目
「ほうほう。それで?」
「・・・まだ聞くのか」
「もちろん。一人だけいい思いしやがって!」
僕の家のキッチン。明日のお弁当にと作ったおかずたちを前に、拓がまた騒いでいた。
「きみも夕菜と二人でご飯食べたじゃん」
「おう」
「楽しかった?」
「聞いてくれるか!?」
途端に笑顔になった拓に僕は、はいはいと頷いた。
拓は夕菜のことが好きだ。入学式の日に一目ぼれしたらしい。
一人で話しかける勇気がないからと、僕を誘って夕菜に話しかけ、今の関係が出来た。
男子のなかで一番夕菜に近いのだから、さっさと告白してしまえばいいのにと思うのは、僕が経験不足だから言えるだけだろうか。
「ていうか、夕菜のどこが好きなの?」
「飯を美味そうに食うところ!あと何事も全力なところ!」
「へぇ」
「お前は誰か好きになったことないのかよ」
「・・・ないことはないけど、」
「けど?」
「特になにもなかったからね」
「なんだそれ」
「内緒ってことだよ」
「生意気」
ごん、と拓は僕の頭を殴る。少し痛い。
「それよりおかず、どう?美味しい?」
「おう。めちゃくちゃ美味い」
明日お弁当につめるおかずを拓に味見してもらうと、彼はニカッと笑った。
本当は夕菜とかに食べてもらったらいいのかもしれないのかもしれないけど、まぁ仕方ない。拓で妥協しよう。
「ほんと美味い。いつでも嫁に行けるな」
「婿ね」
「異性のために一生懸命弁当作るお前は立派な女の子だよ」
「・・・今日の晩御飯抜きね」
「ひどい!」
――――――――――
「相変わらず足早いね、葵」
次の日の午後の授業は体育だった。乾いた土の上で二百メートル走を走り抜け、息を整えている僕に、夕菜が声をかけた。
「聞いたよ拓から。お弁当、緋翠ちゃんに作ってあげたんだって?今日も一緒に食べてたみたいだけど、どうだったの?」
「喜んでたよ」
そう。今日の昼、僕がお弁当を渡すと彼女はすごく喜んでいた。ちなみに中身はかぼちゃの煮つけと卵焼き。いんげんとポテトサラダ。それから卵のふりかけがかかった白飯である。
あれだけ美味しそうに食べてくれるなら、作り甲斐もあるってものだ。
それにしても、夕菜もそうだけど、ものを美味しそうに食べる女の子っていいかも。拓の気持ちが少しだけわかった気がする。
緋翠は料理をしたりしないのかと聞けば、そういうものに関わらせてもらえなかったと返ってきた。
普通は女の子には積極的にさせるものだと思っていたけど、そうでもないらしい。
「夕菜は料理したりする?」
「うん。結構できるほうだと思うよ」
「・・・明日も緋翠と食べる約束してるから、明日は夕菜に拓がお弁当を作ってあげてよ」
「なんで?」
「・・・・・」
あわれ。拓。
「次、女子の番だよ。行っておいで」
「あ、うん」
コースの前に並ぶ女子に気づき、僕が促すと、彼女は駆け足で女子の列に入っていった。
そこに緋翠の姿はない。多分今頃、グラウンド・・・入学式からずっと体育に参加していないでも眺めているのだろう。
確か、生まれつき体が弱いと聞いた。
普段の生活ではそんな素振りはないが、きっと大変なんだろうな。
「きゃぁ!?」
女子の列が、ざわめき始めた。
何事かとのぞきに行けば、そこには膝から血を流す夕菜がいて、
「・・・転んだの?」
「へっへー」
いや、笑ってる場合じゃないから。
結構出てるから、血。
「瑞木。森井を保健室に連れてってくれ」
「はい」
体育教師に言われ、僕は夕菜の手を引いた。ジャージが砂にまみれていたので、軽く払ってやる。
「・・・・・」
列から抜けて校舎に戻る途中、拓の視線を受けたが気にしないことにした。
昨日からあいつ、勝手すぎる。
「保健室なら一人で行けたのに。先生も大げさねぇ」
夕菜はそういうが、転んだにしてはかなりの出血量だった。小麦の左膝もすねも、靴下までもが赤い血が汚れてしまっている。
深く切ってしまったのだろう。
「あーあ。せっかく驚異的タイムを叩き出してやろうと思ってたのに、これじゃ台無し」
「驚異的タイム?」
「二百メートル二十五秒とか」
「遅!」
「知らなかった?あたし足遅いんだよ」
「知ってる」
無駄話していると、保健室についた。ここまでの夕菜の歩き方を見ていると、見た目ほどひどい怪我じゃないらしい。
さて、保健室の加藤先生はいるだろうか。
笑うと小皺が目立つ、中年女性の加藤先生。やわらかい物腰で、生徒からも人気の高い先生だ。
「加藤先生、怪我人を・・・」
「葵くんと夕菜ちゃん?」
扉を開けると、そこにいたのは加藤先生ではなく、制服姿の緋翠だった。
カーテンを少し開けて、ベッドに腰掛けながら、こちらの様子を伺っている。
「緋翠、どうしたの?」
「ちょっと窓際で体育の授業見すぎちゃって、具合が悪くなったから休んでたんです。加藤先生は職員室よ」
「窓際?」
「こちらの話です」
にっこりと笑う緋翠は、湿度も高いというのに長袖のシャツを捲っていなかった。
それどころか中に長袖のTシャツまで着こんでいるようだ。
そういえば彼女の服装が、今日からがらりと変わっていたのを思い出す。
枝垂丘高校は、男女ともに深い青のブレザーで、男子は赤いネクタイ、女子はそれにチェックの入ったリボンとなっている。
もう七月ということで、ほとんどの生徒が半袖になっているのだが、彼女はブレザーこそ着ていないものの、長袖シャツにTシャツ。靴下も大腿部を隠すニーソックスで、登校時には赤いボタンがポイントの白いキャスケットを被っているようだった。
昨日までは、長袖のシャツは変わらないものの、普通に紺のハイソックスで、帽子もかぶっていなかったのに。
寒がりなのだろうか。いやいや今日から急になるものか?今日・・・誕生日?
「緋翠ちゃん?」
夕菜の声ではっ、と我に返る。気づけば、緋翠が真っ青な顔で夕菜を見ていた。
厳密に言えば、夕菜の、血が流れている膝を。
「ゆ・・・なちゃ・・・どうし、たんですか、」
「転んじゃって・・・どうしたの?もしかして血、駄目な人?」
「え、えぇ、」
こくこくと、緋翠は何度も頷く。こめかみには汗が流れ、指先が震えているが―――血が苦手という割には、夕菜の膝から目が逸らせないでいるようだった。
「・・・大丈夫?緋翠」
肩をたたいて声をかけると、緋翠の小さな方がびくりと揺れた。
ゆっくりと、僕に目を向ける。
ゆっくり、静かに―――――
「・・・ちょっとお手洗いに行ってきます」
僕から目を逸らし、緋翠は保健室を出て行った。
「なんか、緋翠ちゃんの様子、おかしかったね」
「・・・そうだね」
・・・気のせいだろうか。
彼女が僕に向けた瞳が、ひどくぎらついていて、まるで、
獲物を狩る野獣のように見えたのは。