嘘
気づいたら、外は真っ暗になっていた。
夕菜も拓も部活動の生徒も帰って、僕は一人、教室に残っている。
感傷に浸っていたとか、そういう繊細な理由じゃない。もう考えることはやめたから。
「待っててくれてありがとう、瑞木くん」
消えていた電気をつけて、茶天さんが教室に入ってきた。唇には、気分がいいのか微笑をたたえている。
「どうして電気を消していたの?」
「暗いほうが、星が綺麗に見えるからね」
「ふふ。相変わらず不思議な人ね」
僕がこの教室にいた理由は、茶天さんに話があると言われていたからである。
「それで、用って?」
「九十九さんのことなんだけど」
「・・・・・」
机に乗ったまま、僕は茶天さんに目線をやる。
「確認だけど、もう一緒にいないのね?」
「どうしてそう思うの?」
「だって昨日、言ってた。私みたのよ。コンビニに行く途中、あなたが緋翠ちゃんに会ったの」
「・・・・え?」
あれ。
あれあれ?
どうして彼女がそのことを?
・・・・・・・・・・・・・・。
ああ、もしかして。
「・・・へえ。それはまた・・・“奇遇”ってやつなのかな」
僕は、一つのことに思い当たって、取り繕うようにそう言った。
「私の家瑞木君の家に近いの」
茶天さんが笑うので、僕も笑った。
「答えてよ。もう、緋翠ちゃんには関わらないのよね?」
やけに僕の反応を求める茶天さん。なかなか頷かない僕に、少々イライラしているようにも見えた。
でもだからって、僕は頷かない。うんとは、言わない。
「ねえ茶天さん。僕、緋翠は吸血鬼じゃないと思うんだけど」
「・・・・・・どうして?」
「昨日、君も見たならわかると思うけど、首切り死体は首切り死体でしかなかったんだ」
「・・・は?」
「だから、首切り死体はどうしようもなく首切り死体だったんだってば。はは、こんな話教室でしてるってなんだかおかしいね」
「茶化さないでよ。なにが言いたいの?」
茶天さんの声が少し怒気の含んだものになって、僕は本心から笑った。
面白い。
「僕は最初、君から首切り死体の話を聞いたとき、映画みたいに首から飲んで、そのあとを消すために、隠すために首を斬ったと思ったんだ。でも昨日、実際に現場を見て、思ったんだけど、どう考えてもあの血の量は・・・水たまりになるほどの血の量は、血を吸った後じゃない気がしてね。首を斬ってから血を飲むのは、どうも効率が悪いし、“もったいない”」
「・・・・・そんなの知らないわ。連続して飲んだから、そこまで要らなかったとかじゃないの」
「それならそれで、リスクを冒してまで飲まなくてもいいと思うけど、まあ、もしお腹いっぱいだったとしても、首を斬り落とすまでしなくてもいいんじゃない?首を落とすのは結構な重労働だ。吸った後を、深く切りつけるだけでいい」
「何がいいたいのよ・・・」
「それともう一つね。君はどうして、僕がコンビニに行くって知っているんだい?」
「だから、あなたが緋翠さんに・・・」
僕は笑顔を保つ。
「僕は昨日、緋翠には“散歩”って言ったんだ。“コンビニに行く”なんて、言っていないんだよ」
しまった、という顔つきで、茶天は唇をかんだ。顔に出過ぎである。
「君は何を知っている?緋翠とどういう関係なの?」
「何も・・・」
「僕がコンビニに行こうとしたこと知ってるってことは、・・・盗聴器かな。僕結構独り言言うし。それなら僕の行く先々に君がいたことも説明がつく。あとは・・・ストーカーまがいなこともやってた?ああそれは腹ただしい。・・・ということで、これ以上嘘つくなら、怒るよ?」
この十分後、僕は学校を飛び出した。
―――――――――――
茶天椎奈。彼女は一言しか言わないかった。
「九十九緋翠は、公園の喫煙所に監禁してるわ」
いやいや監禁って。なんて非人道的な。しかし彼女、恐らく二人
も、僕らをだますために殺して首を落としている。非人道的なんて言葉、今更のような気もした。
茶天さんが嘘をついていたが、恐らく緋翠が吸血鬼なことは、違っていない。それは、緋翠本人が認めていた。
そんなことがなんだ!・・・とは言えない。彼女が吸血鬼なら、今後も人を殺さなきゃいけないから。だから、だからせめて・・・。
「・・・・・・・・」
自分で考えた答えを噛みしめて、僕は公園にある喫煙所に駆け込んだ。
遊具が少ない割には広い敷地の公園。この公園の端には、使われなくなった小さい喫煙所がある。この公園自体も町から外れていて、あまり人が寄り付かないこともあり、喫煙所は荒れ放題だった。
そんな中に。
割れた窓の破片が散らばる床に、両手両足を縛られ、ビニールシートを被された緋翠はいた。
制服姿のところを見ると、学校に来る途中に拉致られたのか――――白い肌には殴られた跡があり、息も絶え絶えでひどく衰弱していた。
「・・・緋翠」
名前を呼ぶと、緋翠はうっすらと目を開いて、僕を見上げた。
「・・・・・・あ、ぉぃ・・・く、」
「・・・今縄をほどく」
落ちているガラス片を拾って、手足の縄を斬った。力の抜けた緋翠の体を座ったまま抱えた。
呼吸が荒く短い。病院に連れて行ったほうがいいのかな・・・。
・・・・・・・違う。
彼女は、吸血鬼だ。吸血鬼なんだ。
決めただろ、僕。
緋翠を、助けるんだって。
「緋翠。僕の血を飲んで。そしたら少しは楽になるんじゃない?」
「・・・・・・」
「でも殺さないで。殺すギリギリでやめて。脳死になってもいいから。一生僕で我慢して。ほかの人を殺さないで」
「あ、おい、くん・・・嫌、です、飲みたく、ない・・・・・・」
「・・・緋翠が死ぬのは、嫌なんだ」
ガラス片を手に取って、僕は首を切った。勿論、切り落とす真似はしないけど、深くは切れたはず。
だから、僕の首からは鮮血があふれ出てきた。
痛い。ていうか熱い。
寒い。
血の一滴が僕を見上げる緋翠の頬に落ちた。白い肌に赤い血はよく映える。
緋翠の唇が震えた。瞳も、戸惑うように揺れている。
戸惑ってはいる――――が、期待に揺れていた。
・・・ああまずい。めまいがしてきた。
もうなんでもいい。なんでもいいから早く飲んでよ。
君が吸血鬼になる瞬間を、僕は見たいから。
だから早く。
「・・・・・葵・・・くん」
「・・・早く」
カッと緋翠の目が見開き。
獣のように僕に噛みついた。
その時の彼女の瞳は荒々しく猛々しく、野生のようだったが。
酷く美しくて。
僕は一生、忘れることが出来なさそうだった。