揺れるグラス、揺れる心 ―女王の船の夜会―
今回は船内パーティー回。
ヒロイン視点を交えつつ、リヒトの心の揺れを描いてみました。
まだ恋とは呼べない感情。
けれど確実に、何かが動き始めています。
女王の夜を、どうぞお楽しみください。
レジェンディアは、バルセロナへ向けて穏やかな航路を進んでいた。
夕刻。
船内パーティーを前に、スイートルームの一室では柔らかな灯りが揺れている。
豪奢な鏡の前に立つレイコは、ネイビーのドレスに袖を通していた。
深い海を思わせる色。
繊細な銀糸の刺繍が、波のように光を反射する。
肩には白のファーショール。
髪は上品なハーフアップ。
耳元には小粒のダイヤのみ。
華美ではない。
だが――気品がある。
まるで、レジェンディアのように。
「レイコ様、中東情勢がさらに緊張を増しております。保険料も上昇傾向。タンカー関連株は神経質な動きです」
背後で執事が淡々と告げる。
レイコはリップを引きながら、鏡越しに微笑んだ。
「今月は予定どおりで構わないわ。外務省の発表もまだ決定的ではないもの。BMMも他社も、当然予防策は講じているでしょう」
落ち着いた声。
「それより為替の動きが気になるわね。円が弱いなら、ドル建てを少し優先するわ。買い増しは半分程度。まとめては動かない」
「慎重なご判断で」
「勇敢さと無謀は違うもの」
鏡越しに視線が合う。
「今日もお美しい。まさに女王のようです」
「今この船で、レジェンディア以上に美しい存在はないわよ」
軽やかに笑い、レイコは立ち上がった。
執事が自然な所作で腕を差し出す。
「参りましょう」
豪華なシャンデリアの光が降り注ぐホール。
シャンパンの泡が弾け、笑い声がさざめく。
レイコが姿を現した瞬間、空気がわずかに変わった。
「オーガスティア様!」
「お久しぶりです」
「今回もご一緒できて光栄です」
株主たちが次々と声をかける。
レイコは一人ひとりに丁寧に応じた。
「総会以来ですわね。皆様、お元気そうで何よりです」
媚びることなく、しかし柔らかく。
会話は自然に市場の話題へ移る。
「中東は開戦間近とも聞きますが」
「ええ。ただ、私はBMMを信じていますわ。船たちが無事に戻ることを祈るだけです」
「エネルギー株は狙い目ですぞ。米国市場は強い」
「存じております。でも小口に留めますわ。勇気ある皆様のようには参りません」
微笑みながら、主導権は決して渡さない。
その様子を、少し離れた場所でリヒトは見ていた。
昼間、白鳥の前で微笑んでいた女。
今は、女王の色をまとっている。
そしてその隣には、執事。
自然な距離。
息の合った動き。
迷いのない信頼関係。
親密だ。
「とんでもない株主様だな。まるで男を従える女王のようだ」
思わず零れた言葉に、自分でも驚く。
「……やけに辛辣だな」
横に立った同僚オフィサーが小声で言う。
「そうか? 俺はああいう女は好みじゃない」
「昼からずっと機嫌が悪いぞ、お前」
同僚は苦笑し、グラスを傾けた。
リヒトは無意識にシャンパングラスを握りしめる。
彼女は株主だ。
評価する側の人間。
それだけだ。
そう言い聞かせても、視線は勝手に追ってしまう。
レイコがふと顔を上げた。
視線が、一瞬だけホールを横切る。
リヒトのいる方向へ。
だが焦点は合わない。
そのまま執事に何かを囁き、席へ向かう。
女王の船内で、
女王の装いを纏う女。
胸の奥で、静かに何かが軋む。
これは反感か。
それとも――
グラスの中で、シャンパンの泡が小さく震える。
船は穏やかに進んでいる。
だがリヒトの心は、穏やかではない。
揺れるグラス。
揺れる心。
まだ名前のつかない感情が、
静かに波紋を広げていた。
第四話をお読みいただき、ありがとうございます。
リヒトはまだ認めていませんが、
心は確実に揺れています。
誇りと嫉妬。
尊敬と反発。
この複雑な感情が、次回どんな形で言葉になるのか。
いよいよ二人が本格的に向き合います。
ブックマークや評価、とても励みになります。
引き続き、レジェンディアの航海を見守っていただけましたら嬉しいです。




