陽が逃げたからだ』と考えて新しい牢獄を作ろうとしたんだけど、それが間に合わず太陽の呪いによって一族は滅びてしまった。古老はそんな風に話してくれたよ」
「ちなみに、石塔上の牢獄の中『にも』というのは?」
「ああ、言い忘れていたね。実は祭祀場のある一帯はメイホ族の石切り場になっていてね。そこには比較的――石塔の上に乗せられているものと比べてだけど――製作年代の新しい『太陽の牢獄』があったんだ。作り直したはいいものの、何らかの理由で乗せるには至らなかったんだろうね。大きさはほとんど同じで、中には球が入っていた。継ぎ目のない、綺麗な球形だったよ」
「つまり網目から出し入れできない球が入っていた、ということですね?」
「うん、球の直径は透かし彫りの隙間よりも大きかった。30cmくらいかな」
「となると、ますます『唐獅子と手鞠』の彫刻に似てきますね」
「偶然にしては興味深いだろう?」
「うーん、太陽が石の牢獄から逃げた、ですか。メイホ族に伝わるおとぎ話というか、神話なんでしょうか? 確かに興味深い話ですね」
「そう……おとぎ話に聞こえたんだね?」
カップを傾け、軽く微笑んでわたしの言葉にうなずく先生。
それは、そうではないのだと言われているようで、反射的に聞き返してしまう。
「え? 違うんですか?」
「ところで、立川さん」
悪戯っぽい笑み。
「さっきの話で、疑問に思うところはなかったかな?」
こういう聞き方をするということは、そこがミステリの根幹となる部分なのだろう。
「うーん、なぜ球は消えたのか、は疑問ですけど」
「そう、それが一つ。他には?」
「……えっと」
カップの底に視線を落として考える。考えよう、と思うと頭は回らないものだ。
「ごめんなさい、分かりません」
「イースター島のモアイ」
ぽん、と投げ出された言葉。きっとヒントなのだと直感する。
「あ、分かりました」気付けば簡単なことだった。「そもそも彼らはどうやって石塔の上に牢獄を乗せたのか、ですね?」
「そう。結局滅びてしまったわけだから、そのときにはもう乗せ替える技術は失われていたのかも知れないけど、少なくとも最初はそれができたわけだ。さて、彼らはどうやったのだろうか?」
一気に言い切ると、先生は心の底から愉しそうな笑みを浮かべる。
「さて、ミステリの出題編ってのはこんな感じでいいのかな?」
「え、これわたしが解くんですか?」
「そうだよ。初めに言ったでしょう?」
言っただろうか。
微妙に違う言い方だった気もする。
「うーん、まあいいでしょう。面白い話なのは確かですし」
深呼吸して、話を聞くモードからミステリを読み解くモードへと頭を切り替える。
「まず、境界条件をはっきりさせましょうか」
「うん、僕が答えられる範囲で質問に答えよう」
「じゃあ、石塔の周囲の状況について教えて下さい。具体的には、石塔よりも高い岩山がなかったか?」
「なかったね。背後の岩山は石塔と同じ20mかもう少し高いくらいで、石塔からの距離は10mほどだった。他の岩山も高さは同じ程度だし、石塔からはより広い距離が空いていた。それに、そもそも荷重に耐えるロープがない。もし岩で出来た『太陽の牢獄』を吊り下げて乗せたのだと考えているなら、それは無理だと断言しておこう」
「当然、担いで登れるような重さじゃありませんよね?」
「うん、それに石塔の表面には上から下までびっしりと魔除けの彫刻が施されていた。下手に足をかけたら確実にどこかが欠け落ちていただろうね」
「となると、滑車を使って引き上げるのも無理でしょうね」
滑車を設置するなら石塔を登る必要があるし、そもそも滑車があったかどうか疑問だ。
わざわざミステリとして出題するくらいなのだから、発想の転換が必要なのかも知れない。
「ちなみに先生、石塔と牢獄の境目はどうなっていましたか?」
「ぐるっと一周して観察したが、繋がってはいなかった」
スピーディで簡潔な返答。こちらの質問の意図まで見抜かれている。
「もちろん、実際に動かして確かめたわけではない。そう見えた、という話だ」
「じゃあ、もしかしたら石塔と牢獄は一体で、切れ目は見せかけだったのかも知れませんね」
「うん、それは僕も考えた。ただし、石塔と地面は一体になっていたことも付け加えておこう」
「ん……? えっと……?」
思考速度の遅いわたしは、ときどきついていけなくなってしまう。
それが、とても悔しくて、気付かれないように唇を噛んでしまう。
「つまり、石塔と牢獄を一体にして彫って、それを立てたのではないということだね」
補足が入るのと、自分で答えに辿り着くのは、ほぼ同時だった。
「ああ……なるほど。けど、経年によって石塔の根本が土で埋もれたり、地面と一体に見えるよう突き固めたりした可能性はありませんか?」
「いや、その辺りの地面は岩盤になっていた。地表面の砂を払って確かめたから、メイホ族が魔法を使って接合したのでない限り、地面と石塔が一体だったのは間違いないよ」
「なら。岩盤そのものをどこかから移植してきた、ということは考えられませんか?」
「なんのために?」
わたしとしては確信を突く指摘のつもりだったのだが、即座に切り返されてしまう。
「立川さんの指摘はどれも面白いよ。いくつかの技術的課題はあるけど、その方法で同じ状態を再現することは決して不可能ではない。けど、一つ足りないものがある」
