勇者とは
2026/01/04の書き散らし日記
キャラクター作りについての書き散らし-ファンタジーの主人公とは-
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ありがちなこととして子供の時に感じた憧憬像は、見聞きした人の活躍や、物語を眺めて感じた主役の活躍になるだろう。
例えば、開いた絵本がファンタジーの冒険譚であれば、登場人物の中で活躍しているキャラクターであるとか、そうでなければ最初に登場する不思議な能力を持った魔剣やら途中で用いられる魔法などが憧れの対象になるだろう。
具体的なキャラクター、役割から決めるなら、次の様な憧れはありがちなものではないだろうか。
「勇者を目指したい」
しかし、理想とは、同時に生まれる疑問を伴う。
この場合、「何をしたら勇者になれるだろうか」という疑問だ。
例えば、勇者が目的・目標を持っていたとして、物語の中でそのほとんどが達成済みであれば、自分がそれに近しいところで関わったところで勇者と認められるわけではない。
物語の中の敵を倒すとかもそうだろう。それが吟遊詩人による直近の伝聞やその敵が残っているとかでもない限り、同様の功績を挙げる事は不可能にも近い。
役割は時代と共に変化する。
その中で理想を抱く人、それはただの観測者でもなく当事者ですらない人であるわけだが、その「己・汝・其の者」と呼ばれる人達が出来ることというのは一体なんであろうか。
手本に学ぶのは一つの手段だろう。独学で真似をするというのはそう簡単なものではない。
そもそも学問というものは例えとして、存在するかも分からない何処ぞかの国における偉人である一万円札にでも顔面が描かれる様な方が仰られる様な言葉に合わせるところであれば、生まれながらにして異なる境遇や条件の違いがあると理解した上でも充分に意義のある努力内容こそが学問だと仰られることだろう。*1
*1(これは大雑把な解釈と思われるかもしれないが、厳密な誰の言葉の引用というわけでもなく、単純に作者の拙い読書や人生経験であるとか思考実験の施行回数の不足であるとかからしてみると、非常に実感を得づらいと言える”理想の実現”というものを考える上で前提となる仮説である。引用ではなく、いわば”少々の思い付き”でしかないということについては充分留意の上、どうか寛大な心を持って捉えて頂けたら作者としては幸いである)
独学のみであらゆる理想を実現するという試みをするためには、環境にある程度の依存を許すため、理想を抱く多くの人にとって必ずしも成功体験を得られる内容とはなりづらいだろう。
逆転の試みとして、知己や知識を得る事を忌避してみるだとか勉学に赴くことに対して過度な遠慮が多ければ、尚の事それによって可能な理想の実現というものはより遠のくものとなりえそうにも思える。*2
*2(もちろん現代で高い識字率を誇る豊かな国などがあればその国においては、他の人と見たい内容が被ったとしても入手閲覧可能な本や触れられる又は身近な知識も多く、道具や技術を活用して努力に繋げるといったことも様々な方法で多くの人が実行可能な事は多いかもしれない)
*0(私には悪癖があるのだが、己のひどく感覚的によった認識を細分化してしっかりと理解しようとすると、どうしても冗長で結論が分かりづらい文章になってしまう)
(コミュニケーション方法の不都合さを指摘されるたび、工夫の余地が無いか思い付かないとなると、自我の主張に繋げるのが難しくなり、社会生活にそれなりの不便を感じる)
(この悪癖については、残念ながら病院に通ってみても私の主治医からすると大した処方はしてくれない、あるいは出来ないということなのでは無いのかなとも思うところだ)
ひとまず理想の実現というものを構成する要素として思い付くのは、努力や行動又は人との関わりや環境要素を望ましいものに近づける要素、そしてそれらを得る機会辺りをざっくばらんに並べられるとしておこう。
さて、ここで冒頭の疑問に話を戻そう。
「勇者を目指したい」という理想を実現するためには何が必要であるか。
理想の実現のため個人が出来ることとして、これまで挙げた要素の中で考えるならば、ある程度の人との関わりを受け入れつつ理想に近づくための機会や行動を選択すること。もちろん勉学や努力を継続することも、理想を実現する上で大きな助けとなりうるであろう。
客観的に指標を示すスコアなどがあればいいが、無ければ同じ理想を追う人物からお互いに学ぶ、切磋琢磨するというのも一つ、目標を目指し続ける上でのモチベーションを確保するには有効かもしれない。
特定の勇者の名前を挙げて、「〇〇(勇者の名)ならそうした」などと言うのも、動機や理由付けには充分だ。
それから来る行動は勇者〇〇という個人へのイメージであり、それを言った人物の考えも含まれるから、実に個性的な発言という印象にもなるかもしれない。*3
