放物線の、その先へ
こんにちは!すずはると申します。よろしくお願いします!
「感情を数学で理解しようとする少女」が、“理論では説明できない感情”に出会っていく青春小説を書きたくて、この作品を書き始めました。
棒高跳びという競技の、 「空へ向かう感じ」 「踏み切る怖さ」 「落下する恐怖」 が、恋愛や青春とすごく似ていると思っています。
少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです!
ビルの隙間の空
昼休みの教室は騒がしかった。
窓の外では首都高を走る車列が絶え間なく流れている。
遠くに並ぶ高層ビル。 灰色に霞んだ空。 かすかに聞こえる救急車のサイレン。
朝倉玲奈は、その景色を横目に数学の問題集を解いていた。
数式は静かだった。
人間みたいに突然変わったりしない。
だから好きだった。
「玲奈、今日暇?」
机に身を乗り出してきたのは三枝美羽だった。
「暇じゃない」 「また数学?」 「数Ⅲ終わってないから」
美羽は呆れたように笑う。
「今日さ、陸上の地区大会あるんだけど」 「興味ない」 「棒高跳び見よ? めっちゃ綺麗だから」
玲奈はシャーペンを止めた。
“綺麗”。
数学なら分かる。
放物線。 証明。 無駄のない式。
だがスポーツにそんな感覚があるのだろうか。
結局その日、玲奈は半ば強引に競技場へ連れて行かれた。
都会の競技場は、ビルに囲まれていた。
夕方。
高層ビルの隙間に、細い夕焼けが見える。
トラックを吹き抜ける風は、どこか熱を帯びていた。
玲奈は観客席に座りながらぼんやり周囲を見渡す。
その時。
「男子棒高跳び、始まります!」
アナウンスが響いた。
玲奈は顔を上げる。
長い助走路。
高く掲げられたバー。
選手たちの持つ細いポール。
最初の選手が走り出す。
踏切。
ポールがしなる。
そして。
身体が空へ持ち上がる。たま玲奈は目を見開いた。
「……え」
一瞬だった。
だが確かに、“飛んでいる”ように見えた。
頭の中では理論が動き出す。
助走速度。 弾性エネルギー。 回転運動。
全て説明できる。
なのに。
それだけでは足りなかった。
綺麗だった。
ビルに切り取られた狭い空の中で、一瞬だけ重力が消えたみたいだった。
「東高校二年、神崎悠真!」
アナウンスが響く。
歓声が少し大きくなる。
玲奈は自然と視線を向けていた。
助走位置に立つ男子生徒。
少し長めの黒髪。 無駄のない身体。 真っ直ぐバーを見る目。
静かな雰囲気だった。
スタート。
走る。
スパイク音が競技場に響く。
一定の歩幅。 滑らかな加速。 迷いのない踏切。
ポールが大きくしなる。
そして。
空へ。
一瞬、オレンジ色の液体に閉じ込められた琥珀のように時間が止まる。
バーを越える。
歓声。
成功。
その瞬間。
玲奈の胸がざわついた。
理由は分からない。
ただ、目が離せなかった。
数日後。
玲奈は陸上部のマネージャーになっていた。
「朝倉が!?」
部員たちは驚いていた。
玲奈自身も理解できていない。
なぜそんな選択をしたのか。
だが一つだけ分かる。
もっと見たいと思った。
神崎悠真の跳躍を。
夕方の競技場。
部活帰りの電車の音が遠くで響く。
照明が点き始めた助走路を、悠真が走る。
跳ぶ。
空へ向かう。
ビルの隙間へ。
玲奈はその姿を見るたび、胸が少し苦しくなった。
「記録表、めっちゃ見やすいな」
後ろから声がした。
振り返ると悠真が立っている。
玲奈の胸が小さく跳ねる。
「当然。無駄を省いただけ」 「でも普通ここまでやらんって」
悠真は笑った。
その瞬間。
玲奈の思考が乱れる。
心拍数上昇。 呼吸の浅化。 集中力低下。
原因不明。
玲奈は眉をひそめた。
最近、この現象が増えていた。
神崎悠真と話す時だけ。
夏休み。
全国標準記録まであと十センチ。
悠真は焦っていた。
玲奈には分かった。
助走後半で無理に加速している。 踏切位置がズレている。 成功率が下がっている。
「疲れてる」
玲奈が言う。
悠真は苦笑した。
「まあな」 「休んだ方がいい」 「今休んだら終わる」
その言葉に玲奈は何も言えなかった。
合理的ではないと思う。
でも。
悠真が跳ぶ姿を見ると、止められなかった。
事故は突然だった。
夜の競技場。
照明に白く照らされた助走路。
「ラスト一本!」
顧問の声。
悠真が走る。
玲奈は嫌な予感がした。
速すぎる。
踏切位置がズレる。
ポールが不自然に曲がる。
次の瞬間。
身体が空中で崩れた。
バーに脚が引っかかる。
落下。
鈍い音。
玲奈の頭が真っ白になる。
「神崎!」
気づけば走っていた。
悠真は肩を押さえて苦しそうに息をしていた。
その姿を見た瞬間。
玲奈の胸が締めつけられる。
怖かった。
大会とか記録とかじゃない。
悠真が苦しそうなのが、ただ苦しかった。
診断は肩の靭帯損傷。
大会出場は絶望的だった。
ある日の帰り道。
玲奈は駅のホームで悠真を見つけた。
終電前。 人の少ないホーム。 白い蛍光灯。
悠真はベンチに座り、線路を見つめていた。
「……肩、痛む?」
玲奈が聞く。
「まあ少し」
短い返事。
やがて悠真が小さく笑った。
「また落ちるって思うと、踏み切れない」
その声は弱かった。
玲奈は胸が痛くなる。
空を飛んでいた人が。
誰より自由に見えた人が。
今は地面に縛られている。
「……俺、棒高跳び好きだったんだけどな」
その一言で、玲奈はようやく理解した。
自分は。
悠真に勝ってほしいんじゃない。
跳んでいてほしい。
笑っていてほしい。
ただ、それだけだった。
玲奈は震える声で言う。
「……私は」
悠真が顔を上げる。
「あなたが跳ぶところ、好き」
静かな沈黙。
玲奈は続ける。
「空飛んでるみたいで、綺麗だから。また見たい」
胸が熱い。
呼吸が苦しい。
でも、嫌じゃなかった。
悠真は少し驚いたあと、小さく笑った。
「それ、嬉しい」
終電がホームへ滑り込む。
風が吹く。
その瞬間、玲奈はようやく理解した。
数学みたいに綺麗な証明はなくても。
答えの出ない感情は、確かに存在するのだと。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
「感情を数学で理解しようとする少女」と、「空を飛ぶように跳ぶ棒高跳び選手」の物語を書きたいと思い、この作品を書きました。
恋も棒高跳びも、“踏み切る”ことが一番難しいのかもしれません。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです!