「……それは、なんですか?」
「必然性、だよ。なぜメイホ族はそんなことをしたのか? そうする以外に方法はなかったのか? という視点が抜け落ちている。これを作った人間は、数百年後に僕たちを騙す目的でこれを作ったわけじゃない。だったら、その人の考え得る最も合理的な方法でこの『太陽の牢獄』を作ったはずだ。違うかな?」
「いえ、わたしがこれを作る側なら、きっとそうすると思います」
「うん、じゃあもう一回考えてみよう。重機の助けを借りずに人力でこの石塔と牢獄を作るためには、どうすればいい?」
珈琲はもうすっかり冷えていた。
熱くも冷たくもない気の抜けたそれを飲み下し、眼を閉じて情報を整理していく。
きっと先生なら答えのない問題を出しはしないし、答えを出すための材料を提示しないまま考えさせたりはしないはず。そんな信頼を胸に思考を巡らせる。
「そっか――」
一つの可能性を思いつく。
閃きの余韻に浸る余裕はなく、矛盾や疑問はないか検討に移る。
「――うん、多分、合ってるはず」
ため息をつき、ソファに体重を預ける。
吸ったことはないけど、煙草が欲しい気分。
「分かったかな?」
「全てを、一つの岩山から掘り出したんですね?」
わたしの答えを聞き、満足そうな笑みを浮かべてコーヒーをすする先生。
その瞬間、ようやくわたしは答えに確信が持てた。
そう、手順をひっくり返せばいい。
石塔を作ってから牢獄を乗せるのではなく。
牢獄を設置してから、牢獄を削り出せばいいのだ。
「なんて、非効率な……」
先生の話からすると、削らなければならなかった岩の質量は数百トンにもなる。どんな道具を使っていたのか知らないが、全てを手で彫ったことだけは間違いない。それだけの技術を持つ石工はそれほど数がいないだろうことも考えると数年がかりの仕事だったはずだ。
「ところで立川さんは、砂曼荼羅って知ってるかな?」
「え? ええ、はい。チベット密教でしたっけ。砂で絵を描くんですよね」
「うん、色を付けた石英を少しずつ撒いて模様を形成していくんだけど――」
唐突な話題の転換に戸惑うわたしを他所に、先生は続ける。
「――なんで砂で描くのか、は知ってるかな?」
「え?」
「例えば、墨や顔料で描けば後に残るだろう? 現に日本や中国の曼荼羅はそうやって描かれている」
「うーん、諸行無常を表しているとか、ですか?」
思い付きを口にしてみると、先生は楽しげに目を細めてみせる。
「うん、まあ、それに近い。破檀って言ってね、手順に従って壊していって、最後に川に流すまでが修行とされているんだ。あと、これは余談なんだけど、ネイティブアメリカンの祈祷師――いわゆるメディスンマン――も砂絵を描くことがあったって聞いたことがある」
「へえ……」
「それで、ここからは完全に僕の想像なんだけど、牢獄の中になにもなかった理由もそこにある。おそらく、牢獄作りはそれ自体が宗教的行為――あるいは修行の一環――だったんじゃないかな」
「……そうか、最初から中に入っていたものはいつかなくなるように作られてたんですね?」
「そう、風化しやすい性質の石だったのか、少しずつ雨に溶けるような素材だったのか、その辺りは分からないけれど。とにかく十年か二十年かごとに新しく作り直すことを前提としてあの牢獄は作られたんだ。その意図があったかどうかはともかく、技術継承もそこで図られたはずだ。そういう意味では伊勢の遷宮を想起させるね」
「確かに、それだけのものを作る機会は他にないですよね」
一度失われた技術は容易には取り戻せない。今日見た『唐獅子に手鞠』の彫刻も、製作手順は分かったとして、実際に彫れる職人が現代の日本に何人いるだろうか。
また仮に技術的には可能だとしても、ただ再現するのでは意味がない。山車彫刻として彫られた『獅子と手鞠』が、神の依り代たる山車に取り付けられ、少なくない破損の危険を冒しながら巡行するからこそその心意気に人々が胸を打たれるように。メイホ族の『太陽の牢獄』は、彼らに奉じられてこそ価値がある。
「ああ、そっか」
そんな思いを巡らせていると、ふと気付かなくてもよかったことに気付いてしまう。
「最後に『太陽の牢獄』を作ろうとしたときには、もう知識は失われてて。だから……」
「そう。だから石切り場にあった牢獄の中に球は残されていたし、それは地面に置かれていた」
先生の穏やかな声が後を引き取ってくれた。
そう、本来新しい牢獄は高台にあるべきだったし、その中の球はとっくに風化していて然るべきだった。しかし現実には石塔を再利用するつもりだったのか牢獄は地上で作られていたし、おそらく『唐獅子と手鞠』と同じ手法でくり抜かれた内部の球はそのまま残っていた。
「石工としての技術はむしろ上がっていたかも知れないのに、なんて皮肉……」
「そうかな?」
冷えたコーヒーをすすって先生は笑う。
「そのおかげで、僕たちはこんなに面白い謎に巡りあえたじゃないか」
「面白かったのは確かです。それでも……」
「それに――」
言い募ろうとした言葉は、続けられた言葉のせいで頭から吹き飛んでしまう。
「――立川さんに楽しんでもらえて、僕は嬉しいし、ね」
心なしか顔を赤らめてのその言葉は。
全てを許すに値する、とわたしは思った。