*3(作者は現実の知人との会話で、いわゆるサブカルチャーの台詞を引用されて良い印象を受けた事は余り多く無い。そもそもサブカルチャーというものへのイメージとして、ルールの少ない表現環境であり、無法地帯に近いという偏見があったようにも思える。むしろ自分に都合の良いフィクションの台詞や世間一般の常識としては通用しないが、作中の一部の条件下において、更に状況的に共感できる要素を含ませたご都合的なシチュエーションで使われる言葉ばかりを抜き出しているだけのように感じてしまうことがあり苦手な事が多い。「現実を見ろ」では無いが、結局は悪印象を感じるだけでその人との距離を置きたくなって正直言って怖い。しかしまあ、人に「それが格好良い行動かそうじゃないか」といった問いを投げかけられた時には身に沁みて好感を持てたし、自身から反省したいという気持ちが強まったような経験こそは確かにあったからまるっきり否定したいわけでもない。オタクなるもの全般を嫌っているわけではない。むしろ一般的にオタクであると言える。作品から持ち帰る教訓、知識や得られる・持っている人格や人間性というのは人それぞれである、ただそれだけのことだ)
そうした”格好良さ”を目指したくなるのは、人として全く無いのは珍しいとも思える。「その方が格好良いから!」なんて動機は実にありきたりだが、行動の後に言われてみたら実に個性的な物言いだとも思う。
ところで哲学というものの中で自己哲学は、少なからず多くの人がその内部に持っているものではあるが、必ずしも体系的な学問分野として充分に客観性を持ったものとは言えない。
例えば、社会において経済的に成功を収めた人物が、その体験例とそこから得られた自己哲学を綴って本にしたとしてもそれは主観的に成功を観測したものでしかなく、その手法までが客観的なスコアを持って示されるものではないため必ずしも系統学的に一般の哲学と一致するものとは限らない。
言ってしまえば画期的な論文発表のようなものであり、発表時点では客観的な根拠や確信に乏しく、必ずしも既存の知識や統計による根拠や検証がなされたものとは限らない。
自己哲学や他者の体験を読む読者にとって見れば、その成功は観測結果の一例であって、それを得るための条件が必ずしも一般的であるかどうか。作者の考えを読者自身に対して適用した場合に、条件や環境の違いあるいは考え方の違いを理解した上で読むと、全く別の主観あるいは客観論に転じ得ると言う事には注意が必要だ。
知己を得るという事は、憧れの人を得ることや、読書によって夢を見ることと必ずしも一致しない。
読書を含む体験によって得られた成功を真似してみたり共有してみたりが出来る、概ね一般性や再現性あるいは連続性のあるプロセス的な要素を含んだ上で自己哲学やら知識・ノウハウ、考えを深めていける関係を得ることが知己を得るという事なのではなかろうか。*4
*4(まあ知己について作者は、想像上の架空の人間関係程度に、そのような捉え方をしている)
さて、話は変わるが、燃え尽き症候群というものがある。人間というもの、ある程度の成功を収めたらそれ以上の地位を求める必要が無くなる。
兵法を学んで、奇襲戦法を繰り返して戦争を続けることより、ある程度安寧泰平を得られれば、山陰に籠もり風鈴でも吊るして、怯えるものなら地震雷火事親父とかその程度というのが望ましい末期というものだろう。
とはいえ、それは一つの最終的に置くような理想であって、目の前の現実にやるべきこととは異なったものとなることもしばしばあるかもしれない。
安寧太平を得るためには、貯金や経験値といった安心感の充足、一定の継続的な働きや収入無くしては難しいだろう。
働かざるもの食うべからず、猫は炬燵で丸くなるというが、猫の居るところ人間ありというのがどこの世の中でも自然の摂理として存在する。
一般的な人間、つまりは働き手の元には自然と猫がちょっかいをかけに来るもので、それを避けて行動するためには強い意思決定能力と明確なキャットウォークとキャットタワー代わりの生贄となる人間の数という周辺環境により猫満足度を満たすことが必要不可欠だ。*5
*5(サラリーマンである父の働きぶりを見て、彼のキーボードの上に猫を置きたくなるのは私だけだろうか。猫が好きな人からは、一定の共感を得られないものだろうか。私は甚だ疑問である)
「目指したい」という理想の実現に必要なものは継続性である。
とはいえ、世の中は猫に溢れており、奴らハンターは常々人間という名の生贄を欲している。人類が猫の支配下に置かれていることは現実的な問題であるため、理想のために継続性を保つためには、自由たる猫の要求をこなす寛容さも自然と求められるだろう。
つまり「勇者を目指す」ためには、己が哲学や理想を貫く意思決定能力と、様々な困難や要求を解決する能力と寛容さが必要である。もちろん継続的な努力や学びを得ることも欠かせない。
結局のところここまでにおいて「何をしたら勇者になれるのか」、理想の具体化という課題に対して明確な答えは得られなかったが、勇者に必要な事がなんであるかというものについてはちょっとしたイメージが得られたようなそうでもないような気がするかもしれない。
(というわけで飽きたので作者はちょっとその辺でストレッチしてくるます)




